怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「中年クライシス」河合隼雄

2015-07-10 07:19:54 | 
もう還暦を超え中年などというのも気恥ずかしいお歳になってしまいました。
このブログ「怪しい中年テニスクラブ」も中年だったにしなくてはいけないと思っています。
それなのに今更なのですが、平均寿命80歳代の時代の中で気分はいまだ現役、でもそろそろ後半戦以降の生き方を迷いつつ探しているのが実態の私にとっては、まさに時宣を得た本かもしれません。

この本の初めに書いてあるように心理学には児童心理学、青年心理学、老年心理学とあるのだが、中年心理学というのはない。でも、中年において人生の転回点を経験することは多く心の危機に直面することは多い。
その転回点が文学作品の中にどう取り上げられているかを読み解いたものが本書。河合先生は児童文学はたくさん読んでいても小説はあまり読まないのでいろいろ推薦された本を読んでこの本を執筆したとか(もとは月刊asahiに1年間連載したものです) 。テキストに利用したとか書評を書くのではなく、読んで自分が感動した作品と格闘した成果だそうです。
ところで取り上げた本は12冊。読んだ本もあるし全く知らないものもありますが一応半分くらいは読んでいたかな。ほとんど記憶の彼方にあるものもあるので、河合流の解釈も踏まえてもう一度読んでみるか。以下12冊をあげていきます。
・夏目漱石「門」:ご存知漱石の「心」「それから」「門」の三部作ですが、個人的には「それから」が一番良かったような気がします。「門」については読んだという記憶しか残っていなかったのですが、河合先生、何故「それから」ではなかったの…
・山田太一「異人たちとの夏」:これは映画も見たので覚えていました。すきやき屋で父母がどんどんかすんで消えていくシーンは切なかったですね。道に迷ってふらふらしている中年、異人たちと出会うことによって人生の意味を深く考えることができたのでは。
・広津和郎「神経病時代」:これは作者も作品も全く知りません。1917年の作品とあるのでむべなるかな。広瀬の出世作だそうですが、中年の入り口の見事な記述で青年の側から見た中年の感覚がよく出ているとか。でもこの本は図書館で借りるのにも鶴舞中央図書館にしかなくて大変そう。
・大江健三郎「人生の親戚」:大江健三郎の本はかなり読んだつもりなのですが、これは全く記憶にありません。あらすじが書いてあるので読んでみても記憶がないのでやっぱり読んでいない?いかにも大江らしい話ですが、大江健三郎の小説は独特の文体というか表現の世界にどっぷりつからないと感情移入できないかな。
・安倍公房「砂の女」:これも小説も読み、映画も見ました。でも大学時代なのでうろ覚えです。この小説はいろいろな解釈ができ、時代と国を超えた普遍性を持っているのか世界中に翻訳されて読まれている。それ故いろいろな解釈を読み取ることが可能で主人公が砂の家にとどまった理由の解釈について河合先生の解釈とは違った解説を読んだこともあります。確か本棚のどこかにあったはずなので見つけられたら読みなおしてみるか。
・円地文子「妖」:円地文子の名前を知ってはいても小説は読んだことないな…女性の眼から見たエロス。もはや夫婦同居していてもエロスの対象にならずにひたすら骨董に打ち込む夫。妻のエロスの向かう先は何と家の近所の「坂」。対象として人間以外のものを選ぶことによってバランスを保っている。そんな風に平和な夫婦生活を送り老いを迎えていく…題名通り妖しいですね。
・中村真一郎「恋の泉」:作者も小説も知りませんでした。これは40歳になった男性から見たエロスというか生きる意味を考えたもの。男女が錯綜して登場してくるなかなか複雑な筋立てなのですが、河合先生の言いたいことはたぶん最後に書いてあるところで、魂という超個の存在に触れる一つの道としてエロスがあり、自我は一時その中心を譲ってエクスタシーが訪れる。しかしそのあとそれについての自我の関与があってこそ、それが「体験」と呼ばれるものになる。エロスだけが独り歩きすると「事件」になる。中年期の事件がいかに多いことか。
・佐藤愛子「凪の風景」:これも読んでいないな~。佐藤愛子は「血族」がよかったですね。これは老年に差し掛かる女性が自分にも『青春』があってもいいのではと思いはじめることによって展開していくドラマ。う~ん、こんなこと言われたらうろたえるな~
・谷崎潤一郎「蘆刈」:谷崎潤一郎って巨匠過ぎて、でも教科書に載るような類の小説でもないので今まで敬して眺めるだけ。映画になったものは読んだかもしれませんが記憶の彼方に飛んでいます。紹介されている筋を読んでもなんかおどろおどろしくてちょっと趣味でないかな。
・本間洋平「家族ゲーム」:これは映画は見ています。松田優作が家庭教師役でしたね。これはどちらかというと思春期の心理を扱っていると思うのですが、そこに対面させられる父親なり母親の心理というものも分析し甲斐があります。今の若者は苦労を知らないと父親は言うのですが、さらに祖父から言わせれば同じく今の若者=父親は苦労を知らないとなります。子どもに食べさせることに苦労した時代、子どもを学校に行かせるなどと思いもしなかった時代、毎晩酒を飲むなどできなかった時代、そこから見れば父親世代は苦労を知らない。でもそこにはそれでまた違う苦労がある、ならば今の若者にも違う苦労がある…子供たちの中に予測できずコントロールできないものがあることを認め尊重すること、これが中年の親に与えられた課題、と言われてもわかるんですけどね…
・志賀直哉「転生」:これまた読んでいません。夫婦関係の在り方を考えさせられる小説です。お互いに一人の人間を相手にして長い長い期間を共に過ごしていくことは大変なことです。アメリカのようにお互いに相手に関して愛を感じ尊敬することを夫婦であるための条件とすると、長続きせずに結婚離婚を繰り返すことになりそうです。若いうちはロマンチック・ラブという幻想の世界に生きていても、中年になると現実が見えてきて、夫婦関係を見直し関係を新たにすることが必要になってくる。永い夫婦生活を本当に意味あるものとし、真の「関係」を打ち立てていくためには、夫婦は何度か死の体験をし、転生をしていくことが必要である。そういわれると河合先生はどうだったんですかと聞いてみたくなるんですけどね。
・夏目漱石「道草」:最後はまた漱石ですが、これは最晩年の作品。留学から帰ってきて小説が評判になったころの体験をもとにした小説です。「私の個人主義」にもあるように日本に個人の自立という近代の思想を訴えた漱石ですが、この小説では金の無心によってくる有象無象の煩わしさも含めてもう一つ高いところから自分を客観視して描いてあります。人生には片付かないことが多く道草を食ってばかりだけども、それが生きるということであり自己実現なのだ。自己実現というのは到達すべき目的地ではなくて、過程なのだ。道に迷っているばかりなのは青春時代だけではないんです。

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