かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

干し柿吊るした

2012-11-30 16:36:46 | 田舎の生活
このところ天気が安定せず、一日のうちでもちょっと照ったかと思えばすぐに黒い雲がでる。
今日は晴れの予報だったのに、今日もそんな感じ。
スキッとしない天気が続いている。

そんなわけで、2日ほど干し柿を作りそびれていたが、本日敢行。
一昨日渋柿をたくさんいただいた。


せっせと皮を剥き、風情のないビニールひもにくくり、軒先に吊るした。



あとは、鳥に食われないように全体をネットで覆って完了。
美味しくできますように! 


最近当ブログの画面表示が遅く、ご迷惑をおかけしているのではないでしょうか。
下記サイトへ引越し準備中です。
(しばらくは、同じ記事をUPし、併設の予定です)
「かんじゃまのつぶやき partⅡ」


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僕の心細道(153:ネパールⅢ編-第九章)

2012-11-29 13:05:01 | 旅行
※最後に引越しのお知らせがあります

-6日目(1992年12月31日)-
6時過ぎ起床。
乾燥しているせいか、昨夜は鼻が詰まり口で息をしたため少々つらかった。
午前6時半頃からしだいに明らみ始めたので、ロッジの外に出て三脚をセットしてスタンバイ。
手が冷たいが、風があまりないのでかなり楽ではある。
谷のかなた、エベレスト方面に狙いを定める。




エベレストの東壁が朝陽に照らされる。

ここタンボチェの標高は3,867m。
ヒマラヤにあっては、この標高は“丘”程度であろうし、
ここからエベレストまでの水平距離は18キロで、まだまだ遠い。
それでも、こうして世界最高峰のエベレストや8,000m級の雄大な山々を眺めていると、
「ヒマラヤにいるんだ」という実感に浸れる。



カメラのシャッターを気のすむまでバシバシ押し、
天気も安定し、ほぼ満足したので、ロッジに戻り温まる。



それでも外が気になり、ちょくちょく見ていると、
ローツェの上におちゃめな雲がかかった。


8時頃から朝食となった。
今日もおかゆと卵。
食後、ゆっくりとした感じで休憩し、雄大な景色に囲まれたタンボチェを散策する。


【クワンデ】



みんなで記念写真を撮ったりして、のんびり過ごす。


エベレストとローツェの頂上から雪煙がたなびいてきた。


【アマ・ダブラム】


【ローツェ】


【エベレスト クリックで拡大】




【クリックで拡大】


【クリックで拡大】

名残り惜しいが、10時40分にタンボチェを後にして帰路に着く。
もっと時間と体力のあるトレッカーは、タンボチェからさらに7~10日間ほどかけて、標高5,500mのカラ・パタールへ行き、エベレストをもっとまじかに見られるのだが、
我々のトレッキングは、ここで引き返す。
     ≪つづく≫


最近当ブログの画面表示が遅く、ご迷惑をおかけしているのではないでしょうか。
下記サイトへ引越し準備中ですので、そちらも覗いてみてください。
(しばらくは、同じ記事をUPし、併設の予定です)
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引越し検討中

2012-11-27 14:48:09 | その他
もう何ヶ月も前から、自分で当グログにアクセスするも画面表示に時間がかかりすぎる。
20~30秒かかってしまう。
ご訪問下さる方にも同じような状況でご迷惑をおかけしているのではないかと心配です。
原因がわからないので対処の仕様がありません。

これまでにupした画像が多くなって、重く・遅くなっているのだろうか・・・?
ということで、他のサイトへの引っ越しを考えています。
現在、引っ越し先で準備中です。
その節は改めてよろしくお願いいたします。


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晩秋のハイビスカス

2012-11-25 13:42:58 | 草花・樹木
夏の終わり頃に、ほとんどの葉っぱが枯れ、「今回もダメか・・・」
と思っていた鉢植えのハイビスカス。
その後、水遣りを怠らないようにした成果があったのだろうか?
新たな葉っぱが芽吹き、元気を取り戻したようで、
この度花が咲いた。
ずいぶん寒くなってきたというのに。



夏場の花は一日で終わりだが、この度咲いた花は2、3日咲いている。
不思議だ。 
気温が低いので長持ちするのだろうか?




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「家紋」その6:桐

2012-11-21 14:54:28 | その他


桐は聖天子のシンボルだそうで、そのため日本の皇室でも菊の紋章と並んで桐が副紋として使用されるようになったのだという。
そのせいであろうか、桐は全国的には広く使われているようで、「五大紋」に入っている。
が、当地区にあっては、桐の家紋は少なく3軒の家だけがこの紋章であった。
ちなみにこの紋は、花の数が5と3なので、細かくいうと「五三桐」のようだ。






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僕の心細道(152:ネパールⅢ編-第八章)

2012-11-19 12:08:14 | 旅行
-5日目のつづき-
プンキで昼食をとり、ゆっくり休んでから午後1時半に出発。
ここからは尾根沿いのルート標高差約600mをゆっくりゆっくり上る。
ナムチェ・バザールへの上りよりはゆったりして、それほどきつくないけれど、
標高が高いので、ゆっくり ゆっくり。

上っていくにつれ、タムセルクの左側にカンテガKangtega(6,685m)が新たに見えてきた。


午後2時過ぎ、尾根の途中で休憩となった。
カンテガをバックに・・がんばるぞ~! 


タムセルクは逆光になったので、ずっとカンテガを眺めながら高度を上げてゆく。

しだいに、“招き猫”に似てると思うようになってきた。 

【クリックで拡大】

もうタンボチェは近いと思う頃、下から霧が上がり始め ぐっと寒さを感じる。
しかし、風がないので厳しくはない。
ビスターリ ビスターリ

最後にやや急登のジグザグ道を上り終え、カンニ(仏塔門)をくぐるとそこはタンボチェ。




改築中のゴンパ、古いストゥーパ   ウーン。


ここは標高3,867m。富士山より100mほど高い。
しかし、霧が深く、周りは何も見えず。
3時40分到着。

ガイドのナヤンさんの指示で尾根の西方のロッジへ向かう。
今日のロッジは食堂と同室にベッドがあり、2段式。
1段に3~4人ほど横になれるようになっている。
荷物を下ろし、少し休んでから先ほどのゴンパへ散策する。
このゴンパ(寺院)は、1989年(この旅行の3年前)漏電により焼け落ちたそうだ。
それで、まだ建造中とのことで、内装はないとのこと。
昨日はちと胸が苦しいと感じたが、今日は快調。
ティーを飲んだりしながら休憩する。

やがて、霧が上がりかけたのでロッジへ引き返しカメラを抱えて再び外へ出る。
ふむふむ、アマ・ダブラムが霧の中からしだいに姿をあらわしてくる。
ローツェ、エベレスト方面はまだ霧が深い。
霧が晴れてくっきり見えてきた。


しばらく経ったところで太陽が射さなくなったが、まだ明るいし日没には時間が早い気がしたので希望を持って待機する。

よしよし、アマ・ダブラムの中腹あたりが明るんできた。


それそれ。
ぐーん 夕陽が照る。
きた きた!

【クリックで拡大】



しだいにピークへと残照が移動する。


【クリックで拡大】






       【カンテガ】


すっかり陽が落ち、寒さも増してきたので、そろそろロッジへ戻ることにした。

夕食は6時チョイ前から。
スープ、ヤクのおかゆ、野菜炒め。
毎日チビリチビリ飲んでいた成田空港の免税店で買ったウィスキーが、今日で空になった。
我々の食事の後、外人さん3人が食事。
さらにそのあと、我々をサポートしてくれているポーターさんも含め4~5人が食事。
ライスとタルカリスープのシンプルなものだが、彼らはよく食べる。食欲旺盛だ。
食後、寝る者は寝る、話す者は話す。
外人3人とポーターのうち一人の会話が弾んでいるようだった。
私は8時過ぎベッドに入る。


   ≪つづく≫


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W杯王手

2012-11-15 10:36:51 | スポーツ
ザック苦し勝った!選手が救った“弱気采配”(サンケイスポーツ) - goo ニュース

中東アウェー・・ やはり厳しい試合でした。

前半20分の先制点でほっとしたけれど、
後半32分にセットプレーから同点にされた瞬間から観客席のムードが一変し、
いやーな感じになった。
引き分けでも良しか・・と弱気に。
それでも、選手たちは諦めなかった。
“勝ち切る”姿勢が見えた。
今までだったら、ここで完全守りに入り、残念な結果になることが多かったけど。

相変わらず長友選手は何度も鋭く駆け上がった。
清武選手も果敢に攻めた。
そして、若き両酒井選手、ベテラン遠藤選手、岡崎選手。
本田選手、吉田選手は調子がでなかったようだけれど、それを他の選手がカバーした。

さあ、来年3月すっきり決めよう! 


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「家紋」その5:矢

2012-11-13 17:09:05 | その他


この家紋は何か、素人の私にもわかった。
古来「弓矢取り」といえば武士のことであった。
神事の破魔矢、そして相撲の弓取り式。
日本人は“弓矢”がお好きなようだ。
幾何学的に美しい形だからであろうか・・。
当地区で、「矢」はこれまでUPした「抱き茗荷」、「橘」、「鷹の羽」を含めてベスト4に入る。
写真のものは、羽が2本並んで丸に囲まれているので「丸に並び矢」というようだ。

ちなみに、以前 友人が言っていた「当地区には●▲という苗字が一番多いけれど、お互いにどの家とも親戚関係にない」と。
ところが、「●▲家」はいずれもこの「丸に並び矢」なのである。
これはどういうことか?



今は親戚関係にないが、かつては同じ一族だったのだろうか?
それとも、各家の家紋を決める際、庄屋さんあたりが「●▲さんとこは、みんなこの家紋にしたらええがよ」となったのだろうか?

これは同じ「並び矢」でも、周囲が丸ではない。


「雪輪」というようで、「雪輪に並び矢」となる。

そして、同じ矢でも、2つの矢が平行に並ぶのではなく、交差したものもある。


こちらは「違い矢」というそうだ。


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