対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

柿とアメリカシロヒトリ

2017-11-09 | 日記
以前、朝永振一郎の「庭にくる鳥」と比較して、わが庭に来る鳥を記事にしたことがある。昨日、久しぶりに『庭にくる鳥』(みすず書房)のページをめくっていた。「武蔵野に住んで」のなかで、梅の木に柿をぶら下げるエピソードはおぼえていたが、すももにアメリカシロヒトリが発生した件は記憶になかった。抜き書きしてみよう。

いつか、ニ、三年前の秋、実がなると、おむかいの柿の木にむくどりのやってくるのがうらやましく、柿を買ってきて、この梅の木にぶらさげてみたが、鳥たちは見むきもせず、近所のごいんきょさんに、ほほう、梅の木に柿がなりましたな、とひやかされたことを思い出した。
アメリカシロヒトリ
それら(庭を生活の場とする小動物のこと。猫、鳥、蝶々,とんぼ、とかげ、かなへび、みみず、おけら、こうろぎ、蟻んこ、もぐらもち、引用者注)、われらと共に住む生きとし生けるものたちすべての上に幸いあれ、などと考えながら、庭の光景を見ていたら、先日は、玄関わきのすももの木に、アメリカシロヒトリの一群が発生して、見る間に木を丸坊主にしてしまった。こうなると、生きとし生けるものの上に幸あれ、などと言っているわけにもいかず、消毒屋さんをよんできて殲滅してしまった。あわれ、おまえたち、こんど生まれかわるときは、こんりんざい、毛むしなどになってくるなよ。

いい人だったと思う。柿とアメリカシロヒトリ。この2つが目に止まったのは、今年、庭の柿の葉がアメリカシロヒトリに喰い尽されてしまったからだろう。
わが家では消毒はしなかった。調べてみると、アメリカシロヒトリはチャドクガと違って無毒だとわかり、対策は、手の届く範囲で葉(毛虫つき)の一部を枝ごと切り落とし長靴で踏みつぶす程度にした。たしかに「生きとし生けるものの上に幸あれ」などと言っているわけにはいかない。葉や枝の上でバランスを崩し地上に落ちたアメリカシロヒトリは、再び葉を求めていくようである。幹を上っていくアメリカシロヒトリを何匹か見かけた。

(9月下旬の写真)
驚いたのは、柿がアメリカシロヒトリに葉を食べつくされた後、再び葉を茂らせたことである。そして、何もなかったかのように立派に実を成熟させたことである。いま実を啄みに来ているのは、ヒヨドリ、スズメ、メジロである。ムクドリはまだ見かけない。