怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

7月11日東山公園テニスコート

2015-07-12 09:26:55 | テニス
雲はあるのですが、久しぶりの梅雨の中休み
気温は前日比7度アップで30度を超すという予想。暑い日になりそうです。
午前中は家でごろごろしていて、いつものように吉本新喜劇を見つつ昼食。
OBさんからはいつものように仕事でいけないというメールが来ました。
ついでにというわけではないのですがヤッターマンからは30分ほど遅れるというメール
この日は暑さ対策でペットボトルの水に水筒にも水を入れて持っていきます。13時30分過ぎに家を出てバスで池内町から妙見町へ。
コートへついて何番コートかとみると13番。久しぶりの山の上のコートでした。どうやら下のコートでは何面かを使って試合が行われているみたいです。
階段を上がって山の上に行くだけで汗が噴き出てきます。気温は33度になっていました。

湿度も60%と蒸し暑い。熱中症警報が鳴っています。
すでにタケちゃんマン、はげ親父、森の熊さん、1059さんが乱打をやっていました。
準備体操をしてから入れ替わって乱打をやります。
しばらくやって一休みしようというときにヤッターマンが登場。
6人になりましたのでじゃんけんして試合に。
最初はヤッターマンと組んで森の熊さん、1059組と対戦。ところがヤッターマンが練習なしでいきなり試合に挑んだせいか私の相変わらずのミスのせいか、いいところなしの0:4で完敗。ん~、なんだかな~
一休みしてビールを飲むのですが、タケちゃんマンはある式典に出ていたので車、はげ親父も出遅れて車ということでビールはご法度。ヤッターマンと二人で500缶を2本飲みましたが、暑くなるとビールがうまい。コップ1杯はグビグビ一気に飲めます。飲めない人は残念でした。
次もヤッターマンと組んではげ親父、タケちゃんマン組と対戦ですが、デュースに縺れてばかりの長い試合になり、一進一退で2:2の引き分け。特にタケちゃんマンのサーブの時は自らわざと長引かせているかというようなミスもあり、結局タケちゃんマンはサーブをやりすぎたせいかガラスの肘が限界となりここでリタイア。
暑いので日陰のベンチで休憩してだべっていたのですが、先週は森の熊さんは夏風邪だったとか。1059さんは奥様がテニスをやっていて足がもつれて頭から突っ込み救急車で搬送されたとか。足が縺れたというよりは、気持ちは取れると思って突っ込んでいくのに下半身が付いていかないということかな。顔面が擦過傷で血まみれになったとかです。相撲取りなら勝負のためにはかばい手をせずに顔から突っ込めといわれるのですが、テニスは「アシニス」といわれるように下半身が動かなくては。でも頭には異常がなくて大事なくてよかったですね。
ビールの合間に水を飲むのですが、さすがにビールに加えて水を1リットル飲むとおなかがチャポチャポ。これでは動きも悪くなるわな~
タケちゃんマンを除いて5人でじゃんけんをし直して試合再開。
今度は森の熊さんと組んでヤッターマン、はげ親父組と対戦。暑さでどちらもキレがないプレーとなるのか一進一退で2:2の引き分けに。
最後の試合ははげ親父と組んでヤッターマン、1059組と対戦。ここは謙虚に1ゲームをという思いで挑んだのですが、何とか粘って2:2:の引き分けに。でもこの日は結局一度も勝っていない…
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神宮東公園はきのこの森

2015-07-11 11:45:04 | Weblog
梅雨らしい天気で毎日のように雨が降ってじとじとしています。
通勤途中の神宮東公園では芝生に茸が大発生。

見てみるとあまり派手派手しくなくて、いかにも毒々しい毒キノコという雰囲気ではない。パックに入ってスーパーに並んでいたら手に取るかも。
facebookに冗談半分で誰か勇気がある人は食べて報告してくださいと書いたら、食品衛生監視員のおばさんたちから「ダメ!絶対」ときついお叱り。
昔東山公園で茸を取って食べた中国人が食中毒で亡くなった事件があったような気がします。君子危うきに近寄らずで食べるなんてもってのほかですね。まあ、誰も取っている人もいないみたいですけどね。カラスやムクドリなどもかじった気配もないので野生の感は危険性を知っているのかな。
でもどういう種類の茸でしょうか?茸は専門家でもきちんと特定するのは難しいといいますし分かる訳ないか。
今日歩いてみると早くも枯れたというかしおれた茸が真っ黒になっていました。これは見るからに毒々しい黒です。近づく気にもなりませんでした。
ところで茸が生えている芝生は一部だけ。緩やかな西北斜面であまり日が当たらない面だけみたいです。芝生広場全面きのこの森だとちょっと不気味な雰囲気になりますが、そこまでは生命力は強くないみたいです。
同じく通勤途中なんですが、ガイシホール横の銀杏の木にはすでに銀杏が実っています。

まだまだ緑なので写真ではわかりにくいのですが、いかにも早いんでないんかに…
ここの銀杏も拾う人もいなくて道路を臭くするだけなのがちょっと悲しいというかもったいないというか、なんだかな~
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「中年クライシス」河合隼雄

2015-07-10 07:19:54 | 
もう還暦を超え中年などというのも気恥ずかしいお歳になってしまいました。
このブログ「怪しい中年テニスクラブ」も中年だったにしなくてはいけないと思っています。
それなのに今更なのですが、平均寿命80歳代の時代の中で気分はいまだ現役、でもそろそろ後半戦以降の生き方を迷いつつ探しているのが実態の私にとっては、まさに時宣を得た本かもしれません。

この本の初めに書いてあるように心理学には児童心理学、青年心理学、老年心理学とあるのだが、中年心理学というのはない。でも、中年において人生の転回点を経験することは多く心の危機に直面することは多い。
その転回点が文学作品の中にどう取り上げられているかを読み解いたものが本書。河合先生は児童文学はたくさん読んでいても小説はあまり読まないのでいろいろ推薦された本を読んでこの本を執筆したとか(もとは月刊asahiに1年間連載したものです) 。テキストに利用したとか書評を書くのではなく、読んで自分が感動した作品と格闘した成果だそうです。
ところで取り上げた本は12冊。読んだ本もあるし全く知らないものもありますが一応半分くらいは読んでいたかな。ほとんど記憶の彼方にあるものもあるので、河合流の解釈も踏まえてもう一度読んでみるか。以下12冊をあげていきます。
・夏目漱石「門」:ご存知漱石の「心」「それから」「門」の三部作ですが、個人的には「それから」が一番良かったような気がします。「門」については読んだという記憶しか残っていなかったのですが、河合先生、何故「それから」ではなかったの…
・山田太一「異人たちとの夏」:これは映画も見たので覚えていました。すきやき屋で父母がどんどんかすんで消えていくシーンは切なかったですね。道に迷ってふらふらしている中年、異人たちと出会うことによって人生の意味を深く考えることができたのでは。
・広津和郎「神経病時代」:これは作者も作品も全く知りません。1917年の作品とあるのでむべなるかな。広瀬の出世作だそうですが、中年の入り口の見事な記述で青年の側から見た中年の感覚がよく出ているとか。でもこの本は図書館で借りるのにも鶴舞中央図書館にしかなくて大変そう。
・大江健三郎「人生の親戚」:大江健三郎の本はかなり読んだつもりなのですが、これは全く記憶にありません。あらすじが書いてあるので読んでみても記憶がないのでやっぱり読んでいない?いかにも大江らしい話ですが、大江健三郎の小説は独特の文体というか表現の世界にどっぷりつからないと感情移入できないかな。
・安倍公房「砂の女」:これも小説も読み、映画も見ました。でも大学時代なのでうろ覚えです。この小説はいろいろな解釈ができ、時代と国を超えた普遍性を持っているのか世界中に翻訳されて読まれている。それ故いろいろな解釈を読み取ることが可能で主人公が砂の家にとどまった理由の解釈について河合先生の解釈とは違った解説を読んだこともあります。確か本棚のどこかにあったはずなので見つけられたら読みなおしてみるか。
・円地文子「妖」:円地文子の名前を知ってはいても小説は読んだことないな…女性の眼から見たエロス。もはや夫婦同居していてもエロスの対象にならずにひたすら骨董に打ち込む夫。妻のエロスの向かう先は何と家の近所の「坂」。対象として人間以外のものを選ぶことによってバランスを保っている。そんな風に平和な夫婦生活を送り老いを迎えていく…題名通り妖しいですね。
・中村真一郎「恋の泉」:作者も小説も知りませんでした。これは40歳になった男性から見たエロスというか生きる意味を考えたもの。男女が錯綜して登場してくるなかなか複雑な筋立てなのですが、河合先生の言いたいことはたぶん最後に書いてあるところで、魂という超個の存在に触れる一つの道としてエロスがあり、自我は一時その中心を譲ってエクスタシーが訪れる。しかしそのあとそれについての自我の関与があってこそ、それが「体験」と呼ばれるものになる。エロスだけが独り歩きすると「事件」になる。中年期の事件がいかに多いことか。
・佐藤愛子「凪の風景」:これも読んでいないな~。佐藤愛子は「血族」がよかったですね。これは老年に差し掛かる女性が自分にも『青春』があってもいいのではと思いはじめることによって展開していくドラマ。う~ん、こんなこと言われたらうろたえるな~
・谷崎潤一郎「蘆刈」:谷崎潤一郎って巨匠過ぎて、でも教科書に載るような類の小説でもないので今まで敬して眺めるだけ。映画になったものは読んだかもしれませんが記憶の彼方に飛んでいます。紹介されている筋を読んでもなんかおどろおどろしくてちょっと趣味でないかな。
・本間洋平「家族ゲーム」:これは映画は見ています。松田優作が家庭教師役でしたね。これはどちらかというと思春期の心理を扱っていると思うのですが、そこに対面させられる父親なり母親の心理というものも分析し甲斐があります。今の若者は苦労を知らないと父親は言うのですが、さらに祖父から言わせれば同じく今の若者=父親は苦労を知らないとなります。子どもに食べさせることに苦労した時代、子どもを学校に行かせるなどと思いもしなかった時代、毎晩酒を飲むなどできなかった時代、そこから見れば父親世代は苦労を知らない。でもそこにはそれでまた違う苦労がある、ならば今の若者にも違う苦労がある…子供たちの中に予測できずコントロールできないものがあることを認め尊重すること、これが中年の親に与えられた課題、と言われてもわかるんですけどね…
・志賀直哉「転生」:これまた読んでいません。夫婦関係の在り方を考えさせられる小説です。お互いに一人の人間を相手にして長い長い期間を共に過ごしていくことは大変なことです。アメリカのようにお互いに相手に関して愛を感じ尊敬することを夫婦であるための条件とすると、長続きせずに結婚離婚を繰り返すことになりそうです。若いうちはロマンチック・ラブという幻想の世界に生きていても、中年になると現実が見えてきて、夫婦関係を見直し関係を新たにすることが必要になってくる。永い夫婦生活を本当に意味あるものとし、真の「関係」を打ち立てていくためには、夫婦は何度か死の体験をし、転生をしていくことが必要である。そういわれると河合先生はどうだったんですかと聞いてみたくなるんですけどね。
・夏目漱石「道草」:最後はまた漱石ですが、これは最晩年の作品。留学から帰ってきて小説が評判になったころの体験をもとにした小説です。「私の個人主義」にもあるように日本に個人の自立という近代の思想を訴えた漱石ですが、この小説では金の無心によってくる有象無象の煩わしさも含めてもう一つ高いところから自分を客観視して描いてあります。人生には片付かないことが多く道草を食ってばかりだけども、それが生きるということであり自己実現なのだ。自己実現というのは到達すべき目的地ではなくて、過程なのだ。道に迷っているばかりなのは青春時代だけではないんです。
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7月4日は高架下の「おらがそば」

2015-07-07 07:28:12 | テニス
鶴舞駅前にある中華料理の「丸栄」に行ったのですが、閉店している。定休日は日曜なのでもうつぶれた?
仕方ないので近くにある「おらがそば」へ行くことに。ここは初めてですが夜はつまみもあるみたいです。
座ってまずはビールとはならず、コートで飲んできたので最初から焼酎に。
私とタケちゃんマンは焼酎のロック、ヤッターマンは水割りにします。
まずは串揚げの6本盛。

もう一つおでんも6品盛。

タケちゃんマンは肘を冷やすために氷も追加するのでアイスぺイルに入った氷が出てきましたが、これって勘定のうちだったんでしょうか。
ところでここは焼酎のボトルもあるのですが一升瓶しかない。4合瓶はありません。3か月キープというのですが今度いつ来るかわからなのにちょっと…
まあ仕方ないので焼酎のロックをお替り。
枝豆もお願い。

写真が美味しそうだったので、どて煮豆腐を追加。

森の熊さんさんがいたら頼んだでしょうタコブツも。

焼酎をさらに飲んでお替り。
だんだん調子に乗ってきます。
一品の量は少なめなのでさらに追加します。
ごぼうチップ、これ結構おいしかったです。最初に頼んでポリポリ食べればよかったかな。

もう一つ正式な名前は忘れましたが何かの包み揚げ

写真には撮り忘れましたがピリ辛ウインナーも頼んだと思います。これも森の熊さんが好きなものですね。
まあ結構いい気持になってお勘定。
7300円ちょっとだったので一人2500円でおつりは基金に入れました。
ちなみにこの日のコート代は参加者が3人だったので基金から出しておきました。
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7月4日若宮大通り公園テニスコート

2015-07-06 07:15:23 | テニス
朝から曇り。今にも雨が降り出しそうな天気なのですが、この日は高架下の若宮なので多少の雨なら大丈夫。
朝一番は廃品回収の日なので新聞紙と段ボールを縛って下へ降ろします。毎度ながら結構たくさん出るもんです。
コートは薄暮なので17時から。前の人が終わっていれば4時30分から出来るので3時40分過ぎに家を出て歩いていきました。
その頃からぽつぽつと降り出してきて傘を持って出ていったのですが、家人は雨なのにバッカじゃない(大竹しのぶ風に読んでください)という顔をしていました。
家を出るころはぽつぽつだったのですが、どんどん雨は強くなってきます。コートに着くころには結構降っています。
Bコートだったのですが、なぜかタケちゃんマンが壁打ち用のDコートにいました。どうやらBコートはまだ使っているみたいです。私もDコートに行きしばらく壁打ちを二人でします。
4時30分すぎたらコートも空いたのでBコートへ移動して二人で乱打。
そのうちにヤッターマンが登場。3人で乱打をしますが、後は誰も来ない。
そういえばOBさんは相変わらず仕事だそうで欠席とのメール
はげ親父からは4時ごろにやりますかとメールが来ていたのですが気が付かずに4時40分に3人なので早く来いとメールしました。ところが帰ってきた返事は「もう酒を飲み始めたのでお休み」とのこと。酒飲みだすのが早いんじゃないんかい
テニスをやるには何とか4人はほしいので1059さんと森の熊さんへメールしたのですが、森の熊さんは体調不良、1059さんはかみさんの緊急介護とのことで欠席。二人とも大丈夫でしょうか。特に森の熊さんは先週もお休みでしたし、今となってはテニスぐらいしか楽しみはないだろうに心配です。
まあ3人だけならゆっくりビールでも飲みながらにするか。

持ってきたビールはとにかく飲むことに。
一休みしたら1対2で試合に。コートの大きさをシングルとダブルに分ければ結構いい試合になりますが、一人は疲れます。
まずは私のサーブでタケちゃんマン、ヤッターマン組と対戦。デュースまで行ったのですが惜しくもブレイク。次はタケちゃんマンのサーブに私とヤッターマン組が対戦。ここもデュースまで行ったのですがタケちゃんマンが押し切りました。今度はヤッターマンに私とタケちゃんマン組でこれまたデュースまで行ってブレイク。みんな競った試合になりました。
雨は結構降っていましたが、コートにはほとんど影響なし。気温はそれほどでもないんですが湿度が高くて動くと汗でべっとり。

雲が垂れこめて薄暗いのでボールは早くも見難くなりつつあります。
一休みしたらもう一回り1対2で試合をしましょう。
今度も最初は私のサーブから。またもデュースまで行くのですが今度は何とかキープ。タケちゃんマンのサーブはまたもキープして2連勝。ヤッターマンもデュースまで行ってキープ。みんな結構いい試合になりました。
この時点で6時ちょっとすぎになったので終了。
この日はいつもの「紫禁城」ではなくて「丸栄」にしようかと傘をさして鶴舞まで歩いていきます。
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池田清彦「生きる力、死ぬ能力」

2015-07-04 07:52:53 | 
池田清彦というと「ほんまでっかTV」で、怪しげな説を述べる(それでもあの武田邦彦さんよりはだいぶまともですが)大学の生物学の先生。書いてあることもほんまでっかという話ばかり?と思うとちょっと違っていてなかなか深いものがあります。

学校で学んだ進化の仕組みというのは、ダーウィンの「種の起源」の自然選択説=「生物が環境に合わせて変わっていったのではなくてでたらめに変化した形質の中から環境に適したものを選び、徐々に環境に適していった」に、メンデルの遺伝学を取りこんで、遺伝子の突然変異のうちで環境に適応的な変異が自然選択によって集団中に広がったというような話、いわゆるネオダーウィニズムですね。
著者の肩書は構造主義生物学、え、なに?構造主義生物学?ですが、進化は遺伝子だけに還元できない、遺伝子が変わらなくても外からの外圧で体内環境が変わって、その結果、形が変わるということもある。進化というものを遺伝子の突然変異と自然選択だけじゃなくて、システムの変化としてとらえようという考えです。
生物は突然変異と自然選択で進化することは確かなのですが、それだけで進化したわけでもない。生物進化史上最も重要な出来事である真核生物の進化は、共生説によれば捕食に失敗するというアクシデントの結果としてできたのであって、遺伝子の突然変異というより異なるシステムになることが重要なのです。生物のシステムの変化はDNAの突然変異と言ったマイナーな出来事の集積ではなくて、真核生物の進化のようにシステムの大変更として一気に起きると考えられるのです。突然変異と自然選択は、その後のマイナーなプロセスに関与しているだけ。
ネオダーウィニズムによれば今は遺伝子が一番重要だと考えられていますが、生物の生きているルールやシステムがまずあって、遺伝子はそれらを働かす道具。遺伝子によらずともルールやシステムは変わるのであって、遺伝子は一つの部品というか装置に過ぎない。
となると遺伝子診断などは過信しないほうが無難かな。
DNAと形はある程度対応するんですが厳密に1対1の対応ではない。変異の順番が違うと最終結果が異なる可能性がある。ショウジョウバエの横脈欠損の実験による遺伝的同化とか遺伝病を発生環境によって治せる場合(フェニールケトン尿症に対する食事療法)をみると環境が遺伝子の代わりをしている場合もあるのです。
ところでこの本の第1部は表題のように「生と死」についての論考というかエッセイ。
多くの動物は時間の観念がなく「現在」しかない。長田弘の「ネコに未来はない」という本がありましたが、ネコだけでなくほとんどの動物には未来という概念がないみたいです。過去、現在、未来を考えることができることが死を恐れるということにつながっていて、動物が生き延びるために本能的に怒りや恐怖を感じ逃げるなりすることがあっても、それは死への恐怖とは違う。
人間だけが死を恐れるというのは、自我の中枢が発達していて、自己を観察しているもう一人の自分がいて自分の過去・現在・未来を考えて自分の変化していくことを意識しつつ自己同一性を保っているのですが、自己同一性が何時かなくなるのではないかと恐れているから。この不変の自己同一性の意識こそ自我の本質です。
自己同一性を保つ不変の自我は脳の前葉頭連合野の機能ですから、その機能が事故で破壊されたり、歳を取ってうんとボケてしまえば死ぬのはいやだという感情はなくなる…死ぬのはみんな怖いのならやっぱりボケることも大切な働きかもしれません。
でもみんながボケるのを待つわけにはいかないので、人間は死を恐れないために、不変の自我が死後にもあの世にあると考えた。宗教の起源です。死後の世界を信じるかどうかで生き方がずいぶん違ってきますが、今更訳の分からない宗教に帰依するのもなんだし、怖いと思いながら謙虚に生きるしかないのでしょうか。
それではもし生物が死ななかったら…生きているものだけで資源を独占することになってしまい、新しいものが生まれる余地がない。その意味では死と性は密接に関係してます。生物は性を獲得して新しい個体を作れるようになったので古い個体は死んでも差し支えないとなったのか、逆かもしれませんが、死ぬというのは大変な能力で、死なないと多細胞生物の形が作れないのです。細胞レベルではアポトーシスというプログラムされた死がないと多細胞生物の非常に微妙な形はできなかったのでしょう。死というのは進化の過程で獲得した能力なのです。
個体の寿命は限られていますが、細胞の寿命として考えると生まれる前から生きていて38億年の生命史を背負っているというか一番最初に生物ができたときの細胞が分裂、分裂してそれが現在まで繋がっているんです。と思うと死ぬということもそんなに恐れることでもないのか…いやいや人間の寿命の限界と言われている120歳まで生きられたら…
200ページほどの本で、文章は軽くて読みやすいのですが書いてあることは結構深い。
第2部の構造としての生命は結構固い内容ですが対談形式なのでわかりやすくなっています。
ほんまでっかと思わず読めると思います。
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岩波科学ライブラリー122「クマムシ」

2015-07-03 07:25:51 | 
「あったかいんだから~」で有名になったクマムシですが芸人ではないクマムシはご存知でしょうか?

クマムシというんだから昆虫?
高温、低温、真空や放射線にも耐える不死身の生き物?
いろいろな種類のクマムシが陸上、水中といろいろなところに生息しているみたいですが見たことはないですよね。
実はクマムシと言っても昆虫ではありません。動物界では緩歩動物門という「門」の中に位置づけられます。「門」を人間に対応させると「脊索動物門」です。どうも他の動物とは大きく体の構造が違っているみたいです。
大きさはほとんどのものが0.1から0.8ミリぐらい。観察するには顕微鏡で見る必要があります。4対の肢があり形状は芋虫みたいでもあるがどことなくクマに似ている。トコトコ歩く姿は愛嬌がありそう。
クマムシを見たい(あるいは飼いたい).ならコケを水に浸してコケの隙間を見てみるといいそうです。巻末に見つけ方、観察の仕方が載っています。餌はワムシで寿命は長くて2月とか。
さてクマムシが有名になったのは驚異的な耐久性から。乾燥したクマムシは「樽」のようになるのですが、絶対零度近くまで冷やしても放射線を人の致死量の1000倍以上あてても真空下においても、さらには6000気圧という常識外の気圧をかけても、その「樽」に水をかけたら蘇生して歩き出したとか。
水をかければ生き返るって、これはいったいなんなんだ。不死身なのか。
もっともクマムシにも寿命があるように、不死身ではない。乾燥させる場合もゆっくり乾燥する必要がある。急激に乾燥させると干からびて死んでしまう。自然界では急激な環境の変化もクマムシの住んでいる苔の中ではゆっくり発現することから内部環境をうまく対応させているのです。
どうやら「樽」の状態になると水分を放出してトレハロース(食品添加物として聞いたことはありますよね)と言う糖を蓄積して内部環境を無代謝状態にしているみたいです。
でもどのくらい「樽」の状態で乾眠できるのか(120年という説も流布しているようですが確たる根拠はないみたいで、どうやら7年間保存したコケからの再生が最長みたいです)と「樽」の分子構造とか遺伝子情報はどうなっているのかとまだまだ分かっていないことが多いみたいです。ひょっとしたらクマムシは「樽」の状態で宇宙から飛んできたのでは?とか言う説もあるみたいです。
身近なところにたくさんいるみたいですが、ほとんど知られていない「クマムシ」。100ページちょっとの本ですが読んでみると一度顕微鏡で観察したい気分になってしまいます。姿を見てみると結構かわいらしくてあったかいんだから~
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6月29日鶴舞公園テニスコート

2015-07-01 07:20:42 | テニス
梅雨の合間の晴れなのですが、むちゃくちゃ風が強い。街路樹が揺れてごうごう音がしています。
朝一番で義父母が大変お世話になった叔母が亡くなったという電話が入り、急なことでショックだったんですが、夜に豊川までお通夜に行くことに。
前日まで元気にグランドゴルフをしていたそうですが、一人暮らしなのですが、雨戸があかないのからおかしいと2階の窓をやぶって見に行ったら倒れていたとか。血圧が高めということだったのでこんな結果になってしまったみたいです。
でも80歳を超えた人が血圧が低いとふらふらとしてよく転んだり倒れてしまい骨折して寝たきりになってしまうことも多いとか。だからあまり血圧は下げないほうがいいという説もあるのですが、こういうリスクもあるので血圧管理は難しいですね。
とにかく通夜は夜なのでテニスはいけるから8時40分に家を出て金山へ。
金山を9時6分の列車に乗り3分で鶴舞へ。
一番前に乗ったので運転席を見ていたのですが、中央線は金山を出るといきなりカーブで掘割から高架へ上がっていくということもあってか、スピードは時速100キロも出ない。100キロに行くかと思うともう鶴舞駅が見えて減速。結局90キロ台が最高でした。東海道線の熱田から笠寺はほとんど直線ということもあって普通でも120キロ近く出しています。
コートに着くとはげ親父、タケちゃんマン、OBさん、ヤッターマンが乱打をしています。そういえばこの日は1059さんは都合が悪いといっていました。森の熊さんは?まだ体調がイマイチなんでしょうか?
珍しいことに病院のミッチーが朝顔を出したとか。テニスをやりに来たのではなくて名工大だったかで研修なので通り道だから顔を出してくれたみたいです。テニスにも待っていますよ。
まあとにかく入れ替わって乱打に入れてもらいます。やっぱり風が強い。後で調べてみたら西北西の風7~8メートル。ボールがかなり流されます。
一休みしてみんなビールを飲むのですが、私は通夜があるので酔っぱらうわけにもいかずじっと我慢。やぶ蚊が結構いたので蚊取り線香を焚きます。

強い風で空き缶とかコップが飛んで転がります。
休んでばかりできないのでじゃんけんして試合に。
最初はタケちゃんマンと組んでヤッターマン、OBさん組と対戦。最初のゲームからデュースの連続でしたが結局落としてしまいどうなるかという展開でしたが何とか盛り返して2:2の引き分け。
続いてはヤッターマンと組んでOBさんはげ親父組と対戦でしたが、この試合も2:2の引き分け。風は相変わらず強く、名大病院や公会堂の大きなビルで風が舞うので、微妙に勝負の綾となります。
12時までにはたっぷり時間があるのでだべりつつ休憩をします。ビールを一口ぐらいはとも誘惑に引き込まれそうになるのですが、1杯飲むと2杯が3杯にとなってしまいそうで我慢、我慢。
続いては、はげ親父と組んでヤッターマン、タケちゃんマン組と対戦。ここは何とか1ゲームだけでもという謙虚な気持ちで試合に挑んだのですが、謙虚なまま何とか1ゲームは取って1:3。
ここで11時過ぎ、タケちゃんマンは3試合をやったのでガラスの肘が限界となってリタイア。最後の試合ということでOBさんと組んではげ親父、ヤッターマン組と対戦。風でサーブのトスもままならぬ状態で一進一退の展開となり1:3の負け。ビールを飲んでいないので酔ってはいないのに最後を美しく飾ることはできませんでした。
お昼は家で食べるのでここで私は帰りました。
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