5日目 : 【 笠ケ岳~杓子平~新穂高温泉 】
朝になってもガスは晴れていませんでした。でも、やはり笠ケ岳の山頂に向かいます。山頂には十人ほどの人がいましたが、展望はダメでした。
ところがしばらくねばっていると、ガスがゆっくりゆっくりですが徐々に薄くなっていきます。"一枚づつベールをはがすように"という表現がピッタリでした。
時間をかけて起きたこの変化は写真では表現できませんが、最初から全部見えるのと違い、その変化はちょっと感動的でした。
ガスが晴れだし、山々が次第にその姿を現しました。クリックで拡大。山名付きはここから。
槍ヶ岳から穂高岳もその姿を現しました。朝の時間では完全に逆光になり、ガスの向こうにシルエットが見えるだけでした。
おまけにブロッケン現象まで現れました。これが私のブロッケン初体験です。
ほとんど諦めていた笠ケ岳からの展望にも恵まれ、いよいよ下山です。
この日もテントを背負って下りるつもりだったのですが、友人が自ら自分で背負うと言い出したので、友人に背負ってもらうことにしました。
昨日通った笠新道の分岐まで戻り、杓子平に下りていきます。
少し下りると直ぐに雪が残る斜面になりました。
杓子平まで下りましたが、あまりにも気持ちのいい所なのでここで最後の大休息をしました。
杓子平から見た下りてきた斜面。上部はカールのようです。
杓子平から笠ケ岳。クリックで拡大。
ここの杓子平の休息は楽しい時間でした。何故か下りてくる人もなく、貸切の状態でした。
また、(道はありませんでしたが)尾根の反対まで出てみると、槍ケ岳から穂高岳までが高くそして近くに聳え立っています。そして周りには花が・・・。ここも凄く素敵な場所として強く印象に残っています。
杓子平からはただただ下るだけでした。
新穂高温泉に着いて、そこの公衆浴場(温泉)で5日間の汗を流してサッパリしました。
新穂高温泉からはバスで高山に出ました。途中で空が暗くなり土砂降りの雷雨となりました。下山したバスの中ですから何ともないです。結局この時の5日間は山の中では一滴の雨にも降られませんでした。
来るときも夜行列車でしたが帰りも夜行列車でした。しかも、普通列車を乗り継いで帰りました。(当時の感覚では、特急や新幹線は「贅沢」と思っていました。山に行くにはせいぜい急行利用まででした。今は急行はゼロに近いほどなくなってしまいましたが、当時は各地へ向かう急行が夜行を含めたくさんありました。)
まず、高山線で高山から岐阜に移動し、そこから当時の大垣発東京行きの夜行列車に乗り換えました。翌早朝に東京駅に着き、またまた乗り換えて自宅に向かいました。
この大垣発東京行き(下りは東京発大垣行き)の夜行列車は若い頃何回か利用したことがあります。現在はムーンライト「ながら」となり、青春18切符の期間はその利用者の間で人気の列車となっています。
朝になってもガスは晴れていませんでした。でも、やはり笠ケ岳の山頂に向かいます。山頂には十人ほどの人がいましたが、展望はダメでした。
ところがしばらくねばっていると、ガスがゆっくりゆっくりですが徐々に薄くなっていきます。"一枚づつベールをはがすように"という表現がピッタリでした。
時間をかけて起きたこの変化は写真では表現できませんが、最初から全部見えるのと違い、その変化はちょっと感動的でした。
ガスが晴れだし、山々が次第にその姿を現しました。クリックで拡大。山名付きはここから。
槍ヶ岳から穂高岳もその姿を現しました。朝の時間では完全に逆光になり、ガスの向こうにシルエットが見えるだけでした。
おまけにブロッケン現象まで現れました。これが私のブロッケン初体験です。
ほとんど諦めていた笠ケ岳からの展望にも恵まれ、いよいよ下山です。
この日もテントを背負って下りるつもりだったのですが、友人が自ら自分で背負うと言い出したので、友人に背負ってもらうことにしました。
昨日通った笠新道の分岐まで戻り、杓子平に下りていきます。
少し下りると直ぐに雪が残る斜面になりました。
杓子平まで下りましたが、あまりにも気持ちのいい所なのでここで最後の大休息をしました。
杓子平から見た下りてきた斜面。上部はカールのようです。
杓子平から笠ケ岳。クリックで拡大。
ここの杓子平の休息は楽しい時間でした。何故か下りてくる人もなく、貸切の状態でした。
また、(道はありませんでしたが)尾根の反対まで出てみると、槍ケ岳から穂高岳までが高くそして近くに聳え立っています。そして周りには花が・・・。ここも凄く素敵な場所として強く印象に残っています。
杓子平からはただただ下るだけでした。
新穂高温泉に着いて、そこの公衆浴場(温泉)で5日間の汗を流してサッパリしました。
新穂高温泉からはバスで高山に出ました。途中で空が暗くなり土砂降りの雷雨となりました。下山したバスの中ですから何ともないです。結局この時の5日間は山の中では一滴の雨にも降られませんでした。
来るときも夜行列車でしたが帰りも夜行列車でした。しかも、普通列車を乗り継いで帰りました。(当時の感覚では、特急や新幹線は「贅沢」と思っていました。山に行くにはせいぜい急行利用まででした。今は急行はゼロに近いほどなくなってしまいましたが、当時は各地へ向かう急行が夜行を含めたくさんありました。)
まず、高山線で高山から岐阜に移動し、そこから当時の大垣発東京行きの夜行列車に乗り換えました。翌早朝に東京駅に着き、またまた乗り換えて自宅に向かいました。
この大垣発東京行き(下りは東京発大垣行き)の夜行列車は若い頃何回か利用したことがあります。現在はムーンライト「ながら」となり、青春18切符の期間はその利用者の間で人気の列車となっています。