かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

石仏・石塔見て歩き(16:高神様?)

2010-10-17 14:34:43 | 田舎の歴史


この石塔の存在は知りませんでした。
地区では正月に10か所ほどの石仏・石塔に注連縄が飾られ、
この石塔もその一つに含まれているということを知り、ありかを教えてもらった。
地区内の道から少し脇にそれた場所にあり、水路のような通路を通ってこの祠に行く。
民家の裏にある。
久々の石塔紹介なので、かなり期待して見学に出かけた。 

しめ飾りがされた立派な石積み造りの祠がある。
その祠の中央に、小さめの石塔が安置されており、“高神社”と刻まれている。
が、失礼な言い方かもしれないが、文字の彫り方や外枠の処理などが稚拙な感じで、とてもプロの技とは思えない。



石塔そのものも、何かを造った残りの石を使った、といった印象だ。 
しかも岩石自体の風化がほとんどなく、かなり新しい時期に造られたようだ(きっと私より若い)。
期待は外れた。

この“高神社”が、この場所にいつから安置されているのかわからない。
おそらく元あった石仏か石塔が傷んでしまったので、心を痛めた方が新たに作ったのではなかろうか・・。
と想像している(いやきっとそうだろう)。
造りが稚拙だなどと、失礼なことを書いたけれど、素人の方の篤い思いで懸命に造られたのではなかろうか。

もし新しいものであれば、地区の方に聞けば事情を知っている方がおられるだろう。

ところで、“高神社”とは何だろう?

三崎の伝宗寺そばに、地元の人々から「高神様」と呼ばれる祠があるようで、
三崎の郷主佐々木為綱を祀っているとのこと。
しかし、彼については元亀3年(1572年)に没したという伝聞以外は、出自や事績など全く不明らしい(『三崎町誌』より)。
どうやら、近江源氏の子孫らしい。
そんな子孫が何故にこの半島にやってきたのだろう?
ともあれ、この“高神社”と刻まれた石塔は、「高神様」のことなのだろうか?
それとも全く別なのだろうか?
地区の先祖が、わけのわからんものを祀るわけはないし、しかも新しく石塔を造るほどであれば、きっと何か言い伝えがあるはずだろうが・・・


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