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日本百名山

2006年09月09日 | 山歩 - 雑感
深田氏の「日本百名山」を読んだのはいつ頃だったでしょう。おそらく1970年代の初め頃だと思います(初版の出版は昭和39年=1964年)。当時も若い人を中心に山登りが結構さかんでした。私の友人の中にも山歩きをする人がそれなりにいました。でも、百名山を目指している人など誰もいませんでした。というより、百名山のことが話題になったことさえありませんでした。当時は数ある山の本の中の単なる一冊でしかなかったのです。

そもそも百名山の文章の内容は文献資料に基づいた、山と関わった人間との歴史に関するものが多いです。男体山を開いた勝道上人のこと、槍ヶ岳に初登頂した播隆上人のこと、初登頂と思われた剣岳に錆びた槍の穂と錫杖の頭があったこと、これらのことを知ったのはこの本からでした。

百名山を目指す人が増加して問題がいろいろ起きるようになってしまい、その罪がこの本にあるような主張も一部にあるようですが、それは違うと思います。この本そのものに完登しようという気を起こさせるものはないと思います。それは出版されてからかなりの期間、百名山完登が話題(ブーム)にならなかったことからもいえると思います。(もちろん個人的に目指していた人は存在したと思います)

最初は百名山がブームになっていることさえ知りませんでした。最初に「異変」に気がついたのは、山から若者の姿が消えて、中高年の集団が増えたことです。その理由も当時は全くわかりませんでした。数年前にようやくNHKの山歩きの講座の番組がきっかけになっているということを知りました。そこで百名山も取り上げられたようです。

確かに山歩きの為の知識や技術というものは、ベテランに教えてもらうのがいいと思います。しかし、山とどう関わってどのような山歩きをするかは、人に与えられたり教えられたりするものではないと思います。どのような山歩きをするかは、各々が自分で実践していくものだと思います。その意味で百名山を目指すことを無条件に否定するつもりはありませんが、安易に飛びつくのもどうかなという気がします。

百名山を完登して初めて一人前と認めるというような考えの人も一部に存在するようですが、愚かしいことだと思います。その一方で自分なりの山歩きとして努力の結果完登された人もいるようで、これはこれで立派なことだと思います。

私自身は百名山を完登していませんし、完登する気もありません。
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