何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

雨宝院 (京都)

2018年10月15日 | 寺社巡り-京都

【京都・上京区】平安時代の弘仁十二年(821)、嵯峨天皇(第52代)の病気平癒を祈願し、真言宗の開祖・弘法大師空海が6臂の象頭立像の大聖歓喜天像を安置した大聖歓喜寺が始まり。
最盛期、広大な境内は千本通五辻まであったといわれ、東寺真言宗の総本山の教王護国寺(東寺)とともに皇城鎮護の大伽藍として栄えたが、室町時代の応仁の乱(1467~1477)の兵火で荒廃した。
安土桃山時代の天正年間(1573~1592)に雨宝院のみが現在地に再興されたが、江戸時代の天明八年(1788)の大火で再び焼失、その後再々興された。 宗旨は古義真言宗(泉涌寺派)で、本尊は西陣聖天十一面観世音菩薩(大聖歓喜天尊)像。
境内は時雨の松で覆われているが、幕末の頃、久邇宮朝彦親王(旧宮家の一つ「久邇宮」を創立した伏見宮邦家親王の第4王子)が参詣した折、樹下でにわか雨をしのいだと伝わる。 雨宝院は別名・西陣聖天宮とも称し、西陣界隈の人たちからは「西陣の聖天さん」と呼ばれ親しまれている。

「弘法大師」と刻まれた石柱が立つ山門をくぐって境内に....狭い境内の空は枝を広げた樹木に覆われ、まるで藤棚のような雰囲気が漂う。
切石敷の参道の奥に本堂が建っているが、向拝前に石造りの鳥居が立っていて社殿と勘違いしそうな不思議な感じがする。 前庭に珍しい形をした石塔の「千度石」があり、舟形に彫り窪められた塔身に十一面観音立像が浮き彫りされている。 狭い境内には幾つかの御堂がひしめくように鎮座し、堂名や軒先に下がる提灯に書かれた仏名から弘法大師・菩薩・明王・天など多くの諸仏を祀っていることが分かる。
境内には、今も清水が湧く「染殿ノ井」があり、かつて西陣の職人たちが重宝していたという。 また、「時雨の松」と呼ばれる松の木で覆われた境内には、珍しい桜を含めて12本の桜の木があり、隠れた桜の名所として知られているようだ。

切妻造本瓦葺の山門....平降棟先に鳥衾付で法輪を刻んだ鬼板と、隅に雨仕舞用の留蓋瓦とみられる獅子像
 
「大聖歓喜天」の提灯が下がる山門から眺めた境内/門前ニ立つ「洛陽廾一所第十六番 弘法大師」と刻まれた石柱

本堂前に石造明神鳥居が立ち、「歓喜桜」という八重の花が咲く桜が、また、境内は久邇宮朝彦親王参拝時に雨をしのいだという「時雨の松」に覆われている

寄棟造桟瓦葺の本堂....秘仏の本尊・歓喜天(聖天)像は象頭人身六臂の等身象を祀る
 
獅子口が乗る切妻破風の本堂向拝に照壁のような衝立が置かれている/向拝前に下がる提灯に「日本最古 大聖歓喜天」とある

向拝に大きな常香炉が置かれ、巨大な金属製釣灯籠が下がる
 
本堂前庭に佇む石塔の「千度石」....塔身正面の舟形に彫り窪めた中に十一面観音立像が半肉彫り/明神鳥居傍に佇む江戸末期天保造立の2基の石灯籠

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の大師堂....安置されている弘法大師像は口を開き、漆塗のかげんで汗をかいてみえるので「阿吽汗かき弘法大師像」といわれる

正面扉は腰高格子戸、両脇間に禅宗様の花頭窓....本堂の左側は庚申堂になっている

露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の観音堂....平安時代作の千十観音立像(重文)を安置....檜の一木造りで貞観時代(859~877)の作風
 
正面に五色幕が張られ、扉は腰高格子戸、脇間は腰長押を設けて格子窓に

切妻造桟瓦葺の覆屋に護られた「染殿ノ井」そして弁財天が鎮座している

深さ12mの「染殿ノ井」は染物がよく染まるとして有名な井戸で西陣五名水の一つ

本堂の右側が不動堂になっている
 
不動堂前に「大聖不動明王」と書かれた提灯が下がる/朱塗りの明神鳥居の先の不動堂の右隣に「寶稲荷大明神」の提灯が下がる稲荷堂

牛蒡注連の注連縄が掛る明神鳥居の奥に流造銅板葺の三社が鎮座

左から提灯に「辨財天」「鎮宅方除神」「瘡神」と書かれている
 
切妻造銅板葺のり南門....柱に「雨宝院」と「西陣聖天宮」の札/提灯には安置する全ての神仏尊名が書かれているのかな?
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