何気ない風景とひとり言

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世田谷代官屋敷-(2) (東京)

2024年03月06日 | 史跡探訪-日本編

【東京・世田谷区】現在の建物は、大場家七代目当主の盛政が江戸時代元文二年(1737)に建て替えたもの。 盛政が世田谷領代官に任じられた元文四年(1739)、屋敷が私邸・役宅の代官屋敷(公の陣屋ではない)となったもので、明治初期まで代官屋敷として使われた。 大場代官屋敷は、大名領の代官屋敷としては都内唯一の存在。

★玄関に入ると約270年前に設置された低い板敷台(式台)がある。 玄関奥に襖と板戸で囲まれた十六畳ほどの広さで天井が高い「板の間」があり、鴨居(内法長押)上の柱に槍とみられる武器が飾られている。 罪人を捕らえる「三つ道具」の一種か?
玄関の東側にある出入り口から土間に入る。 土間は台所で主屋の三分の一以上を占める広さで、三連の釜土や「世田ケ谷 御代官所」と書かれた提灯、杵などの道具類が展示されている。

△彦根藩の役人の出入口である玄関....低い板敷台(式台)は宝暦三年(1753)の設置(推)

△式台から見た天井が高い「板の間」

△「板の間」の引違板戸の右奥には十二畳敷の「代官居間」、左奥には板床の「名主詰所」が配置

△「板の間」の柱に掲げられた槍とみられる武器(罪人を捕らえる「三つ道具」の一種?)/板を張った額縁風の木造り衝立

△「板の間」から見た西側に位置する「役所の間」と「役所次の間」(左奥)

△主屋東側に位置する土間....主屋の三分の一以上を占める広さ

△三連のヘッツイ(竃)

△土間に展示されている提灯や杵などの道具類

△門前に置かれたと思われる「世田ケ谷 御代官所」の提灯

△土間の高い天井と梁組....長く曲がりくねった梁組が見事

△土間から見た「板の間」、畳敷きの「役所の間」「役所次の間」「代官居間」と二階座敷への階段

★「板の間」に面して部屋に上がる切目板を張った長式台があり、その南端に江戸末期に増築された「二階座敷」と階下に板床の「名主詰所」がある。 二階座敷が増築されたのは、主屋の南側に広がる庭を二階からゆったりと観賞するためだろう。 土間の南側の出入り口から庭側に出て二階座敷を見上げると身舎から張り出した手摺付き縁があり、その部分は茅葺屋根の軒を切り上げた平兜造りになっていて珍しい。

△土間から座敷に上がるところに設けられた切目板張りの長式台....「板の間」の南側に「名主詰所」と上に「二階座敷」がある

△二階座敷の下に新設された板床の「名主詰所」がある

△二階座敷は嘉永七年(1854)頃、十一代当主による増築

△「名主詰所」から見た「大官居間」と「切腹の間」の南面側

△「代官居間」と「切腹の間」の南面に設けられた外縁....突き当りに蔵前への入り口が見える

△土間の南側出入口の傍に置かれた古い手水鉢と直置きの石造りの流し台

△二階座敷部の屋根は平側軒を切り上げた平兜造り

△二階座敷に設けられた珍しい手摺付きベランダ

△前庭から見た名主詰所(奥)、二階座敷、外縁のある代官居間

△名主詰所(奥)前と代官居間の外縁前に大きな沓脱石が置かれている

△前庭越しに眺めた右「代官居間」、左「切腹の間」....白壁の小壁に小さな3つの通気窓

△寄棟造茅葺の主屋....都内に唯一現存する大名領の代官屋敷










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