これが我が家の家紋。
なんだか、鳥が羽を広げているように見えるが・・・、
でも頭はどれだろう・・?
というレベルの知識しかなかった。
どうやら、「抱き茗荷」という家紋らしい。
言われてみれば 聞いたことがあるような気がする。
もうひとつの墓石の文様はこれ。
なるほど 茗荷に見えてくる。
でも、最初のデザインとは幾分異なっている。
石工さんのセンスのちがいであろうか?
当地区では“抱き茗荷”の家紋が最も多い。
調べたところ、全体の4割以上に及ぶ。
全国的にも多く、日本十大紋のひとつだそうだ。
ミョウガは邪気を払う草花として有名だとか。
そして、神仏の加護を受けられ、縁起がいいという。
色々バリエーションがあるようだが、当地区のものはすべて円(丸)で囲まれている。
とはいえ、我が家の文様が少し違っていたように、細部では微妙な違いがある。
家紋は、登録されているものではなく、代々受け継がれていくもので、法律による規制はないので、変更しても法的には問題ないようだ。
ご訪問ありがとうございます。
「プチッ」と応援 感謝
なんだか、鳥が羽を広げているように見えるが・・・、
でも頭はどれだろう・・?
というレベルの知識しかなかった。
どうやら、「抱き茗荷」という家紋らしい。
言われてみれば 聞いたことがあるような気がする。
もうひとつの墓石の文様はこれ。
なるほど 茗荷に見えてくる。
でも、最初のデザインとは幾分異なっている。
石工さんのセンスのちがいであろうか?
当地区では“抱き茗荷”の家紋が最も多い。
調べたところ、全体の4割以上に及ぶ。
全国的にも多く、日本十大紋のひとつだそうだ。
ミョウガは邪気を払う草花として有名だとか。
そして、神仏の加護を受けられ、縁起がいいという。
色々バリエーションがあるようだが、当地区のものはすべて円(丸)で囲まれている。
とはいえ、我が家の文様が少し違っていたように、細部では微妙な違いがある。
家紋は、登録されているものではなく、代々受け継がれていくもので、法律による規制はないので、変更しても法的には問題ないようだ。
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先日ある方から、「我が家の家紋は○○だが、この地区で他に同じ家紋があるかいな? 調べてないかね?」と問われた。
確かに、共同墓地の調査をしていた際、時々「あっ これがこの家の家紋なんだ・・」
と思ったことはあったのだが、家紋の名前なんて全く知らないし、ほとんどチェックしなかった。
恥ずかしながら、我が家の家紋さえも知らない。
墓参りに行った際、なんだか鳥のようで鳥でない・・・というレベルの無知さであった。
かつては各家に、紋付羽織があっただろうに、
和服と言えば、私は子供の頃に浴衣を着て以来もう何十年も着ていない。
家紋は、苗字が発生した平安中期頃にできたそうだ。
当地区にあっては、平安から(この時代当地区に人が住んでいたかどうか不明だが)江戸時代において苗字を持っていた人は、ゼロあるいはごくごく少数だったことだろう。
そんな一般ピープルが家紋を持ち出したのはいつからだろうか?
苗字同様、明治以降であろうか?
苗字だって、庄屋さんや学のある人などに頼んで、結構適当に決めたケースも少なくないのではないか・・・
であるなら、家紋とてしかりではなかろうか。
武家の場合は、家系や家柄・地位などによってれっきとした家紋があっただろうけれど、一般ピープルは、そんな武家の家紋を真似して作ったのではなかろうか?
いつから当地区で家紋が作られ出したかはとりあえず置いといて、
改めて当地区の家紋を調べてみることにした。
菊の御紋や葵の御紋くらいしか知らない、何の知識もないゼロからのスタートである。
≪・・・小出しにしながら 次回へ続く・・・≫
ご訪問ありがとうございます。
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確かに、共同墓地の調査をしていた際、時々「あっ これがこの家の家紋なんだ・・」
と思ったことはあったのだが、家紋の名前なんて全く知らないし、ほとんどチェックしなかった。
恥ずかしながら、我が家の家紋さえも知らない。
墓参りに行った際、なんだか鳥のようで鳥でない・・・というレベルの無知さであった。
かつては各家に、紋付羽織があっただろうに、
和服と言えば、私は子供の頃に浴衣を着て以来もう何十年も着ていない。
家紋は、苗字が発生した平安中期頃にできたそうだ。
当地区にあっては、平安から(この時代当地区に人が住んでいたかどうか不明だが)江戸時代において苗字を持っていた人は、ゼロあるいはごくごく少数だったことだろう。
そんな一般ピープルが家紋を持ち出したのはいつからだろうか?
苗字同様、明治以降であろうか?
苗字だって、庄屋さんや学のある人などに頼んで、結構適当に決めたケースも少なくないのではないか・・・
であるなら、家紋とてしかりではなかろうか。
武家の場合は、家系や家柄・地位などによってれっきとした家紋があっただろうけれど、一般ピープルは、そんな武家の家紋を真似して作ったのではなかろうか?
いつから当地区で家紋が作られ出したかはとりあえず置いといて、
改めて当地区の家紋を調べてみることにした。
菊の御紋や葵の御紋くらいしか知らない、何の知識もないゼロからのスタートである。
≪・・・小出しにしながら 次回へ続く・・・≫
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-4日目(1992年12月29日)-
6時前に起きて、カメラをさげて夜明け前の屋外に出る。
やがて、西方の山が白んできた。
【Kongde】
しばらくするとその山のピークに太陽が射しはじめる。
朝食の支度だろう、ロッジの煙突から煙が上がってきた。
7:40から朝食。
ミルク粥とゆで卵というシンプルな食事。
テントを張っていたグループは、既にテントをたたみ、出発の準備が整ったようだ。
ゾッキョ(雌のヤクと雄の牛のハーフ)の背中にもたくさんの荷物がある。
我々のグループは8:15出発。
ドゥードゥ・コシの右岸(川の上流から見て右側)沿いの道をゆっくり上っていく。
徐々に高度を上げていく。
やがて、雪で白く輝くタムセルク(6,608m)が初めて見えてきた。
【タムセルク】
【クリックで拡大】
雪をいただいた大きな山容を見ると、ヒマラヤに入ってきたぁ~ と実感できる。
しばらくはタムセルクを仰ぎながら山腹の道を進む。
そしていったん、ドゥードゥ・コシ(川)の河原のルートを歩き、今度は左岸側の道を進む。
川(ドゥードゥ・コシ)の奥、前方にそびえるのはシェルパ族の聖山クームビラ(5,761m)で、この山の麓にナムチェ・バザールがある。
三角に鋭くとがった山容が印象的である。
しばらく樹林帯の道を緩く上って行くとチュモアに到着する。
ここから緩い上り下りを繰り返し、沢を越して、ひと上りすると、
モンジョMonjoに到着する(午前10時過ぎ)。
ここで、休憩&昼食となった。
タムセルクを仰ぎ見ながら・・・
食事メニューはツアーリーダーKさんに選んでもらい、
ヌードルスープ、じゃがいも、チャパティ(ナンと似たパン)をいただく。
≪つづく≫
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6時前に起きて、カメラをさげて夜明け前の屋外に出る。
やがて、西方の山が白んできた。
【Kongde】
しばらくするとその山のピークに太陽が射しはじめる。
朝食の支度だろう、ロッジの煙突から煙が上がってきた。
7:40から朝食。
ミルク粥とゆで卵というシンプルな食事。
テントを張っていたグループは、既にテントをたたみ、出発の準備が整ったようだ。
ゾッキョ(雌のヤクと雄の牛のハーフ)の背中にもたくさんの荷物がある。
我々のグループは8:15出発。
ドゥードゥ・コシの右岸(川の上流から見て右側)沿いの道をゆっくり上っていく。
徐々に高度を上げていく。
やがて、雪で白く輝くタムセルク(6,608m)が初めて見えてきた。
【タムセルク】
【クリックで拡大】
雪をいただいた大きな山容を見ると、ヒマラヤに入ってきたぁ~ と実感できる。
しばらくはタムセルクを仰ぎながら山腹の道を進む。
そしていったん、ドゥードゥ・コシ(川)の河原のルートを歩き、今度は左岸側の道を進む。
川(ドゥードゥ・コシ)の奥、前方にそびえるのはシェルパ族の聖山クームビラ(5,761m)で、この山の麓にナムチェ・バザールがある。
三角に鋭くとがった山容が印象的である。
しばらく樹林帯の道を緩く上って行くとチュモアに到着する。
ここから緩い上り下りを繰り返し、沢を越して、ひと上りすると、
モンジョMonjoに到着する(午前10時過ぎ)。
ここで、休憩&昼食となった。
タムセルクを仰ぎ見ながら・・・
食事メニューはツアーリーダーKさんに選んでもらい、
ヌードルスープ、じゃがいも、チャパティ(ナンと似たパン)をいただく。
≪つづく≫
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夏野菜に未練を残していたため、大根を植えるのが遅くなってしまった。
やっと、一昨日種を蒔いた。
畝の間に溝を掘り、そこに元肥を入れた。
この元肥は、家庭の生ごみを処理機で加工して堆肥としたものだ。
元肥の両側に種を蒔き、元肥ともども土で覆う。
よしよし、後はおいしく育つのを楽しみに・・・。
ところが、そんなひそかな楽しみがぶち壊された。
その日の夕方、家の外で何やらゴソゴソ物音がするなあ・・・と思い、
家の外の路地に眼をやると、
「いたぁ~」
またもやイノシシ。
先日集落内で見たやつより少し大きいような気がする(が錯覚かもしれない)。
しばらく見ていると、隣の家の背戸を通ってどこかへ逃げて行った。
奥さんは「怖いなあ~、外歩けんなぁ~」と。
イノ太郎が出没した翌朝、「もしや」と思い 菜園を見てみると、
「やられた!」
いやな予感が的中した。
やはり、昨日イノ太郎を目撃した時には、やつは既に大根を植えたばかりの畑を荒らしていたのだ。
生ごみ処理機で作った堆肥は、結構な匂いを発する。
その匂いをイノ太郎が嗅ぎ付け、堆肥の埋まった箇所を掘りまくったのだろう。
悔しいが、後の祭りである。
整地して、種を植えなおそうと思ったが、
またイノ太郎が荒らす可能性があるし、種がどれだけダメージを受けたかわからないので、
芽が出るのを待ってから、状況を見てやり直すことにしよう。
おのれ イノ太郎!
ご訪問ありがとうございます。
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やっと、一昨日種を蒔いた。
畝の間に溝を掘り、そこに元肥を入れた。
この元肥は、家庭の生ごみを処理機で加工して堆肥としたものだ。
元肥の両側に種を蒔き、元肥ともども土で覆う。
よしよし、後はおいしく育つのを楽しみに・・・。
ところが、そんなひそかな楽しみがぶち壊された。
その日の夕方、家の外で何やらゴソゴソ物音がするなあ・・・と思い、
家の外の路地に眼をやると、
「いたぁ~」
またもやイノシシ。
先日集落内で見たやつより少し大きいような気がする(が錯覚かもしれない)。
しばらく見ていると、隣の家の背戸を通ってどこかへ逃げて行った。
奥さんは「怖いなあ~、外歩けんなぁ~」と。
イノ太郎が出没した翌朝、「もしや」と思い 菜園を見てみると、
「やられた!」
いやな予感が的中した。
やはり、昨日イノ太郎を目撃した時には、やつは既に大根を植えたばかりの畑を荒らしていたのだ。
生ごみ処理機で作った堆肥は、結構な匂いを発する。
その匂いをイノ太郎が嗅ぎ付け、堆肥の埋まった箇所を掘りまくったのだろう。
悔しいが、後の祭りである。
整地して、種を植えなおそうと思ったが、
またイノ太郎が荒らす可能性があるし、種がどれだけダメージを受けたかわからないので、
芽が出るのを待ってから、状況を見てやり直すことにしよう。
おのれ イノ太郎!
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-3日目のつづき-
昼食をすませ午後1時半、ルクラを出発してトレッキング開始。
緩い下り坂をゆっくりゆっくり進む。
ビスターリ、ビスターリ
2時半、Choplungに到着し、トイレ休憩となった。
タルチョー(経文を印刷した祈祷幟)がはためく。
ポーターの1人が陽気で、笛を吹いたり、歌ったりとなかなか元気で、みんなを和ませてくれる。
両側を石積みに囲まれた道を進む。
これは家畜が道からそれて畑に入らないためのものだそうだ。
3時過ぎ、Kusum Khola に到着。
・・・・
このような里の光景は、この田舎と同じだ。
この田舎にはマニ石(経文を彫りつけた石)はないが。
やがて、パクディンPhakdingに到着。
さらに進むと、川沿いにロッジが見えてきた。
この川はドゥードゥ・コシという。ずうっと上っていけばエベレストに至る。
すでに、カトマンドゥ空港にいた別ツアーの日本人グループがテントを10張以上たてている。
4時40分ロッジ到着。
食堂で一休みしてティータイム。
そして、ロッジの2階でベッドメイクをすませ、皆さん1階食堂に集まり、
各自持参した酒とつまみで食事ができるのを待つ。
夕食は、ヌードル、ライス、モモ(餃子)などだった。
食事を終えて、ツアー参加者の自己紹介となった。
こうして、なかなか賑やかに夜は更けていった。
【この日のルート】
≪つづく≫
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昼食をすませ午後1時半、ルクラを出発してトレッキング開始。
緩い下り坂をゆっくりゆっくり進む。
ビスターリ、ビスターリ
2時半、Choplungに到着し、トイレ休憩となった。
タルチョー(経文を印刷した祈祷幟)がはためく。
ポーターの1人が陽気で、笛を吹いたり、歌ったりとなかなか元気で、みんなを和ませてくれる。
両側を石積みに囲まれた道を進む。
これは家畜が道からそれて畑に入らないためのものだそうだ。
3時過ぎ、Kusum Khola に到着。
・・・・
このような里の光景は、この田舎と同じだ。
この田舎にはマニ石(経文を彫りつけた石)はないが。
やがて、パクディンPhakdingに到着。
さらに進むと、川沿いにロッジが見えてきた。
この川はドゥードゥ・コシという。ずうっと上っていけばエベレストに至る。
すでに、カトマンドゥ空港にいた別ツアーの日本人グループがテントを10張以上たてている。
4時40分ロッジ到着。
食堂で一休みしてティータイム。
そして、ロッジの2階でベッドメイクをすませ、皆さん1階食堂に集まり、
各自持参した酒とつまみで食事ができるのを待つ。
夕食は、ヌードル、ライス、モモ(餃子)などだった。
食事を終えて、ツアー参加者の自己紹介となった。
こうして、なかなか賑やかに夜は更けていった。
【この日のルート】
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