何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

金戒光明寺-(1) (京都)

2018年10月17日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】平安時代の承安五年(1175)、比叡山の修行を終えた法然上人が、比叡山の寺領のこの地にあった白河禅房を師の叡空から譲り受けて念仏道場にしたのが始まり。
第5世恵凱の時に仏殿や御影堂などの堂宇を整え、法然の見た縁起にちなみ紫雲山光明寺と号した。 さらに、第8世運空が後光厳天皇(北朝第4代)に円頓戒を授け「金戒」の二字を賜り、金戒光明寺と呼ぶようになったと伝わる。 その後荒廃したが、慶長十年(1605)、豊臣秀頼が方広寺の大仏殿建立の余材で阿弥陀堂を再建した。 宗旨は浄土宗で、本尊は阿弥陀如来像。 法然上人二十五霊跡第二十四番札所。 洛陽三十三所観音霊場第六番札所。

上重の禅宗様高欄に五色幕が張られた豪壮な構えで、見上げるほどの二重門が迫ってくる。 上重に「浄土真宗最初門」の勅額が掲げられていて、法然上人が開いた浄土宗の第1号の寺院であることを誇らしげに主張しているようだ。
二重門をくぐり、その奥の広い石段を上ると、正面に大殿と称される御影堂が威風堂々とした構えをみせる。 御影堂には法然上人75歳の坐像が安置されているが、年老いた法然が明障子を開けてひょっこりと姿を現すような雰囲気だ。
御影堂の右手に、富士山のような形に枝を広げた見事な松の木があり、立札に「熊谷直実 鎧掛けの松」とあり名前の由来が記してある。

入母屋造本瓦葺の二重門の山門..応永年間(1394~1428)創建だが応仁の乱で焼失、万延元年(1860)に再建された

五色幕が張られた上重正面に後小松天皇宸筆の「浄土真宗最初門」の勅額が掲げられている
 
上重の軒廻りは二軒扇垂木で組物は二手目と三手目が尾垂木の三手先、柱上台輪上に詰組....上重に逆蓮柱の禅宗様高欄/下重の軒廻りは二軒繁垂木で組物は二手先、柱上台輪上に詰組....虹梁に本蟇股が乗る

山門両側に設けられた切妻造本瓦葺の山廊...羽目板壁に花頭窓がある

山門を通して眺めた境内....石段上は大殿よ呼ばれる御影堂

広い石段の上に建つ御影堂(大殿)と鐘楼

切妻造本瓦葺の鐘楼
 
大棟端に鳥衾を乗せた鬼瓦、拝みに蕪懸魚、貫に出三斗や透蟇股が乗る/鐘楼からの洛中の眺望がいい

入母屋造桟瓦葺の手水舎....隣に子育地蔵尊像が鎮座

入母屋造本瓦葺の御影堂(大殿)....昭和九年(1934)に焼失、昭和十九年(1944)に再建

正面7間、側面6間の御影堂....軒廻りは二軒繁垂木で、組物は三手目が尾垂木の三手先、中備は脚間に彫刻がある透蟇股(本蟇股)

正面は全て桟唐戸で内側に明障子と菱格子欄間....内陣に75歳時の宗祖法然上人坐像を奉安

本堂右手に大きく枝を広げる「熊谷直実の鎧掛けの松」....熊谷直実は源頼朝に仕えた御家人で着ていた鎧をこの松に掛けたと伝えるが、現在の松は平成二十六年(2014)植栽で3代目 <写真は平成二十三年(2011)撮影なので2代目の松>

入母屋造桟瓦葺の大方丈....昭和十九年(1944)の再建....門左右に5本の定規筋が入った本瓦葺の築地塀(筋塀)が延びる

獅子口を乗せた銅板葺の大唐破風の門....門扉は上部に吹寄菱格子欄間を設けた桟唐戸
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