多くの中高年が山歩きをしていますが、地図を持たずに歩いている人というのが結構見受けられます。一方、何かの案内書のコピーを「読みながら」歩いている人を見かけます。
ある峠で一人で休んでいると、二人連れの女性がやってきました。峠に到着すると、一人が「読んで」と言いました。すると、もう一人の女性が「xx方面にxx山が見えて・・・」と何かの紙切れを読み始めました。案内書のコピーのようです。読み終わると周囲を見回して「大丈夫ね」と互いに確認し合っていました。もし、霧で周囲が見えなかったらどうするのでしょう。それに、山の状況は不変ではありません。そして、もしそこが目的の場所でなかった場合、一体どうやって現在地を知るのでしょう。案内書にはコース以外に関する情報は書かれていませんから、そこが何処かを知るすべはありません。
別の山ではこんなこともありました。歩き始めは沢沿いの道でした。少し歩いて暑くなったので上着を脱いでいると、後から一人の男性がやってきてわき道に入ろうとしています。明らかに登山道ではないと思われたので、その道は違うのではと注意しました。すると、案内書では小さな橋を渡り右に曲がると書いてあるという返事が返ってきました。確かに言葉の上では適合しているかもしれませんが、現場の様子では違うとしか思えません。しかし、私も初めての山だったので断定はできませんでした。結局男性はその道に入っていきました。私はもちろん真っ直ぐ進みます。しばらく行くと道が右に曲がって橋を渡りました。案内書はここのことを書いていたのでしょう。少し先で休んで様子を伺っていると、先の男性の姿が見えました。やはり、戻ってきたようです。
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地図を持っていても、もちろん地図が読めなければ何の意味もありません。それに、地図が読めても迷わないという保証はありません。私もかつて、二度山中で現在地を誤解していたことがあります。その時は途中で地図をきちんと確認していませんでした。それは二回とも人の多い小さな山でした。明らかに「気の緩み」の結果です。
最近は国土地理院発行の二万五千分の一の地図の方が一般的みたいですけれど、私は五万分の一の地図を使用しています。その最大の理由は「昔から使っている」からです。私が山歩きを始めた頃には五万分の一の地図しか手に入れることができませんでした。長年使っているせいでしょうか、五万分の一の地図でないと、どうも距離感などが感覚的にしっくりしません。
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しかし、地図といってもこんな人もいました。ある山の山頂で休んでいると、一人の男性が下りの道について聞いてきました。口では上手く説明できないので、地図を出して説明しようとしました。五万分の一の地図を見てその男性は「専門家の地図だ!」と言いました。あまりのことに返す言葉がありませんでした。逆に「地図は持っていないのですか」と私が聞くと、男性は「持ってますよ」とザックから地図を取り出しました。それはなんと「道路地図」だったのです。
ある峠で一人で休んでいると、二人連れの女性がやってきました。峠に到着すると、一人が「読んで」と言いました。すると、もう一人の女性が「xx方面にxx山が見えて・・・」と何かの紙切れを読み始めました。案内書のコピーのようです。読み終わると周囲を見回して「大丈夫ね」と互いに確認し合っていました。もし、霧で周囲が見えなかったらどうするのでしょう。それに、山の状況は不変ではありません。そして、もしそこが目的の場所でなかった場合、一体どうやって現在地を知るのでしょう。案内書にはコース以外に関する情報は書かれていませんから、そこが何処かを知るすべはありません。
別の山ではこんなこともありました。歩き始めは沢沿いの道でした。少し歩いて暑くなったので上着を脱いでいると、後から一人の男性がやってきてわき道に入ろうとしています。明らかに登山道ではないと思われたので、その道は違うのではと注意しました。すると、案内書では小さな橋を渡り右に曲がると書いてあるという返事が返ってきました。確かに言葉の上では適合しているかもしれませんが、現場の様子では違うとしか思えません。しかし、私も初めての山だったので断定はできませんでした。結局男性はその道に入っていきました。私はもちろん真っ直ぐ進みます。しばらく行くと道が右に曲がって橋を渡りました。案内書はここのことを書いていたのでしょう。少し先で休んで様子を伺っていると、先の男性の姿が見えました。やはり、戻ってきたようです。
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地図を持っていても、もちろん地図が読めなければ何の意味もありません。それに、地図が読めても迷わないという保証はありません。私もかつて、二度山中で現在地を誤解していたことがあります。その時は途中で地図をきちんと確認していませんでした。それは二回とも人の多い小さな山でした。明らかに「気の緩み」の結果です。
最近は国土地理院発行の二万五千分の一の地図の方が一般的みたいですけれど、私は五万分の一の地図を使用しています。その最大の理由は「昔から使っている」からです。私が山歩きを始めた頃には五万分の一の地図しか手に入れることができませんでした。長年使っているせいでしょうか、五万分の一の地図でないと、どうも距離感などが感覚的にしっくりしません。
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しかし、地図といってもこんな人もいました。ある山の山頂で休んでいると、一人の男性が下りの道について聞いてきました。口では上手く説明できないので、地図を出して説明しようとしました。五万分の一の地図を見てその男性は「専門家の地図だ!」と言いました。あまりのことに返す言葉がありませんでした。逆に「地図は持っていないのですか」と私が聞くと、男性は「持ってますよ」とザックから地図を取り出しました。それはなんと「道路地図」だったのです。