かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

朝陽だって茜色

2012-10-31 12:23:48 | 風景
久々に日の出より早く起きた朝。


東の空が明るみ始めた。


やがて、「ここですよ」とばかりに曙色の中から茜色が主張し始める。

そして、午前6時30分。

【クリックで拡大】




やがて、宇和海に茜色のキラキラ道。
(家の前に電線が多いのが難点・・・)

集落は、上がったばかりの太陽に照らされはじめ、
石垣や家の壁が茜色に目覚める。


なんだかちょっぴり儲けものをしたような・・・そんな朝だった。

※「茜色」は一般に夕日や夕焼け空に使い、朝日の場合は「曙色」というのでしょうが、あえて「茜色」を使いました。


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「家紋」その2:茗荷

2012-10-28 16:06:18 | その他
これが我が家の家紋。


なんだか、鳥が羽を広げているように見えるが・・・、
でも頭はどれだろう・・?
というレベルの知識しかなかった。

どうやら、「抱き茗荷」という家紋らしい。
言われてみれば 聞いたことがあるような気がする。
もうひとつの墓石の文様はこれ。


なるほど 茗荷に見えてくる。
でも、最初のデザインとは幾分異なっている。
石工さんのセンスのちがいであろうか?

当地区では“抱き茗荷”の家紋が最も多い。
調べたところ、全体の4割以上に及ぶ。
全国的にも多く、日本十大紋のひとつだそうだ。

ミョウガは邪気を払う草花として有名だとか。
そして、神仏の加護を受けられ、縁起がいいという。
色々バリエーションがあるようだが、当地区のものはすべて円(丸)で囲まれている。
とはいえ、我が家の文様が少し違っていたように、細部では微妙な違いがある。









家紋は、登録されているものではなく、代々受け継がれていくもので、法律による規制はないので、変更しても法的には問題ないようだ。


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「家紋」その1:ことのはじめに

2012-10-27 14:55:00 | その他
先日ある方から、「我が家の家紋は○○だが、この地区で他に同じ家紋があるかいな? 調べてないかね?」と問われた。
確かに、共同墓地の調査をしていた際、時々「あっ これがこの家の家紋なんだ・・」
と思ったことはあったのだが、家紋の名前なんて全く知らないし、ほとんどチェックしなかった。
恥ずかしながら、我が家の家紋さえも知らない。
墓参りに行った際、なんだか鳥のようで鳥でない・・・というレベルの無知さであった。
かつては各家に、紋付羽織があっただろうに、
和服と言えば、私は子供の頃に浴衣を着て以来もう何十年も着ていない。

家紋は、苗字が発生した平安中期頃にできたそうだ。
当地区にあっては、平安から(この時代当地区に人が住んでいたかどうか不明だが)江戸時代において苗字を持っていた人は、ゼロあるいはごくごく少数だったことだろう。
そんな一般ピープルが家紋を持ち出したのはいつからだろうか? 
苗字同様、明治以降であろうか?

苗字だって、庄屋さんや学のある人などに頼んで、結構適当に決めたケースも少なくないのではないか・・・
であるなら、家紋とてしかりではなかろうか。
武家の場合は、家系や家柄・地位などによってれっきとした家紋があっただろうけれど、一般ピープルは、そんな武家の家紋を真似して作ったのではなかろうか?

いつから当地区で家紋が作られ出したかはとりあえず置いといて、
改めて当地区の家紋を調べてみることにした。
菊の御紋や葵の御紋くらいしか知らない、何の知識もないゼロからのスタートである。

≪・・・小出しにしながら 次回へ続く・・・≫

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僕の心細道(149:ネパールⅢ編-第五章)

2012-10-24 11:32:39 | 旅行
-4日目(1992年12月29日)-
6時前に起きて、カメラをさげて夜明け前の屋外に出る。
やがて、西方の山が白んできた。


【Kongde】

しばらくするとその山のピークに太陽が射しはじめる。


朝食の支度だろう、ロッジの煙突から煙が上がってきた。


7:40から朝食。
ミルク粥とゆで卵というシンプルな食事。

テントを張っていたグループは、既にテントをたたみ、出発の準備が整ったようだ。


ゾッキョ(雌のヤクと雄の牛のハーフ)の背中にもたくさんの荷物がある。

我々のグループは8:15出発。
ドゥードゥ・コシの右岸(川の上流から見て右側)沿いの道をゆっくり上っていく。



徐々に高度を上げていく。




やがて、雪で白く輝くタムセルク(6,608m)が初めて見えてきた。

【タムセルク】


【クリックで拡大】

雪をいただいた大きな山容を見ると、ヒマラヤに入ってきたぁ~ と実感できる。



しばらくはタムセルクを仰ぎながら山腹の道を進む。
そしていったん、ドゥードゥ・コシ(川)の河原のルートを歩き、今度は左岸側の道を進む。



川(ドゥードゥ・コシ)の奥、前方にそびえるのはシェルパ族の聖山クームビラ(5,761m)で、この山の麓にナムチェ・バザールがある。
三角に鋭くとがった山容が印象的である。

しばらく樹林帯の道を緩く上って行くとチュモアに到着する。



ここから緩い上り下りを繰り返し、沢を越して、ひと上りすると、


モンジョMonjoに到着する(午前10時過ぎ)。




ここで、休憩&昼食となった。
タムセルクを仰ぎ見ながら・・・


食事メニューはツアーリーダーKさんに選んでもらい、
ヌードルスープ、じゃがいも、チャパティ(ナンと似たパン)をいただく。





     ≪つづく≫


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新鮮サバ

2012-10-22 15:21:30 | 食材・食事


サバをいただいた。
要するに“岬(はな)サバ”じゃ。

サバは背中の縞模様がくっきりしているほど新鮮らしい。
うーん! 存分にくっきりしておる。
眼もパッチリじゃ。

さっそく 刺身でいただいた。

旨かった・・・・! 


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無題1

2012-10-20 16:43:23 | その他
最近、自分のブログを開こうとするも、画像表示されるまでに1分近くかかる。
他の方もそうだろうか?
原因がわからないので、改善のしようがない。
困ったなあ・・・ 

そんなこととは関係ないが、
手抜きで過去に撮った梶谷鼻の写真をアップ。



かつてはオベリスクのように突き立った岩に松の木が生えていた。
今は手前の通称“窓”の上に松だか杉だかが生えてきた。


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イノシシ暴れる

2012-10-17 17:54:34 | 田舎の生活
夏野菜に未練を残していたため、大根を植えるのが遅くなってしまった。
やっと、一昨日種を蒔いた。
畝の間に溝を掘り、そこに元肥を入れた。


この元肥は、家庭の生ごみを処理機で加工して堆肥としたものだ。
元肥の両側に種を蒔き、元肥ともども土で覆う。


よしよし、後はおいしく育つのを楽しみに・・・。
ところが、そんなひそかな楽しみがぶち壊された。

その日の夕方、家の外で何やらゴソゴソ物音がするなあ・・・と思い、
家の外の路地に眼をやると、
「いたぁ~」
またもやイノシシ。
先日集落内で見たやつより少し大きいような気がする(が錯覚かもしれない)。
しばらく見ていると、隣の家の背戸を通ってどこかへ逃げて行った。
奥さんは「怖いなあ~、外歩けんなぁ~」と。

イノ太郎が出没した翌朝、「もしや」と思い 菜園を見てみると、
「やられた!」


いやな予感が的中した。
やはり、昨日イノ太郎を目撃した時には、やつは既に大根を植えたばかりの畑を荒らしていたのだ。
生ごみ処理機で作った堆肥は、結構な匂いを発する。
その匂いをイノ太郎が嗅ぎ付け、堆肥の埋まった箇所を掘りまくったのだろう。
悔しいが、後の祭りである。

整地して、種を植えなおそうと思ったが、
またイノ太郎が荒らす可能性があるし、種がどれだけダメージを受けたかわからないので、
芽が出るのを待ってから、状況を見てやり直すことにしよう。
おのれ イノ太郎!


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僕の心細道(148:ネパールⅢ編-第四章)

2012-10-16 11:19:34 | 旅行
-3日目のつづき-
昼食をすませ午後1時半、ルクラを出発してトレッキング開始。
緩い下り坂をゆっくりゆっくり進む。


ビスターリ、ビスターリ
2時半、Choplungに到着し、トイレ休憩となった。

タルチョー(経文を印刷した祈祷幟)がはためく。

ポーターの1人が陽気で、笛を吹いたり、歌ったりとなかなか元気で、みんなを和ませてくれる。


両側を石積みに囲まれた道を進む。


これは家畜が道からそれて畑に入らないためのものだそうだ。

3時過ぎ、Kusum Khola に到着。




・・・・


このような里の光景は、この田舎と同じだ。
この田舎にはマニ石(経文を彫りつけた石)はないが。


やがて、パクディンPhakdingに到着。




さらに進むと、川沿いにロッジが見えてきた。


この川はドゥードゥ・コシという。ずうっと上っていけばエベレストに至る。
すでに、カトマンドゥ空港にいた別ツアーの日本人グループがテントを10張以上たてている。

4時40分ロッジ到着。


食堂で一休みしてティータイム。



そして、ロッジの2階でベッドメイクをすませ、皆さん1階食堂に集まり、
各自持参した酒とつまみで食事ができるのを待つ。
夕食は、ヌードル、ライス、モモ(餃子)などだった。
食事を終えて、ツアー参加者の自己紹介となった。
こうして、なかなか賑やかに夜は更けていった。


     【この日のルート】

     ≪つづく≫


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イノシシ徘徊

2012-10-14 13:59:58 | 田舎の生活
数日前、集落内の石段を歩いていると、ふと視線の右の方で黒い生き物が走ったのが一瞬眼に入った。
ん? 犬ではなかったような・・・、もしかして。
と、進行方向の一段上のみかん畑を覗くと・・・、いた。


目が合った。

やはり イノシシであったか。
周囲は民家がたくさんあり、民家の間にある小さなみかん畑。
そこに入り込んでいる。
体長は50センチほどといったところなので、子供であろう。
でも、ウリ坊ではない。



 集落内を暴れんでくれよ。


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