かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

リーグ優勝の意味?

2007-09-30 14:41:31 | スポーツ

日本のプロ野球もアメリカの大リーグもいよいよ終盤だ。昨日は、パ・リーグで2年連続日本ハムが優勝を決めたとのこと。優勝したといっても、今後行われるクライマックス・シリーズがあって、それに勝たなければ最終の日本シリーズには出場できないという。この方式を今年はセ・リーグもとり入れたようだけど、私は何だかすっきりしない。

では、クライマックス・シリーズの勝者はどう呼ぶのだろうか?「パ・リーグ クライマックス・シリーズ優勝」、とか「日本シリーズ出場権獲得」とでも言うのだろうか。それとも、クライマックス・シリーズは日本シリーズの単なる予選なのだろうか。

昨年までは、パ・リーグではこの時点では優勝と言わず、1位通過といっていたような気がする。そして、上位3チームが優勝争い(プレー・オフ)をするという風に理解していた。そうして、ホークスはシーズンを1位で終わりながら、パ・リーグ優勝を果たせなかったという年が2回あったと思う。

リーグ優勝(1位通過)したチームは、全て本拠地で試合が行えるというメリットはあるようだが、日程的に随分と空いてしまうのが何ともいやらしく、調整が難しくデメリットのほうが大きいような感じがする。興行的には利益だろうが、リーグ優勝の意味はほとんどないと思ってしまう。

リーグ優勝が早く決まってしまうと、消化試合が多くなるので、それを回避するために考えられた方式だろうけれど、日本のプロ野球の場合、交流試合も含めて、全ての球団が全く同じ相手と同じ試合数を行うわけだから、さらにクライマックス・シリーズを行うというのは不合理な感じがする。1年間は何だったの? 最後に勢いの出たチームが断然有利じゃん、などと思ってしまう。 

 

大リーグは、各リーグが3地区に分かれており、各対戦相手との試合数が均等でなく、交流試合も全チームと対戦するわけではないので、プレー・オフは意味があると思うけれど、日本の場合はそれが全くなく、各チーム同じ条件だ。しかも、大リーグの場合は、「えっ!」と思うくらい休みが少なく、雨で中止になった試合は、連戦だろうがダブルヘッダーだろうが、とにかく消化させていく。そして、シーズンの試合終了後、すぐにプレー・オフやワールド・シリーズが始まる。日本の場合は、予備日を設けすぎで間が空きすぎだと思う。  

その日程の差が勝敗に大きく影響するような気がする。


ミャンマーの悲劇

2007-09-29 14:10:55 | 政治・社会

本当に痛ましい事件が起こってしまった。ミャンマーで、日本人ジャーナリストが銃撃されるシーンが、何度もテレビ画面に流された。信じがたいような光景だ。

 

9月18日に僧侶たちによる大規模抗議デモが始まり、連日反軍事政権デモのニュースが報道され、その後市民も合流し、ついに24日には10万人のデモとなった。そして、軍事政府の治安部隊による威嚇発砲が繰り返されるようになり、死者が出てしまった。しかし、あのシーンを見ると、威嚇なんていうものじゃなくて、明らかに殺意を持って銃撃したとしか思えない。どうも、治安部隊は、ヤンゴンの僧侶に親近感を持たない地方出身の兵士を前面に立てて、デモ隊を鎮圧する作戦を取っているようだ。ミャンマーの軍事政権は、クーデターで全権を掌握し、その後行われた総選挙で民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん率いるNLDが圧勝したにも関わらず、選挙結果を無視して17年たったいまでも実権を握り続けているばかりか、彼女を軟禁したままだ。 

 

東京に住んでいた頃、ミャンマーから来日していたある女性が、「自分はミャンマーという国名が嫌いで、その名称は使わずビルマと言う」と言っていた。私はその時理由がわからなかったのだが、彼女は「ミャンマーという国名は軍事政権が勝手につけたものだから」と説明してくれ、納得した。我々世代にとっては、ミャンマーよりもビルマのほうがしっくりくる。

 

軍事政権対僧侶といえば、私は、比叡山焼き討ちや一向一揆の人たちを大量虐殺した織田信長を思い出した。しかし、今回のデモは完全非武装であるにもかかわらず、軍政は強硬手段にでた。こんな暴挙が許されていいはずはないと思うのだが、中国は、全く説得力のない理由を掲げて軍事政府を擁護している。ミャンマーを通る自国のパイプラインを守りたい、などの理由があるからだろう。あきれたものである。 

 

軍事政府は即刻武装解除して、国民・僧侶たちと話し合いをするべきだ!


閉鎖的な相撲界

2007-09-27 15:48:02 | スポーツ
相撲界が大変なことになってきた。わがまま朝青龍に振り回され、毅然とした対応がとれない弱腰の相撲協会。それだけならまだ顰蹙をかう程度だっただろうが、今度は時津風部屋で、入門間もない力士を集団暴行で死亡させた疑いが出てきた。
6月にこの死亡のニュースを聞いた時、なんか真実が語られていない釈然としない気持ちだったが、やはりとんでもないことが行われていたようだ。こんなニュースを聞くと、なんだか暗い気持ちになる。まだまだ相撲協会は、閉鎖的な体質が大いに残されているようだ。
時津風部屋といえば、私が子供の頃からの名門部屋だったと思うのだが。そして、たしか朝青龍が出稽古に行って、やりすぎの稽古で豊ノ島に骨折させたように思う。その時、親方は朝青龍に対し、「出入り禁止だ」と怒っていたと思うのだが・・・。それよりもひどいことが行われていたのか。
今回の事件にしても、部屋の親方は当初、「自分達で火葬にするから」と言っていたそうだが、これでは証拠隠滅だ。亡くなられた力士の父親は、随分自分を責めてもいるようで、見ていてとても痛々しい。この遺族の方々の訴えがなければ、密室で処理され、真相が葬られたままであったかも知れないと思うと怖くなる。
この前の秋場所では、久々に元気の良い新入幕力士・豪栄道が出てきて活躍したので、来場所以降楽しみだな、と思っていた矢先なのに・・・
とてもとても悲しいよ。

中秋の名月H19

2007-09-26 10:42:28 | 田舎の生活

昨夜は中秋の名月ということで、天気もほどほどに良く、時々薄い雲に隠れることはあったけど、十分に楽しめた。夕食後、母に「今日は中秋の名月だよ」と言って窓を開けて見せてあげると、母も「きれいじゃのう」と言って喜び、「月々に月見る月の多けれど 月見る月のこの月の月」と言う。最近のことはすぐ忘れるけれど、昔覚えたこと・経験したことは良く覚えている。私もこの歌(?)は少し覚えているが、後半部分が正確に思い出せなかった。そしてこれは、例えば、芭蕉の俳句「松島や ああ松島や 松島や」のように、短歌だと思い込んでいた。ところが、この「月々に・・・」は早口言葉だということを今日初めて知った。 

そして、「松島や・・・」は、松尾芭蕉が松島を訪れた時、余りに絶景なので句が浮かばず詠んだと教えられていたが、実際は江戸時代の狂歌師田原坊がオリジナルだそうである。

 

さて、もう一つ驚いたのは、今年の中秋の名月(旧暦8月15日)は、満月より2日早いとの事である。旧暦は、29日ある月と30日ある月があるので、旧暦15日と満月が1日食い違うことはあるとは思っていたが、2日もずれることがあるとは知らなかった。しかも、旧暦15日と満月の日が一致しないことのほうが多いのだそうだ。新月から満月までの平均日数は約14.76日だそうだが、月の軌道が円でないなどの理由から、新月から満月までの日数は、約13.8~15.8日の間で変化するのだそうである。昨夜の月は、肉眼ではわからなかったが、双眼鏡で見てみると確かに左側(東側)が少しいびつな形だったので、満月でないことは実感できた。 

 

そんな中秋の名月の日、福田新内閣がスタートした。「貧乏くじを引くかも知れない」と言っていた福田氏、そして「背水の陣内閣」と自称していた福田新総理。死刑執行問題で乱暴な発言をしていた鳩山法務相。大丈夫かいな。 


お彼岸

2007-09-24 13:34:34 | 田舎の生活
昨日(23日)は、彼岸の中日だったので、午後遅くに墓参りに出かけた。 
しかし、お彼岸にはいつも墓参りを済ませた後立ち寄ってくれる親戚の方々が、誰もやって来ないので、どうしたのかなあと思っていた。それでも、予定通り出かけることにして、車を走らせ始めたその時、「ひょっとして今日は友引なのだろうか?」という不安が思い浮かんだ。この地方の方々は、友引の日に墓参りすることを嫌っているからだ(全国的にそうなのかな?)。しかし、その段階では、再び家に引き返して確認するのも面倒くさい、と思った。幸い、出発まもなく知り合いのおばさんを見かけたので、そのおばさんに「今日が友引かどうか」を聞いてみることにした。残念ながら、そのおばさんも今日が友引かどうかわからなかった。それでもおばさんが、「みんなは友引の日に墓参りに行くのを嫌うけど、私は気にせんのよ」という心強い言葉が返ってきた。「よし、このまま墓参りに行こう。今日が友引かどうかは確立6分の1だ」と気合を入れ直して、引き返さずそのままお墓へ行った。

お墓に着くと、お盆の時に飾った花などが全くなくなっていたので、「おや?誰かが片付けてくれたのかな・・・」と思っていた。しかし、他の家のお墓を見ても同じような状況があちこちで見られ、花立から花が飛ばされて地面に散らばっているところもたくさんあったので、これはきっと、台風などで吹き飛ばされたのだろうということで落ち着いた。
ということで、ここ2・3日中に墓参りに来たであろう形跡のあるお墓は少なかった。
その後家に帰ってから暦を見て確かめたら、なんと今日が友引だった。 
ムフー!参った!! 

僕のTシャツ(1)

2007-09-23 14:01:14 | 旅行
昨年から田舎に住み始めて、夏場の3~4ヶ月間は、一日中短パンにTシャツといった格好で過ごすことがほとんどである。サラリーマン時代は、仕事に出るときは背広姿だったので、とても考えられないスタイルである。だから、今はほとんどクリーニング代がかからない。
思えば私は旅行に行った時など、記念にTシャツを買うことが多かった。それで、夏場はそれらのTシャツを今でも着ているわけです。そのほとんどが、いわゆるプリントTシャツなものだから、奥さんには少々小バカにされている感じである。そんな奥さんが、先日「Tシャツのことをブログに書いたらどう?」と言うものだから、私もその気になり、我がTシャツたちに日の目を見させてあげようと思うようになった。私のブログは、何も特徴がないので、せめてこのTシャツにまつわる話をシリーズ化しようという甘い考えがのし上げてきた。
というわけで、この半島生活とは何の関係もないのですが、ヨレヨレのTシャツとともに、それを買った時の旅の思い出などを少しずつご紹介していきたいと思います。

そこで、今日は第一弾。ネパールで買ったTシャツをご紹介します。
図柄にはネパールの代表的な山のひとつマチャプチャレの他、夾竹桃や寺院が描かれています。このTシャツは、今ではずいぶん色あせてしまいました。そして、縫製がやや稚拙で、買ってすぐに脇のところがほつれてしまい穴になっている。
初めてネパールへ行った時は、標高の低い所だけしか行かなかったので、はるか遠くに見えるヒマラヤの山々がとても気になり、次回は少しでもあの山々に近づきたいと思った。そして2回目のネパール旅行は、そのヒマラヤ山脈のひとつアンナプルナ方面へのトレッキングを目的に、友達を誘って出かけた。

トレッキング中は全てテント生活で、避暑地で有名なポカラから12日間かけてアンナプルナ内院を往復した。ところが、トレッキング2日目にひどくお腹をこわし、朝から何度も“きじうち”する羽目になった。そして、お尻を押さえながら恐る恐る歩くという、しんどくも恥ずかしい体験をすることになったのである。とにかくその日は、お腹から下が別人格になっており、お腹に巣食った悪魔を呪ったものである。   でも、同じ食事を摂ったはずの友人は、なんともなかった。
その時、ネパールのガイドは、「昨夜の水牛のミルク入りスープが悪かったのだろうか」と言ったので、私もきっとそうだと思った。私は、牛乳がダメで、大汗をかいた時などビールも美味しいが、冷えた牛乳も美味しいだろうなあと思うのだけれど、後が怖いので飲めないでいる。だから、自分は1日に1~2リットルの牛乳を飲みます、というようなことをいう人は、私にとって「信じられない」ことなのである。
そんな半病人状態でのトレッキング開始だったが、その日のルートはほとんど緩い下りだったのがラッキーだった。幸い、翌日はなんとか回復し、それ以降無事にトレッキングを続けることができ、ヒマラヤの山々に圧倒され、とても楽しい時間を過ごすことができた。
頂上付近が「魚の尾っぽ」のような形をした、憧れのマチャプチャレを存分に見ることができたし、アンナプルナ山塊のふところに入り、360度のパノラマも堪能できた。それまでの自分の最高到達点は、富士山の3,776mだったので、このアンナプルナ内院トレッキングで4,100mまで行ったので、自己記録の更新であった。さすがに、4,000m付近では、一度地面に腰を下ろすと再度立ち上がるのが億劫になる、簡単な計算をするのさえ面倒になる、などの軽い高山病にはなったが、頭が痛くなるということはなかった。

こうして、しんどくも楽しいトレッキングが終わり、ポカラのホテルに帰ってきた時は、いの一番にシャワーを浴びた。11日間シャワーを浴びていなかったので、身体をつたって下に落ちる水は、すぐに泥水のように黒くなった。その水の色の変わりようを見るだけでも気持ちよく、シャワーを浴びながら生まれて初めてくらいの爽快感を味わった。 
そのあとは、友人と「さあー ビールだ!」と叫びながらポカラの町に出て行った。
こうして、私のネパールへの憧れは決定的なものとなった。

陵墓調査解禁

2007-09-21 11:34:14 | 政治・社会
今日の新聞に、「陵墓学術調査許可へ」とでていたので、「おっ!ついに宮内庁は、天皇陵の発掘調査を許可するのか」と思ったら、明治天皇陵神功皇后陵だけに限り、立ち入り調査を許可するというものだ。しかも、外観を目で確認するのが中心で、墳丘に立ち入る場合は一段目の平らな場所までで、発掘は認めないというものだ。これでは、測量などによって、現状の確認程度しかできないだろう。とっても物足りない気がする。
とはいえ、関係学会や研究者たちが30年前から、当面の要望として立ち入り調査を熱心に宮内庁と交渉を続けてこられたから、ほんのちょっぴりではあるけれど、やっとここまできたのだろう。

宮内庁はこれまで、「皇室神事の対象で、単なる文化財ではない」と歴代天皇や皇族の陵墓の学術調査を拒否、タブーとしてきて、自らの価値観だけを押し付けてきた。しかし、宮内庁によって指定された「天皇陵」の大部分は、考古学・古代史学がまだ成立していなかった明治維新以前に、御用学者たちによって決められたものを、維新後も検証することなく踏襲したものであり、はなはだ科学的根拠に乏しいものだ。しかも、今では架空の人物だとされるのが常識の、神話時代の天皇の「陵」も含まれている。
宮内庁は真実を明かされるを恐れている、という風に思われても仕方がない気がする。 

ところで、今回の調査対象となる「明治天皇陵」は、こともあろうに豊臣秀吉ゆかりの伏見城の本丸跡を破壊して造成されたのだそうだ。なぜ、特別史跡級の場所をわざわざ選んで「明治陵」は造られたのだろうか。 
一方、神功皇后は、宇佐神宮に代表される八幡神として知られる応神天皇の母であり、天皇ではないが、多くの神話・伝説が残されている人物だ。ただし、実在を疑問視する研究者もいるようだ。 

早ければ来年2月にも調査が開始されるようだから、その調査結果が楽しみである。そして、早いうちに発掘調査ができるようになることを祈っております。  

いぼ神様

2007-09-20 14:44:03 | 田舎の生活
数日前から、またもや左目の上まぶたに“ものもらい”ができてしまい、今や豆を入れたくらい大きくなっており、奥さんに嫌がられている。もう峠を越しただろうと思っているのだが、まだ治らない。以前“ものもらい”ができた時、一度医者に行ったことがあるのだが、その医者はいきなり指でつぶしてしまった。他の治療方法を期待していた私は、「なんて乱暴なことをするのだ」と思い、大いに落胆して、それ以来“ものもらい”ができても医者には行かないことにしている。 

ところで、我が地区では“ものもらい”のことを“めいぼ”という。「目のいぼ」だ。
私は、本物の“いぼ”はできたことがないのだが、我が集落の上のほう、墓地へ行く途中に“いぼ神様”と呼ばれる石塔が建っている(写真参照)。そして、ここの水をいぼにつけると治ると信じられている。だから、ここでお世話になった人は多いようで、私の母も若い頃、足にたくさんいぼができたことがあったが、ここへ水を持ってきて置いて、その水をつけるとやがて治ったとの事である。私は、この水は石塔手前の水鉢に誰かが入れたか、あるいは溜まった雨水かと思っていたが、水の入ったペットボトルが置かれているところをみると、最近はどうもこのペットボトルの水をつけるようだ。きっと、この容器に入った水が何日か経つと、神様のご利益で魔法の水に変わるのだろう。 
なお、この場所には石塔が2つ建っており、どちらが“いぼ神様”か、私は知りたいのだが、母に聞いてもはっきりしないので、両方かも知れない。
写真右の石塔は、緑色片岩でできており、高さが1mあり、こちらのほうが立派な感じがするので、こちらが本物の“いぼ神様”かもしれない。それに、こちらのほうにだけ水の入ったペットボトルが置かれている。しかし、風化して文字が読みづらいものの、中央に大きな達筆文字で「南無妙法蓮華経・・・・」と刻まれてあり(「経」の文字は私の読み違いかもしれないが流れでこう判断した)、いぼと日蓮宗がどう関係するのだろうか、という疑問がでてくる。こういった神様や地蔵様は、仏教の宗派とは関係ないと思うのだが・・・・。さらに、この石塔には「明治十九・・」の年号や、建立した人であろう「宮部為松」などの文字も何とか判読できる。
一方、左側の少し小さめの石塔は、花崗岩でできており、風化のため、残念ながら私の力では1文字も読み取れなかった。風化の程度からすると、左側のほうが古いような印象を受け、本来はこちらが宗派に関係ない本物の“いぼ神様”だったのではないだろうかと思えてくる。
どちらが本当の“いぼ神様”なのだろうか?  
○○さーん、教えて下さーい。 
一度集落の人たちに、アンケートをとってみるのも面白い気がする。

全国にも同じような「いぼ神様」とか「いぼ取り神」、「いぼ取り地蔵」などが分布しているようで、我が地区と同じように、いぼに水をつけるとか、小石でいぼを撫でるといぼが治るといった信仰があるようだ。

ミスターの奥様が・・・

2007-09-19 15:28:10 | 

長嶋名誉監督の奥さん、亜希子夫人が心不全のため昨日亡くなられたとの訃報を知って、びっくりした。スーパースターの長嶋さんを支え続けた生涯だったのだろうと思う。

長嶋さんの悲しみは計り知れない。

ご冥福をお祈り申し上げます。

数年前に脳梗塞で倒れてから、まだ十分に回復していないと思われる長嶋さんが心配だ。


棟田選手おめでとう!

2007-09-18 14:05:11 | スポーツ
微妙な判定に泣かされたという感もあったけど、コーチも含めて日本選手団は、国際ルールを十分理解していないのではないかと思ってしまう今回の世界柔道。
これまでにもオリンピックでの誤審に悔しい思いをさせられたこともあったけど、今回ばかりはそんな事は言っておれない状況だ。井上が敗れ、鈴木が敗れ、泉が倒れた。私は柔道のことはよくわからないが、昔は「一本」と「技あり」しかなかったと思う。近年は、それに加えて「有効」「効果」なんていう得点があるようだ。そのためか、このごろの柔道は見ていてあまり面白くない気がする。軽量クラスになると、特に外国人選手は組み合うことをせず、組み手争いで離れて戦う場面が多い。そして、日本人選手が技を仕掛けると、その瞬間を待ってたとばかりに返し技を仕掛ける、という場面が非常に多いように感じるのは私だけだろうか。こうして、井上選手も鈴木選手も敗れた。
そして金メダルが1個も取れないというプレッシャーの中、最終日に、78kg級で銀メダルを獲得した塚田選手が無差別級で、そして、出産・育児を経験した谷選手が優勝した。谷選手は、今年4月の全日本選手権では決勝で敗れていたので、個人的には大丈夫だろうかという不安があった。しかし、彼女は強かった。決勝までに2試合延長を戦い、胸をしめつけられるような緊張感、極限の戦いの末、優勝した。谷選手は、「やっと自分の技が習得できた。これからはそれを生かしていきたい」と言っていた。彼女にしてこれである。本当にすごい人だと思う。
だから、テレビ放送でも彼女中心に映像が流れるのは仕方のないことだろう。でも、もう少し棟田選手の試合も流して欲しかったと思うよ、フジテレビさん。
男子選手が全滅に近い中、最後に棟田選手がカッコいいところを見せてくれた。彼は井上選手や鈴木選手に隠れてあまり目立たない存在だろうけれど、試合に臨む態度はとても礼儀正しく、その姿を見ていていつもさわやかにさせてくれる。棟田選手は、壇上に上がる時、試合のエリア(場内?)に入る時、そして仕切り線(恥ずかしながら、それぞれの正式名称を知らない)でしっかり相手を正視して、きちんと両手を指の先まで伸ばして腰のところに当て、頭をきちんと下げてお辞儀をする。試合が終わった後も、この3箇所できちんとお辞儀をする。そして、常に対戦相手に敬意を表しているように感じる。柔道に対する彼の真摯な姿、哲学を見る思いである。こんなところは、豊真将に似ている。鈴木選手も見習って欲しいと思うのである。   
先日の土佐選手に続く本県人の活躍が嬉しい。棟田選手おめでとう! オリンピックも  !!