何気ない風景とひとり言

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まんだら堂やぐら群(逗子)

2024年06月06日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川・逗子市】鎌倉時代に造られた名越切通(鎌倉七口のひとつ)の東側に沿って広がる納骨・供養する施設。 鎌倉時代中期(13世紀後半頃)から室町時代(16世紀前半頃)までの間に作られた遺跡で、国指定史跡の名越切通にある。 岩の崖に四角い横穴を削り掘り、主として内部に五輪塔などの石塔を建てたもので、約2メートル四方の小規模なものを中心に150穴以上が存在している。 近世の初め(安土桃山時代の頃)にはこの地は「まんだらどう」と呼ばれていた。 「まんだら堂」という建物についての史料はないが、やぐら群A群の前の平場の一部で14世紀頃((中世)の建物の痕跡(柱など)が見つかった。

★小坪階段口から階段を上って「まんだら堂やぐら群」に向かったが、急峻な階段が名越切通まで続いていて難儀した。 階段を上り詰めると第1切通にでる。 第2切通に向かって進むと、切通路の右手に「まんだら堂やぐら群」への石段がある。 受付でパンフを頂き、まずは敷地の南側の高台に位置する展望広場に向う。 展望広場からはやぐら群(B群)と平場が望めるが、生い茂る木々の緑が視界を狭くしている。 岩の崖に削り掘られたやぐら群は、まるで四階建ての集合住宅のようにみえる。

△小坪階段口から急峻な階段を上り詰めた所に立つ案内標識....右下奥は鎌倉七口のひとつの名越切通の第1切通

△第2切通を過ぎた所に「まんだら堂やぐら群」への参道石段

△まんだら堂やぐら群の出入口....期間限定公開日以外の日は閉鎖されている

△展望広場への参道途中にある四角い2つのやぐら

△四角い2つのやぐらには墓標(五輪塔)がない....墓所以外の目的(修行の座禅窟や後世に倉庫として利用)か?

△展望広場から眺めた平場と「まんだら堂やぐら群(B群)」....やぐら群は13世紀後半(鎌倉時代中期)頃から16世紀頃(室町時代後期)まで使われた遺構

△この部分は4段の集合住宅のようにみえる

△やぐら群は2メートル四方程度と小規模のものが中心だが150穴以上存在している

★下に降り、平場が広いやぐら群B群に....硬い岩に掘られたほとんどの四角い横穴には1~3基の五輪塔が鎮座するが、中には火輪の厚い軒口が摩滅して丸みを帯びたものがあって古い石塔だと思う。 B群の北側にやぐら群A群があり、その平場には14世紀頃の建物の痕跡が見つかったとの案内があり、その痕跡とやらを探してみたが....。

△平場に隅に佇む五輪塔越しに眺めたやぐら群B群....五輪塔(安山岩製)は南北朝時代・14世紀後半の造立

△やぐら群B群と平場....「まんだら堂」の名が確認できる最古の文献は文禄三年(1594)の検地帳

△やぐらの前の岩の上にも五輪塔が建ち並んでいる

△前の写真の右端のやぐらの三基の五輪塔....火輪の厚い軒口が丸みを帯びているので古いものと思う

△右のやぐらには五輪塔がなく、真ん中には少し大きめの五輪塔一基が、左には三基の五輪塔が鎮座

△前の写真の左端のやぐらの三基の五輪塔....火輪の厚い軒口はゆるやかな反りを見せている

△岩の崖に掘り削られた四角い横穴

△やぐら群B群の北側....殆んどのやぐらの中に1~3基の五輪塔が建つ

△やぐら群B群の南側....敷地内に750基ほどの石塔があり、その99%が五輪塔

△五輪塔の石材は凝灰岩(通称「鎌倉石」)が8割、箱根火山に由来する硬い安山岩が約2割

△やぐら群はA群とB群とに分かれ、石柱の奥にA群がある

△「まんだら堂やぐら群A群」の南側

△岩を繰り抜いたトンネルはやぐら堂B群と繋がっているようだ

△硬い岩の崖を掘り削ったやぐら群

△まんだら堂やぐら群A群の北側

△やぐら群を長い時間見つめていた見学者

△やぐら群A群の前の平場....案内板には、この平場の一部で中世の柱など14世紀頃の建物の痕跡が見つかったとある









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