何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

本法寺 (横浜)

2017年08月07日 | 寺社巡り-神奈川

【横浜・港北区】戦国時代の天文八年(1539)、池上本門寺九世東眼院日純聖人が開山となって綱島に建てられたのが始まり。 安土桃山時代の天正年間(1573~1592)、小机城家老の一人鈴木丹後守が、綱島から小机村字堂之脇へ移転させて長秀山本法寺と改称した。
江戸初期の慶安元年(1648)、江戸幕府から寺領5石の御朱印状を拝領したとされる。 度重なる鶴見川の氾濫を避けるため、文政二年(1819)に現在地に移転した。 日蓮宗で、本尊は一塔両尊。

雲松院の左手にある急峻な狭い階を息を切らして上ると小机小学校の裏手に出る。 小学校脇の道を進み、さらに住宅地の急な坂道を下っていくと門前に着く。 大きいが簡素な山門だと思ったらそれは通用門で、少し北側の木立の中に正門の鐘楼門が建つ。 境内の周りは、切り出した巨石を無造作に乱積みして石垣風にしたような造りになっている。 鬱蒼と繁る木々の中に建つ鐘楼門をくぐると、深い樹林に囲まれて堂宇が建ち、明るい境内は静寂につつまれている。
本堂前の参道の右手に「石造龍吐手水鉢」と称される珍しい手水鉢が置かれている。 実は、この寺を参拝しようと思ったのはこの手水鉢の存在だった。 「石造龍吐手水鉢」は鉢に2頭の龍を絡ませた彫刻が施されたもので、水面から顔を出した龍と鉢の縁で頭をもたげた龍とが睨み合っている。 そして最も驚きと感銘を受けたのは、この手水撥がなんと一石から彫り出されているということだ。 まさに一木造りの仏像のようで、彫り出されたその見事な石彫技術にしばし見惚れてしまった。

巨石が乱積みされた門前の石垣(と思う)..木々に覆われた石段参道の奥に鐘楼門が建つ

入母屋造銅板葺の鐘楼門
  
擬宝珠高欄を設けた上層に元文二年(1737)鋳造の梵鐘が下がる/鐘楼門前に佇む2基の髭題目塔(造立年を失念)

鐘楼門から眺めた境内..正面に本堂、左手に祖師堂が建つ

深緑の木々に囲まれ、明るいが静寂に包まれている境内

小棟造りの寄棟造銅板葺の本堂
 
本堂の近景..向拝には龍など精緻な宮彫り装飾彫刻が施されている/本堂に擬宝珠高欄を巡らす
 
本堂前の新しい石燈籠は昭和六十三年(1988)造立/本堂と祖師堂が渡り廊下で結ばれている

渡り廊下をくぐった先の木立の中にある歴代住持墓所
 
本堂前に佇む石造物..右は万延元年(1860)造立で題目が刻まれた「無縁尊霊供養塔」、法界塔の背後に三界萬霊塔、子供を抱く水子地蔵尊像は平成作/元禄十年(1697)造立で題目が刻まれた「法界塔」

前庭に佇む異形の九重石塔..球状の初層軸部に仏像が半肉彫りされている

露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の祖師堂

祖師堂には宗祖日蓮聖人坐像を安置
 
切目縁を巡らした祖師堂..側面に裳腰を設けている/祖師堂前にある切妻造銅板葺の手水舎

明治三十五年(1902)造立の石造龍吐手水鉢..一つの石から龍と鉢とを彫り出した見事な一石彫成だ!
 
2頭の龍を鉢に絡ませた彫刻が施された手水鉢..水面から顔を出した龍とへりで頭をもたげた龍とが睨み合っている

意匠性にすぐれ伝統的石彫技術を誇る近代石造物の優作とされる
 
本堂右手の現代的な建物は客殿か                   前庭に佇む石燈籠

前庭にひっそりと立つ四基の石碑..句碑、詩碑そして2つの石塚

庫裏の奥は斜面状の庭になっていて、一面にツツジが植えられている

庫裏側の境内入り口に建つ大きな門は通用門とのこと

切妻造銅板葺の重厚な通用門は四脚門
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