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武甲山の丁石

2007年09月20日 | 山歩 - 秩父
秩父の武甲山の表参道には生川(うぶかわ)にある一ノ鳥居から山頂の御嶽神社まで丁石(町石)が置かれています。

生川から歩き始め丁石を確認しながら歩いてみますが、御嶽神社の五十二丁目まで全てが揃っているわけではありません。幾つかが欠けていますし、各丁石の間隔も等間隔というわけではないようです。

昔はきちんと設置されていたのでしょうが、御嶽神社へお参りする人も少なくなり(登山者は増えましたが)、放置されたまま現在に至ったのだと思います。

各丁石には奉納者の名前も刻まれており、多くは「秩父町 ○○○○」と個人名になっていますが、「芦ヶ久保村」とか「横瀬青年団」というのもありました。



【 表参道 丁石 】(現存する全てではありません。)



壱(一)丁目 / 五丁目 / 十五丁目 / 十七丁目 / 二十一丁目



二十四丁目 / 二十六丁目 / 二十九丁目 / 三十二丁目 / 三十五丁目



三十七丁目 / 三十八丁目(旧) / 三十八丁目(新) / 四十丁目 / 四十二丁目



四十三丁目 / 四十五丁目(旧) / 四十九丁目 / 五十丁目 / 五十二丁目



【 表参道 】



壱(一)丁目 - 生川の一ノ鳥居。



不動滝。



二十二丁目。



参道脇の小さな祠。



五十二丁目 - 御嶽神社。現在の山頂は神社の裏手になります。



御嶽神社の前にある石碑と丁石。丁石は割れています。石碑には「武蔵国○○」とあるのですが、○○の部分は漢字そのものが私にはわかりません。



【 裏参道 丁石 】



三十八丁目 / 四十丁目

裏参道ではこの二つしか発見できませんでした。私が最初に武甲山に登ったのはこの裏参道からでした。ところがその後石灰岩採掘の影響で廃道というか、道そのものがほとんど消えた状態になってしまいました。この裏参道が閉鎖されてから約二十数年の間、私は武甲山には出かけませんでした。再び出かけるようになったのは数年前からです。

裏参道の二つの丁石には"大宮"と刻まれています。秩父はもともと門前町として栄えた場所で、大宮郷と呼ばれていました。それが大宮町となり、1916年に秩父町、1950年に秩父市となりました。"大宮町"ではなく、単に"大宮"と刻まれていますから、かなり古いものだと思います。当然表参道の"秩父町"と刻まれた石より古いということになります。実際石そのものも見ただけでこちらの方が古いと感じさせてくれます



【 何故、五十二なのか 】

何人かの人が山頂が五十二というのは半端ではないかと思われたのではないでしょうか。私も何故と思っていました。それはこういうことらしいのです。

武甲山はもともとその高さは1336mありました。私が若い頃はまだこの高さでした。それが石灰岩採掘の為に山頂部が削られ、現在は1304m程になっています。そのため本来は五十四丁だったのが、五十二丁になってしまったのだそうです。五十四では、まだ半端?

二つ紹介しましたように、裏参道にも五十四丁の丁石が設置されていたそうです。表参道を登って、裏参道を下りると、百八丁を踏破したことになります。百八とは除夜の鐘と同じです。そうです、煩悩の数です。一丁毎に一つづつ煩悩を取り除くということを意味していたようなのです。

ことの真偽については今のところ確証を得ていませんが、私個人としては納得できる話だと思っています。機会があれば、もう少し詳しく調べてみたいと思います。

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