かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

僕の心細道(109:キリマンジャロへの旅編-第十五章)

2010-05-30 11:22:58 | 旅行
-10日目(1月3日)-
ホロンボハットの朝の雲海



ホロンボハットを後にして、登山出発地点だったマラングゲートへ向かう。



うっそうとしたジャングル地帯になり、いよいよ終点が近いことを感じさせてくれる。
そして、マラングゲートに到着。



みなさん お疲れ様です。
そして、登山をサポートしてくださったスタッフの皆さん、有難うございます。



登頂証明書の授与式で、証明書を一人ひとりに手渡してくれます。 
迎えに来てくれたバスに乗り込み、アルーシャの町へと向かいます。

途中スコールにあい、その後空に 虹がかかった。



登山の疲れをねぎらってくれているのだろうか・・・

ホテルで久しぶりにシャワーを浴び、さっぱりし、夕食もうまかった。


  ≪つづく≫


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命短しハイビスカス

2010-05-28 11:32:41 | 草花・樹木
昨年、近所の家でハイビスカスの鉢植えを置いてある家があったので、
私もこのたび初めて買ってみた。

買った時からつぼみがあったので、やがて鮮やかに開花した。



ところが開花翌日、天気が良かったものの、花は閉じたまま。  
そして、さらに翌日、花がポキッと折れてしまった。 
わずか1日開いただけだった。

3輪咲いたけれど、いずれも同じパターン。
ハイビスカスは、こんなものなのだろうか? 
あっけないなあ・・ 

黄華鬘

2010-05-27 11:27:15 | 草花・樹木


子供の頃から見てきた路傍の雑草。
愛らしい花も少なくないが、この雑草は茎や葉から臭いにおいを発することもあり、
あまり興味がそそられず、名前も知らない。
道の草刈などの際には、真っ先に刈られるだろう。
でも、近づいてみると、意外にかわいい花ではある。 



どんな雑草だって名前はあるだろうと、検索してみた。
黄華鬘(キケマン)というようだ。
結構ありがたそうなネーミングである。 


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こぼれ種ゴーヤー

2010-05-25 10:46:53 | 菜園
昨年もこぼれ種から自生したゴーヤーを移植して育てた。
そして、収穫終盤になってほったらかしたので、菜園にはたくさん種がこぼれているはずだ。
が、
なかなかおのればえってこなかった(なかなか芽が出ない)。
それでも苗を買わずに待っていると、
今月に入り気温も上昇して、続々と芽を出してきた。 



もう既に40株以上ある。 

しかし、それらを全部育てるわけにはいかん。
スペース的に3本が限界だろうし、そんなにたくさん食べられるものでもない。
(ゴーヤーチップスを作るなら別だが・・・)
形の良い、元気のよさそうな苗を3株だけ選んで植え替え、



そして、支柱、ネットを設置した。



連作障害なんのそので、昨年と同じ場所だ。 


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金山出石寺へ行った③

2010-05-24 12:00:00 | お出かけ
本堂は出石山の頂上にあった。 




   【本堂】

金山出石寺は真言宗御室派とのこと。
本尊は千手観世音菩薩。
でも、菩薩を見落とした。 
御詠歌は、「くもりなき 二名(ふたな)の島の 金山に 御法(みのり)の光 輝くを見よ」 だそうだ。



オベリスクさながらの石塔
上の方に梵字が刻まれている。
「キャ カ ラ バ ・・」
“地輪”に相当する部分が異様に長いが、
おそらく、これも五輪塔なのだろう。 一石五輪塔か?

ところで、この寺の山号をなぜ「金山」と呼ぶのだろうか?
ちょっくら調べてみると、
開山当初の山号は雲峰山と称していたが、この山に鉱山があることから弘法大師が金山と改めたという。
確かに、この付近には含銅硫化鉄鉱の鉱床が存在しており、山の北側には、三菱鉱業が明治43年から昭和20年まで銅石を採掘していた出石鉱山跡があるという。

それでも、個人的には疑問が湧く。
もともとあったネイチャー的「雲峰山」という山号を、弘法大師がわざわざ世俗的臭いプンプンの「金山」と改名するだろうか?
信心浅い私的にはふと合点がいかず、やはりもともとの「雲峰山」のほうが霊験があるように思える。
だから、「金山」という山号はもっと後世になって付けられたのではないだろうかと思ってしまう。

ということはおいといて、
この山頂からの頂上は、なかなかのものだ。
大洲盆地、さらに遠くの山々が一望できる。



初めてこの寺を訪れた小学生の頃、この寺の宿坊に泊まり、朝この大洲盆地方向を眺めて眼にした雲海は、神秘的だった。
生まれて初めて見た雲海に感動した。

一方、反対側の本堂脇の木の間を望んでみると、見覚えのある光景に出合った。



かすんではいるが、このシルエットは我が地区の梶谷鼻に違いない! 
そして、家の形状は認識できないが、その右側が我が集落。
ちょっぴり 感動した。

ということは、我が地区からもこの出石山(いずしやま)が見えるということだ。
あらためて、我が地区から出石山方向を望んでみる。



ズームアップしてみると、


中央右のピークが出石山に間違いないだろう。
左の山頂のほうが少し高いように見えるが、これは左の山のほうが手前にあるからだ。
我が地区から出石山が見えるということを知らなかったのは、(我が地区では)私だけかも知れない・・・



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僕の心細道(108:キリマンジャロへの旅編-第十四章)

2010-05-22 11:44:25 | 旅行
-9日目のつづき-
キリマンジャロのギルマンズポイント(5,682m)からのパノラマ
(右から左回りに)















天気がいまいちなのが少々残念。 

ところで、私は以前からエベレストなどに登頂した登山家は、なぜすぐに下山するのだろう。
もっと頂上にいて、風景を楽しんだり、達成感に浸ったりすればいいのに、もったいないなあ、と思っていた。
ところが、自分で高所に来てわかった。
寒いのだ。 
短時間で下りないと、どんどん体力が消耗しそうだった。
しばし満足感に浸り、下山することになった。

同じ標高でも、上りと下りではしんどさが全然違った。
頂上から下りて、今朝の出発地点キボハットまで戻った時そう感じた。
ここでしばらく休憩して、ホロンボハットまで下る。

途中雨に濡れたが、気持ちよかった。
高所障害で、先に下りていたグループの2人も元気を取り戻したようで、小屋から出てきて笑顔で迎えてくれた。 



   ≪つづく≫


シークヮーサー開花

2010-05-21 14:04:24 | 草花・樹木
1月下旬に友人からもらったシークヮーサー苗
結局畑には植えずに、大き目のプラ鉢に植えた。
しばらくは何の変化もなかったが、枯れずにがんばり、春たけなわになって若葉が出てきた。
そして、小さな白いつぼみもいくつかつけた。


   【5月1日】

それが開花した。





同じ柑橘類なので、他のみかんの花と同じだけれど、
みかんに比べて香りが弱い。
それはともかく、今年の冬にはシークヮーサーの果実を味わえるというわけかな・・・
楽しみです。 
食べるには小粒で種が多すぎるので、搾って泡盛に入れるのが旨い!

 出発は こちら  「シークヮーサー」(2010年1月26日)


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金山出石寺へ行った②

2010-05-20 11:27:32 | お出かけ
 仁王門をくぐり、境内に入った。
右側は護摩堂だと。


   【護摩堂】

なかなか立派なお堂だ。
でも、護摩もたかずに無礼して、左の石段を上る。 



早くもアジサイが咲き始めている。
この寺はアジサイでも有名らしい。

ん? 牛だ。


牛の見つめる先は、大師堂のようだ。


   【大師堂】

牛の近くには 鹿もいる。



牛も分からんが、なんで鹿が? とも思った。

後で分かったのだけれど、鹿はこの寺の由来に大いに関係あるらしい。
銅像後方の看板には、「御手びきの鹿」と書かれている。

むかーし むかし 旧宇和郡田中庄の猟師作右衛門という人が、狩りに出て一匹の鹿を見つけ、その後を追ううちに山に迷い込んでしまったらしい。
すると突然山が振動し、あたりは光に包まれて鹿の姿は消えてなくなってしまった。
怖くなった作右衛門がおそるおそる顔を上げると、先ほど鹿の立っていた足下の岩が真につに割れ、地中から金色に輝いた千手観世音菩薩の像が湧き出たと。
それを見た作右衛門は、以後殺生を業とする生活を懺悔し、妻子と別れて仏門に入り、名を道教と改め、そしてその仏像を本尊とし、傍らに庵を構えて出石寺と命名し、一生ここで送ったのがこの寺の始まりだそうだ。
その作右衛門の人生を変えたのが、養老2年(718年)とのことで、この年がこの寺の開創だとされている。
 ところで、突然別れを言われた妻子は、その後どうなったのだろうか?
作右衛門は目覚めたかも知れないが、
妻子はたまったものではない・・・・と思う。

ということで、この寺のご本尊は千手観世音菩薩だそうだ。



大師堂の屋根のてっぺんにある金色のトッピング。
いくら金山出石寺だからとはいえ、まさか金ではあるまい。



大師堂の脇には、こんな砲弾まで奉納されている。
「戦利兵器奉納ノ記」と書かれてあり、当時の陸軍大臣名の能書きが記されている。
日露戦争の戦利品のようだが、お地蔵さんと同列に戦争兵器が奉られているというのも・・・・
フーッム! 

さらにこの上、石段を上ったところにある建物が本堂のようだ。



≪つづく≫

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金山出石寺へ行った①

2010-05-18 14:59:00 | お出かけ
先週 天気の良い日、弁当持参で出石山(いずしやま:標高812m)の頂上にある
金山出石寺(きんざんしゅっせきじ)へ向かった。
私にとっては3度目の訪問になる。
最初は小学校5年生か6年生の時、2度目は6、7年前だった。

今回はシーズンオフの平日だったので、境内前の駐車場はガラガラ。
駐車場脇には、句碑や地蔵さん、そしてなにやら立像がある。



おやっ? この立像 なんだか様子がおかしい。 
オーラがただよっていない。
ということで、近くに寄ってみた。



うーむ・・・(-。-)y-゜゜゜

個人が作成されたようで、弘法大師をイメージしたのだろうか? 
石ではなく、セメントで、しかも右手の錫杖は、むき出しの土木用の異形鋼棒。
誰かのいたずらだろうか、曲げられている。
顔は・・・・

 これ以上のコメントは差し控えよう。

 気を取り直して境内へ向かう。



先には長い石段、そして、手前に大きな立像の後姿が見える。



ん? これこそが 弘法大師だろう。





一礼して、石段を上る。



山門(仁王門)が見えてきた。



仁王門に着いた。



こんな風に大きな鐘を眼の前にすると、つかないわけにはいかないだろう。
ゴ ~ ~ ン ~     いい響きだ。

両側には、





阿形・吽形の仁王像がにらみをきかす。

いよいよ境内に入る。
≪つづく≫