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愛宕神社 千日詣

2010年08月04日 | 山歩 - 関西

京都の北西にある愛宕山の山頂部に鎮座する愛宕神社 - ここが全国各地にある愛宕神社の本社です。

この愛宕神社で7月31日から8月1日にかけて千日通夜祭が執り行われます。一般的には千日詣(せんにちまいり)といわれていますが、この31日夜から1日早朝にかけてお詣りをすると、千日分のご利益があるといわれています。

麓の清滝から愛宕神社までの標高差は約840mほどあります。急坂や石段もある普通の山道ですから、その実態は「お詣り」というより「山登り」です。

青春18切符で普通列車を乗り継ぎ自宅から京都に向かうと、約10時間かかります。31日の早朝に自宅を出て、夕刻に京都に着きました。ビジネスホテルにチェックインして、直ぐに愛宕神社に向かいました。

帰りは深夜になりますので、ホテルもその時間でも帰れる場所にしなければなりません。今回は堀川三条にあるホテルですが、四条大宮までは歩いてもたいしたことありません。

何故、四条大宮かというと ・・・ この日は清滝まで臨時のバスが運行されるのですが、その経路は阪急嵐山駅~京福嵐山駅~清滝です。阪急・京福の両方が利用できる四条大宮は便利な場所ということになります。

行きは四条大宮から京福電車で嵐山に向かいました。たった一両ですが、明らかに千日詣に行くと思われる姿の人が何人か乗っていました。

終点でバスに乗り換え、清滝に向かいます。

清滝から参道の山道に入ります。急な坂道に汗がどっと噴き出してきます。物凄く蒸し暑いです。

普段は冷房なしの生活をしているのですが、この日は冷房のきいた電車で長時間移動してきたので、体が暑さについていけません。スポーツ飲料で水分補給しながら、しばらく我慢です。

高度が上がるにつれて少しづつ気温も下がり、時折吹く涼しい風もあって、次第に体が慣れてきました。

既に下山してくる人も多く、登り下りの人達は互いに「下りやす」「登りやす」と声を掛け合います。中には下ってくる人に「登りやす」と大きな声をかけて元気に登っていく子供もいます。

この日は、清滝から愛宕神社までの参道には電灯が灯されますが、やはり懐中電灯は持参した方が安心です。無くても歩けますが ・・・。

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最後の石段を登りきれば、愛宕神社の本殿です。大勢のお詣りの人で賑やかです。

31日の午後9時には、山伏によるゴマ焚き神事の夕御饌祭(ゆうみけさい)があるのですが、これを見ているとホテルに帰れなくなるので下山します。

また、8月1日の午前2時には朝御饌祭(あさみけさい)が行われます。(実は千日詣は今回が二回目で、最初の時はこの朝御饌祭を見てから下りました。その時の記事は ココ

足下が暗いですから、登りより下りの方が神経を使います。疲れもあってか、下りで滑って転んでいる人が何人かいました。

登ってくる人の列は途切れることがありません。むしろ、登ってくる人の数はますます増えているのではないかと思われる勢いです。

清滝が近づいてくると少し蒸し暑さを感じるようになりましたが、夜も更けたせいで登りの時ほどの酷さではありません。

汗だくになって清滝に戻ってきました。清滝からのバスの車内は、なんとなく汗臭かったです。

すれ違う清滝行きの臨時バスはどれも満員です。これからが本番という感じの勢いです。

帰りは阪急の嵐山駅まで行き、そこから阪急電車に乗って帰ってきました。ホテルに着いた時は、午前0時を過ぎていました。


そして、次の日は午前中に二箇所庭園を見て回りました。

等持院と相国寺の大光明寺です。



等持院



相国寺



大光明寺

特に大光明寺の方丈前庭は私の好きな庭の一つです。

帰りも青春18切符ですので、正午過ぎには京都駅を出発しなければなりません。

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太郎坊宮~箕作山

2009年01月25日 | 山歩 - 関西



- 太郎坊宮 -

奈良・京都を巡った後、青春18切符で帰る日の午前中に寄り道をして、太郎坊宮・箕作山・十三仏を歩いてきました。

地理的な山を歩くというより、昔からの人々の信仰の場所を巡る山歩きという感じです。そして、その信仰は現在も続いており、夫々の場所で純粋にお参りに来ている地元の人達に会いました。

歩程 【 太郎坊宮前駅~太郎坊宮~太郎坊山~瓦屋寺~箕作山~小脇山~岩戸山~十三仏~市辺駅 】

京都からの電車を近江八幡駅で降りて、近江鉄道に乗り換えます。

二両編成ワンマン運転の電車を太郎坊宮前駅で降ります。太郎坊宮前駅は無人駅です。

駅からは太郎坊宮を正面に見ながら参道を進みます。大きな岩が累々とした山の中腹に場違いのように太郎坊宮が見える姿は、今まで見たことのないものです。(最初の写真)



太郎坊宮への長い石段の始まりです。(現在は自動車でも上がることができます)

太郎坊宮の正式な名前は阿賀神社といい、太郎坊とは神社を守る天狗の名前だそうです。



大岩の間を縫う様に石段が続きます。



本殿の前の夫婦岩の間は、人一人通れるだけの幅しかありません。

心悪しき人や嘘をつく人が通ると岩に挟まれてしまうらしいです。気をつけましょう。



本殿の前からの眺め - 雨の心配は全くないのですが、雲が広がっています。



本殿の周りに見えるのは大岩だけです。

手水舎まで戻り、そこから細い山道に入ります。

道の周りには雪が少し残っているのですが、山道は融けた雪で滑りやすくなっています。

分岐から戻るように太郎坊山に向かいます。尚、新しい標識には赤神山とありました。

大岩のある山頂からの眺めはなかなかです。



太郎坊山からの眺め (山名は個人的には調べましたが省略) (クリックで拡大)

分岐まで戻り、箕作山方面に向かうと再び分岐があり、それを瓦屋寺に向かいます。

瓦屋寺までは下りになります。



着いた瓦屋寺は人影もなく森閑としていました。



瓦屋寺 - 聖徳太子が四天王寺を建てた際に、ここで瓦を造ったことが名前の由来ということです。

由緒は別にして、瓦屋寺の雰囲気は何ともいえずいいものでした。凛とした厳しさと清々しさが同居しているような、なんとも言えない空気が漂っていました。

瓦屋寺からは先の分岐まで登り返し、そこからさらに箕作山に向かって登って行きます。

箕作山の山頂は特に特徴もなく、展望もいいとはいえません。

登り下りを少し繰り返していくと、三角点のある小脇(おわき)山です。ここも展望がいいとはいえませんでした。

小脇山からさらに下っていくと、岩戸山に着きます。

その名の通り、山頂は大岩が露呈しています。

岩や木に紅白の布が何本も巻かれていましたが、何を意味するのかはわかりません。



岩戸山からの眺め - 写真ではハッキリしませんが、比叡山や琵琶湖が薄っすらと見えていました。

岩戸山の直ぐ下に十三仏があります。






残念にも、私には磨崖仏は判別できませんでした。



十三仏からの眺め (クリックで拡大)






十三仏からは石段のある広いいい道が続きます。地元の人達の信仰心が生んだものだと思います。

田んぼのあぜ道を辿って、無人の市辺駅で歩き終わりです。

近江鉄道で再び近江八幡駅まで戻り、そこから自宅までJRの普通列車を乗り継いで帰りました。
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繖山~安土山 - 関西

2006年12月27日 | 山歩 - 関西
冬の古寺と山旅 2005 (4)

旅の最終日です。京都から帰る途中に寄る山として選んだのが、繖山・安土山です。東海道線の電車でこの二つの山の間を何度も通っています。

繖(きぬがさ)山は、別名観音寺山ともいい 、山頂近くに観音正寺があり、西中腹には桑実寺があります。また、日本最大の山城遺構といわれる観音寺城址もあります。 一方、安土山には御存知のとおり、信長の安土城址があります。

二つの山歩きは、二つの城址歩きでもあり、二つの寺歩きでもあります。安土駅からの反時計回りの一周コースとしました。

行程 【 安土駅~南腰越~石寺~観音正寺~繖山~観音寺城址~桑実寺~北腰越~安土山~安土駅 】



繖山頂からの眺め。手前から奥に順に、北腰越、安土山、西の湖、八幡山・奥島山、琵琶湖、比良山地。北腰越の下をトンネルで東海道線が通っています。安土駅から電車に乗り、歩き終わったばかりの山を眺めながら、このトンネルを通って帰宅しました。左下に見えるのが東海道線です。

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安土駅から南腰越を通って表参道の登り口石寺に向います。 石寺は、最初に楽市が開かれた場所です。



石寺から観音正寺の表参道を行きます。参道は石段が続きます。



観音正寺本堂。

本堂は平成5年に本尊の千手観音立像と共に焼失してしまい、 平成16年に再建されました。また、観音正寺は西国観音霊場の第32番札所でもあります。



観音正寺から鏡山・ 三上山方面の眺め。見えている三上山は、前回紹介した三上(さんじょう)山ではなく、近江の三上(みかみ)山です。

観音正寺から観音寺城址へ向かう道に入ります。途中で右に上がる道に入り、繖山をめざします。

繖山頂は木々が邪魔をして、展望がいいとは必ずしも言えません。しかし、北西に少し下がると素晴らしい展望が開けます。

そこから下は山火事で木々が焼失してしまっているので、展望をさえぎるものが何もありません。そのかわり、 冷たい季節風が吹きつけます。この記事で「繖山頂から」というのは、実際は山頂より少し北西に下った地点からの眺めです。



繖山頂からの眺め(クリックで拡大します)。手前から、北腰越、安土山、西の湖、八幡山・奥島山、琵琶湖、比叡山~比良山地。右側の湖は大中の湖。ここからの展望は本当に素晴らしかったです。

展望を堪能した後、先の分岐に戻って観音寺城址に向かいます。



観音寺城址。

写真は本丸跡付近ですが、この下に石垣で囲まれた 多くの郭があり、それぞれ○○氏邸跡という石碑が立っていました。 規模の大きさが想像できます。

ここからさらに下っていくと、桑実寺です。



桑実寺本堂。堂内の本尊は薬師如来でした。

本堂は、ごらんのように檜皮葺きで室町時代初期に建てられたものだそうです。この本堂と「桑実寺縁起絵巻」が重要文化財に指定されています。また、「桑実」という寺名は、唐から持ち帰った桑の実をこの地で栽培し、日本で最初に養蚕を始めたことに由来するということです。

静かでのんびり日向ぼっこをしていたい気分でしたが、そうもいきません。



桑実寺参道を下ります。ここも石段です。

りっぱな建物の安土城博物館の前、そして北腰越を通って安土城址に向います



安土城址大手道。またまた、石段です。この日は石段ばかりです。



天守跡への石段。天守跡が安土山の山頂になります。

天守跡には大きな礎石がかなり密に残っており、 それから判断すると天守はかなり規模の大きな建物だったのではないでしょうか。

安土城址からは安土駅まで戻ります。

安土駅からは普通列車を乗り継いで帰宅しました。
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三上山 ・ 上醍醐 - 関西

2006年12月25日 | 山歩 - 関西
冬の古寺と山旅 2005 (3)

ここでの三上山は近江の三上(みかみ)山ではなく、京都山城町の三上(さんじょう)山です。もちろんこの小さな山を目当てにやってきたわけではありません。この山の南にある海住山寺が本来の目的地です。

この日の午後は京都に移動する予定でしたので、海住山寺から来た道を戻らずに、この三上山を越えて、棚倉に下りました。 正直にいえば、三上山はあまりおもしろい山ではありませんでした。

午後は棚倉からの電車を六地蔵で地下鉄に乗り換えて醍醐に向かいました。山の上の上醍醐が目的です。



醍醐寺 弁天堂。

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JR関西線で宿泊地の奈良から加茂まで行き、そこから歩き始めます。今日もスッキリした青空が広がります。しかし、寒さは相変わらず厳しいです。日本中を寒気が覆う日が続いています。

まず恭仁大橋で木津川を渡って山城国分寺址に向かいます。



山城国分寺址。 背後の山の中腹に海住山寺があります。

ここから登大路地区を通って海住山寺に向かいます。この道の他に、仏生寺経由の自動車道があるようです。



海住山寺 五重塔。

初層の下に裳階がついていますが、これは昭和38年の解体修理の時に復元されたものだそうです。五重塔で裳階があるのは、この塔と法隆寺の五重塔だけだそうです。国宝です。



海住山寺からの山城国分寺址・鹿瀬山方面の眺めです。

ここから本堂の脇を通って三上山に向います。道はあまりぱっとしません。

三上山頂には展望台がありました。さすがに、そこからは展望がいいです。



三上山頂からの展望。左奥に生駒山が見えます。

ここから奈良線の棚倉駅に直接下ります。駅近くで少し遠回りをしてしまいました。

棚倉から午後の目的地の醍醐に向かいます。



醍醐寺 五重塔。京都府では一番古い建物だそうで、国宝です。

醍醐寺から上醍醐までは、標高差約360mほどあります。道幅の広い参道を登って行きます。



上醍醐 如意輪堂。

この日の宿泊は当然京都です。シーズン中は高くて泊まる気がしないホテルも、今はぐっと安くなっています。旅は空いている時期が一番だと思います。
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須磨アルプス~高取山 - 関西

2006年12月23日 | 山歩 - 関西
冬の古寺と山旅 2005 (2)

前日の夕方、浄土寺の拝観の後、神戸電鉄で新開地まで戻って、そこに宿泊しました。この日は、新開地から山陽電鉄に乗って須磨浦公園駅に向かいます。

行程 【 須磨浦公園駅~鉢伏山~旗振山~鉄拐山~高倉台団地~栂尾山~横尾山~須磨アルプス~横尾団地~高取山~西山町~高速長田駅 】



鉢伏山展望台から神戸の街並み。

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山陽電鉄の須磨浦公園駅で下車して、歩き始めます。今日も風が冷たくて寒いです。

歩き始めてようやく体が温まり始める頃には鉢伏山に着いてしまいます。



鉢伏山展望台から明石海峡大橋。橋の先に見えるのは淡路島。



途中のマテバシイの中の道。

鉢伏山から旗振山・鉄拐山を越えていくと、団地に下り立ちます。山から山へ歩く途中で団地の中を歩いたのは今回が初めてです。

この高倉台団地の地にはかつて高倉山があったそうですが、山は崩されてポートアイランドの埋め立てに使用されたそうです。

車の往来の激しい道路を橋で跨ぐと、栂尾山への一直線の階段が待っています。冷たい風がまともに吹き付けます。



栂尾山への階段の上からの眺め(クリックで拡大します)。中央の山は、越えてきた鉢伏山・旗振山・鉄拐山。 右端に明石海峡大橋が見えます。手前が高倉台団地。

階段を登りきって、最初の峰が栂尾山です。そして、次が横尾山です。



横尾山から高取山。奥は六甲山。

横尾山を越えていくと、須磨アルプスと呼ばれる岩場が現れます。



須磨アルプス。 風化した花崗岩のため歩きやすくはありませんが、距離も短くあっけなく通過してしまいました

今回のコースで最も難関だと思っていたのはこの須磨アルプスではなく、この後の街中のコース取りでした。横尾団地の中を抜けて高取山の登り口に取り付くまでの街中をどう行くかでした。事前の下調べでも、この間で迷って高取山を断念したという記事を幾つか目にしていました。特に私は五万分の一の地図を使用しているので、街中の細かい道は判断しようがありません。しかし、ポイントと思われる箇所でうまく案内板を発見できたので、結果はスムーズにたどり着きました。 それにしても、高速道路の上り・下り線の間を降りたり、地下鉄の下を潜って行くとは思いませんでした。



高取山への道。街中の道から山の中に入るとごく普通の山道になります。



高取山荒熊神社からの神戸の街並み(クリックで拡大します)。ここで一人のんびり昼食をし、 高取山を越えて西山町に下り立ちました。



高取山から西山町への道。高取神社への参道でもあります。

最終的に高速長田駅まで歩き、そこからの電車を須磨駅で降りました。須磨寺が目的です。



須磨寺本堂。源平の一ノ谷の合戦所縁の寺です。

この日はこの後、JR須磨駅から大阪の鶴橋に出て、そこで近鉄奈良線に乗り換えて奈良まで移動しました。
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