三崎高校3年。私の夢は、教師でした。
そのためには、大学に進学する必要がありました。
そんな私の夢を父・母・祖母・兄弟みんなで陰ながら応援してくれました。
結局、福岡大学への進学を決めました。
その後、アパート選びのため、生まれて初めて、
父と2人で福岡への旅行をしました。
博多駅に降り立ち、福岡大学行きのバスに乗ろうとしたときのことです。
父が乗車にとまどっていました。
理由は、車掌のいない自動改札が初めてで、どうしたらいいのかわからなかったようです。
「こうやって、切符を取って乗るんよ。」
と言ってやり方を説明し、無事バスに乗りました。
このシーンは、私にとって衝撃的でした。
すべてにおいてすごい父が、バスに乗ることにとまどっていたということが。
田舎にいれば、自分の車があり、バスに乗ることもないので、
あたりまえではあったのですが。
そして、この後さらに衝撃を受けたことがあったのです。
通路をはさんで、両側に座りました。
父の様子はどうだろうと向いたとき、横顔が見えました。
そしてもみあげから頭の上にかけて、多くの白髪が目についたのです。
毎日、同じ屋根の下に暮らしていたのに、
父の白髪に気づいていませんでした。
しかも父に対して、老いのひとつである白髪を想像したこともありませんでした。
「ずいぶん、苦労をかけているなー」
やっと、そのことに気がついたのです。
私が19歳の春のできごとでした。
そして1ヶ月後、私がふるさとを離れる日がやってきます。
旅立ちの夜、想い出に残る父からの一言が…
岬人(はなんちゅう)
そのためには、大学に進学する必要がありました。
そんな私の夢を父・母・祖母・兄弟みんなで陰ながら応援してくれました。
結局、福岡大学への進学を決めました。
その後、アパート選びのため、生まれて初めて、
父と2人で福岡への旅行をしました。
博多駅に降り立ち、福岡大学行きのバスに乗ろうとしたときのことです。
父が乗車にとまどっていました。
理由は、車掌のいない自動改札が初めてで、どうしたらいいのかわからなかったようです。
「こうやって、切符を取って乗るんよ。」
と言ってやり方を説明し、無事バスに乗りました。
このシーンは、私にとって衝撃的でした。
すべてにおいてすごい父が、バスに乗ることにとまどっていたということが。
田舎にいれば、自分の車があり、バスに乗ることもないので、
あたりまえではあったのですが。
そして、この後さらに衝撃を受けたことがあったのです。
通路をはさんで、両側に座りました。
父の様子はどうだろうと向いたとき、横顔が見えました。
そしてもみあげから頭の上にかけて、多くの白髪が目についたのです。
毎日、同じ屋根の下に暮らしていたのに、
父の白髪に気づいていませんでした。
しかも父に対して、老いのひとつである白髪を想像したこともありませんでした。
「ずいぶん、苦労をかけているなー」
やっと、そのことに気がついたのです。
私が19歳の春のできごとでした。
そして1ヶ月後、私がふるさとを離れる日がやってきます。
旅立ちの夜、想い出に残る父からの一言が…
岬人(はなんちゅう)
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