昨日から歩行について自分の方法と違うアドバイスを受け納得しない自分、そのままの態度で返事をしてしまったことに家に帰ってからも気になってしまいました。 案外なんでもなかったのかもしれないのに。 感じ悪く思われなかったかしらとか。 それよりも私の歩行姿勢のなにが彼には気になったのかしら。
アッと私が後で気付いたの事は、彼は私の右手が不自由なのがわからなかったかも。
丁度マッサージの先生が家に来たので事情を話しました。 「 うーん私もどうして両手で二本の杖を使う方がよいのかわからないなあ。山登りでもないのに。」といいながら、「この頃は右手をこおばらせて、胸の近くに置いて歩くことはなくなったようです。 自然に下にさげ、何気ない手の振りをしているからきっと右手が悪いと思わなっかったんですね。」
この言葉に救われました。毎日のことで自分の身体の動きまで、特に小さな変化まで気がつかなかったようです。
他人から見えている姿をチエックして修正できるところは出来る範囲で何とか。 昨日の反省ときっと何か良いことが起きる予兆かもと、かすかな光に希望を見出し”少し甘いかな”良いことが少ないからこのくらい想像してもいいですよね。 最近すこーし怠けているプーリーを念入りに時間をかけてやりました。それも今まではお願いしまーすと介護士に右手をプーリーにベルトで固定するのを頼んでいました。
なのに今日は自分で左手を使い何とかベルトが固定できました。これも怪我の功名ですね。 感謝しなくては!
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