怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

池田清彦「生きる力、死ぬ能力」

2015-07-04 07:52:53 | 
池田清彦というと「ほんまでっかTV」で、怪しげな説を述べる(それでもあの武田邦彦さんよりはだいぶまともですが)大学の生物学の先生。書いてあることもほんまでっかという話ばかり?と思うとちょっと違っていてなかなか深いものがあります。

学校で学んだ進化の仕組みというのは、ダーウィンの「種の起源」の自然選択説=「生物が環境に合わせて変わっていったのではなくてでたらめに変化した形質の中から環境に適したものを選び、徐々に環境に適していった」に、メンデルの遺伝学を取りこんで、遺伝子の突然変異のうちで環境に適応的な変異が自然選択によって集団中に広がったというような話、いわゆるネオダーウィニズムですね。
著者の肩書は構造主義生物学、え、なに?構造主義生物学?ですが、進化は遺伝子だけに還元できない、遺伝子が変わらなくても外からの外圧で体内環境が変わって、その結果、形が変わるということもある。進化というものを遺伝子の突然変異と自然選択だけじゃなくて、システムの変化としてとらえようという考えです。
生物は突然変異と自然選択で進化することは確かなのですが、それだけで進化したわけでもない。生物進化史上最も重要な出来事である真核生物の進化は、共生説によれば捕食に失敗するというアクシデントの結果としてできたのであって、遺伝子の突然変異というより異なるシステムになることが重要なのです。生物のシステムの変化はDNAの突然変異と言ったマイナーな出来事の集積ではなくて、真核生物の進化のようにシステムの大変更として一気に起きると考えられるのです。突然変異と自然選択は、その後のマイナーなプロセスに関与しているだけ。
ネオダーウィニズムによれば今は遺伝子が一番重要だと考えられていますが、生物の生きているルールやシステムがまずあって、遺伝子はそれらを働かす道具。遺伝子によらずともルールやシステムは変わるのであって、遺伝子は一つの部品というか装置に過ぎない。
となると遺伝子診断などは過信しないほうが無難かな。
DNAと形はある程度対応するんですが厳密に1対1の対応ではない。変異の順番が違うと最終結果が異なる可能性がある。ショウジョウバエの横脈欠損の実験による遺伝的同化とか遺伝病を発生環境によって治せる場合(フェニールケトン尿症に対する食事療法)をみると環境が遺伝子の代わりをしている場合もあるのです。
ところでこの本の第1部は表題のように「生と死」についての論考というかエッセイ。
多くの動物は時間の観念がなく「現在」しかない。長田弘の「ネコに未来はない」という本がありましたが、ネコだけでなくほとんどの動物には未来という概念がないみたいです。過去、現在、未来を考えることができることが死を恐れるということにつながっていて、動物が生き延びるために本能的に怒りや恐怖を感じ逃げるなりすることがあっても、それは死への恐怖とは違う。
人間だけが死を恐れるというのは、自我の中枢が発達していて、自己を観察しているもう一人の自分がいて自分の過去・現在・未来を考えて自分の変化していくことを意識しつつ自己同一性を保っているのですが、自己同一性が何時かなくなるのではないかと恐れているから。この不変の自己同一性の意識こそ自我の本質です。
自己同一性を保つ不変の自我は脳の前葉頭連合野の機能ですから、その機能が事故で破壊されたり、歳を取ってうんとボケてしまえば死ぬのはいやだという感情はなくなる…死ぬのはみんな怖いのならやっぱりボケることも大切な働きかもしれません。
でもみんながボケるのを待つわけにはいかないので、人間は死を恐れないために、不変の自我が死後にもあの世にあると考えた。宗教の起源です。死後の世界を信じるかどうかで生き方がずいぶん違ってきますが、今更訳の分からない宗教に帰依するのもなんだし、怖いと思いながら謙虚に生きるしかないのでしょうか。
それではもし生物が死ななかったら…生きているものだけで資源を独占することになってしまい、新しいものが生まれる余地がない。その意味では死と性は密接に関係してます。生物は性を獲得して新しい個体を作れるようになったので古い個体は死んでも差し支えないとなったのか、逆かもしれませんが、死ぬというのは大変な能力で、死なないと多細胞生物の形が作れないのです。細胞レベルではアポトーシスというプログラムされた死がないと多細胞生物の非常に微妙な形はできなかったのでしょう。死というのは進化の過程で獲得した能力なのです。
個体の寿命は限られていますが、細胞の寿命として考えると生まれる前から生きていて38億年の生命史を背負っているというか一番最初に生物ができたときの細胞が分裂、分裂してそれが現在まで繋がっているんです。と思うと死ぬということもそんなに恐れることでもないのか…いやいや人間の寿命の限界と言われている120歳まで生きられたら…
200ページほどの本で、文章は軽くて読みやすいのですが書いてあることは結構深い。
第2部の構造としての生命は結構固い内容ですが対談形式なのでわかりやすくなっています。
ほんまでっかと思わず読めると思います。
コメント
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