かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

卑弥呼の正体は・・?

2009-05-31 10:10:51 | その他
で昨日終わりましたが、彼女は一体誰なのでしょうか?

よく言われるように、おそらく 卑弥呼=アマテラス なのだと思います。
ですから、正確には神話のアマテラスの正体が卑弥呼だということでしょう。
アマテラスなら、『古事記』にも『日本書紀』にも出てきます。
特に、アマテラス神話の中で有名な“天の岩戸隠れ”の話がありますが、これは皆既日食なのでしょう。
この皆既日食、天文学者の斎藤国治氏によれば、紀元248年9月5日に起こっているとの事です。

皆既日食 ⇒ アマテラスの天の岩戸隠れ

昨日書きました通り、中国の『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は248年頃に死亡したとされています。
ということは、皆既日食があったとされる年代とピッタンコです。
ちなみに、その前後の皆既日食は158年と454年だそうです。
そして、この年、この日 卑弥呼は殺害された。

女王卑弥呼が殺害された、との仮説を最初に明確に唱えたのは、故・松本清張氏のようです。
理由は「呪力(霊能力)の衰え」。
大王の呪力が衰えたから、戦争に負けたのだ、これまで経験したことのない真っ暗闇(皆既日食)になってしまったのだ、と関連付けられたかもしれません。

霊能力の衰えた大王を殺害し、新たに若い大王を崇めるというのは、ありそうな話です。
でも、そんな非業・無念の死を遂げた大王は祟りが怖いです。
丁重にお祀りしなければなりません。


さて話変わって、皆さんは、弓削道鏡と称徳天皇(女帝)の話をご存知でしょうか?
もし戦前の歴史教育を受けられていれば、きっとよく知っていたでしょう(もちろん私も戦後教育しか受けておりません)。
戦前の皇国史観に基づく教育では、道鏡は女帝の寵愛を受け、図に乗って皇位を狙った大悪人とされていたようですし、
称徳天皇は、由緒ある天皇家の筆頭でありながら、事もあろうに“愛人”かつ部下に「万世一系」という天皇の地位を譲ろうとしたのですから。
当然、彼女もダメ君主の烙印を押されていたのです。

でも、本当のところはそんな大悪人・大批判物語ではないようです。
道鏡はとても立派なお坊さんだったようですし、称徳天皇は天皇という地位にありながら、平等思想の持ち主だったようです。
あっ 付け加えますと、称徳天皇は、あの大仏建立者として知られている聖武天皇の娘さんです。
なお、このへんの詳しい事情・見解をお知りになりたい方は、梅原猛著作集「海人と天皇(下)」や井沢元彦氏の「逆説の日本史 3.古代言霊編」などを読んでみてください。

この称徳天皇が、道鏡に天皇の位を譲ろうかと悩んだとき、それが正しいことかどうか、神託(神のお告げ)を求めようということになったのです。 
何しろ特上の「万世一系」の家柄ですので。
そして、お伺いたてに、大分県にある宇佐八幡宮に和気清麻呂を使者として送ります。
八幡神のお告げは、「皇室の血統でない者を皇位に就けてはならない」でした。
ちなみに、和気清麻呂は、皇居のお堀端に大きな銅像が建てられている人です。

ここからが本題です。
この時、なぜ近くにある伊勢神宮ではなく、(当時の都・奈良から)遠い九州の神社へ神託を受けに行ったのでしょうか?
皇室の重大事を決めるのに、祖先神のお告げをもらうなら、当然伊勢神宮だと思うのです。
伊勢神宮は、天皇家の始祖とされるアマテラスが祀られている場所です。
一方、宇佐八幡宮は、15代応神天皇が祀られております。
貴方ならどちらを選びますか?
称徳天皇は、宇佐八幡宮を選んでいます。
これはどういうことでしょうか?

これが、邪馬台国=九州説の個人的見解の根拠第2です。
宇佐八幡宮には、きっと天皇家の祖先、しかもとても大事な方が祀られているからではないでしょうか。
宇佐八幡には、応神天皇とともに彼の生母とされる神功皇后(じんぐうこうごう)も祀られております。
神功皇后が実在したかどうかについては、現在では疑問視されているようですが、これまた戦前の教育では聖母とされた方で、明治時代には10円紙幣の肖像となっていたようです。
さらに、もうひとり“比売大神”が中央に祀られており、この方が主祭神となっているようです。

 比売(ひめ)大神とは誰か?
わからないんですねえ・・・これが。

先述の井沢元彦氏は、比売大神=卑弥呼だと推論しています。
ということは、イコール アマテラスとなります。
であるならば、称徳天皇が神託を受けに行かせたわけが納得できます。
ではなぜ、伊勢神宮と宇佐八幡宮にアマテラスが祀られているのでしょうか?
井沢氏の解釈は、伊勢神宮は卑弥呼記念館、仏壇のようなもので、宇佐神宮が墓 とする考え方です。
そうですねえ、何か大事なことでご先祖様にお伺いを立てるなら、仏壇よりも墓前へ行くでしょうねえ。 

かなり乱暴な書き方ですが、
アマテラス=卑弥呼の墓は北部九州にある、ということで、
「神武東征」神話とあわせ技 1本! で 邪馬台国は九州にあった!
という、偉い方々の知見に乗じた ヨッコイショ私見でありました。
ぜーんぶ科学的証拠のない私の「邪馬台国九州説」論です。

だから、宮内庁が古墳の発掘調査を早く許可すればよいものを。
そうすれば、もっと確からしいことがわかると思うのです。

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私は「九州説」

2009-05-30 11:32:36 | その他
やはり…箸墓古墳は卑弥呼の墓? 歴博 炭素年代測定で分析(産経新聞) - goo ニュース

昨日、興味深いニュースが流れた。
従来から、卑弥呼の墓ではないだろうかと考えられていた、奈良・箸墓(はしはか)古墳の築造時期が、土器などの分析(放射性炭素年代測定)で西暦240~260年の間と推定されることがわかった、というものだ。
中国の『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は248年頃に死亡したとされている。
ということは、中国の歴史書の記述と古墳の築造時期が一致したことになる、というわけだ。
箸墓古墳の築造時期については、従来出土する土器などの様式から、3世紀後半と見られていたようだ。
そのため、卑弥呼との死亡時期との間に数十年のギャップがあった。
今回の研究結果で、ここのところの矛盾が解消されたかっこうである。

そして、「畿内説と九州説」に分かれる邪馬台国の所在地論争について、畿内説が俄然有利になってきたようでもある。

それでも、私は依然「九州説」に1票なのである。

その根拠とは?
私は素人なので、「九州説」とする科学的な根拠は持ち合わせていないので、感覚論的になってしまうが、第1の根拠は、
『古事記』や『日本書紀』にある、「神武東征」の話である。
「そんなもの たかが神話じゃないか」と侮られる方も少なくないと思いますが、神話を侮るなかれ。
3世紀に成立されたとされる「邪馬台国」と5世紀に成立されたとされる「大和朝廷」の関係が、いまだにはっきりしていない(さまざまな論説に分かれる)ようだけれど、
「神武東征」神話が示すように、九州で成立していた邪馬台国が東へ勢力を延ばし、近畿地方に朝廷を築いたと思っております。

それにしても不思議なのは、卑弥呼という女王はいったい誰なのだろう?
中国の歴史書に記述されているし、日本国民的にもチョー有名な方である。
それなのに、『古事記』や『日本書紀』には、この女王の名前が一切出てこない。
これは一体どういうことかしら?

卑弥呼とは、個人名なのか、それとも称号や役職のたぐいの名称なのだろうか?
それさえもわからないのが現状である。

卑弥呼の正体は・・・?

この話 長くなりそうなので、本日はいったんここまでにしたいと思います。


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 畿内説の方も広い心で 「プチッ」と応援よろしくお願いいたします。

ビワの実

2009-05-29 12:14:15 | 食材・食事


集落のそこかしこで見られるビワの木。
今年もおいしそうに黄色く熟してきました。 

どなたに断っていいのやら・・・。


黙って失敬しようかなあ・・・? 

鳥に食べられる前に。  


ぼちぼち採らないと腐ってしまいそうです。 


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今日のかんじゃま 5.28

2009-05-28 13:05:06 | 風景
昨日は久しぶりの雨でした。 
恵みの雨です。
野菜たちもホッと一息ついていることでしょう。
でも、柑橘農家の方々にとっては、まだまだ足りないことでしょう。

そして今日は風が強く、海も荒れています。 
かんじゃま(梶谷鼻)周辺も白波が立っています。
波の動きを見ると、東風のようです。
今は大潮ではないので、悔しくありません。


  【今日のかんじゃま】


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あるキュウリの一生

2009-05-27 13:22:13 | 菜園
花が咲く前です。かわいいものです。

ちゃんとキュウリの形をしています。
キュウリやカボチャは、このように雄花、雌花が分かれています。
だから、花が咲く前から雌花はその根元に実?を付けております。
・・・
花が咲きました。受粉に成功するか? 

・・・

実の先っぽの花が枯れました。
キュウリも生長しています。受粉成功のようです。 

これから日に日に大きくなるでしょう。

・・・

ずいぶん大きくなりました。
もう食べられるでしょうが、貧乏性です。
もう少しおいておきましょう。


・・・
もう十分でしょう。大きくなりました。 
20センチオーバーです。
これ以上大きくさせると、味が悪くなるかもしれません。


・・・
さあ いただきましょう。
今回はシンプルにざく切りで、塩コショウ&マヨでいただきました。


ポリポリ歯ごたえ、みずみずしさ満点。
ご馳走さま!
成仏してください。 


本日もご訪問ありがとうございます。初めての50位ランクインです!

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僕の心細道(61:ネパール再び編-第二十章)

2009-05-26 09:47:25 | 旅行
-ネパール14日目-
ペワ湖畔で一夜を過ごし、6時半頃目が覚めた。
テント生活最後の朝も、いつものように、まず紅茶が運ばれてきた。 
そして、おかゆとゆで卵。朝食はこれだけ。
この朝食パターンも今日でおしまいかぁ~・・・。

朝食の後、私はテントでゴロ寝していたのですが、相棒はカメラ片手に周辺を探索しておりました。
ガイドのランバートルさんたちは、湖で衣類を洗濯して、水泳を楽しんでおります。

ゆったり時間を過ごして、早めの昼食は、揚げチャパティ、キャベツとタマネギの油炒め、フライドポテト、パイナップルのかんづめです。
これがキャンプ最後の食事となりました。

着古しで失礼かとは思ったのですが、彼らが着ているものよりはずっとましだと思ったので、防寒着、長袖シャツ、Tシャツ、セーターを彼らにあげました。
当方は、荷物を減らしてその分ネパール土産を買おうとの魂胆です。

食事のあともゆっくり時間を過ごし、ペワ湖を正午過ぎに去りました。
ランバートルさんが、タクシーを呼んできたのですが、我々の荷物が多く(屋根に荷物を縛るフレームなし)キッチンボーイの二人は徒歩となりました。
気の毒です。
みやげ物屋が並ぶ通りを過ぎ、10分ほどで空港そばのMt.アンナプルナホテルに到着です。

チェックインして、ランバートルさんと別れ、部屋でシャワーを浴びました。

【シャワー前の薄汚れた姿】

11日間、風呂はもちろんシャワーも浴びていなかったので、身体をつたって下に落ちる水(湯?)は、すぐに泥水のように暗褐色になりました。
その水の色の変わりようを見るだけでも気持ちよく、シャワーを浴びながら生まれて初めてくらいの爽快感を味わいました。
 すっきりしたところで、相棒と町(ニューバザール方面)へ散策に出発です。

 ブラブラ歩いたわりには、二人で買ったものはラム酒とつまみ(チップスの類)だけです。

夕食は、旅行会社が事前に予約してくれていたので、ホテルで食べました。
スープ、チキンの照り焼き+野菜、パン、もちろんビールも注文しました。
我々が食事をしている間、だれも他にはお客は来ませんでした。
シーズンオフなのでしょうか。
夕食の後も、部屋に戻ってバザールで買ってきたスナックをえさにラム酒を飲みます。
酒飲みの卑しさでしょうか。
そうして、いつのまにか寝てしまったようです。

 おまけです。
このトレッキングでの食事の写真が「ないない」、と思っていたのですが、最近家の中を整理していて見つけました。
少しですが、ご紹介いたします。


左上:トレッキング3日目の夕食。フライドライス、デカ餃子、野菜スープ
右上:4日目の夕食。ライス、ヌードルスープ、カリフラワー天ぷら、野菜煮
左下:5日目の夕食。焼きそば、カレー、野菜炒め、スープ
右下:8日目の夕食。カレー、焼きそば・・・・
いつも赤い柄のまーるい座布団のようなものを出してくれます。
テーブルといったところでしょう。



≪もう少しつづく≫


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拝啓 豊真将様

2009-05-25 10:04:22 | スポーツ
新緑を吹き抜ける風がさわやかな今日この頃です。
さて、貴方は、今場所番付でやっと前頭筆頭まで持ち直しました。
私は「さあ これからだ」と、大いに期待を寄せていたのですが、結果は悲惨なものでしたね。
久々に横綱・大関と対戦できる番付まで上がってきて楽しみにしておりました。
でも、みごとなくらいに期待を裏切ってくれました。
初日から大関・横綱との連戦、7日間戦いました。
白鵬や千代大海との相撲は、攻め込んでいいところまで追い詰め、真剣さ、必死さが伝わりました、

が、

結果は初日から7連敗。 

今の軟弱大関陣相手に、ひとつも勝てないのは貴方ぐらいかもしれません。
その後の取り組みでも、結局負け癖がついたのか、とうとう14連敗。
貴方が勝てない理由は何でしょうか? 

まず、立合いの厳しさ・激しさが足りないのでしょうか。
それと、相手の動きに合わせた相撲が多いように思います。
粘り腰が足りません。
きっとあなたは優しすぎるのでしょう。
最後、土俵際のあきらめもあっさりしています。
昨日の千秋楽は勝ったようで、結果1勝14敗。 
予想だにしなかった、無惨な結果です。
来場所はまた、横綱・大関と無縁の番付に落ちるのですよ。
寂しいですよ。 
いまや、モンゴル3人衆横綱になりそうな雰囲気です。
寂しいけれど、これが現実ですね。
でも、負けても負けても土俵に上がり戦い続けた貴方に敬意を表します。
もう一度、いやいやこの先ずっと、貴方のはつらつとした相撲が見たいのです。

敬具


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海の幸に感謝(その9)

2009-05-24 10:16:36 | 
 全国的に大潮です。
天候も良く、海も穏やかということで、昨日は磯に出かけました。
ところが、水中眼鏡を持っていくのを忘れてしまいました。 
でも、まだ海水温は低いため、泳ぐわけにはいかないので、「まっ いいか」と言うことで、
膝くらいまで海水につかる程度のところで、岩を起こし起こしして、獲物を探しました。


【ウヒョー 状態です】

磯にはけったいな生き物がいろいろといます。 
こちらはご存知ナマコです。
まだまだ小さくてかわいいです。


クモヒトデというのでしょうか。岩をひっくり返すとたいていの場所にいます。


そして、こいつもおります。


変な形をしており、ブニュブニュしています。
なんという名前の生き物なのでしょう? 
写真右のほうに5ミリほどの穴が開いています。
そこから、泡を吹いたり、白い液体を出したりします。 
口なのか肛門なのかわかりません。 
岩の上にあげたので、苦しそうに後ずさりしながら水の中に入ろうとします。
ウミウシの一種なのでしょうか?

肝心の獲物ですが、昨日行った場所は、もう既にかなり岩がひっくり返されていたこともあり、ほんのわずかしか獲れませんでした。 
1時間ほどの磯遊びで、トコブシ(当地区では“ナガレコ”)と赤ウニをちょっぴり持って帰りました。



ウニは、丁寧に海水で洗いながら、身に付いている汚れ(内臓など)をこまめに落とすのが本来のやり方なのでしょうが、自分が食べるのでテキトーです。
ということで、寿司屋やスーパーで売っているようなきれいな形にはなりません。
いよいよ今年も磯シーズン到来です。
これからは、大潮になるたびに落ち着かなくなります。 


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拾われしイモたち

2009-05-22 11:29:33 | 菜園
先日、イノシシに掘り起こされ、散らかされたジャガイモたち(5月17日記事参照)。 
しばらくそのままほったらかしにしていたのですが、
やむなく別の野菜を植えようかと、やっとこさ土を耕すことにしました。
痛ましい現場です。


すると、どうでしょう。
わずかではありますが、なんとか食べられそうなイモが出てきました。
まだまだ小さいですが、もったいないし、成仏させてあげたいものです。
中には、上等の大きさになっているイモもあります。
貴重な野菜収穫です。



その夜は、さっそく奥さんが鶏肉とジャガイモのオーブン焼きにしてくれました。
 ほろ苦い味・・・
ということはなく、美味しくいただきました。
これでなんとか成仏してくれることでしょう。
でも、この先これらのジャガイモを食べるたびに、憎っくきイノシシを思い出します。 


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なんでヒロシマ?

2009-05-21 10:19:05 | 田舎の生活
さて、昨日の「墓石の向きと広島」の話の続きです。
せっかく海の見える見晴らしの良い場所を墓地にしているのに、なぜか墓石の正面は宇和海の方を向いていないのです。
全部の墓石の向きをチェックしたわけではないのですが、これまで見た限りにおいてはすべて同じ方向です。

海を横目にしながら、見晴らしの悪い山側を向いているのです。
もったいない と思うのですが、
たぶんこれは意図的なもので、西方を向いているのではないでしょうか?
太陽の沈む方角、そうエジプトで王家の谷などの墓がナイル川の西岸にあるのと同様の意味合いではないでしょうか。
ただし、わが地区の墓の向きは正確には西というより南西方向ではありますが・・・。
ということで、墓は死後の世界の方向を向いているのだと思えてきます。

では、「広島へ行った」とはどういうことでしょう。

年配の方に尋ねても、
なあしか知らんけんど、そげ言わい
との返事が返ってくるだけです。
理由はわからないようです。
(広島の方にはなんだか申し訳ないです。)

広島は、わが地区からは北の方角にあるのに、なぜ?
上記西方との関連でいうと、九州、たとえば大分とか熊本でいいじゃないか、と思えるのですが・・・。
もしかして、原爆との関連でしょうか?
ならば長崎でいいと思うのです。
西方にあるし。
ということで、なぜ広島なのか結論はでません。

どなたか、広島にこだわるわけを教えて!



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