かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

いっしょにがんばろう 名取

2011-03-31 14:47:48 | その他
「時が止まったような3月が、きょうで終わる。」
と、今日の愛媛新聞コラムにあった。
日本中がまさにそうであったのではなかろうか。

希望に満ちた新年度となるはずが、重たさを引きずりながら・・・
未だに多くの行方不明者がおられ、不自由な避難生活をされておられる方も大勢いる。
原発事故の危険はまだまだ終わりが見えない。

我が地区では、被災地のうち、とりわけ歴史的に縁のある宮城県名取市への支援の声が上がっている。
かたや人口7万3千人の都市、こちら300人ほどの小さな集落。
雀の涙ほどかもしれないけれど、地区住民の思いは同じだ。


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菫(すみれ)

2011-03-30 14:10:33 | 草花・樹木


この名前は、花の形が大工道具の線引きに使う“墨入れ”(墨壺)に似ていることから命名されたらしい。
が、今日では疑問視されているとも。

根を乾燥し煎じて飲むと、便秘の薬になるらしい。
「相撲取草」という別名もあるそうだ。
そういえば子供の頃、花の根もとの筒状の部分をひっかけて引っ張り合って遊んだなぁ。



「山路(やまじ)来て なにやらゆかし 菫草(すみれぐさ)」
               ・・・松尾芭蕉
「菫程な 小さき人に 生まれたし」
               ・・・夏目漱石


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石仏・石塔見て歩き(17:動物たち)

2011-03-28 14:27:31 | 田舎の生活


もう絶滅したのではないかといわれている ニホンカワウソ。 
この石仏が作られたころは、そんなことなど予想もしていなかっただろう。
私も剥製でしか見たことはない。

こちらは牛2頭。


「千手観音」とある。

千手観音といえば、我が地区にも似たような石仏がある。


こちらは馬のようで、前脚を上げていなないているようだ。
なぜ牛や馬が千手観音なのか私にはわからない。

もうひとつ馬の石仏。


下半身がずいぶんと苔むしている。
で、苔を取ってみた。


うーん、後ろ脚も宙に浮いている。
駆けている。 

ここにはほかに、牛もいる。

地衣類がサイケな味わいを出している。

そして、これは山羊だろうか?鹿だろうか?

膝を折って座っているが、その背中に人(地蔵?)が乗っかっている。


右に刻まれた文字は「亥之年男」のように読める。
年男が山羊だか鹿だかの背中で手を合わせて祈っている。
亥年なら、なぜイノシシじゃないのだろうか? 

飾り瓦 6

2011-03-25 14:47:58 | 風景
恵比寿・大黒 パート2
前回紹介した恵比寿大黒。
この地区にはもうあれしかないのかと思っていたら、嬉しいことにここにもあった。

こちらの方が新しいのか、保存状態はこちらの方がずっと良い。





雪の日でも笑顔。


でも、ここもすでにこの家に住む人はいない。

そして、顔だけの恵比寿・大黒というのもある。




金色に輝いている。
こちらのえびす顔もいい。

日本列島が大変な時に不謹慎な笑顔かもしれないけれど、
こんな時だからこそ明るい笑顔が大事とも思える。 

僕の心細道(136:スイス編-第八章)

2011-03-23 14:34:02 | 旅行
≪スイス5日目のつづき≫
夕方、ツェルマットからゴルナーグラート行きの登山電車に乗る。



それまで天気がいまいちだったのだが、電車に乗ってからしだいに天気が良くなり、大いに期待がもてるようになった。


   【車窓から】



うー・・・氷河が近づく。


周りの高い山々も近づいて見える。

午後6時前にゴルナーグラートに到着(標高3,090m)。
いい感じだ。

ホテルの予約をしていなかったのだが、空き室があり泊まることができた。

部屋に荷物を置いて、早速周りの山々の写真を撮りに展望台へ向かった。
 モンテ・ローザあたりは本当にいい感じに見える。
残念ながら、マッターホルンは逆光である。


こうして写真を撮っていたところ、日本人男性に出会った。
男性は京都大学教授(Sさん)だという。
スイスの大学に来ていて、週末ということでこちらに遊びに来たのだと。
その方といろいろ話をしながら夕刻の山々の写真を撮り続ける。
そして、Sさんにモンテ・ローザを背景に写真を撮っていただいた。



   【グレンツ氷河】


   【モンテ・ローザ】 



夕食は7時から8時半までということなので、7時半頃からSさんと同席して、
ワインを飲みながら、久々に会話をしながらの夕食となり、楽しく過ごすことができた。

他に日本人客は若いカップル1組と若い親子3人連れのみだった。
食堂で見た限りは、あまり混んでいないようだった。
まだ本格的な観光シーズン前なのだろう。

午後9時前、いよいよ残照で山・空が赤く染まってきたので二人で食事を終え、外へ出る。
ちょうどマッターホルンの北方の山々が美しく見えている。




   【クリックで拡大】

何も言うことはない。
ひたすらバシッ バシッ ・・・とシャッターを押す。





モンテ・ローザも前方の氷河の上の雲が赤く染まり美しい。



Good! Good!
これで明日の朝、もう一度マッターホルンを見ることができれば、明日の晩はこのホテルに泊まらなくてもいいな~~。
   ≪つづく≫


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廃校校舎探訪・後篇

2011-03-22 14:01:16 | 田舎の生活
≪3月11日の続き≫


ここは職員室前。
天井から紐がぶら下がっているあたりには、始業・終業の合図の鐘があったはずだが、今はどこへやら。

正面の壁には校訓がある。
じょうぶな子 やさしい子 考える子
この部屋は、私たちの頃は図書室だったように思うが、ガラス扉には「更衣室」とある。

次はいよいよ職員室。


ガラーン!


黒板(緑だけど)には、チョークで書かれた在籍児童数が残ったままだ。
きっと、閉校時の児童数なのだろう。
これによると、2年生と6年生はゼロで、全校児童数は10名。


校庭に面したこの教室は、私たちの頃は5年生と6年生の教室だった。
が、どうやら閉校時には2教室を一体にして、講堂のようにして使われていたようで、
低いステージや幕が設置されている。


そして、音楽室としても使われていたのだろうか。


反対側の棚のガラスには、

「ありがとう さようなら なとり小がっこう」と 


壁には、昭和59年度卒業記念に作られた校歌が飾られている。
私たちの頃には校歌はなかった。

教室前の廊下の壁にも子供たちの記念の作品が飾られている。


【平成2年度2年生制作 海のなかまたち】


【S52年度卒業生制作 思い出の理科実験】


【平成4年度表現クラブ】
上手だなあ・・ 


【平成11年度卒業生制作】

そして、平成15年閉校時の子供たちと教職員の寄せ書き。

将来の夢や思い出などが書かれている。 



ありがとう 名取小学校!


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巨大地震から1週間

2011-03-18 12:17:44 | 政治・社会
原発の異常事態は深刻さを増したまま、いまだに展望が開けない。
ギリギリの闘いが続いている。

そんな中、投機目的で円を買いあさるバカたれがいたり、
振り込め詐欺を目論む大馬鹿がいたりで、情けなくなる。

被災・避難されている30万人以上の方々は寒さと不自由さの中、懸命に耐えている。
こんな田舎だけれど、我が家には食料、水、寝具、燃料など生活必需品に不足はなく、紙パンツ、尿取りパッドも揃っている。
でも、これらを被災地に送る手だてがない。
何もできないでいる。
避難所に物資が十分に届けられないなら、避難されている方々を被災していない地域に避難させた方が良いのではないだろうか、と思う。
例えば、当地区には空き家がいくつもある。
(遠いうえに、こんな不便な田舎に来ようと希望する人はいないだろうが)
過疎化で町内全体、県内にもたくさんの空き家、空き住居があると思う。
すでに避難者を受け入れた自治体があり、さらに保養施設などで受け入れる準備ができているところもあるという。
そういった具合に、全国的な規模で被災者の受け入れ態勢を整える必要があるのではなかろうか。
一時的な住宅として、あるいは移住先として。




がんばれ、日本。がんばれ、東北。

2011-03-14 16:08:34 | 政治・社会
時間が経つにつれ、ますます悲惨な状況が明らかになっており、さらにいまだ孤立して救助を待っている人たちが大勢いる。
連絡の取れない人たちも多い。
そして、避難所にいる方々も食料・水が不足している上に、寒さにも懸命に耐えているのだろう。
まだまだ頻発している余震のなかで。
首都圏周辺では交通障害も生じているようだ。
そんな甚大な被害状況下にありながら、暴動や略奪が起きることなく、冷静で整然としている(と思う)。

ベトナムのメディアは、そんな日本人の冷静な対応ぶりを、
「怒鳴り合いも喧嘩もない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」と、
在日ベトナム人らが驚き称賛していることを報じているそうだ。

そして、外国の援助隊が続々と来日してきている。
そんなニュースを聞くと、胸が熱くなる。
一人でも多くの方が、少しでも早く助かることを願います。
多くの海外アーティストからは励ましのメッセージが寄せられているそうだ。
また、イギリスの新聞インディペンデント・オン・サンデーは、1面全体に日の丸をあしらい、日の丸の中に「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」との日本語見出しを掲げて、今回の大震災の被災地に応援メッセージを送っているそうだ。
さらに、「・・・日本は津波の被害から立ち上がろうと闘っている」とも。
熱くなる。




M9.0の巨大地震

2011-03-13 13:54:07 | 政治・社会
ここ半島は穏やかな陽射しが降りそそぎ、ひたすら静かだというのに、
東北地方は大変なことになっている。
つい先ごろ、ニュージーランドで悲惨な災害が起こったばかりだというのに・・・。
新聞のテレビ欄はほとんど真っ白。
民放もCMを流さずに地震関連のニュースだけ。
TVから映し出された津波の様子はあまりにも生々しく 悲惨だ。
2004年のスマトラ沖地震による津波被害もTVニュースで見たけれど、
それを上回る大規模なものだったのではなかろうか。
しかも範囲が広い。
そして、おさまった後の壊滅状態となったたくさんの町が映し出される。
あまりにも無残だ。
本震の後も数えきれないほどの余震が起こっているようで、
今回の地震を起こした断層は、南北の長さ400キロ以上だという。
東北日本側のプレートと太平洋プレートの境界が大暴れしている感じだ。

無くなられた方々のご冥福をお祈りします。
そして、被災して家を失った方々も大変だ。
孤立している方々も早く救援されることを願うばかりだ。

さらに、原発にも被害が出ているようで怖い。
この半島も原発があるので他人ごとではない。
しかも、半島の北側沖合数キロ(瀬戸内海)の海底には活断層(中央構造線)が走る。
一方、四国の沖合 南海トラフではフィリピン海プレートがもぐりこんでいる。
フィリピン海プレートの西日本への沈み込む速さは、1年間で4~6センチ程度だといわれている。
だとすると、100年間では陸側が4~6mも縮む(沈み込む)ことになる。
これを跳ね返そうとして起こるのが南海地震、東南海地震、東海地震だ。
南海地震の発生周期は100~150年程度だそうで、1946年に紀伊半島沖で発生したのが最後となっている。
想定される次の南海地震の発生確率は、10年以内が10~20%、30年以内が40~60%程度、そして50年以内となると80~90%と予測されている。
いずれにしても、日本列島近傍では4つのプレートがぶつかり、押し合っている。
今さらながらだけれど、日本中どこで大きな地震が起こっても不思議ではない。

   【平 朝彦(2002)より】


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