かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

2011三崎文化祭

2011-10-31 14:38:51 | 田舎の生活
29・30日と町民開催の文化祭が行われていた。
この時期毎年行われていることは知ってはいたが、行ったことがなかった。
ということで、雨の中会場へ行ってみた。

メイン会場の体育館前では、餅つきが行われている。

杵は足ふみ方式だ。

バザーもあったのだが、お目当ての品はもうすでに売り切れていた。
残念!

体育館に入ってみると、絵画や工芸・手芸、書道など、様々な作品が展示されている。


小学生の絵
みんな上手だなあ と感心した。
自分の小学生の頃の絵とは段違いにうまい。

チラシで使ったという作品などもある。

この作品は結構気に入った。

やがて、大正琴の演奏が始まった。


そして フラダンスもあり。 


何で 文化祭でカラオケ? と思うのだが、
きっと最後はカラオケ大会で盛り上がったことだろう。


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巨大なムカゴ

2011-10-30 13:22:40 | 食材・食事
初めて見る物体。
一見しただけでは海のものとも 山のものとも わからない。
友人からいただいた。



“エアーポテト”というそうで、ヤマノイモの仲間なのだと。
要するに巨大ムカゴだ。
普通に目にするムカゴは1センチあるかないかなので、いかにもでかい。
ちょっと調べてみると、直径10cmを超すものもあるのだと。
それにしても “エアーポテト”=“宇宙芋”とは人を食ったようなネーミングである。
原産地は熱帯アジア~熱帯アフリカだそうだ。
はてさて、食おうか それとも植えて育ててみようか・・・ 


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裂き織

2011-10-28 13:57:15 | その他


使い古した衣類も貴重だったその昔。
「もったいない」や「かんべん」の精神で、布のリサイクルを行った先人たち。
そのひとつが「裂き織」という。
三崎地区では「オリコ」と呼ぶそうで、我が地区では確か「ツヅレ」と呼んでいた。

私が子供の頃には、これを野良着や防寒着として誰もが1着や2着は持っていた(と思う)。
そして、袖のないのを「袖なし」なんても呼んでいた。

ある人が言っていたのだが、この半島でも地区によって柄・色合いやデザインが微妙に違うのだそうだ。
そして、その中でも名取地区のものは独特の美しさがあり、見ればすぐわかる、と言っていた。
(言われてみればそんな気もするのだが、名取人の私に対する社交辞令だったかもしれないが)



我が家にはもう残っていないのだろうか・・・ 

写真で示したものは名取地区に残っていたものではなく、いずれも他の地区の方が手掛けた新作であろう。

そんな貴重な民族文化を継承しようと立ち上がった方たちがおられる。
「佐田岬裂き織保存会」の方々で、廃校となった小学校に作業場を設けておられる。


ここでは、体験作業もできるそうだ。 




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本日も秋晴れ

2011-10-27 11:40:01 | 風景
朝晩はちと冷え込むようになってきて、秋も深まったなあと感じる今日この頃。

昨日今日と目いっぱい太陽が照り、今日は風もなくひたすら穏やか佐田岬半島。



半島の紅葉はまだまだこれから。




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ミシンがやって来た

2011-10-24 14:25:09 | 田舎の生活
ずっと以前から奥さんに「ミシンを買ったらどう?」
と言っていたのだが、全然興味を示さなかった。 
母も足ふみミシンから、そのうち卓上型の電動ミシンを使っていたし、
一家に一台くらいはミシンがあると思うのだが・・・
それがどういう風の吹き回しかわからないのだけれど、最近ミシンを買う気になったらしく、
ネットで注文したそうだ。

そのミシンが本日 我が家にやって来た。



思いっきり電子化されていそうな、今どきの風情である。
なんでも『電子制御ミシン』だそうだ。
事情聴取したところ、
奥さんは、中学校の家庭科の授業以来ミシンを使ったことがないそうで、
しかも、家庭科の授業で手縫いの段階では10段階評価で10をもらっていたそうだが、
ミシンになってから、評価が「2」になったとのことである。 
ミシンを使うのが怖い とも。
これまでミシンを買う気にならなかったわけがわかったような気がした。

そんなわけで、教則本も買ったようだ。


これからは、このマシンでズボンのすそ上げもしてもらえそうだし、
ちょっとしたほころびも繕ってくれることだろう。
その他どんなものを作ってくれるか大いに楽しみである。 


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お墓調査 その13:石材流通ルートの変化

2011-10-19 13:58:22 | 田舎の歴史
地区の墓地では、最近の墓石はほとんどが “御影石”と呼ばれる花崗岩が一般に使われている。
花崗岩にもいろいろ種類があるのだが、最も多いのは灰色のものだ。



アップで見るとこんな感じ。


一方、“黒御影”と呼ばれる黒っぽい色をした閃緑岩も見られる。


個人的にはこちらの方が少し高級感があるように見えるのだが、
感じ方は、人それぞれであろう。

さらには、高級石材“庵治石”ではなかろうかと思われるものも見られる。


近年は輸送手段が格段に発達してきたので、最近の墓石は外国産(主に中国産)のものが多いとも聞く。
しかし、それ以前はおそらく瀬戸内海周辺の地域から花崗岩が運ばれてきたものと思われる。

一方、大正前期より古いもので圧倒的に多いのは砂岩である。


こちらの方が、花崗岩に比べて少し柔らかく加工しやすいだろう。
この砂岩がどこからもたらされたのかは分からないのだが、松山近辺から運ばれてきた可能性がある。

そして、これらの岩石とは質感や色調が異なる次のような岩石が時折見られた。


どうやら流紋岩のようである。
地区の共同墓地を見て行ったところ、この種の岩石が使われた墓石は、
明和~文化年間(西暦1764~1818)のものである。
特に、寛政・享和・文化年間のうち20年足らずの短期間に集中して多い。

一方、安山岩あるいは安山岩質凝灰岩で作られた墓石も少ないながら見られた。


この岩石も、ほぼ流紋岩の時期と重なるのだが、流紋岩のピーク時より少し前の明和・安永・天明年間(1764~1789)に見られる。
これらの岩石は、大分県あるいは山口県から運ばれたものと思われる。
流紋岩や安山岩類が使われた期間は短く、
それ以降の墓石にも相変わらず砂岩が多く使われている。

そして、江戸時代後期から少しずつ花崗岩が登場してくる。
とはいえ、江戸時代後期から明治時代にかけてはまだまだこの半島には花崗岩はあまり持ち込まれていなかったようで、この時期の数は少なく、砂岩が主流である。

花崗岩の墓石が主流となるのは大正に入ってからである。
ところが、それ以前の江戸時代のある時期にわずかながらだが、花崗岩が入ってきたことがあるようである。



この花崗岩の特徴は、カリ長石がピンク色をしていることで、


広島県に広く分布する花崗岩によく似ている。
残念なことに、この種の花崗岩は風化に弱いようで、長い間の風雨にさらされて、
墓石に彫られた碑文がことごとく読みづらくなっている。 
これまで見たところ、この岩石の墓石はすべてやや大型の“駒形”タイプ(頭部が将棋の駒のような形状)である。
地区共同墓地の墓石では、この“駒形”タイプが最も古く、
明和年間(1764~1772)以前に限られることから、おそらくそれらと同時期、つまり江戸時代中期のものであろう。

と思っていたら、かすかに文字が読めそうな墓石があった。 


どうやら、「宝永・・・」のように読める。 
今から300年前の墓石である。
この墓地には他に10基ほど江戸時代の墓石が並んでおり、「○○家之墓」という家族墓もある。
その家族墓は昭和40年に建てられたことが記されており、「九代目○○建之(これをたつ)」とある。
すごい!  


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名取菜の花・・・ふれあい広場

2011-10-18 10:46:13 | 田舎の生活
昨年度は、「ふれあい広場」と称して、役場職員が世話をして、特に高齢者を対象とした健康相談・交流会みたいな行事が毎月集会所で行われていた。
それを今年度からは、地区の方が独自に運営することになったと聞いていた。
「名取菜の花」と称して、毎月第3月曜日の午後に開かれている。

昨日は、医学療法士の方が来られて転倒予防に関する講話もあるとのことだったので、
私も初めて覗いてみた。
参加者は10名ほどと少ない。
保健センターの職員が来られて、まず参加者の血圧測定や健康相談などもやっていた。
そのうち、先生が来られて講話が始まった。
「変形性ひざ関節症」についてのわかりやすい話だった。





大腿四頭筋を鍛えろ!
高齢者予備軍としては、今後予想されるそういった障害に対する予防意識が少し高まったように思う。


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100円ライターの受難

2011-10-14 15:26:43 | その他
 今日は朝から雨で、時折強く降っていた。
そして、風も出てきた。

そんなこととは関係ないが、100円ライターがかわいそうだ。
安くて便利なのに。



「子供に危険」
から
とうとう 「子供事故防止ライター」になった。
子供の手の届くところに不用意に置いておく 親の責任はどうなんだろう・・・ 
そのうち、「子供事故防止マッチ」なんてのもできたりして・・・


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