かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

町民運動会と中秋の名月

2012-09-30 14:08:30 | 田舎の生活
大型台風17号の影響で、本日予定の4年に一度(オリンピックなみ)の町民運動会が早々に中止が決定された。
昨夜、沖縄長期出張中の知人から、台風は通過したが、停電はまだ続いていると 電話があった。
沖縄ではかなりの被害が出ているようだ。

で、こちらでもどんだけ強い風が吹き、どんだけ雨が降るのだろうか、との心配もあったが、予想進路の西側だから、それほどでもないのでは・・・との楽観もあった。

結果、幸いなことに ここ佐田岬半島は雨風ともにたいしたことはなかった。
とはいえ、今後の進路にあたる中部・東日本は要注意がつづく。

佐田岬では、昼前には雨が上がり陽射しがでてきた。





この調子だと、あきらめていた新装サンデッキからの“中秋の名月”が期待できそうである。
しかし、その後も雲が厚く立ち込めて、まだまだ予断はできない。


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僕の心細道(146:ネパールⅢ編-第二章)

2012-09-28 14:43:24 | 旅行
-2日目(1992年12月27日)-
8時前目覚める。
前日は徹夜明けだったが、1晩の睡眠でずいぶん調子が良くなった。
バイキングスタイルの朝食もおいしくいただけた。

午前10時にバス2台に分乗して、カトマンドゥ市内の観光に出発。
現地案内はMr.サキヤ。
まずは、小高い丘の上にあるスワヤンブナート寺院へ。

市内を見下ろす大きな眼が特徴的なストゥーパ。
(ちなみに、ストゥーパとは仏塔のことで、“卒塔婆(そとうば)”の語源である)


何を相談しているのだろう?



再びバスに乗り市内のバザール、そして旧王宮前広場へ向かう。
案内されたのは、“クマリの館”。
この辺の広場は、前回訪れた際も散策したのだが、この館は外壁しか見なかった。
やはり、ガイドがいない個人旅行では見落とすことが多い。
観光客が来てお賽銭が集まると、中庭に面した2階の窓からクマリが顔を出してくれることがあるそうだ。
ガイドのサキヤさんがその辺の手配をしてくれたのだろう。
クマリが顔を出してくれるという。
ただし、カメラなどでの撮影はNG。
顔を出したのは、化粧した4~5才?くらいの女の子(クマリ)と付き人2名だった。
クマリは選ばれた国の守り神である。
初潮を迎えるとお役御免となる。
大きなお祭りの期間にわずかに外出する以外は、平均7年間、“クマリの館”で暮らすのだという。
完全無欠の神様なので、その間教育を受けることもないという。
かわいそうにも思える。


     【「NHK出版」より】

その後、旧王宮広場を散策する。




2階の窓から誰か身を乗り出している。


【シヴァ神とパールヴァティー】


【カーラ・バイラーヴ】

右手に剣を振りかざし、左手には生首を持ち、怖いのだが・・、どことなく愛嬌がある。

バスでホテルへ引き返し昼食。
午後は自由時間となり、私はホテルのガーデンでのんびり寝そべって、柔らかな陽射しを楽しむ。

風が吹けばちと寒いかな・・・というぐらいの陽気で、本当にリラックスできた。
カトマンドゥは冬でも昼間は暖かい(日本の春くらいの感覚)。
年末の仕事の疲れが取れたような気がした。

陽が陰ってきたところで、床屋を探すためにホテルを出て町をさまよう。
見つからないのであきらめてホテルへの帰り道、床屋を見つけた。
ホテルから数分の距離だった。
店の中は、うなぎの寝床のような細長いスペースで、裸電球がやや薄暗い。
それでも4人分の椅子があり、店員はなかなかキビキビ働いている。
すぐに散髪に取りかかってもらえた。
髪型は店員に任せた。
店員の冷たい手が肌に触り、何とも言えない・・・・。
特に髭を剃ってもらう時には、触られた首筋を思わずすくめてしまうくらいひんやりとしていた。
そして、あごの下を剃ってもらっている時、 突然 停電になった。
あたってもらっている場所が場所だけに、ドキドキの緊張感が走り、少々怖かった。
しかし、店員は慣れたもので、蝋燭に火をともして何事もなかったかのように髭剃りを続けた。

私が子供の頃には、この田舎でもしょっちゅう停電があった。
電圧が安定していないのだろう。

この床屋では、シャンプーはないのだけれど、散髪後のマッサージがやたら念入りだった。
頭をやたらクシャクシャする。揉むというより、こする感じだ。
頭の後は、肩、腕、背中・・・と、なかなかのサービスである。
事前にツアーリーダーのKさんから、散髪代は300円くらいだろうと聞いていたのだが、これだけサービスがあれば、もっと高いだろうなと思った。
しかし、65ルピーだった(この当時のレートは1ルピー=約3円)。
安い! 
思わず5ルピー チップを渡した。
ちなみに昨夜ホテルで飲んだビールは110ルピーだった。
すっかり気分良くして店を後にする。
で、頭の刈り上がり具合はというと・・・、何の心配もなかった(と記憶している)。
6時前にホテルに帰り、部屋でシャワー&シャンプー。
ウ~~   すっきり!
夕食は7時からで、ボリュームたっぷりで、少々食べ過ぎた。
   ≪つづく≫

※本日午前、ネパールでカトマンドゥ発ルクラ行きの航空機が墜落し、乗客乗員計19名全員死亡したと・・ご冥福をお祈りいたします。(カトマンドゥ~ルクラ便はこのネパール旅行でも搭乗)

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最後の運動会

2012-09-24 12:28:35 | 田舎の生活
今年度いっぱいで統合・閉校が決まっている二名津小学校。
最後の運動会が昨日行われた。
全校児童17名。



最後のスローガンは「夢に向かい みんなでつなごう このバトン」



子供たちはみんな、駆けっこをはじめ全ての競技で一生懸命だった。
そんな姿が胸を打つ。 





そして、保護者や中学生も競技に参加するだけでなく、準備・かたづけも手伝い、
地区の皆さんも競技に出場する。

ちっちゃな ちっちゃな運動会だけど、子供たちの記憶にいつまでも残ることだろう。


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僕の心細道(145:ネパールⅢ編-第一章)

2012-09-22 13:29:56 | 旅行
■余談
海外旅行の思い出をUPした「僕の心細道」シリーズを休止しから1年以上経過してしまった。
しかも、前回の「スイス編」は最後尻切れトンボで終わってしまった。
今さら最後を締めくくるのも、間が抜けすぎているので止めにしよう。

先日、テレビのNHK-BSプレミアムで「ヒマラヤ大空撮」というのをやっていた。


途中から見たのだが、やはりヒマラヤは素晴らしい!
ということで、まだUPしていなかったネパール旅行を・・と思い立った。
もう20年前の話であり、“ネパール病”にかかった3度目の旅行である。
東京でサラリーマンだったこの頃は、年末年始か5月のGWしか連続休みが取れなかった。
そして、年末となると仕事が立て込んだ時期であり、旅行の準備等ほとんどせずに、バタバタと出かけるのが常であった。
20年前のこの時もそうだった。

-出発日(1992年12月26日)-
前日出張から帰り、会社忘年会の2次会に合流し、その後自宅に帰ってからちんたらちんたら準備をし、ほとんど徹夜という状態で朝5時過ぎシャワーを浴び、6時頃アパートを出た。
この週は既に2度徹夜していたにも関わらず・・・
東京駅発7:03のウィング1号で成田空港へ向かう。
8:25成田に着き、集合場所へ行くと、既にツアー参加者の皆さんがおられ、旅行会社の方から説明を受けていた。
そして、担当者からチケットと預けていたパスポートを受け取り、出国審査・手荷物審査へと向かう。
朝食代わりにと、ビールとホタテの貝柱で少し腹を満たす。
一安心すると、眠気とだるさが襲ってきた。

予定より20分遅れの11:05 離陸。
キャセイ航空CX501便
この頃は、喫煙席があった時代であり、ラッキーなことに私の座席は喫煙席であった。
でも、窓際席の年配の2人は吸わないので、気遣いながら喫煙する。
成田では徹夜の身体にはつらいほどの快晴だったが、飛行機が南へ行くにつれ雲が多くなった。

香港に午後2:25(現地時間)に着きトランジット。
別便で到着した別ツアー(日本人)の皆さんとも合流となり、50人に及ぶ大団体となった。
トランジットの手続きを終え、出発まで休憩となったので、Barを探しビール1杯飲む。

そして、香港時間の午後6時前ネパールへ向け出発。
機内食の前にドリンクサービスがあり、ビール・ワインをいただく。
夕食はパサパサのヌードル(チキン入り)がメインであった。
テレビのない質素な機内であり、退屈で飛行時間がとても長く感じられた。

ネパール時間午後9時前にカトマンドゥに到着。
入国審査場所では長い行列ができており、なかなか進まない。
日本人旅行者の中からブツブツが聞こえてくる。
「ビスターリ ビスターリ」
入港審査を終え、外に出たのは10時を回っていた。
ツアーグループのみんなが集まって、グループの手荷物を確認して、ネパール人のガイドと合流する。
バス2台に分乗して夜道をパタン市内のナラヤニ・ホテルへ向かう。
このホテルは2度目である。

ホテルに着いてから、ツアーリーダー(日本から随行)から概要説明があり、部屋割りを済ませ、お休みなさいとなった。
私はZさんと相部屋になり、二人で話しながら少し飲んでから、夜中1時頃就寝。
   ≪つづく≫


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要精検part2

2012-09-19 16:53:36 | 田舎の生活
7月下旬に受診した健康診断の結果が2週間前に知らされた。
「今年もまたラブレターあるんじゃないですか・・」と軽口をたたいたら、
「え~っと・・。あっ、ありますねえー」と指導員。
当方はかーるく言ったつもりなのに、今年もまた忌まわしい“紹介状”があるという。
ガーン! 
どこが引っかかったのだろう? と診断結果を見せてもらいながら説明を聞いていくと、
どうやら胸部X線がん検診で引っかかり、精密検査が必要と判定されたようだ。
ガックリ 
そんな判定が出れば、思い当るフシがないわけではない。

翌々日、町の病院へ受診に行った。
体重、血圧を測定してから尿を提出し、しばらーく待っていると、CTを撮りましょう、と促されて 検査室へ。
検査自体はほんの2分ほどで終わり、その後再び待合所で待つ。

きっとこの後、医師からCT検査結果を聞かされるのだろうと、待っていると、
しばらくすると看護師が来て、検査結果は専門の医師が診るので時間がかかります。
再来週検査結果を聞きに来てください。予約入れときますから。
とのことだった。
あ~あ、まだ2週間モヤモヤせんといけんのかぁ・・・・。

胸部X線健診結果は「左下肺野結節影疑い」との所見であり、「結節影あり」ではない。
あくまで「疑い」なのだ。
などとこの間、自分に言い聞かせはするものの、
あれこれ考え、憂鬱な2週間が過ぎ、本日検査結果を聞きに病院へ向かった。

受付を済ませて待合所で待っていると、名前を呼ばれたが先ず処置室へ。
体重と血圧を測った。
えっ? 今日は先日の検査結果を聞きに来ただけなのに・・・
と怪訝に思っていると、看護師が「体調いかがですか?」と。
えっ? 看護師に体調を気づかわれるような事態なのか・・・・
これは・・・
再び待合所で待つ。
無心でいようとするが 無理。

こうして受付を済ませてから1時間弱、やっと医師から名前が呼ばれた。
昨年、大腸内視鏡検査でお世話になった“踊る大捜査線”の医師である。
おそるおそる、椅子に腰かけると、
「うん、何もないようですね。X線の専門家がそう診断して書いてある」
一瞬で安堵が走る。

「たしかに、血管の下の方に影みたいなのがあるが、骨などが重なって映っているだけなのかもしれんなあ・・・」と、胸部X線写真を見せてくれながらそう言った。
確かにモヤッとした部分があり、素人目にも「結節影疑い」である。
一気に気が楽になって、気持ちよく帰路についた。
とはいえ、この先はこういった“要精検”が増えるのだろうなあ・・・。
そのたびにビビる。
来年はどのパーツ?


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中国の暴動

2012-09-17 15:04:34 | 政治・社会
暴徒乱入、無言で破壊・放火…工場再起不能(読売新聞) - goo ニュース

未明から外が騒がしい。
久しぶりに台風らしい台風がやってきた、という感じ。
雨は上がったが、今も唸りを上げて強風が吹いている。
佐田岬はそれほどでもないが、沖縄や南・西九州は大変だったのではなかろうか。

その台風の向こう側の大陸では、大暴れする輩が大勢出ているようだ。
もはやデモではなく暴動、略奪、・・犯罪である。
日系企業、日本製品、日本人が狙われている。
しかし、奴らは何の罪にも問われない。
中国当局もほったらかし(に近い)。
なんともやりきれない。

パナソニックも襲撃されたが、まだ松下電器産業だった昭和53年に、当時副首相だった小平氏が来日した際、松下のテレビ工場を訪れ、出迎えた松下幸之助氏に「中国の近代化を手伝ってくれませんか」と頼んだそうだ。
すると、幸之助氏は「できる限りのお手伝いをします」と返答して、翌年北京に駐在員事務所を開設し、その後北京に合弁会社を設立し、今日に至っているそうだ。
そして平成20年、来日した胡錦濤国家主席が松下の本社を訪れた際、当時の名誉会長に歩み寄り、「中国の発展に尽くしていただき、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べたのだと。

こんないい話があるというのに・・・
全てを踏みにじる。


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9月15日

2012-09-15 14:44:03 | 田舎の生活
大型台風16号が接近中というが、
今日の佐田岬半島は快晴で、宇和海はいたって穏やかだ。



無風状態で、残暑きびしい。
と思っていたら、午後になって雲が多くなってきた。
明日は運動会を予定している学校が多いだろうに・・ 


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Jアラート不調

2012-09-13 17:31:01 | 田舎の生活
昨日、全国一斉Jアラート訓練が行われたが、各地でトラブルが相次いだようだ。
午前10時と10時半の2回防災無線が作動するとの事前の連絡だったが、
我が地区では10時は何も音声が聞こえず、10時半に音声が聞こえてきたのだが、何を叫んでいるのかさっぱりわからず(言葉になっていない)、しばらくしてやっと言葉が聞き取れた。
今日の新聞を見ると、伊方町内では自動放送ができず、手動で放送を3回流した とあるのだが・・・。
不具合の原因は不明だと。
やれやれ  
緊急時に活用するシステムだというのに、訓練でこんなお粗末では思いやられる。
しっかりしてくれぇ~! 


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勝ち点10ゲット

2012-09-12 11:22:25 | スポーツ
ザック喝!本田が決めろ/W杯予選(日刊スポーツ) - goo ニュース

立ち上がりは、若い選手たちに好きなように動かれ、戸惑いがあったみたいだ。
 危険なシーンをGK川島選手がファインセーブで凌ぐ。

そして、スローイングから絶妙の右クロス、そしてドンピシャのヘディングで先制点。
美しい、あっという間の出来事だった。
もう1~2点欲しかったなぁ~ と思うが、後半はほとんど危なげなかった。
守備陣に出場停止選手が多く、心配していたけれど。
1-0という最少得点差とはいえ、着実に勝ち点3を積み上げたのは大きい。
相当優位に立てたとはいえ、次からのアウェー2戦が正念場か。
がんばれ ニッポン!


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