かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

近いうちに復活を

2010-10-30 12:53:41 | 田舎の生活
とうとうこの日が来てしまった。
4月に日本航空が、「松山-那覇便廃止」を決定した、その実施日がやってきた。
本日10月30日をもって廃止される。
悲しいなあ。 
今回廃止されるのは、那覇便だけではないけれど。
沖縄が遠くなるなあ。 

今日の愛媛新聞にその記事が掲載されていた。


それによると、松山-那覇便の今夏搭乗率は8割を超えており、根強いニーズがある」ようだ。
年間通してそれだけの搭乗率が確保できれば、万々歳なのだろうけれど、そうでもなかったから、日航は廃止に踏み切ったのだろう。
なんとか全日空さんにがんばってもらい、この路線を復活させてもらいたい。
(と思っている愛媛県人は多くはないのだろうなぁ・・・・)

ボヤキだ、身勝手だと言われてもいい、
1~2年以内の早期復活を願う!

嘆願書 嘆願書・・・・ 


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 「プチッ」 と沖縄線復活祈願と応援 感謝

キュウリの行く末

2010-10-28 14:51:27 | 田舎の生活
ここ2、3日急に寒くなってきた。 
長い残暑が終わったと思っていたら、この冷え込みである。
大阪や東京では、木枯らし1号が吹いたと。
長期予報では、今年は秋が短いといっていたが、まさにそんな感じだ。
まあ、明日からはもう少し暖かくなるようだけれど、
時間の問題だろうと、灯油を買ってきた。

そんな季節の変わりめを迎えているのに、



これまで暖かかったせいか、菜園ではキュウリのこぼれ種が芽を出し、ここまで育っている。
 これから寒くなるというのに、こやつは花を咲かせることができるのだろうか?
たとえ花を咲かせたとしても実が生るのは難しかろう。
ともあれ、しばらく様子を見ていよう。 


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僕の心細道(119:オーストリア編-第七章)

2010-10-27 14:38:12 | 旅行
オーストリア6日目
2泊3日のミニツアーを終えて、再びウィーンに戻った翌日、
学術大会のオープニング・セレモニー出席のため、地下鉄に乗って会議場へ向かった。



ぞくぞくと参加者が集まってくる。

開始時間が迫ってきて、会場入口では、歓迎の楽団演奏が始まり、
その前を通って会場内に入った。



セレモニーでは、学術大会とはいえ、民族舞踊や音楽などがあった。



午後は市内ツアーに参加した。
まずは、有名なシェーンブルン宮殿に案内された。
といっても、訪れた時は何の予備知識もなかった。



この宮殿は、1996年にユネスコの世界遺産に登録されたようだが、私が訪れた時はまだ未登録であった。



宮殿裏の庭園もすごい。



庭園は東西約1.2km、南北約1kmあるとか。


     【宮殿正面】

宮殿の屋根の中央に双頭の鷲が見える。
シェーンブルン宮殿は、かのハプスブルグ家の離宮として建築されたそうで、マリア・テレジアがここを居城に決めた際、拡張・改築工事に行い、ピンクだった壁の色を彼女が好きだった薄いクリーム色に塗り替えたのだとか。
これで、この色を“マリア・テレジア・イエロー”というそうだ。





この宮殿には、1,441もの部屋があるそうだ。
気が遠くなる。
   ≪つづく≫

さすが高橋選手

2010-10-25 14:39:07 | スポーツ
いつまでも残暑が続いていたと思っていたら、もうスケートシーズンになっちゃった。
フィギュアスケートNHK杯=グランプリシリーズ第1戦
高橋選手 さすがです。 
後半のジャンプでミスがあったものの、出だしの4回転がきれいに決まったし、
ステップは相変わらずダイナミックで素晴らしく、スピンも良かった。
圧巻  魅せてくれます。
他の選手を圧倒した演技で、貫録の優勝。
次も楽しみだ。

一方、全く魅せることができなかった浅田選手。  
どうしちゃったんだろう。
コーチも代わったようだし、年齢的にここ1~2年が正念場かもな。
 “氷上のあやや”村上選手はシニアはつらつデビュー。


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秋を味わう②:国産マツタケ

2010-10-23 14:20:21 | 食材・食事
マツタケは“歴史的”大豊作
なんてニュースが流れていた先日、
長野県在住の知人から久々に電話がかかってきた。
私はすぐにピンときた。 

知人「今から宅配便で送ろうと思う・・・」
何を とは言わない。
こちらもあえて「何を?」 とは聞かない。
この時期彼から電話があるということは、十中八九、いやそれ以上の確信があるから。
 電話があった翌日の夜、宅配便が届いた。
袋を開けると、



かわいいバスケットが入っている。
ふたを開けると、



ジャーン! 
いい香りが漂った。



3年ぶりに見る国産マツタケである。
1,2,3、・・・・・

知人の話によると、今年は大豊作で、5cm以下のものは引き取ってくれない。
とのことだった。
それで、引き取ってもらえないような小さめのが来るのかと思っていたら、
どうして どうして 立派なマツタケだ。
焼いて ご飯に お吸い物に
ごっつぁんでした! 

秋を味わう①:栗

2010-10-22 13:35:00 | 食材・食事
今年も松山在住の親戚から、たくさんの栗をいただいた。 



肱川町で獲れた栗で、いつもながら、大きくてきれいです。
毎度ありがとうございます。

この時とばかりに、一昨年購入した栗皮むき器の出番だ。



さっそく、奥さんが定番・栗ごはんを作ってくれた。



黒ゴマ塩をパラパラと
うーん ホクホクして、ほど良い甘みがあり、旨かった! 
季節の味
ごちそうになりました。 


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僕の心細道(118:オーストリア編-第六章)

2010-10-20 10:48:27 | 旅行
(オーストリア5日目)
9時にリンツのホテルを出発して、St.Pantaleon発電所の見学に行く。
この発電所は、もともと畑だったところに運河を掘って建設されたそうだ。





見学の後、管理棟の前庭で軽食サービスがあった。
ドリンクにビールを注文する人が結構いるので、私も右へならえ。



その後バスに乗り、ドナウ川沿いの道路をMelkへ向かう。
バスを降りたところで、これまた教会へ案内された。







15~20分ほど見学して、昼食のためレストランへ向かう。
今日のランチは“カツ”だった。結構塩味が効いていて美味だった。

食後の休憩も終えたところでバスに乗り、船着き場へ行く。



日曜日のため乗客が多い。
Melkを2時半に出港して、ここからウィーンまでの5時間30分の船下りとなった。

MelkからKremsまでの30km区間は、両岸が比較的急な地形で、その頂上や斜面の所々に古い城や修道院が望まれた。





途中何か所も寄港して、乗客の乗り降りがある。 


     【Spitz】


     【Weissenkirchen】

 
Kremsからウィーンまではドナウ川の両岸に広い氾濫原が広がり、船からは、山並みは見通せなくなった。
こうして、2泊3日のスタディツアーが終わった。
   ≪つづく≫

悪乗り大騒ぎは楽しいですか?

2010-10-18 15:48:52 | 政治・社会
中国 反日デモ 保守派主導の可能性(産経新聞) - goo ニュース

また中国の一部地域で反日デモが起こり、ついに暴徒化しているという。 
日本での中国大使館へのデモに反発するかのようなタイミングだ。
表向きは、尖閣諸島は中国の領土であり、日本は出ていけ!ということのようだが、事情は複雑なようだ。
貧富の格差、就職難、官僚の汚職など
自国政府への不満が根底にあるからだ、とも報じられている。

そもそも尖閣諸島はどこの国の領土か?

尖閣諸島は、ある時期に日本人が定住したことがある以外、昔も今も無人島である。
ところが、1968年の日・韓・台の科学者を中心に行われた調査で、海底に石油資源が豊富に埋蔵されている可能性が指摘され、注目を集めるようになった。
中国政府が公式に尖閣諸島に対する領有権を主張したのは、その3年後の1971年が最初である。
そして、沖縄返還時に中国は、戦後米国が不法に占領した領土を日本に渡したと主張した。
しかし、この主張は正しくない。

 第二次世界大戦後、沖縄は米国によって軍事占領されたが、この際の沖縄県の範囲に尖閣諸島は含まれていた。
この決定は、同じ連合国の中国が、台湾などの中国領編入措置を終了して後のことである。つまり、先に中国が自国の領土の線引きをした後に、米国が占領範囲を決めたのである。
しかも、その米国の決定に関して、中国は何も抗議をしていない。
同じ連合国の一員として、状況を十分知っていたと思われる中国がである。
さらに、戦後、台湾や北京で発行された地図は、中国領の範囲から尖閣諸島を除外し、琉球群島の一部としている。
つまり、尖閣諸島が自国領であるという認識がないばかりか、積極的に日本領であることを認めているのである。
このように尖閣諸島に関して、中国は、1945年以降25年間全く領有権を主張しておらず、日本の支配に対し何の有効な抗議もしてこなかったのである。
それが、海底資源の埋蔵の可能性が取りざたされた途端に、資料も歴史も無視して、領有権を主張し始めたのである。

戦後25年間、尖閣諸島に対し平和的に、かつ継続的に国家権力を発現してきた日本に対しての、突然のいいがかりのように受け取れる。
なぜ歴史を勉強せずに、「あれもこれも自分たちのもの」 小国日本憎し に走るのだろう。
愛国教育に力を注ぎすぎると、事実・歴史を隠さざるを得なくなるのだろう・・なぁ・・・。
やれやれ だ。

石仏・石塔見て歩き(16:高神様?)

2010-10-17 14:34:43 | 田舎の歴史


この石塔の存在は知りませんでした。
地区では正月に10か所ほどの石仏・石塔に注連縄が飾られ、
この石塔もその一つに含まれているということを知り、ありかを教えてもらった。
地区内の道から少し脇にそれた場所にあり、水路のような通路を通ってこの祠に行く。
民家の裏にある。
久々の石塔紹介なので、かなり期待して見学に出かけた。 

しめ飾りがされた立派な石積み造りの祠がある。
その祠の中央に、小さめの石塔が安置されており、“高神社”と刻まれている。
が、失礼な言い方かもしれないが、文字の彫り方や外枠の処理などが稚拙な感じで、とてもプロの技とは思えない。



石塔そのものも、何かを造った残りの石を使った、といった印象だ。 
しかも岩石自体の風化がほとんどなく、かなり新しい時期に造られたようだ(きっと私より若い)。
期待は外れた。

この“高神社”が、この場所にいつから安置されているのかわからない。
おそらく元あった石仏か石塔が傷んでしまったので、心を痛めた方が新たに作ったのではなかろうか・・。
と想像している(いやきっとそうだろう)。
造りが稚拙だなどと、失礼なことを書いたけれど、素人の方の篤い思いで懸命に造られたのではなかろうか。

もし新しいものであれば、地区の方に聞けば事情を知っている方がおられるだろう。

ところで、“高神社”とは何だろう?

三崎の伝宗寺そばに、地元の人々から「高神様」と呼ばれる祠があるようで、
三崎の郷主佐々木為綱を祀っているとのこと。
しかし、彼については元亀3年(1572年)に没したという伝聞以外は、出自や事績など全く不明らしい(『三崎町誌』より)。
どうやら、近江源氏の子孫らしい。
そんな子孫が何故にこの半島にやってきたのだろう?
ともあれ、この“高神社”と刻まれた石塔は、「高神様」のことなのだろうか?
それとも全く別なのだろうか?
地区の先祖が、わけのわからんものを祀るわけはないし、しかも新しく石塔を造るほどであれば、きっと何か言い伝えがあるはずだろうが・・・


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サフランモドキ

2010-10-15 15:13:03 | 草花・樹木
石垣、道の脇、畑の端などなど、
いろんな場所に咲いている。



「○○モドキ」とはかわいそうな名前だ。 
「似て非なるもの」
これでは、アイデンティティが与えられていない。

中米に自生しているもので、わが国には江戸時代後期に渡来したそうだ。
いまや我が国のあちこちで野生化している。
ちゃんとした名前を付けてあげればよかったなあ・・




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