喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

父の日 ~ きびしい父 ~

2010-06-19 | ブログ
 私の父は、一言でいうと実にきびしい父。
 特に、人に迷惑をかけるようなことに対しては、
容赦ありません。

 私も弟も幼い頃は、人さまの物を盗んだり、いたずらしたり、よくやったものです。
それが、いくら隠したつもりでも、すぐにわかってしまいます。
顔や頭をたたかれるのは、あたりまえ。
特にひどい場合は、ベルトやロープでたたかれることも。
ビール瓶を万歳して持たせられる罰は、数時間におよんだこともありました。
 
 しかし、私も弟も自分が悪かったということは、まちがいのないことなので、
涙ながらに謝るしかありませんでした。
「悪いことをすれば、きびしい罰を受ける」
ということは、あたりまえのことだったのです。

 そんな父ですから自分自身に対してもきびしく、
まちがったことをするとか人の道をはずれたことをするのが大嫌い。
みかん作り一筋に生きていました。
 また、話しかけれれば答えてくれますが、口数の少ない近寄りがたい父でした。
 時に相談したり、自分の考えを言おうものなら、
甘い考え方に対する指摘が、何倍にもなって返ってきました。

 今になって思うと、私自身いろいろな理由は取ってつけるものの、
自分のことだけしか考えていなかったり、自分の我を通そうとしたことが多く、
指摘されるのは当然だったのです。
 当時は、本気で叱ってもらえる父のありがたさなどを感じる、
心のゆとりはありませんでしたが。

 何をしても、何を考えても追いこせない存在が父でした。

 ところがそんな父を見る目が少しずつ変わっていったのです。

                     岬人(はなんちゅう)

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父の幼き頃

2010-06-19 | ブログ
 6月20日は、父の日。
私の父について書いてみたいと思います。

 父武久は、金太郎とミチエの長男として昭和15年に生まれ、祖父鶴松からもたいへんかわいがられました。
 翌年1941(昭和16)年、12月8日の真珠湾攻撃で、太平洋戦争が始まります。
すでに始まっていた日中戦争は、泥沼化しており、日本はさらに苦難の道を歩むことになります。
 
 金太郎のもとにも召集令状(赤紙)が届き、出征することになりました。
生まれたばかりの娘(千鶴子)と3歳になった父、妻(ミチエ)そして体の弱い鶴松をのこしての出征は、
どんなに辛かったことでしょう。
 
 当時3歳の父には、自分の父金太郎の記憶はほとんどないそうですが、
出征の日の記憶が、断片的にあるというのです。

 出征の日、平礒の村をあげて高台にあるお墓の四辻(よっつじ)まで見送られました。
 親族や親交の深かった人たちは、さらに峠を越えて、
三崎の港まで行きます。
 幼き父は、肩車をされて三崎港まで見送りに連れて行ってもらったそうです。
沖には、八幡浜から九州別府行きの繁久丸が止まっており、
そこまでは、はしけという小舟に乗って行くのです。

 ほとんどは、港の岸壁から見送るところを、
父は、「いっしょに行く。いっしょに行く。」
と言ってきかず、はしけに乗らせてもらい、繁久丸まで連れて行ってもらいました。
 父の記憶には、この時のはしけから繁久丸に乗りこむ金太郎の姿がやきついているそうです。
 
 これが、親子の最後の別れとなりました。

 写真は、唯一残っていた家族写真です。
祖父金太郎が、父武久を抱いており、
祖母ミチエが、千鶴子おばちゃんを抱いています。

 父の日を祝えるということは、本当に幸せなことです。
                     
                       岬人(はなんちゅう)
           

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父の日に向けて ~アボット投手~ 

2010-06-18 | ブログ
 6月20日は、父の日。
父に関係する内容をシリーズで書いてみたいと思います。

「大切な人に贈りたい24の物語 ~心のサプリ~」
の本に次のようなことが書かれていました。
 
『アボット投手は、生まれつき右手首より先がありませんでした。
父親に勧められて、彼が野球を始めたときに友人から言われた一言でした。

「アボットは右腕が使えないから野球は無理だよ」
と言われました。
そのことを泣きながら母親に相談すると、
「あなたの右腕は障害じゃなくて、大きい人や小さい人がいるのと同じように
個性だよ。
努力すれば必ずできるよ」
と言われました。

 両親に励まされながら野球を続けた彼は、
投げた後にグローブを持ち変える投球をマスターして、
投手としてミシガン大学で活躍しました。

 さらに、ソウルオリンピックに出場。
その後、アメリカのメジャーリーグにドラフト1位で入団します。

 そして、ついにニューヨークヤンキースの投手として、ノーヒットノーランの大記録
を達成します。
このときのインタビューで彼は、
「ハンディがあるのは事実だが、私はこれを障害だと思ったことは一度も
ありません。
一生懸命に練習すれば克服できるのです」
と答えています。

 アボット投手が、ここまですごい偉業を成し遂げたのは
どうしてでしょうか。

 彼は、考え方や見る視点が違ったのです。
 人は、自分に降りかかる不安や悩みといった心配事ができると、
まだ、起こってもいないことに対して、ネガティブにとらえがちです。

 同じ状況にもかかわらず、嘆き悲しむ人がいます。
同じ状況にもかかわらず、楽しく挑戦し、人生に生きがいを見出す人もいます。
さらにピンチをチャンスに変え、道を切り拓き、夢を実現する人がいます。

 この差はなんなのでしょうか?

 目の前に起こる出来事は、人それぞれ、
物事をどう捉えるかによって、こんなにも違います。

つまり、
考え方や視点が変われば、あなたの心や意識が変化し、
心や意識が変われば、あなたの人生が自由に変わるのです。

 アボット投手のように、ハンディであるのは事実かもしれません。
でも、それをどのように見るか、受け止めるかは、
あなたの自由なのです。

 人生が幸せになり、心が温まる。感動する。
そして毎日がワクワクするような心をもってはいかがでしょうか?』

 アボット投手のこんなすばらしい陰に、
父と母の姿が思いうかびます。
 生まれつき、右手首がないアボット投手に野球を勧めたのは父でした。
どうして、そんなことをしたのでしょうか?
 そこに父の覚悟と厳しくてやさしい愛情を感じます。
アボット投手の人生は、ここから変わってきたのですから。

                  岬人(はなんちゅう)


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もったいない ~裂き織り~

2010-06-16 | ブログ
 大好きな「おかけや」さんから、
ブログ内容「規格外のもの」について、すてきなメールをいただきました。

『いのちをいかす・・・大事な考え方ですね。
 料理人は、食材をいかしきるのが腕の高さですから、
ひろみさん、良い修行をされていたんですね。

 さて、応援いただいております我が「おかけや」。
自慢の一つが「廃棄の少なさ」です。
毎日のお料理をつくる過程はもちろんですが、残菜も。
完全セルフにしているため、みなさん、ご自分の必要な量だけのご飯をつぎ、
好みのおかずのみを選んでいかれます。
なので、返却口に戻るのは、空の食器と卵の殻だけです。

 お客様の様子を拝見していると、お一人でいらしていても、
「いただきます」と仰っている方が多いです。
日本人の身体にしみこんでいる「いただきます」という言葉は、
料理人に対してだけでなく、食材を育ててくれた人、
そして自然や命そのものに対しての「いただきます」なのだと思います。

 岬の柑橘。
おかけやにもさわやかな力を貸してほしいものです。』

 おかけやさんの残飯の少なさは、
ご飯を自分でつぐという理由以外にあると思います。
 それは、スタッフの表情からであったり、
店の雰囲気からだと思います。

 来ていただいた方へのあたたかいおもてなしが、
伝わっているんでしょうね。
 本当、すばらしいです。

 写真は、「裂き織り」と言います。
佐田岬半島に昔から伝わる農作業着。
 破れたり、小さくなって使われなくなった木綿衣服を裂いて、
再び織りあげたもの。

「もったいない。もったいない。」
佐田岬には、モノを大切に使う文化が息づいています。

                  岬人(はなんちゅう)
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正岡子規 夏の俳句

2010-06-15 | ブログ
「梅雨晴れや ところどころに 蟻の道」

 梅雨入りした佐田岬。
 昨日は、雨も一休みで、晴れ間がのぞいていました。
道や庭のところどころに蟻が行列をつくり、せっせと働いていました。

 この句は、そんな様子のもの。
 数匹のアリは、見られても、
アリの道(行列)までは、なかなか見られないのではないでしょうか。
田舎では、けっこう目にしますが。

 何万匹かの1匹ですが、
せっせと働いているところを見ると、
けなげでなりません。

 
 これは、正岡子規の句。
正岡子規といえば、愛媛を代表する有名人。
のみならず、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、
明治時代を代表する文学者の一人です。

 最近では、昨年から始まったNHKドラマ「坂の上の雲」の主人公の一人として、
よく知られるようになりました。

 子規は、若くして亡くなってしまうのですが、
一生懸命生きるアリの姿が、自分と重なって見えたのでしょうか。

                  岬人(はなんちゅう)
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大洲市田処 ホタル祭り

2010-06-14 | ブログ
 13日のNHK龍馬伝のタイトルは、「愛の蛍」。

 時を同じくして12日土曜日、私たち家族は、今まで見たこともないほどの蛍を見たのです。
そこは、天に近い大洲市田処(たどころ)。

 私の所属している、双海町若松進一さんを塾長としている年輪塾。
その活動として、メンバー西田さん・亀本さんの出身地田処のホタル祭りを見に行くことになりました。

 双海町下灘から夕暮れの瀬戸内海を見下ろしながら、天に向かってどんどん上ります。
頂上付近を越えると、景色が一変。
山に包みこまれ、幽玄の郷へと変わったのです。

 郷の生活・命の水をたたえる矢落川沿いに、
行灯が並べられ、雰囲気は満点。
ついに田処小学校に到着。
ここは、何と全校児童3人。

 西田さん・亀本さん、そして地域のみなさんが地元でとれた
ウドなど自然いっぱいの食材を使って料理をごちそうしてくれました。
これには、妻が感激。
 
 お腹がいっぱいになり、行灯に誘われるように、熊野神社へと。
境内にはかがり火がたかれ、すでに夜神楽が始まっていました。
この藤縄神楽は、愛媛県無形文化財に指定されているとのこと。
幼き頃平礒で1度見た神楽を思い出しました。
 でもそれとはちがうワクワク感があったのは、
きっと地域に根づいているからでしょう。

 藤野神楽に心を満たされ、ホタルを見に行きます。
すると、もうお出迎えのホタルがちらほら飛んでいました。
子どもたちは、うれしくて、追いかけます。

 そして、田処小学校付近で
今まで見たこともないほど多くのホタルを見たのです。
何百匹いたでしょうか。
これには、もう言葉を失い、
ただただ、心をうばわれたように見とれてしまいました。
 不思議と同じタイミングで、光ったり、消えたり。
そして時に、何匹のホタルが飛びたちます。
何という光景でしょう。

「たまには、ゆっくりとした時間を過ごしてちょうだい。」
「自然のすばらしさに目を向けるゆとりをもってちょうだい」
と、ささやきかけられているようでした。

 来年もぜひ来たい田処です。

 そして、ふるさと平礒の郷づくりを進めていくうえで、
大いに参考にさせていただきたいと思います。


 この様子は、以下からもごらんいただけます。
 田処公民館ホームページ  http://www3.ocn.ne.jp/~kame-3/
 若松進一さんブログ   http://ameblo.jp/shin-1/

               岬人(はなんちゅう)
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愛の蛍 ~NHK大河ドラマ 龍馬伝~

2010-06-14 | ブログ
 毎週楽しみにしているNHK大河ドラマ龍馬伝。

 先週のタイトルは、「愛の蛍」。
牢に閉じこめられている土佐勤王党の代表、武市半平太。
妻は、夫を気づかい、牢番に届け物をお願いします。

 半平太は、渡された手ぬぐいをそっと開いていきます。
すると、そこから蛍が飛び出し、暗い牢を照らしたのです。

 妻からの愛情こもった贈りもの。

 みなさんは、蛍を見たことがありますか?

 偶然にも、私と家族は、ある場所で生まれて初めて
あんなにすばらしい蛍を見て感激したのです。

 そこは、愛媛県大洲市田処(たどころ)。
空に近い幽玄の郷でした。

                  岬人(はなんちゅう)

 
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規格外のモノを生かす

2010-06-14 | 農業
 農家さんが、丹精こめて作った柑橘にこめる想いは、みんないっしょ。
たまたま、大きさが小さかったり、傷がついていたりするだけで、
その値段は、タダみたいに安くなってしまいます。

 見た目で値段が大きくちがってくるのです。
ただ、味はまったく同じ。

 弟の浅野洋海はそこに目をつけました。
高校を卒業してから大阪で日本料理の道を歩んだ洋海は、

「例えば、魚だったら、捨てるところは1つもないで。
さしみ、残りの骨はお吸い物のだし、頭はカマ焼き。
命をいただくということは、捨てないということで。」

 この発想から、
 夏場、良品の実だけを残し、他はつみ取ってしまう摘果。
そのかなりすっぱい摘果実をレモンやゆずのように利用。
 傷ものは、付加価値をつけるためにジュースに加工。
 すっぱくてクエン酸の多い甘夏でも、それを好む消費者のために、
すっぱさを売りにして提供。

 こう考えると、捨てるモノや価値のないモノはないのです。
それぞれの持ち味を生かしていけばいいのです。

 命を生かすとは、そんなことをいうのでしょう。

             岬人(はなんちゅう)
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規格外のモノ

2010-06-14 | 喜久家の情報
 NHK週刊こどもニュースに
「およっ!」
という内容がありました。

『2010年4月、「規格外野菜」という、
いつもは売られない形の悪い野菜がスーパーに並んだ。
寒い日が続いて野菜が育たず、きれいな形の野菜が足りなくなったからだ。

 でも普段、スーパーに並んでいるのは、きれいな形の野菜ばかり。
どうしてなんだろう?形の悪い野菜はどうなるんだろう?

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 実は野菜には「規格」と呼ばれる形や大きさの決まりがある。
規格は県などの自治体や農協など、地域ごとで決められている。

 規格があると、流通が便利になるんだ。
曲がったきゅうりを箱詰めするのは大変だけど、
まっすぐで長さが同じきゅうりなら箱詰めするのは簡単。
 しかも同じ品質のものが入っていたら、箱ごと値段をつけられるから手間が省ける。
そして何よりも、消費者(買う人々)が、形のきれいなものを求めるという理由もあるんだよ。
--------------------------------------------------------------------------------
 規格は便利な一方で、「規格外野菜」という「売れない野菜」を生み出してしまう。
中には畑に捨ててしまうものもあるんだって。
 でも、形が悪いだけで捨ててしまうのはもったいないと、
規格外野菜を利用する試みが始まっているんだ。

 370万人の会員がいる生協では、
規格外野菜のセットをインターネットで販売し始めた。
形が悪いだけで味は同じ、値段が安いということで評判になり、ヒット商品になったんだ。 
2100セットが一時間で売り切れてしまうんだって!

 でも、規格外の野菜を売り出すことは、買う人にとってはいいことだけど、
農家の人は喜んでばかりはいられない。
今まで売りに出されなかった規格外の野菜が安い値段で売り出されると、
普通の野菜が売れなくなり、値段が下がってしまうかもしれないんだって。

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 それならば、規格外野菜を加工して売ってしまおうという試みもある。
 岐阜県美濃加茂市にある食品加工会社では、
市場では売ることができない規格外野菜を集めている。
細かく刻んで、乾燥させ粉にしてしまうので形は関係ないんだ。
お菓子やふりかけ、健康食品に使われるんだって。

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 日本の食糧自給率は40%で、後は外国から買っている。
その一方で、形が悪いという理由で捨てられている野菜もある。

 自分たちが毎日食べている野菜だから、無関心でいないでみんなで考えてみようね。』

 
 上の「野菜」を「柑橘」に置きかえても同じようなことが言えます。
 実は、浅野農園でも「規格外のモノ」を生かせないかとアイデアをねっています。
今のところ、ジュースは大人気。
写真の下の段が、浅野農園のジュースです。
「大地の恵」甘夏ジュース。
「きよみ」ジュース。
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池上彰さんの「伝える力」

2010-06-14 | ブログ
 「NHK週刊こどもニュース」やテレビ朝日の「学べるニュース」でおなじみの
池上彰さんの「伝える力」という本を読んでいます。

 その中に、ブログと日記のちがいについて書かれていました。
『ブログとは、誰かに読んでもらうことを前提に書いています。
 日記は、誰かに読んでもらうことを前提には書きません。
人に読んでほしくないこと、人に打ち明けられないこと、
あるいは自分の心の内をソッと明かし、ぶつけることを目的に書くものです。
わかるのは自分だけでよいのです。』

 ブログには、誰かからの書きこみなどもありますから、
言葉のキャッチボールができるというすばらしい点があります。
でも、そのキャッチボールで、誰かから意見をぶつけられることもあります。
 私にとって、それはそれでとても刺激的で大きな学びとなります。 

 先週の訪問者数が、過去最高となり、1111人。
閲覧数も3544件。
 1日約160人の人が、2ページずつ見てもらっていることになります。

 個人情報保護というきわどい点はありますが、
顔の見えるブログにしたいというのが、私の想いです。
 読み手のみなさんの顔を想像しながら書くのが、楽しみの一つ。

 これからも楽しみながら、おつきあいをお願いします。

                     岬人(はなんちゅう)
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岡山シーガルズのすてきな人たち

2010-06-13 | ブログ
「えー、三崎に岡山シーガルズの人たちが来るの!」

 同僚の黒田さん、地域の中村さんのおかげで実現したのです。
 部活時、体育館で、何と岡山シーガルズの河本監督がボールを打って、
三崎中学校バレー部を指導されていました。
 コートの周りには、コーチの中田聖子さん、
さらに、昨年のバレーボール世界選手権で全日本代表としてプレーされた岡野弘子さんも。
 何と、子どもたちは幸せなのでしょう。
このすばらしいつながりをもっとアピールして、
地域を盛り上げたいと思わずにはいられません。

 そして夜。
 懇親会が開かれるということで、ゑびすや旅館に遅れてですが行きました。
戸を開けると、すでにすごい盛りあがりが伝わってきて、
そんな中に、尊敬する松山東雲中学校バレーボール部監督の原田秀樹監督の姿も。
 すごいメンバーの集まりに、いささか緊張ぎみでしたが、
飲むほどに、酔うほどに盛りあがっていきました。
と言うよりも、話のなかみがすばらしかったからです。

 中田コーチや岡野選手は、ひかえめで、
私たちの質問にもていねいに答えていただきました。
好感度、抜群です。

 河本監督からは、良き指導者としての魅力を感じました。
とても気さくで、いろいろなお話をしていただきました。
良き指導者とは、人間的な幅が広くなくてはいけないようです。

 そして、原田先生からは、バレーボールというよりも
人間づくりの大切さを聞かせていただきました。
いろいろな方に感謝する心。
掃除の大切さ。
そういったことをきちんと指導し、気づかせていくことこそ大切なのだと。

 「出逢いが、人生を変える」
と思っています。
まさに、「人こそ宝」です。

 バレーボールをとおして、
佐田岬にまた新しい風が吹きそうな予感がします。

 岡山シーガルズのホームページもご覧ください。
地域を大切にしているすばらしいチームです。
   http://okayama.v-seagulls.co.jp/

                    岬人(はなんちゅう)
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バレーボール・プレミアリーグの岡山シーガルズ

2010-06-11 | ブログ
予告です。

 昨日、バレーボール・プレミアリーグの岡山シーガルズの
河本監督と中田聖子コーチ・
そして昨年の世界選手権に出場した岡野弘子選手が三崎中学校にやって来てくれました。

 夜の懇親会では、尊敬する松山の東雲中学校の原田監督も。
会場は、三崎きってのすばらしい旅館「ゑびすや」。

 すごい豪華な時間となりました。
バレーボールに関すること、教育に関すること、人生に関することなど
すばらしいお話がいっぱい聞けました。

 この続きは…

                   岬人(はなんちゅう)
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韓国のアン・ジヨンからの便り

2010-06-11 | 喜久家の情報
 3年前、喜久家ボランティアとして、2人の韓国大学生が3ヶ月間来てくれていました。
アン・ジヨンとキム・キリュウです。 
 とっても明るくて、まじめな2人で、
平礒の人たちは、すぐに大ファンとなりました。

 アン・ジヨンは、今、韓国の世界的企業サムソンに就職し、
念願の建設部門で活躍しているようです。
 韓国に戻ったのちも、喜久家のことを気にかけてくれて、
メールのやりとりをしています。

 
 そんなアン・ジヨンからメールが届きました。

『こんにちは。アンです。
メールを読んですごく喜びました。
そしてこれまで全然連絡をとってなかった自分がとても恥ずかしかったです。
キクヤの皆様はお元気でしすか。

 私はおかげさまで無事に会社で頑張っています。
もう2年目になったですけど、まだまだ仕事のことは下手で、
毎日緊張の連続です。

 以前、仕事場だったマンション現場は、すでに12月に完成しました。
 7ヶ月間、休みも忘れたように頑張りましたので、
入居者に鍵を渡す瞬間には涙が出そうで大変でした。

 すべての工事が終わり職場全員で写真を撮りました。
広報用の写真撮影だったので電気を全部つけてたんです。
とてもきれいでした。
 その中で一枚の写真がパソコンにありました。
3人の女性は経理で私の右側に立っているVの女性が私の先輩です。
工事現場で女性として働くのが思ったよりも辛くて難しかったんですけど。
本当にたくさん頼りにした先輩です。
私もいつかはそんな存在になりたいです。

 今は本社の人事部に派遣されて仕事をしています。
新入社員の採用の業務を手伝っています。

 来月からはまた新しい現場での仕事が予定されています。

 建設業というのは工事が終ると、
また新しいところに異動されるのが当たり前で辛いです。
2~3年の間で仕事場が変わっていくだろうし、上司や仲間と付き合い始めるのが
大変ですね。
 また暑い夏が来たので、それも我慢しなきゃいけないんです。

 去年工事が完成してから休みをとってベトナムとカンボジアに行ってきました。
 自然に変わってきている建物や文化財などをみながら悲しかったし、また早いうちに
来たいと思いました。

 キクヤのブログのことはとてもうれしいです。
でも見覚えがないお名前ばかりだったんでビックリしました。
でもキクヤで結ばれた絆ですから、きっと良い友達になれると思います。

 もうお昼の時間が過ぎました。
 なかなか日本語を使う機会もなくなり、日本のドラマや映画を見るのも怠けているし、
一日ごとに下手になるので、短いメールなのに時間かかりました。^^*

 みなさんにとても会いたい気持ちは、キクヤを去った瞬間から変わりがありません。
私のこの気持ちがちゃんと伝えられたらいいなあ、と願っています。

 好きな歌詞に
”さようならじゃないよね。また会えるから”
というのがあります。
嵐の曲なんです。

 では、また。』

 本当、うれしいです。
 アン・ジヨンたちのおかげで、
昔は、韓国を「近くて、遠い国」と感じていたのですが、
今は、「近くて、近い国」となりました。
 松山空港から、1時間30分も飛べば、韓国ソウルに着きます。
そして、そこには大親友がいるのです。

                岬人(はなんちゅう)


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故河野正司あんちゃんの想い出話

2010-06-10 | ブログ
 先日、法事を行った故河野正司あんちゃんについて、
こんな想い出話の書きこみがありました。

『フジ子ばあちゃんの家に入りびたっていた私を
「みっこ、みっこ」と娘のように可愛がってくれた正司あんちゃん。
「ガハハハ」とよく笑い、よく呑み本当に豪快で優しい人でした。

 お盆にフジ子ばあちゃんの灯籠送りをすませ、
またしばらく帰って来られないからともろもろの整理も済ませ、
あと数日で大阪に発つという日に天国へと旅立ってしまいました。

 大阪に持って行く鞄の中に、私たち兄姉の写真が入っていたことを後から聞きました。
正司あんちゃんから受けた、たくさんの深い愛情。
何の恩返しもできなかったぶん、広君を見守っていけたらなぁと思います。

 私が幼い頃、正司あんちゃんは、姉弟のように育った私の母にこう言ったそうです。
「洋子姉よ、おんしは なあし こげ めんどしい子生んだがならい。」
と。
それを言われた母は、
「正司よ、そげ 言うなや。しり子やけん、むげねてならんがでよ」
と言ったそうな。
母が今でも言う笑い話です。

 亡くなり今はいない人も、
私たちの心の中で生きつづけています。
これもまた、「生きる」というのかもしれません。

 そんなお話があれば、ぜひ聞かせてください。

 今の私たちがいるのも、命のたすきリレーなのです。

                  岬人(はなんちゅう)

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アリの行列

2010-06-09 | ブログ
 田舎道、車を運転していて、アリの行列を見つけました。

 いったいどこまで続いているのだろう。
昔は、夏に近づくにつれ、よく見かけたものです。
行列のあとをついて行くのがとても楽しくて。

 最近は、車に乗ることが多く、
アリの行列さえめずらしく思えます。

 田舎のアリは、行儀よく行進し、働きものです。

                  岬人(はなんちゅう)
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