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東京湾第三海堡遺構-(1) (横須賀)

2021年06月11日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川・横須賀市】明治政府は首都東京を防御するため陸軍に東京湾岸一帯に砲台建設を命じ、24の砲台が建築されて東京湾要塞が整備された。 そのうちの3つが「海堡」といわれる海上の人口島に砲台を備えた海上要塞で、湾の最も狭い海峡である千葉県富津岬と神奈川県観音崎との間に築かれた。
第一海堡と第二海堡は千葉県富津沖に築かれたが、第三海堡は観音崎沖で水深39メートル、波浪、激しい潮流という厳しい海象条件の浦賀水道航路内に建設された。 第三海堡の建設は明治二十五年(1892)に始まり、莫大な費用をかけ、約30年の歳月を費やして大正十年(1921)に完成した。
第三海堡には砲台の他、大型弾薬庫、観測所、探照灯、守備兵の生活のための大型兵舎や貯水槽などの施設が設けられた。 砲台に据え付けた大砲は全て加濃(カノン)砲で、海堡頭部(湾入口側)に15cm砲を4門、尾部左右それぞれ10cm砲4門の計12門が砲台砲側庫(砲側弾薬庫)とともに配置された。
しかし、竣工からわずか2年後の大正十二年(1923)、関東大震災によって甚大な被害を受け、施設の3分の1が水没したため要塞としての機能が失われた。 補修に莫大な費用が掛ること、また被害を逃れた既存の大砲に比べて最新の大砲の性能が向上していることなどから復旧されることなく、大正十四年(1925)に陸軍の砲台から除籍され、その役目を終えた。
近年、東京湾で暗礁と化した第三海堡は、浦賀水道を航行する船舶の妨げとなる障害物でしかなくなり、航行の安全を確保するため平成十二年(2000)から平成十九年(2007)にかけて撤去工事が行われた。 構造物の中で状態がよい重要なものとして探照灯、観測所、砲台砲側庫、大型兵舎そして地下通路の5つが陸に引き揚げられ、保存状態が悪い地下通路を除く4つが貴重な遺構として現在、大型兵舎(最初に移設)は「うみかぜ公園」に、探照灯、観測所、砲台砲側庫は「夏島都市緑地」にそれぞれ保存展示されている。

◆抜けるような青空だが強風が吹きつける日、夏島都市緑地の沿岸地区に保存されている第三海堡遺構を見学した。 入口に平成二十三年(2011)造立の「東京湾第三海堡遺構」の標石が立ち、金属製フェンスに囲まれてコンクリート造りの巨大な3つの構造物がある。 フェンス前に建つ案内所でパンフ「東京湾第三海堡物語」を購入してフェンスの中に。 コンクリートの塊のような構造物だが、外観はそれぞれ異なる独特の形をしており、また入り口がアーチ形になっているので、まるで西欧の古代遺跡を思わせる光景....というのが第一印象だ。
東京湾に向かって据え付けられた探照灯は、最前線である海堡頭部に設置された施設らしく、まるで横長の頑強な盾のような形だ。 探照灯は夜間に敵艦を探知する施設で、前部に探照灯を据え付けた円形の台座があり、その後方の通路部分に探照灯を台座に移動させるレール(軌条)の一部が残っている。
2つ目の砲台砲側庫は、砲台の間に配備された砲弾の格納庫(弾薬庫)で、内部は2つに分かれていて、脚壁から天井の半円形アーチまで一体構造。 それぞれに砲台に砲弾を出し入れする小窓や鉄製の器具があり、入口には扉を固定した痕跡がある。 また、入口の左右の上部の外壁に、上部に設けられた砲弾が着弾したかどうかを確認する観測所への階段がある。

△入口に立つ文化財の説明板と「東京湾第三海堡遺構」標石....標石は平成二十三年(2011)造立

△夏島都市緑地に移築された第三海堡の3つの建造物....正面は探照灯、右は砲台砲側庫、左は観測所でいずれも鉄筋コンクリート造り

△探照灯施設の正面側....最前線である海堡頭部(東京湾入口側)に設置されていた

△探照灯は最前線の施設らしく頑丈で堂々たる造り

△正面中央部に据え付けられた探照灯で、夜間に敵艦を探知する

△頑強なコンクリート壁で保護された探照灯(サーチライト)を据え付ける円形の台座

△探照灯を据え付ける円形の台座....後方の通路から探照灯が出てくる....探照灯(サーチライト)は炭素棒の正極・負極間に直流電流を流して燃焼、発生するアークを光源として反射面鏡に投射させて用いた/大正時代の反射鏡の直径は1.2m~2.0mで、照射距離は暗夜の気象条件によるが7~9km程度

△台座を乗せた基礎部は少々複雑な構造

△探照灯施設の側部と後方側....コンクリートの厚みはまさに強固な盾のようだ

△探照灯施設の後方の中央部に設けられたアーチ形の入口

△アーチ形入口には扉を取り付けた痕跡がないので吹き放しの造りのようだ

△アーチ形の入口と中央通路....天井の数か所の穴は、クレーンでの引き上げ時に開けられたもの

△探照灯を外の台座に運ぶ中央通路に残るレール(軌条)の一部....各部に排水溝を設けている

△探照灯上部に通じるアーチ形通路、奥に階段がある(中央通路の左右に設けられている)/探照灯の頂部....目視で敵艦を探知する観測場所か(数か所の穴は引き上げ時に開けられたもの)

△探照灯施設の側部と後方側

△砲台の間に配備された砲台砲側庫....砲弾の格納庫(弾薬庫)で、両側の入口外壁に上部の観測所への階段がある

△砲台砲側庫は内部が2つに分かれている

△左側の入口....右側に扉を固定した痕跡がある/左側の砲側庫(砲側弾薬庫、砲弾格納庫)...脚壁から天井の半円形アーチまでコンクリートの一体構造

△左側に砲弾を出し入れする小窓がある

△左側の窓から突き出た砲台に砲弾を移動させる受け部/砲弾移動の受け部は多分砲台と直に繋がっていたと思う....受け部根元の丸い穴は伝声管の跡か?

△右側の入口....右側に扉を固定した痕跡がある/右側の砲側庫(砲側弾薬庫、砲弾格納庫)

△右側に設けられた砲弾を出し入れする小窓/砲側庫の奥から眺めた入口と砲弾を出し入れする小窓

△右側の窓から突き出た砲台に砲弾を移動させる受け部....受け部根元の丸い穴は伝声管の跡か?

△砲台砲側庫の後方は正面とは異なり丸みを帯びた亀腹のような形

△砲台砲側庫と並んで観測所が配置されている






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