私の父は、一言でいうと実にきびしい父。
特に、人に迷惑をかけるようなことに対しては、
容赦ありません。
私も弟も幼い頃は、人さまの物を盗んだり、いたずらしたり、よくやったものです。
それが、いくら隠したつもりでも、すぐにわかってしまいます。
顔や頭をたたかれるのは、あたりまえ。
特にひどい場合は、ベルトやロープでたたかれることも。
ビール瓶を万歳して持たせられる罰は、数時間におよんだこともありました。
しかし、私も弟も自分が悪かったということは、まちがいのないことなので、
涙ながらに謝るしかありませんでした。
「悪いことをすれば、きびしい罰を受ける」
ということは、あたりまえのことだったのです。
そんな父ですから自分自身に対してもきびしく、
まちがったことをするとか人の道をはずれたことをするのが大嫌い。
みかん作り一筋に生きていました。
また、話しかけれれば答えてくれますが、口数の少ない近寄りがたい父でした。
時に相談したり、自分の考えを言おうものなら、
甘い考え方に対する指摘が、何倍にもなって返ってきました。
今になって思うと、私自身いろいろな理由は取ってつけるものの、
自分のことだけしか考えていなかったり、自分の我を通そうとしたことが多く、
指摘されるのは当然だったのです。
当時は、本気で叱ってもらえる父のありがたさなどを感じる、
心のゆとりはありませんでしたが。
何をしても、何を考えても追いこせない存在が父でした。
ところがそんな父を見る目が少しずつ変わっていったのです。
岬人(はなんちゅう)
特に、人に迷惑をかけるようなことに対しては、
容赦ありません。
私も弟も幼い頃は、人さまの物を盗んだり、いたずらしたり、よくやったものです。
それが、いくら隠したつもりでも、すぐにわかってしまいます。
顔や頭をたたかれるのは、あたりまえ。
特にひどい場合は、ベルトやロープでたたかれることも。
ビール瓶を万歳して持たせられる罰は、数時間におよんだこともありました。
しかし、私も弟も自分が悪かったということは、まちがいのないことなので、
涙ながらに謝るしかありませんでした。
「悪いことをすれば、きびしい罰を受ける」
ということは、あたりまえのことだったのです。
そんな父ですから自分自身に対してもきびしく、
まちがったことをするとか人の道をはずれたことをするのが大嫌い。
みかん作り一筋に生きていました。
また、話しかけれれば答えてくれますが、口数の少ない近寄りがたい父でした。
時に相談したり、自分の考えを言おうものなら、
甘い考え方に対する指摘が、何倍にもなって返ってきました。
今になって思うと、私自身いろいろな理由は取ってつけるものの、
自分のことだけしか考えていなかったり、自分の我を通そうとしたことが多く、
指摘されるのは当然だったのです。
当時は、本気で叱ってもらえる父のありがたさなどを感じる、
心のゆとりはありませんでしたが。
何をしても、何を考えても追いこせない存在が父でした。
ところがそんな父を見る目が少しずつ変わっていったのです。
岬人(はなんちゅう)