昨日の佐田岬灯台キャンプ場。
今から65年前太平洋戦争末期は、豊予要塞の司令部が置かれていました。
山をくりぬかれて作られたコンクリート製。
この他、医療所や炊事場、ディーゼル発電所としても使われていたようです。
昭和16年12月の太平洋戦争開始後は、それまで2・3人しかいなかった施設へ、
200~300人が配備され、終戦直前の昭和20年には、1000人近くいたとのことです。
「国破れて 山河あり 城春にして 草木深し」(杜甫)
そんな気分になります。
今から65年前太平洋戦争末期は、豊予要塞の司令部が置かれていました。
山をくりぬかれて作られたコンクリート製。
この他、医療所や炊事場、ディーゼル発電所としても使われていたようです。
昭和16年12月の太平洋戦争開始後は、それまで2・3人しかいなかった施設へ、
200~300人が配備され、終戦直前の昭和20年には、1000人近くいたとのことです。
「国破れて 山河あり 城春にして 草木深し」(杜甫)
そんな気分になります。