この石塔の存在は知りませんでした。
地区では正月に10か所ほどの石仏・石塔に注連縄が飾られ、
この石塔もその一つに含まれているということを知り、ありかを教えてもらった。
地区内の道から少し脇にそれた場所にあり、水路のような通路を通ってこの祠に行く。
民家の裏にある。
久々の石塔紹介なので、かなり期待して見学に出かけた。
しめ飾りがされた立派な石積み造りの祠がある。
その祠の中央に、小さめの石塔が安置されており、“高神社”と刻まれている。
が、失礼な言い方かもしれないが、文字の彫り方や外枠の処理などが稚拙な感じで、とてもプロの技とは思えない。
石塔そのものも、何かを造った残りの石を使った、といった印象だ。
しかも岩石自体の風化がほとんどなく、かなり新しい時期に造られたようだ(きっと私より若い)。
期待は外れた。
この“高神社”が、この場所にいつから安置されているのかわからない。
おそらく元あった石仏か石塔が傷んでしまったので、心を痛めた方が新たに作ったのではなかろうか・・。
と想像している(いやきっとそうだろう)。
造りが稚拙だなどと、失礼なことを書いたけれど、素人の方の篤い思いで懸命に造られたのではなかろうか。
もし新しいものであれば、地区の方に聞けば事情を知っている方がおられるだろう。
ところで、“高神社”とは何だろう?
三崎の伝宗寺そばに、地元の人々から「高神様」と呼ばれる祠があるようで、
三崎の郷主佐々木為綱を祀っているとのこと。
しかし、彼については元亀3年(1572年)に没したという伝聞以外は、出自や事績など全く不明らしい(『三崎町誌』より)。
どうやら、近江源氏の子孫らしい。
そんな子孫が何故にこの半島にやってきたのだろう?
ともあれ、この“高神社”と刻まれた石塔は、「高神様」のことなのだろうか?
それとも全く別なのだろうか?
地区の先祖が、わけのわからんものを祀るわけはないし、しかも新しく石塔を造るほどであれば、きっと何か言い伝えがあるはずだろうが・・・
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