かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

今日で7月が終わり

2011-07-31 15:27:38 | 田舎の生活
いやあ~ 暑い!
油断していると熱中症になりそうだ。 
それでも、午前中は何とかエアコンを入れるのを我慢して、
昼食の頃に、エアコンON。 
暑さのせいで、食欲も少し落ちている。
どうしてもさっぱり系が欲しくなる。 

もうすぐお盆。
今年はどんな顔に会えるかな・・ 


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お墓調査 その5:ちょっと変わったスリン

2011-07-29 13:45:05 | 田舎の歴史
前回は、蓮華からスリンへの変遷を年代を追って紹介したが、
その形状の変遷とは別と思われるスリンがある。





これらは、スリンになにやら模様が刻まれている。
残念ながら、何をデザインしているのかわからない。

こんなデザインもある。

ツル系の植物だろうか?

そして、これもユニークであるが、何を模しているのかさっぱりわからない。 


蓮華とは思えない。

最後はこれ!


両側が渦巻きになっており、浪のようでもある。
個人的には結構気に入っているのだが、何を表しているのかがわからない。

ところで、昨日夕方のTVニュースで“お墓レスキュー隊”の活動を報じていた。
3月の大震災で倒れたり、流されたりした墓石を、復旧するというもので、
ニュース自体とは関係ないのだが、個人的に興味深かったのは、
基本的には当地区の墓石と同じようなものが多いようだったが、
竿石の形状(特に頭頂部)や使われた岩石が、当地区では見られないようなものがあったことだ。
地方色があって面白そうだ。


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お墓調査 その4:蓮華からスリンへの変遷

2011-07-27 15:38:38 | 田舎の歴史
竿石と上台石との間にある「スリン台」が、「蓮華台」を簡略化したものだということは前々回書いた。
スリン台の四隅にある“とんがり”が“蓮華”を究極に擬した形ではなかろうか、と思うのだが、本当のところはわからない。
ならば、蓮華からスリンへどのように変化していったのであろうか?


これは江戸時代後期の蓮華台である。

地区の共同墓地を見ていったところ、文政・天保(1818~1830年)頃から、竿石の下に蓮華台を作るようになったようだ。
もっとも、それ以前のものにも蓮華台があったが、移転などで紛失してしまった可能性は否定できないが・・。
とはいえ、この蓮華台は、それ以降明治時代の終わり頃ないしは大正初期までほとんどデザインを変えていない。


【明治44年】

ところが大正4年なると、下の写真のような形状のものが登場する。


蓮華台の上半分(竿石直下)は四角(板状の直方体)になり、下半分(猫足台の直上)にかすかに“蓮華”の形・名残が見てとれる。
このありようを見た時、蓮華からスリンへの移行が理解できたように思う。 
そして、蓮華からスリンへと移り変わっていくのとほぼ時を同じくして、材質が砂岩から花崗岩に交代していくようだ。


とはいえ、同じく大正7年のものでもまだ完全な蓮華もある。


ということは、大正4年~7年ころは、蓮華台からスリン台への過渡期・混在期だったのだろう。

そして、大正10年になると こうなる。


こうなると、“蓮華”の形状は読み取れず、
現代の「スリン」に近くなっている。
しかし、今の「スリン」と異なるのは、直方体部分の四隅に“とんがり”がほとんどなく、
下側にわずかにとんがりがある程度である。
これは、四隅の“蓮華”の形状のみを残したように見える。
また、大正10年ではスリンの斜め部分が膨らんでいるが、
大正13年のものは、逆に細くなってくる。


そして、昭和になってからも基本的な形状は引き継がれるようだが、スリンの直方体部分が薄くなってくる。


そして、下側にほんの少しとんがりがある。

昭和14年になると、上下ほぼ均一に少しとんがってくるが、まだ控えめである。

【昭和14年】

そして、昭和20年代後半になると、四隅は上下に完全にとんがってくる。

【昭和28年】

こうして、昭和年代後半になると益々とんがりが強調されてくる。

【昭和44年】

こうなってくると、台石だって黙っちゃいない。 
こちらもとんがってくるのである。


はてさて、今後どんな進化をとげるのであろうか? 

※ここで紹介した墓石の年代は、昭和14年以降のものは建立された年が刻まれているが、
それ以前の墓石は、亡くなった方の死亡年しか刻まれていないので、正確にはそれが建立された年代かどうかは不明であることをお断りしておきます。


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今年のトマト

2011-07-24 14:55:14 | 菜園
今年はいつもより上等の中玉トマトの苗を一本買った。 
そして、入梅のころまでは順調に育ち、
雨が当たるのは良くないと聞いていたので、手厚くビニールで屋根をつけた


そして、いよいよ赤くなって数個食べた。
ところが梅雨になり、雨 雨 また雨。
そのうち、どのトマトにも白い斑点がはいってきた。


こうなると まずい! 

なんでだろう?
テントウムシダマシ だろうか? カメムシの仕業だろうか?
と思っていたのだが、
どちらでもない虫がついている。


こいつが害を及ぼしたのだろうか?
伸び放題の草をほったらかしにしておいたのも悪かったのだろうか?

今年は、ミニトマトも葉っぱを食い荒らされている。


無農薬の悲しさか・・・ 
意気消沈だ・・・ 


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お墓調査 その3:猫足を考える

2011-07-22 15:30:00 | 田舎の歴史
墓石には、竿石と上台石の間にある蓮華台やスリンの他に、もう一つ特徴的な造作がある。
それは、蓮華やスリンの下に足のついた台座があるタイプだ。





これは「猫足台」というようである(お膳の足のようなもの)。
なるほど猫の足に似てなくはない。


蓮華台やスリン台がなく、竿石が直接猫足台にのっているのもある。


ゴージャス猫足 

渦巻きがみごとである。

猫足ではなく、唯一別の形の足もあった。


これなど、お膳の足によく似ているような。

「蓮華」あるいは「スリン」とセットになっている「猫足」を見ていると、
「猫足」が下に位置しているのが多い、というかこれが基本だと思えるのだが、
「ん?」と思ったのが これ。


猫足と蓮華が逆ではないだろうか?
地衣類のつき方が違っており、猫足と蓮華の岩石の種類が明らかに異なる。
上下逆にすると、竿石と蓮華が同質の岩石であり、すっきりして見える。

同じような間違いではなかろうかと思われる墓石が他にもいくつか見られた。


これなどは、竿石・猫足・スリン(蓮華を模したもの)、そして台石と同じ岩石でできており、
組み立てた全体の形状が、上から下へと末広がりになっており、すっきりしているようにもみえるが、
きっと、組み立て方を間違えていると思う。

このような間違いは、おそらくお墓移転や敷地の造成などの際起こったものと思われる。
いったん墓石を解体して仮置きし、墓石セットを再度組み上げる時に、蓮華と猫足を上下逆に積んでしまった、ということではなかろうか・・? と推測している。
それにしても、プロの石材屋が組み上げたのならそのような間違いはしないと思うのだが・・・
それとも逆にする意図が何かあったのだろうか?

そして、こんなのもある。


蓮華台が2つ重ねられているのだ。
 これもミステイクであろう。

蓮華台と猫足台は、竿石と同質の岩石でできているのが多いけれど(同時期に作ればそうなるはず)、
既に示したように、竿石・蓮華台が砂岩で、猫足台・台石が花崗岩というパターンがある。


このパターンは、竿石が明治・大正に作られたものに多くみられる。
これはおそらく、もともとは猫足台がなかったのだけれど、後に台石と猫足を追加作成して組み立てたものではなかろうかと思われる(その方が見栄えが良い、あるいは隣近所がそうする(=流行)のでまねた・・などの理由)。

では、猫足はいつごろからできたのだろうか?
と、見ていると、
ごく一部江戸時代末期のものにも見られたが、どうやら明治の後半頃の墓石から猫足が本格的に登場してくるようである。
猫足があるとなんだか品があるように思えるのだが、
猫足は地震に弱いので(台石との接触面積が小さい)近年は敬遠されているそうだ。
確かに地区の墓石を見ていると、猫足台は明治後半から昭和40年代頃までのものに多く見られるが、昭和50年建立の墓石を最後に、それ以降の墓石には猫足台が見られない。

ちなみに、昭和40年~50年頃は、猫足とそうでないタイプが混在している。
猫足は昭和40年代に入り、上記理由からしだいに廃れていったようだ。
現に、石材店のHPを覗いても猫足タイプは見られない。


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お墓調査 その2:より高く

2011-07-20 17:01:59 | 田舎の歴史
さて、一般的な和型の墓石は“角柱型”の三段あるいは四段とはいえ、近代の墓石のほとんどは竿石と上台石との間にもさまざまに加工された石が組まれており、より高くそびえている。



これは、「スリン台(布団台)」というものだそうで、この部分にもいくつかのバリエーションがある。
ちなみに「スリン台」は「蓮華台」を簡略化したのだそうだ。

最近の墓石には「スリン台」が圧倒的に多く、「蓮華台」そのものはほとんど見られないようだが、
かつての墓石はこんな風であり、何だか優雅な佇まいを感じる。

   【明治2年】


   【弘化2年】

それが時代の流れとともに、「蓮華台」から「スリン」へと変化(進化?)していったようだ。

下の写真のように、スリン単独のものもあるが、


最近のものは、テーブル状のスリンの下が一度くびれて、その下にもうひとつでっぱりがあるものが多い。
その場合、そのでっぱりが角ばったタイプ(板状の直方体)と、

   【角ばったタイプ】

丸みを帯びたタイプがある。

   【丸みを帯びたタイプ】

丸みを帯びたタイプが多いようで、そこに家紋が入っているケースがある。


角と丸で何か意味があるのだろうか?

一度廃れたかに思える蓮華台だが、
最近のものでは、上台石にも蓮華があしらわれたダブル蓮華の豪華版もある。




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唸りをあげて接近中

2011-07-19 14:49:43 | 田舎の生活
非常に大型で強い台風6号が四国を目指して接近中。
未明から大きな唸りあげて強い風が吹き荒れ、集落のあちこちで木の枝が折れている。

昨日午前中の宇和海沿岸は、波が大きなうねりとなって押し寄せていた。

サーファーが喜びそうな波か?

そして、今日は大きなうねりでなく、海全体に白波がたっており、はるか沖合まで海が濁っている。


台風は南から接近しているが、強い風は東から吹いている。
暴風圏内にあり、宇和海で風が大きく回っているのだろうか。
あまり痛い目にあわさんでほしいなあ。
風は強いが、雨はほとんど降っていないので、塩害が心配だ。


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台風6号は・・

2011-07-17 14:46:02 | 田舎の生活
梅雨が明けてから、毎日暑い! 
が、太平洋高気圧の勢力が少し弱まったらしく、
台風が上陸しやすい状況になってきて、台風は北北西に進路をかえた。
弱まるならもっと弱まれば、日本列島から離れた海域を通過するだろうに・・、と思うのは浅はかな考えだろうか。
ともかく今度の6号はすごいらしい。 
半島の宇和海側海岸に打ち寄せる波が白く砕けはじめた。


今年は台風の当たり年なのだろうか?
お手柔らかに願いたし。 


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地デジ化なる

2011-07-14 14:48:15 | 田舎の生活
先週、CATVから依頼を受けたという電気店から電話があり、
「13日に屋内工事に行きます」ということだった。
そして、昨日10時半過ぎ工事にやってきた。

テレビの地デジ化の工事、そしてインターネットを光ケーブルにする工事。
インターネットの工事は、不測の事態があったおかげで結構時間がかかった。
他で何度か地デジ画面を見たことがあったのだが、
我が家のテレビで改めて見ると、やはり映像がクリアーだ。
と感心した。
日本全国、ほとんどのご家庭ではすでにそれを体感して、ずいぶん日が経つだろうに、
我が家には やっとその日が来た。
それにしても遅かったなあ! 
タイムリミット12日前。
(実際はCATVではまだしばらくはアナログ放送が見られるのだろうが)

一方、インターネットは、ADSLから光ケーブルになったのだが、
高速化されたという実感はまだない。


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お墓調査 その1

2011-07-12 16:24:33 | 田舎の歴史
地区の共同墓地はどうなっているのだろうか?
どこそこの家の墓はどこだろうか?
あの墓はどこんちだろうか?
 という、他愛もないことから始めた墓地調査を大雑把には一通り終えた。

共同墓地は町の所有地であり、各家は町から借地して墓を建造しているわけで、
その区画の借地権者を調べるのが主目的で、併せて古そうな墓石があればその年代をチェックするというほどの調査だ。
とりあえずこれを一次調査として、個別の墓石・石仏などについてはまだまだ眼が届いていないので、
現在、ひとつひとつの墓石と向きあってもう少し詳しくやり始めているところだ。




【墓地航空写真の区画割 ※クリックで拡大】
(数字は当方が勝手に入れた単なる整理上の番号。赤は放置あるいは改葬)

そういうわけで、このところ天気が良ければ墓地へ行きたくなるのである(お参りもしないのに)。

いやー 個性というのか 時代の流れというのか、墓石は面白い。
当地区の共同墓地は、集落のさらに標高の高いところにあり、見晴らしは良い。
であるのだが、共同墓地の墓石は揃って正面が西を向いている。


せっかく東~南側に宇和海が広がっており、そちらを向いた方が見晴らしが良いのに・・
と思うのだけれど、先人はそういう選択肢はとらなかったようだ。
西方はやはり『死』の世界ということだろうか。
それでも、西を向かず宇和海を向いている墓石が1つか2つあった。
みんなと違う方向を向くという、その意図が気になるところではある。

さて、普段はほとんど気にもかけずに墓参りしているのだが、
墓石の形状や石材には時代の変遷があってなかなか面白そうである。
近年の墓石は、ほとんどが「○○家之墓」というもので、戦死した軍人さん以降個人墓は見られないように思える。
それらのもっとも基本的・一般的な和型の墓石は、“角柱型”と呼ばれるもので、三段あるいは四段になっている。
このタイプはもちろん個人墓にも見られ、江戸時代中頃から作られるようになったそうだ。





この墓石の形は位牌を模しているのだそうだ。
上から「竿石」、「上台石」、「下台石(四段の場合は中台石)」で構成されている(さらに、一番下に「芝台(あるいは下台石)」と呼ばれる敷石がある場合が多い)。
それぞれに意味があるようだが、ここでは割愛。

墓石はというと、現代のものはご存じの御影石(花崗岩)がポピュラーだが、
時代を遡ると、明治前半・江戸時代のものは台座が花崗岩でも、竿石はほとんどが砂岩でできていることが多い。



しかも現代のものに比べて小型である。
近代的な加工道具がない時代において、硬い花崗岩をいろいろ加工するのは難しかったのであろう。
台座は後の時代に追加した可能性もある。
そして、明治の中ごろになると花崗岩の竿石が登場してくるようであり、大正以降はほとんどが花崗岩となる。


   【大正3年】

もっとも、江戸時代でも立派な花崗岩の竿石はまれにある。
きっと地位の高いお方の墓であろうと思われる。
一般人にとって、花崗岩の墓石は“高嶺の花”であったに違いない(と思う)。
このほか、まれにではあるが、台座だけでなく竿石もコンクリートでできているものがあった。




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