対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

演繹・帰納・仮説設定のHBCモデル

2024-05-06 | ノート
パースは演繹(ディダクション)を分析的(解明的)推論とし、帰納(インダクション)と仮説設定(アブダクション)を拡張的推論としている。中山はパースが仮説設定を「推論」に位置づけていることに対して異論を提起した。

「推論」は理性的なものでコトバによるのに対して、「仮説設定」はコトバによらない。発見は「ハット気づく」ことに起因している。例えば、アルキメデスの「ユーレカ」(我、見つけたり)!である。それは「気づき」・「発見」なのであって、明らかに「推論」ではないと想定したのである。

パースが仮説設定を推論としたのは、西洋の刷り込みではないかと中山は推測した。「はじめにコトバがあった」という文化では、仮説設定もコトバであり、推論に分類したのではないかと想定した。

これに対して、「はじめにいのちがあった」という仏教の刷り込みを対置して、発見(仮説設定)はコトバによらない「仏の知恵」(いのちの知恵)として現れるという見解を提示したのである。

中山は推論(演繹・帰納)と発見(仮説設定)をHBCモデルで次のように位置づけた。

中山正和のHBCモデル

推論(演繹・帰納)
〔W・R〕⇆〔W・S〕+〔I・S〕
発見(仮説設定)
〔S→O〕→〔I・S〕


推論と仮説設定を分離しているのである。

発見(仮説設定)は中断されているのではないだろうか。
ケプラーの楕円軌道の発見はアブダクション(仮説設定)の例として挙げられている。これを理解できるのはコトバによって表現されているからである。仮説設定〔S→O〕→〔I・S〕は、〔I・S〕で停止するのではなく、推論〔W・R〕へと続くのである。「創造そのものはいつも無意識なものだ。その産物の証明と探究だけが、意識的な分析を呼び起こす。本能は考える方法を知らないままに思考をつくる。知能は思考の使い方を知っているが、それを作ることはできない。」(ハンス・セリエ『夢から発見へ』)

また、推論(演繹と帰納)に〔S→O〕が想定されていないことも疑問である。「発見」に演繹と帰納を排除することはできないだろう。伊東俊太郎は3つの思考を方式(帰納・演繹・発想)のうち、「発想」(仮説設定)が重要だが、帰納も演繹も発見と無縁ではないことを強調している。帰納では「ボイルの法則」(気体の圧力と体積の関係に注目したこと自体が新しい、帰納の前に1つの観点の発見が必要)や「スネルの法則(屈折の法則)」、演繹ではニュートンの逆自乗の法則(月と地球の関係に適用、天上と地上の運動法則が同じであるとい新しい観点の導入が先行)の発見をあげている。「科学的発見の論理」参照。

中山が分離した推論(演繹・帰納)と発見(仮説設定)は次のようにまとめることができる。

推論(演繹・帰納・仮説設定)
〔W・R〕⇆〔W・S〕+〔I・S〕←〔S→O〕


HBCモデルにおいて、矢印は、演繹↓・帰納↑と想定されているが、統一されたモデルでは、下向き矢印↓も上向き矢印↑もどちらも推論である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿