
【京都府・宇治市】現在、浄土宗の浄土院と天台宗の最勝院の2つの寺院(鳳凰堂の西側に位置)が共同で平等院を管理。 平等院の塔頭・浄土院は平等院修復の為、室町時代の明応年間(1492~1501)、栄久上人が開創、同じく塔頭・最勝院は江戸時代の承応三年(1654)、京都東洞院六角勝仙院の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことに始まる。
天和元年(1681)に寺社奉行の裁定によって平等院が浄土・天台両宗の共同管理に....現在は特定の宗派に属さない「単立」の仏教寺院。
鳳凰堂をじっくり参拝した後、鳳凰堂の後方(西側)に位置する塔頭・浄土院と最勝院を巡る。
浄土院は本堂、養林庵書院、羅漢堂で、最勝院は本堂と不動堂で構成されているが、いずれも世界文化遺産の中にある塔頭とは思えないほど質素な造りの堂宇だ。 養林庵書院は非公開のようで、山門が固く閉ざされていた。
最勝院の境内の不動堂の近くには、平安時代末期の武将・公卿・歌人である源頼政の墓の宝篋印塔がひっそりと佇む。

阿字池の南側に立つ六角屋根の亭


鐘楼..梵鐘は複製で実物は11世紀頃作(鳳翔館収蔵)/梵鐘は「天下の三名鐘」のひとつで、飛天、唐獅子、唐草文様を浮彫

入母屋造本瓦葺の浄土院(本堂)..平等院の塔頭、阿弥陀如来立像、帝釈天立像を安置

浄土院(本堂)..浄土宗の栄久上人が明応年間に平等院修復のために開創

浄土院の本堂(左)と羅漢堂(右奥)

羅漢堂..茶師星野道斎とその息子達が江戸時代寛永17年(1640)に建立



羅漢堂 宝篋印塔 石造層塔(鎌倉時代)

入母屋造本瓦葺の羅漢堂

浄土院の養林庵書院(非公開)

養林庵書院..単層入母屋造檜皮葺で慶長6年(1601)、伏見城より移築

旧南門


最勝院(庫裡か?) 最勝院の右手に立つ春日型石燈籠..鎌倉時代

池殿地蔵尊堂(右)と源三位頼政の墓


源三位頼政の墓(宝篋印塔) 源三位頼政の墓

不動堂


不動堂と不動堂内陣に鎮座する不動明王
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