かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

天気晴朗ナレド

2012-02-29 12:17:12 | 田舎の生活
関東一円などでは大雪が降っているらしい
 けれど、
佐田岬半島はほぼ快晴で暖かい。
とはいえ、春一番ではないだろうが、時折北風が強く吹き、
ちと肌寒く感じ、生ぬるい暖かさではない。



宇和海沖合では小さな白波・ウサギが走る。

ん?
半島上空に沿うように 何やら怪しげな雲が連なっている。
明日からは3月 ・・でも再び天気が崩れるようだ。


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石仏・石塔見て歩き(20:五輪塔その4)

2012-02-27 13:30:21 | 田舎の歴史
地区に残る五輪塔で概ねその全容を留めているのは3基あり、
その他には、パーツの残骸が残っているだけというのがいくつかある。
そして、この度新たな場所で残骸らしきものを見つけた。



2つとも丸い形をしており、おそらく五輪塔の「水輪」だと思われる。
左上の苔むしたのは結構大きく、33cm×24cmほどある。
岩石は安山岩のようで、山口県から運ばれたものだろうとみている。
そして、それの右下にある小ぶりなものは、質感がゴツゴツしており、こちらは火山礫凝灰岩のようだ。
こちらは片側(写真下側)がやや直線的になっていることから、五輪塔てっぺんの「空輪」の可能性もある。
ちなみに、大きい方も完全な球体ではなく、上下がやや直線的に切断されており、
片側はこんな風に、中心にかすかな突起(ほぞ)がある。


おそらく五輪塔を組み立てる際、安定性を保つための工夫だと思われる。
2つのパーツの石質が異なることから、本来は別々の五輪塔の一部であったと思われる。
きっとかなり古いものだろうと思う。
(おそらく江戸時代初期ないしそれ以前)

さらに、これらの近くには、こんな残骸もある。


すぐそばに仏像の顔があるが、それとは形が違っており、顔とは思えない。
かなり風化・破損しているものの、小さな突起があることから、
五輪塔てっぺんの宝珠=空輪だろうと思う。

そして、わからないのがこれ。 


石臼の残骸のようにも見えるのだが・・・・・?

なんといっても、自己満足的発見が これ! 


上記の残骸とは別の場所で見つけた。
しかも2基ある。
双方 使われた岩石は同じで全体の風貌も似ているのだが、
各パーツの形状や寸法が少し違っている。
ちなみに右の五輪塔は高さ37cm、左は31.5cmというかわいさである。

なぜこれが自己満足的発見かというと、
両方とも1つの岩石から彫り出された“一石五輪塔”だということだ。
岩質が同じで類似の形状のものは町内で10基ほどしか確認・報告されていないようで、当地のものでも破損して半分だけの残骸は報告されているが、この2基の報告はない。
残念ながら、かなり風化が進んでおり、2基とも上部で割れている。
文字が見当たらないので、いつの時代のものかわからないが、
かなり古いものだと思われる。
江戸時代以前の造形物の可能性がある。
ムフフ


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春はまだか・・・

2012-02-25 15:32:48 | 田舎の生活
昨日は春の陽気で暖かかったけれど、今日は再び寒くなった。
おまけに厚い雲に覆われてどんよりしている。

気が付けば、例年に比べて菜園の雑草の花が咲くのが遅いように思う。
ホトケノザ、オオイヌノフグリ、ハコベ など。
例年なら既に咲いていると思うのだが、寒い日が多いせいだろう。
これらが咲かんことには、春はまだじゃ。




サーカー五輪アジア予選

2012-02-23 11:49:30 | スポーツ
前のシリア戦では、本当に悔しい思いを残して、
首の皮1枚状態で戦った昨夜のマレーシア戦。
勝つのは絶対条件として、できるだけたくさん点を取ってもらいたい。
そんな思いで昨夜のサッカー五輪アジア最終予選を観戦した。
前半なかなか点が取れずにやきもきしたが、35分 酒井選手のシュートで待望の先制点。
 酒井選手はよく走っていたなあ・・。

その後もいい時間帯で加点して、
最後には、昨年愛媛FCでプレーしていた斎藤選手(現横浜M)も得点。
ヨッシャー!
結果、4-0で快勝。

その後行われるバーレーン対シリア戦が気になりながら、眠りにつく。
で、今朝 シリアがバーレーンに1-2で敗れたことを知った。
まさに、首の皮一枚から全快状態だ。

日本は最終戦で、引き分け以上で五輪代表が決まる。
敗れた場合でも、得失点差や総得点差などで 可能性は残る。
現時点で 2位のシリアの得失点差+3、に対し日本は+8。
これでは決まったも同然かな。
とはいえ、五輪代表の可能性が出てきたバーレーンも、日本との最終戦は必死でぶつかってくることであろう。
ともかく 来月14日の試合が楽しみじゃぁ~ ・・


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佐田岬あっちこっち(9.佐田岬洞窟式砲台跡)

2012-02-21 13:52:16 | 風景


佐田岬半島の先端の佐田岬灯台。
そして、豊予海峡の向こうに見えるのは大分県。
この灯台直下には、戦時中に岩盤を掘削して造られた砲台の跡がある。

     【手前の2つの穴】

これは豊予要塞のひとつとして、昭和20年に6ヶ月間の突貫工事で急造されたものらしい。
さらにその先には、コンクリートで繋がれた小さな島(だけど名前は“大島”=御籠島)がある。
余談だが、コンクリートで囲まれたエリアは、三崎漁協が魚介類の集荷調整のための天然の生簀(蓄養池)になっている。

元々は島だったこの大島にも同じような砲台跡が2門ある。

【灯台の左下が先ほどの砲台跡、左の方にみえるのが大島の砲台跡】

島の砲台跡をズームアップしてみる。


コンクリートで繋がる前の戦時中は、どうやってこの島・岩場に取り付いていたのだろう。
それはさておき、配置兵員数は当時千人を超えていたという。
佐田岬半島の先端周辺には、この他にも大正時代に造られた砲台跡や関連施設の跡があるようで、一大軍事基地だったようだ。
同じような要塞は向かいの大分県にもあるそうだ。
しかし、一度も交戦することなく終戦に至った と。


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生涯学習推進大会

2012-02-19 15:08:53 | 田舎の生活
今日は午前中行われた『伊方町生涯学習推進大会』に出席した。
まずは、町長の開会の挨拶があって、次に体育功労者表彰となった。
大会のテーマが「活気ある地域づくり、協働のまちづくりをめざして」とあるのに、
なぜ、体育功労者だけなのだろう? 
他に芸術や科学・学問、地域活性化産業 などなど、
いっぱいあると思うのだが・・・
私の頭の中は「???」

次に、TVでおなじみの草野 仁さんの講演があった。
この講演が本日の目玉であろうか。
演題は「いつもチャレンジ精神で」
NHK時代の話や『世界 不思議発見!』のレギュラー出演者の黒柳さん・坂東さんの人柄やエピソードなどを紹介しながらお話をされた。

自分の適性は自分では気づかない複合的な才能がある。
自分で試すチャンスが少ないので、多くの人はそれに気がつかないでいる。
だから、万一挫折したとしても、2度目 3度目のチャンスがあるのだと。

次に、ご自分の体験から、「話す」という行動の大切さを強調された。
自分なりに考えて、どうやったら自分の気持ちを正確に伝えられるかといった“表現の工夫”をする、そういう経験(訓練)の積み重ねが大切だと。

そして最後に、日本人は外国人に比べて年齢をとても気にするが、それはいい側面もあるのだが、年齢を理由に自分のやりたいことをあきらめるケースが多い。
ある時自分が新しい何かをやりたいと思ったら、その時が適齢期であり、自分自身の可能性の発見につながる。
だから、長い人生を“生きる”という充実感を持って生きて欲しい。
というような話で締めくくられた。

草野さんは、テレビで拝見したまんまで、
穏やかで優しい人柄が伝わってきた。
ありがとうございました。 


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巡視船に乗る

2012-02-17 12:08:23 | 田舎の生活
今回の広域避難訓練は、伊方原発の重大事故を想定してのもので、原発から30キロ圏内を対象に行われた。
従来の訓練は半径10キロ圏内だったので、初の広域訓練ということだ。
バスや船、ヘリコプターで圏外へ避難するというものだ。
私が参加したのは、船での避難訓練。

先ずは公用車で三崎の体育館へ搬送してもらう。


訓練の簡単な説明を受ける。


その後、車で三崎港へ移動。

うん、あれが乗船する海上保安庁の巡視船のようだ。


テレビ局が取材に来ており、一緒に乗り込んだ。


空には別動の救助ヘリが飛んできた。


さあ 乗船じゃ。



操縦席


三崎湾周辺の地図がモニターに映し出されている。
どうやら、陸地の部分で黄色くなっている箇所は、船から現在見えている範囲のようだ。
地形には出入りがあるから、灰色の部分は尾根などで隠れて見えないへこんだ地形部、あるいは尾根の向こう側ということになろう。

乗った巡視船は最高速度30ノット(時速約55キロ)だそうで、高速艇なみの速さだろう。



半島の先端がみえてきた。




実際の避難の際には、船で宇和島へ避難するという計画らしいが、今回は時間的な制約もあるので、半島先端まで行って引き返す。


【クリックで拡大】
佐田岬灯台をこうして瀬戸内海側から見ることができるというのも、船ならではであろう。

海峡では、外国船籍だと思われる大型のコンテナ船も行き交う。

おやっ? 国旗が見えんなあ・・・



こうして、およそ1時間で再び港に戻って訓練を終えた。



実際の災害の時には、こんな物見遊山的な気分で船に乗ってはいないだろう。
本当にこうして避難する日が来ないことを願う。


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広域避難訓練

2012-02-16 14:18:23 | 田舎の生活
今日は午前8時20分頃から、町内全域で地震発生に伴う避難訓練が実施された。
今年度は2回目である。

まずは、津波・土砂災害を想定して一時避難場所への避難訓練。
これは、町が現在見直し中の一時避難場所および避難路の検証を行うことを目的に実施されたものだ。
当集落は、傾斜地に位置しているため、津波の心配はないが土砂災害が心配だ。
津波は海からやって来るが、土砂災害はどこで起こるかわからない。
そのため、地震時には避難場所へ行く途中で災害に遭う可能性がある。
なにしろ、避難場所へ行くには石段を通らなければならないもので。
平日の訓練ということもあり、参加者はあまり多くなかった。

その後、県が実施した原子力防災広域避難訓練に参加した。
これは、地震により伊方原発の原子炉が全電源喪失し、炉心損傷で放射性物質が放出される恐れがあるとの想定での避難訓練であった。
陸・海・空からの避難。
さすがに、報道関係者が大勢取材に来ていた。
私は生まれて初めて海上保安庁の巡視船に乗った。
(詳しくは明日UP予定)
新聞のテレビ欄を見ると、夕方のローカルニュースは各局この広域避難訓練の様子を報じるようだ。


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二宮金次郎

2012-02-14 12:01:58 | その他
町内に10箇所、二宮金次郎の像が残されているらしい。
廃校になったけれど、わが母校の校庭跡の隅にもある。



ところが、この像が備前焼でできているとは知らなかった。
小学生のころは身近にあって、毎日見ていたと思うのだが、子供の頃はそんなこと気にもしていなかった。
どこの小学校でも同じなんだろうなあ・・・という程度の意識だろうか。

確かに像の後ろに製作者が記されており、

「岡山縣和氣郡伊部窯元 本家興樂園 友敬作」とある。
(ネットでみると、「興樂園」は創業340年で現在も備前焼の製造・販売を行っている)
コンクリート製の台座には、この像を寄贈された地元の方の名前があり、
昭和14年10月と記されている。
何でも二宮金次郎の像としては、これが町内で最も古いものらしい。
戦時中ゆえ、金属で作ることができなくて備前焼となったのだろうか。

ところで余談ではあるのだが、寄贈されたとされるお名前の方はこの年の4月に戦死されているのだが・・・
これはどういうことだろうか? 
戦死される前にその意思を示されたということだろうか?
それとも、遺族の方の配慮によるものだろうか?
そうではなく、同名の別の方なのだろうか?

備前焼の金次郎少年の顔は凛々しく、優しさも感じられる。




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祈年祭の日

2012-02-12 13:11:28 | 田舎の生活
今日は、風は冷たいのだけれど、佐田岬半島は気持ちのよい快晴。



午前中、地区の神社において祈年祭が行われた。
豊作・豊漁を願って。 

明日からは3日間雨の予報。


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