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森吉山 - 東北

2006年07月16日 | 山歩 - 東北
森吉山は秋田の山奥にあります。角館から秋田内陸縦貫鉄道というローカル線に乗って行きます。訪れたのは1997年の7月初めでした。

この日集中豪雨のため田沢湖線は不通になってしまいました。盛岡からJRの出した代替のバスで田沢湖駅に向います。しかし、予定の時刻を大幅に過ぎており、今日の宿森吉山荘に到着するのが相当に遅くなりそうです。場合によれば森吉山荘をキャンセルして、田沢湖周辺に一泊して乳頭山か駒ケ岳に登る手もあると思い、宿に電話しましたが、遅くなってもいいから来てくださいという返事なので、予定通り森吉山荘に向うことにします。

田沢湖で1時間以上待って、ようやく動き出した列車で夕刻の角館に到着です。ここで、縦貫鉄道の時刻を確認して、再度宿に電話して阿仁前田駅に到着する時刻を連絡します。宿は駅から遠いので車で迎えに来てもらう事になっているからです。
角館でも1時間近くの待ち合わせをして、ようやく縦貫鉄道の車両に乗り込むます。列車というよりレールバスという感じで、もちろん一両のワンマン運行です。我々の他には地元の人が二人乗っているだけです。

すっかり暗くなってしまった中を走るので外の景色は見分けがつきませんが、地図で見ると相当に辺鄙な所を走るようです。JRの不通に遭いながらもともかくこれで予定の宿に到着できると少し安心した気持ちで列車に揺られていると、突然急ブレーキがかかって列車が止まってしまいました。こんどは事故で足止めされるのかと心配して、運転手にどうしたのですかと聞くと、カモシカが列車の前を横切ったので急停車したとの事でした。幸い、カモシカは列車に衝突せず、列車はすぐに動き出しました。しかし、列車の前をカモシカが横切るとは。

ようやく阿仁前田の駅に到着。宿の人に迎えられて車で山荘に向います。車でも30分近くかかる山の中に山荘はあります。遅くなった夕食を終えた時、時刻は9時近くになっていました。少し休み、温泉に入ってしまえば、後は寝るだけです。

翌日は雲が多いながらも雨の心配はなさそうです。朝食後、再度山荘の車で今度は森吉の登山口のこめつが山荘迄送ってもらいました。このこめつが山荘も森吉山荘も森吉町で管理しています。この距離をタクシーで走ったら料金はいくらかと思うだけで恐ろしいです。それを無料で送迎をやってくれるのですから、非常に有難いことです。

山荘からは最初スキー場を通って、ブナの中を行きます。先行していたグループを追いぬいて進んでいくと、林は針葉樹に変わり、登りも少しきつくなるが、それほど長くは続きません。



一の腰に到着すると、目の前に森吉山がその美しい姿を現します。左右の線がなだらかに、そして優美に天に向って上昇し、互いに合わさった所が頂上です。そのつんとした頂上を持つ三角錐の姿は、少々プライドの高い美人のような魅力が感じられます。



一の腰からの道は楽しかったです。登りもゆるやかになり、左手前方に見える森吉山が歩みと共にその姿を少しづつ変えていきます。道の両脇にはニッコウキスゲも咲き、時々現れる小さな湿原にも花がたくさん。楽しい、楽しい山道でした。



山頂直下の稚児平にもニッコウキスゲが咲き、そしてそこから一登りで頂上でした。



思ったより頂上は小広く、けっこう岩がごつごつしています。他に誰もいない頂上で岩の上に腰掛けて周りを見渡す。遠くは雲で見ることはできないが、今楽しく歩いて来た一の腰から続くなだらかな尾根の広がりが素晴らしい。そして、少々汗ばんだ体に静かな風が心地よい。



少々早いがこの気持ちいい頂上で昼食だ。こんな中で食べれば、粗末な昼食でも美味しく食べられる。のびやかな景色と心地よい風が一番のご馳走だ。
やがて一人占めしていた頂上に次のグループがやってきた。我々は打当に下山する予定だったので、少し位置を南に移動した。すると、打当と湯ノ岱の分岐があったので、少し様子見ということで湯ノ岱の道に入ってみる。

すると、そこは素晴らしい花の道だった。頂上直下の東側の斜面にあたるので雪解けが遅く、ようやく花が咲き始めた状態なのだろう。東北の山で私が一番好きな花、ヒナザクラが咲いている。群落こそ作っていないが、斜面のあちこちに咲いている。花に誘われて“様子見”が“花見”に変り、結局山人平の一角迄足をのばすはめになってしまった。しかし、今日はまだ長い下りがあるし、不便な縦貫鉄道に乗って今日中に帰らねばならないのだ。いつまでものんびりできない。

ヒナザクラに別れを告げて、分岐に戻り打当に向う。笹の斜面を下り、いくつかの沢を横切っていく。所々道が細く草付きの足場の悪いところもある。しかし、横切る沢の斜面にニッコウキスゲやシラネアオイなどが咲いていて、決して楽しいとはいえない下山を慰めてくれる。

やがて道が長い尾根にのるともはや花の姿はなく、ただひたすら静かな緑一色のブナの中を下っていく。景色に変化がない分余計に長く感じる。ブナの林は人里が近くなるにつれて植林の杉に変わり、所々草を分けながら進まなければならない箇所もでてくる。

やがて、中村と打当の分岐が現れる。ここで、時刻を確認すると列車の時刻迄あまり余裕がない。疲れてきているが頑張ろう。左の打当の道に入り、一度林道を横切って、人家の脇から舗装道路に出る。しかし、駅まではまだある。

途中の打当内の集落は静かで家々もがっしりしている。冬、雪の多い所だからやわな家では押し潰されてしまうのだろう。その打当内を少々急ぎ足で抜け、縦貫鉄道の線路と平行して進むようになる。しかし、駅舎らしきものが見あたらない。まだかまだかと、最後は時計の針と競争してようやく駅へに到着。

駅は私の想像を超えていた。そもそも駅名からして、阿仁マタギ駅という。駅舎はなく、地上高くホームが作られていて、切符は下の広場にある売店で購入する。時刻はちょうど5分前。計算したように見事な到着だが、これは結果論でもう少し遅れていたら乗り損ねていたところだ。そうすると、今日中に帰京するのが難しい。その位ここは東京からは遠く不便な所なのだ。売店の男性は我々が森吉山を越えて来たというと少々驚いていた。なんと物好きなとでも思ったのであろう。

来るときは各駅停車だったが、帰りは急行だ。急行は有料だが、車両も2両で新しく小奇麗なものだ。それに、若い女性の車掌さんが乗車している。でも、車内はガラガラで、私は先頭車両の運転手のすぐ後ろに陣取る。前にのびる線路と両側の景色を思う存分に眺めることができる。小さい頃電車の運転手にあこがれていた私にとっては、最高の位置だ。

角館に着くとそこは観光客がいっぱいで、縦貫鉄道沿線にあった鄙びた懐かしい雰囲気はない。やってきた新幹線“こまち”も既に通路に人が立っている程に混んでいた。そして、田沢湖駅でさらに人が乗り込み、盛岡までの車内は苦痛な程の混み具合となった。
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屏風岳~不忘山 - 東北

2006年07月10日 | 山歩 - 東北
蔵王にはのべ5回出かけています。「お釜」が見える確立は半々だと云われますが、私は5回とも「お釜」をみています。

家族と山麓の温泉に泊まって出かけた時は、年老いた両親が一緒だったので、観光ジャンボ・タクシーを奮発しました。この日は最高の天気でした。タクシーの運転手も「年に数回あるかないかの天気」だといっていました。親孝行のマネの時にこのようないい天気だとやはり嬉しいものです。コマクサも咲いていましたが、山歩きをしない私以外の家族は当然初めてでした。しかし、残念にもカメラを持ち歩かない時期でしたので、写真が一枚もありません。

ここで紹介するのは写真が残っている1993年に出かけた時のものです。この年は梅雨明けが遅れて、木曽山脈に出かける予定を前日の深夜に予定変更しました。梅雨前線より少しでも離れて好天を期待したからです。変更は「吉」とでました。

行程 【 刈田岳~熊野岳~イロハ沼~樹氷高原駅=蔵王温泉(泊)=刈田峠~杉ケ峰~芝草平~屏風岳~不忘山~硯石 】



五色岳と「お釜」。後ろは南蔵王の山並み。

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白石に着いた時は曇り空でした。そして、バスが次第に高度を上げると厚い雲の中に突入して、周囲は白一色になってしまいました。

しかし、刈田峠が近づくと、急に明るくなり、雲の上に出てしまいました。その劇的な変化に、毎日走っているバスの運転手が思わず「今日のお客さんはついてる」と言っています。



五色岳と「お釜」。

この日はのんびりです。「お釜」を眺めながら熊野岳に向かい、イロハ沼に寄ります。イロハ沼では、トキソウとサワランが可愛らしく咲いていました。この頃は花の写真は全く撮りませんでした。

最後はロープウェイで蔵王温泉に下り、いつもの民宿に泊まりました。

次の日も同じような天気で、雲海の上に山が頭を出している状態が続いています。

この日は刈田峠から南に向かいます。このコースは不忘山まではさほどきつい登り下りがなく、思ったよりも花が多かったです。



杉ケ峰付近から芝草平と南屏風岳。



芝草平。花が咲いてなかったことはないと思いますが、何故か花の印象が何も記憶に残っていません。チングルマ、ワタスゲがあったのは確かだと思いますが・・・。



南屏風岳付近から刈田岳方面。



南屏風岳との鞍部からの不忘山。

この不忘山と南屏風岳の鞍部付近は素敵でした。様々な種類の花がたくさん咲いていました。しかも、眼下には雲海が広がり、頭上は青空です。気分は最高で、ここで風に吹かれながら大休止しました。山はさほど高くありませんが、この時は雲海の為に高山にいる気分を十分に味わえました。

この時は時間に余裕があったので、展望のいい不忘山の頂上でも大休止です。しかも、この日は途中で全く登山者に会わなかったので、どこでも気分のいい状態を貸切で味わえました。

下りは南の硯石に下りました。下りはいささか単調ではありましたが、仕方ありません。硯石でかなりバスを待ってから、白石に戻りました。

突然の変更で出かけた南蔵王でしたが、想いのほか楽しい山歩きができました。
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磐梯山 - 東北

2006年07月07日 | 山歩 - 東北
磐梯山に最初に登ったのは1975年でした。生憎の天気で途中からは雨となりました。もちろん山頂からは何も見えませんでした。途中当時営業していた中ノ湯で温泉に入ってから磐梯高原に下りました。

それから27年後の2002年、再度登ることにしました。最初の時は当時の夜行急行で出かけましたが、今回は新幹線で郡山まで行きました。早朝の新幹線を使えば磐梯山もその日のうちに登れるようになりました。

行程 【 表登山口~沼ノ平~磐梯山~中ノ湯~銅沼~磐梯高原 】



磐梯山頂。誰もいないように見えますが、かなりの人出でした。、人がいない時にいいタイミングで撮れました。蜻蛉が舞う青い空を撮りたかったのです。

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表登山口から歩き始めます。今回のコースは、最初の時とほぼ同じですが、それは27年前でしかもガスで何も見えませんでしたから初めて歩くようなものです。

時々見たかもしれないという景色に出くわしますが、記憶はあやふやで確信が持てません。



登りの途中からの猪苗代湖。

弘法清水小屋があったのははっきり記憶していました。同じ建屋かどうかはわかりませんが・・・。

磐梯山頂に到着しても、かすかに残る記憶と一致しません。祠があったのは記憶していますが、最初の写真にあるものと私の記憶は異なっています。それに今回は大勢の人がいますが、最初の時はたった一人だけでした。



山頂から桧原湖。

下山途中、中ノ湯に寄ってみました。全く記憶と一致しません。27年前といってもここは温泉にも入っているので、はっきりとした記憶があります。しかし、その記憶を現在の姿に投影できません。



銅沼。ここも最初の時はガスの中に赤茶色の水面がわずかに見えるだけでした。今回は全く別の世界が広がっています。



銅沼。

途中のスキー場の林道もなんとなく歩いた記憶がありました。特徴のない景色ですから、他の場所と混同しているかもしれませんが・・・。ただ、スキー場を歩いたのは確かだと思います。

最後は磐梯高原ですが、ここも今の賑やかな姿を見ても、昔の様子を思い出すことができませんでした。

27年前と異なり好天に恵まれましたが、暑い一日でした。
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八甲田山 ・ 白地山 - 東北

2006年07月05日 | 山歩 - 東北
続けて東北の山の八甲田山です。八甲田に最初に出かけたのは1985年でした。飛び込みで山麓の酸ケ湯に泊まりました。この泊まった日の夜に日航機が御巣鷹の尾根に墜落しました。酸ケ湯はその名の通り酸性湯ですぐに腐食してしまうので、TVはロビーにしかありませんでした。泊り客の多くがこのTVを見入っていました。このような大事故があった夜だけに、酸ケ湯に泊まった夜のことは忘れられません。次の日は生憎の天気で、白いガスで何も見えない中、大岳を歩きました。



下毛無岱。

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それから8年後の1993年6月に再度出かけました。今度はなんとか天気には恵まれました。寝台特急で青森まで行き、バスでロープウェイに向かいます。今回はロープウェイを利用して上に上がってしまいます。ロープウェイからは岩木山の見事な姿を見ることができました。

行程 【 ロープウェイ山頂駅~田茂萢岳~赤倉岳~大岳~毛無岱~酸ケ湯 】

平日のせいか、ロープウェイで上がってきたのは数人の観光客だけで、赤倉岳に向かうのは我々だけです。



赤倉岳への道から大岳(左手前)と上岳(右奥)。

赤倉岳から井戸岳付近にかけては、色々な花が足元に咲いて可愛いです。

大岳への道は途中かなり痛んでいました。8年前はこれ程ではなかったと思います。人が歩くだけでも自然を痛めることになります。まして、ステッキでポツポツと穴をあけながら歩くなんて・・・。ステッキのマイナス面が問題にされないのは何故なのでしょう。

大岳に着きましたが白いガスで何も見えません。この山頂は二度共に白いガスの中でした。下山は毛無岱に寄ります。



上毛無岱から井戸岳と大岳。右の大岳だけ雲の中です。この為、大岳からは何も見えなかったのです。



下毛無岱。木の階段で下りていきます。ここまで、登山者には二組しか出会っていませんでした。この時は実にのんびり静かに歩けました。

酸ケ湯に下りて、温泉に入ってから、バスで十和田湖に向かい、湖畔の国民宿舎に泊まりました。この日の夜は今度は宮沢内閣の不信任案が衆議院で可決されるということが起きました。八甲田にやってきた時は、二度も大きな事が起きています。今度出かけたら、一体何が起きるのでしょうか。

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次の日は生憎の曇り空でしたが、十和田湖の西にある白地山に登りました。

行程 【 大川岱~白地山~ミソナゲ峠~大川岱 】



白地山の山頂部は湿原が広がり、私の大好きなヒナザクラが咲いていました。

白地山は花の多い山という印象はありませんが、何故か記憶に残っている花があります。登る途中薄暗いブナの林の中で出会った黄色のオオバミゾホオズキ、何故こんな所に一株だけという感じで咲いていたシラネアオイ、山頂への道標のように列をなして咲いていたツバメオモト、これらが記憶に残っています。

山頂からは筍を採取しながら見事なブナの中を下山してきました。湖畔近くになるととうとう雨になり、直ぐに土砂降りの状態になってしまいました。バス停の近くに四阿があったので、そこで雨宿りしながら採ってきた筍をコンロで焼いて食べました。甘くて美味しかったです。
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鳥海山 - 東北

2006年07月03日 | 山歩 - 東北
乳頭山・駒ケ岳の次は翌年に出かけた鳥海山です。1982年の7月初めのことです。出かけたのはこれ一回きりです。

当時の夜行急行「いいで」で出かけました。その頃の国鉄は各線に夜行急行が走っていて、周遊券(当時のものは今の周遊券とは異なります)を利用して出かけることが多かったです。まだ若かったですから、金曜日の夜行で出かけ、土・日と歩いても、月曜日に普通に出社していました。

この急行「いいで」は、福島から奥羽線に、そして新庄からは陸羽西線に入ります。それを酒田で降りてバスで登山口の鉾立に向かいました。

行程 【 鉾立~御浜~千蛇谷~鳥海山(泊)~心字雪~河原宿~湯ノ台 】



鳥海湖越しに眺める鳥海山。

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鉾立から、賽ノ河原を通って御浜に向かいます。



鳥海湖には雪がまだたっぷり残っていました。



御浜付近で鳥海山を背景に同行の友人に撮ってもらいました。私は山頂での記念写真も撮りません。このような写真が残っているというのは、よほど気分がよかったのでしょう。



一面に咲くハクサンイチゲ(だったと思います)。



詳しい記録は一切残していませんので、今となってはどこで撮影したかわかりません。おそらく御浜付近からの鳥海山です。この記事も記憶だけで書いています。



これも撮影場所も撮影対象も不明です。おそらく、扇子森付近から笙ケ岳を撮ったものではないかと思います。



千蛇谷。ここを登って行きました。

この日は、山頂直下の大物忌神社の宿所に泊ります。宿所は最初ガラガラでしたが、夕方近くにはほぼ一杯になりました。水は近くの雪渓から雪を採ってきて溶かして使用しました。

この付近の岩壁にはイワウメが綺麗に咲いていました。また、足元には固有種のチョウカイフスマも見られます。そして、夕刻には新山と七高山に登って、日本海に沈む夕日を眺めました。

翌日は白いガスが立ち込めていました。少し様子を見ていましたがガスは一向に晴れません。再度、七高山に登っても仕方なにので、あきらめて下山します。

心字雪にさしかかりました。広い雪渓の下りでガスで見通しがききません。ちょっとヤバイなあと思っていたのですが、突然ガスがさーっと晴れました。目的の河原宿も確認できます。進む方向がはっきりしましたから、後は雪の上を滑ったりして、遊びながら下りていきました。



河原宿からの心字雪。河原宿では時間があったのでのんびり気持ちのいい時間を過ごしました。

八丁坂の花の中の道を通り、雪渓を横切って滝ノ小屋に寄りました。この辺りまではまだよかったのですが、それ以降は暑くて堪りませんでした。

湯ノ台まで下りて、そこからバスで酒田まで戻りました。
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