何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

本覚寺 (鎌倉)

2018年07月30日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】室町時代の永享八年(1436)、日蓮宗の僧・一乗院日出上人が武将・足利持氏から寄進を受けた天台宗寺院を日蓮宗に改め、本覚寺として創建した。
元の天台宗寺院は、鎌倉公方・足利持氏が、源頼朝が鎌倉幕府の裏鬼門(南西)にあたる方向の鎮守として建てた天台宗系の夷堂があった地に建てた。 相模の戦国大名・後北条氏歴代の外護を受け、徳川家康より朱印状を拝領した。 佐渡流罪となっていた日蓮上人(後に身延山に隠棲)は、文永十一年(1274)に流罪を解かれて鎌倉に戻り、一時この夷堂に滞在し、辻説法や布教活動の拠点としていた。
身延山を再興した二代目住持日朝が身延山への参詣が困難な人たちのために、身延山より日蓮上人の遺骨を分骨して本覚寺に納めたことから「東身延」あるいは「日朝さま」と呼ばれた。 宗旨は日蓮宗(本山)で、本尊は釈迦三尊像。 鎌倉十三仏霊場第3番札所(文殊菩薩)、鎌倉江ノ島七福神札所(恵比寿)。

滑川に架かる夷堂橋を渡って門前に着くと、改修中(2008年拝観時)の仁王門に鎮座する少しくたびれたようなお姿の仁王像に迎えられる。
仁王門をくぐると直ぐ右手に、珍しい形をした夷堂が建つ。 源頼朝が建てた「夷堂」を復元したもので、宝形造りだが各降棟の軒先に小さな破風を設け、その下に入口を設けた初めて見る造りの仏堂だ。
夷堂の近くに、二頭の龍が絡み合う姿の珍しい水口を設けた手水舎がある。 中央が切石敷の参道の先に、正面七間全てが両折両開の桟唐戸の本堂、その右手には「東身延」と呼ばれている由来の祖師分骨堂が建つ。 本堂の向拝には大きな鰐口が下がる。 祖師分骨堂は重層の禅宗様で、正面に桟唐戸と花頭窓があり両層の軒隅に風鐸が下がっている。 堂内に日蓮上人の分骨が納められているためか、神聖な雰囲気が漂っている感じがする....合掌。
境内には刀工として有名な正宗の墓と宝篋印塔があるが失念した。
 
小町大路に面して建つ楼門....手前は滑川に架かる夷堂橋/門前に「髭題目」が刻まれた題目塔が立つ

入母屋造桟瓦葺の楼門(仁王門)....江戸時代の建立で、明治初期に三浦半島の寺院から移されたとされる....上層に擬宝珠勾欄
 
楼門に鎮座する阿形吽形の木造仁王像....仏敵の侵入を防いでいる

二頭の龍の水口がある切妻造銅板葺の手水舎の傍から眺めた境内と本堂

入母屋造桟瓦葺の本堂....大正八年(1919)の建立で、壇上積基壇上に建つ....本堂前の境内に蕨手に風鐸を下げた1基の金属製灯籠が立つ

軒廻は二軒繁垂木、向拝は柱上に出三斗、中備は実肘木を乗せた蟇股....向拝の軒唐破風に鳥衾を乗せた鬼瓦、兎の毛通しは猪の目縣魚
 
正面七間全てに両折両開で上に連子を入れた桟唐戸....内側に腰高格子戸と菱格子欄間/向拝に大きな鰐口、縁に釣灯籠が下がる

主屋の組物は実肘木を乗せた出組で中備は蟇股、蛇腹支輪を設けている....扁額「〇〇閣」は読めず!

周囲に擬宝珠高勾欄を設けた七間四方の本堂、正面の流向拝に鳥衾付鬼瓦を乗せた軒唐破風

変形の宝形造銅板葺の夷堂....昭和五十六年(1981に復元....源頼朝が建てた天台宗系の夷堂は本覚寺創建時に境内に移築された
 
各降棟の軒部に小さな破風を造っていて軒先は八角....身舎の角部に入口を設け、引戸の腰高菱格子戸で上に「夷尊堂」の扁額が掲げられている

基壇に建つ重層の宝形造桟瓦葺の祖師分骨堂....二代目住持日朝のときに身延山より移した日蓮上人の分骨を納めている

祖師分骨堂は正面三間、側面四間で正面中央間は両折両開の連子入の桟唐戸、両脇間に花頭窓

上層一間の組物は平三斗で中備は蟇股のようだ....裳腰側面に二間の花頭窓と二間の羽目板、上層・裳腰いずれも一軒繁疎垂木、よく見えないが裳腰の組物は大斗雲肘木に見える、扉上の虹梁に蟇股が乗る

入母屋造桟瓦葺の鐘楼....転びの柱、四方の頭貫と内法貫との間に精緻な彫刻
 
軒廻りは二軒繁垂木、大棟に獅子口、拝みに猪の目縣魚が下がる/応永十七年(1410)鋳造の梵鐘が下がる

切妻造桟瓦葺で山門....大きな頭貫と木鼻,透かしのある木製袖塀を備えている....祖師分骨堂近くにある薬医門

境内に立ち並ぶ石碑群
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