怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

浅田次郎「一路」

2014-07-19 21:28:30 | 
関ヶ原近くの架空の地「田名部」を治めている旗本の蒔坂左京太夫。うつけ者と言われているけど実際はどうなのか・
どうも殿様というのは迂闊に意思表示するといろいろなところが迷惑を被るみたい。よって言いたいことがあってもグッと自分を殺して「大儀であった」「よきに計らえ」とか差しさわりのないことしか言えない。家臣の神輿に乗って「うつけ者」のふりをしているのが一番丸く収まる…
そんな旗本の蒔坂家はなぜか季節外れの師走に参勤交代をする。参勤交代を仕切るのは供頭なのだが、主人公の小野寺一路は父が失火で急死するという不幸に見舞われ、何も引継ぎにないまま急きょ供頭を務める羽目になる。それまでは江戸住まいで剣道と学問に打ち込んでいたのだが、こんな事態になると助言してくれる人もおらず、まったく暗中模索。
旗本といっても7500石で格は大名並なのですが偶然残っていたご先祖の書き残した心得を頼りに、それなりの供揃えをここは調子よく何とかしつらえて兎にも角にも江戸に向けての参勤交代に出発する。
この小説一言でいえば田名部から江戸への参勤交代のドタバタ劇。手練れた浅田次郎の筆は笑いあり涙ありハラハラドキドキしながらで合わせて600ページを超える分厚い上下巻を一気に読ませます。

この参勤交代の裏には後見役である叔父の蒔坂将監による政権奪取計画があるのですが、うつけ者と思われていたお殿様が意外にもしっかりした方で供頭を助けます。家臣にはうつけ者の姿しか見せていないのですが、大名の間ではいつも一緒にいるだけにちゃんと評価されていたのです。
でも、うつけ者の年若いお殿様に苛立ち取って代ろうとする有能な叔父、これって金正恩の後見役ながら粛清されてしまった張成沢の関係とよく似ていますよね。そう思うとどちらが悪役かわからなくなるのですが、これは作者も意図せざること。
結局戦国の世から太平の世に移って永くなると武士の世界などというのは登城してもやることがない。みんなでどうしてこうなっているのかわからないようなしきたりを守り、昔の武具を後生大事にお守りするぐらいで、少ない仕事を分かち合うばかり。こうなると誰が優秀かという明確な価値基準もなくなり、気の合うもので派閥を作って抗争に明け暮れるばかり。中には勘定役のように実務を必要とする部署もありその役についていると実力でものが言えるのでしょうが、それは例外。結果お殿様は派閥抗争に巻き込まれないようにうつけ者が一番?
ドタバタ劇の裏まで想像すると奥が深いかも。
ところで参勤交代は田名部から中山道を通って江戸に行くのですが、名古屋人としては途中の宿場はなじみの深いところばかり。宿泊した地名の「鵜沼」「妻籠」「上松」「奈良井」などは一度ならず行ったことがある。木曾の難所の描写も、今回の南木曽の土砂崩れを見るとさもありなんと思う。親しみをもって読むことができます。苦境にあってもうまく克服して如何にもできすぎなのですが、お約束の展開なのでしょう。それでも加賀のお姫様の部分はいらないと思うのですがこれも賑やかし…
最後はすべてうまくいって大団円となるのですが、これは如何にも如何にもという感じ。調子よすぎるのでは。
時代設定が幕末(皇女和宮の降嫁は少し前の設定です)なのですが、こんな時に参勤交代に血道をあげているようでは幕府の将来も知れています。
深く考えるとまずいのでエンターティメントとして楽しんでください。
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野口悠紀雄 「超」リタイア術

2014-07-18 07:41:23 | 
人生80年時代、60歳で定年退職しても、まだ20年ある。それとともに高齢社会に突入して周りを見れば年寄りばかり。「リタイア後人生」を一体どうすればいいのだろう。
リタイア後生活は人生の果実を手に入れる期間、今までは耐えがたきを耐え、身を削り、家族のため、仕事のためと消耗していた(喜んで仕事をしていたという人もいるのでしょうが、そういう人は一生働きアリでいなさい)のですが、旅行だろうが趣味だろうが読書だろうがごろごろするだけかもしれませんが、やりたいことができるのです。
有り余る時間とそこそこの財力とそれなりの経験による知識や理解力。素晴らしいじゃないですか。
この本でも紹介されていますが江戸時代の隠居は本当のやりたいことを楽しんだ人が結構いたみたいです。それは江戸時代に花卉園芸、生け花、俳句などの文化が大きく花開いたことでもわかります。それらを支えていたのは隠居した上層農民や商人などです。
隠居してから一念発起して50歳過ぎてから全国を測量して地図を作った伊能忠敬は典型ですが、松尾芭蕉も井原西鶴もともに30代で隠居して名作を残している。落語に出てくる「ご隠居さん」は道楽に生き、地域社会の中でも世話役としてそれなりに尊敬されつつ人生を楽しんでいる。
ちなみに江戸時代の農民生活は結構自由で女性も気ままに暮らしているみたい。建前重視の武士の生活はともかく農民や商人はしきたりや因習に縛られてばかりではなかったのです。
それに対して武士はというと隠居しても現役時代の殻を引きづり世間から隔絶された生活を送るしかない。そもそもが戦国時代が終わり組織を維持するだけの停滞社会の中では、実質必要もない仕事を分け合うしかなく儒教的なモラルが強調することによって武家社会体制を維持していた。そうした中では仕事を離れた中での趣味に生きる隠居生活は享楽的でしかなくネガティブにとらえられる。藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」のように隠居しても趣味に打ち込む子もできず寂寥感を覚え、かつて自分が携わったことに口を出せることしか喜びを見いだせない。
とは言っても私もそうですがサラリーマンはすっかり組織の中で洗脳されているので、なかなか切り替えが難しい…強いて言えば上達は全くしなくてもテニスがあってよかった。
ところでここからが現実的な話になるのですが、近未来に訪れる高齢社会は日本社会の当たり前と思っていた在り方を根本的に変更を迫るものです。65歳人口一人当たりの生産年齢人口は2050年には1.50(1970年では9.76、2000年では3.91)になります。高齢者を支える人が減るのですから世代間の所得移転は困難になります。労働力不足にも直面するでしょう。組織に依存して退職金と年金だけを当てにして生活していくことは難しくなるのです。まあ団塊の世代は逃げ切れる…本当に腹立たしいのですが逃げ切れない私たちはそれならどうすると言われても困ってしまうんですけど…
それなら年金はどうなるというところから、現在の年金制度の問題点に論が進むのですが、日本の年金制度が制度の齟齬を被用者保険にぶつけて破たんを糊塗していることがわかります。国民年金は保険料の納付率が60%などと言っていますが、まともな制度としては破たんしています。そもそも60%しか保険料を納めていないのに給付は滞りなくできるわけがありません。それでは未納分は誰が補てんしているのでしょう。基礎年金制度では各制度で拠出金を負担するのですが、国民年金の算定対象者数は保険料未納者および免除者を除いたもの、厚生年金や共済年金では被保険者数に3号被保険者を加えた数が算定対象者数となる。サラリーマは実質的に国民年金の未納者の保険料を負担しているのです。さらに言えば、旧法適用者の基礎年金相当額まで補てんしている。農業、自営業への支援を知らない間にしているのです。
そもそも年金制度が発足するときの保険料を算定する際に政治的必要もあったのだろうが、利子率と成長率の仮定を現実性のない算定をして、必要保険料を著しく低くしてしまったのです。過大な給付を約束している年金制度をどう持続可能にするのかというむつかしさを最初から抱えてしまっているのです。
今となっては現実に適応させようとすると制度を見直すたびに苦い現実を受け入れるしかなくなるのですが、それでもいつまで持つのやら。
この他にも日本の年金制度のおかしなところをいろいろと指摘しているのですが、著者が指摘しても厚生労働省はほとんど無視、不誠実な対応だったとか。せっかく提言してもほとんど無視された憤りがあるのかどうか、この本「超リタイア術」という題になっているのですが後半3分の2は日本の年金制度について辛口のぶった切りというか滅多切り。政策など関係ない一市民としては、だからどうすればいいんかというと「サラリーマン事業者」になればというのですが、そういう能力とチャンスがある人はいるのでしょうが、これはメジャーにはなりません。
制度について言うと一旦できてしまった制度を維持しながらなんとか修正するというのは継ぎはぎだらけになってしまい余計いびつなものにならざるを得ないのですが、政治的にも実務的にもなかなかクリアーにならないのが実感です。
本論に戻ればリタイア後は「すべての時間を自己実現のために使い隠居生活を楽しむ」ことができるように、結構意識改革が必要と思いますが、これも日々研鑽!ボーっとして寝ていればいいというものではありません。でも3か月隠居生活していたのですが、残念ながらほとんどボーっとしていました。
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7月13日は10時30分から紫禁城

2014-07-16 07:45:19 | テニス
雨は一向に止まず、店もまだ開いていない。
頼みの紫禁城も入口の回転灯が回っていない。
それでもとにかく店の前まで行ってみるとシャッターが閉まっている。

それでも厨房の扉が開いていて誰かいる。はげ親父がリュウちゃんはいないかと声をかけて、雨宿りがてら中へ入れてくれないかと交渉すると常連の誼かなんと時間前にシャッターを開けてくれました。
誰もいない店に入れてくれてコックさんが笑顔でおしぼりまで出してくれたの、でついでに生ビールを4と枝豆をお願い。
当然ながら店に誰もいないので森の熊さんはここで着替えまでしだす。まさに傍若無人のふるまいです。

空調のスイッチも勝手に入れてビールを待ちます。
15分前には女の子も出勤してきてビールと枝豆も出てきて乾杯。

時間前なのであんまり手間がかからないものをと餃子を2人前。

写真を見ると4つ入っていたので焼売も注文。
ビールはすぐになくなったので、キープしてある焼酎を出す。氷とお水もお願いして水割りに。

そのころには11時も過ぎ他の客も入ってきました。
八宝菜も追加。

はげ親父は来週9日間夫婦でトルコ旅行へ行くそうでテニスは欠席とのこと。大韓航空だそうですが向こうに着くと行動はバスばかりなので結構疲れるのでは。ご苦労様です。海外旅行に足しげく行っている1059さんによると行ってよかった国はニュージーランドとか。再来年の合宿はニュージーランドにしようと盛り上がりました。
焼酎をお替りしながら、今度は五目焼きそばに牛肉のネギ焼きを追加。

まだ12時前でしたが焼酎をほんの少し残して終了。

会計は6480円で一人1500円に足らない分は基金から出しました。
会計を済ましてバス停に行くとちょうどバスが来たところで走って乗車。皮肉なことに、このころには雨は上がっていました。
家に着いたら酔いが一気に回ってきて1時から4時過ぎまで寝てしまいました
起きたらこれから夕食の5時前でしたが二日酔い気味で食欲もなく頭が重い。なんだかな~
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7月13日鶴舞公園テニスコート

2014-07-15 20:52:20 | テニス
朝から雲が多くて今にも降り出しそう。天気予報では午前中は何とかもって昼から雨。
ちょっと悩むところですが、折悪くOBさんからは体調不良で欠席のメール。タケちゃんマンからは職場の旅行で欠席とのメール。う~ん、行っても誰もいないかも…
それでも折り畳み傘を持って8時30分には家を出て、歩いて鶴舞公園テニスコートへ。
ところが家を出るとすぐにぽつぽつ降ってきました。傘をさすほどでもないので兎に角コートまではいくことに。
9時15分にコートに着くと森の熊さん、1059さん、はげ親父がちょうど乱打を終えるところ。私が4人目でした。
雨もほぼ止んできたので、さっそくちょこちょこと乱打をしてゲームに
雲が多い分気温はあまり上がらないのですが、その分湿気が高い。

試合は森の熊さんと組んで1059、はげ親父組と対戦。
最初は接戦でしたが、2ゲーム目にジュース、ジュースと続いてから1059さんのボールがネットにあたって運悪くこちらのコートに落下。ここからガタガタになってこの試合は1ゲーム取るのがやっとの1:3
この日は4人なので組み替えても仕方ないからと、組み替えずに6ゲーム先取の1セットマッチをやることに。
ここでビールを飲んで一息入れたのですが、終わるまでに飲んだのは全部で350缶6本。一応みんなが持ってきたビールはすべてなくなりました。
続く4ゲームでは、この一息入れたことが功を奏したのでしょうか4ゲーム連取。一気に5:2の王手となりました。
ここでまた一息入れたのですが、雨がまたポツリポツリと落ちてきました。
続くゲームは落としたのですが、そのあとのゲームはきっちりキープして6:4で勝利
その頃から雨はどんどん激しくなってきて観客席の木の下でしばし雨宿り。しかし一向に雨はやむ気配なし。それどころかどんどん強くなってきてもはやこれまで。ところがまだ10時30分。紫禁城が開店するのは11時。どうしようかと思うのですが、ひとまず鶴舞駅まで撤退。
駅近くのガード下の店も11時にならないと開かない。コーヒーショップしか開いていない。
こちとらはもうビールを飲んできているので今更コーヒーとはいかず、さあどうする。
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土曜の夜は寅さん

2014-07-12 22:04:25 | 映画
何時からかわからないが土曜日の夜7時からBSジャパンで「男はつらいよ」を毎週やっている。
すっかりはまってしまい欠かさず見ているけど、やっぱり映画は丁寧に細部が作りこんであって、何回見ても面白い。ロケの地方の風景というか人情も醸し出てくるみたいで、日本は美しい。
今日は「寅次郎知床慕情」でしたが、三船敏郎は不愛想ながら歳を取っても歳をとったなりの男の色気がありますね。

マドンナは竹下景子でこのころは本当にかわいいというか色気があるというか魅力的ですが、この作品では実は脇役。メインは三船敏郎と淡路恵子の恋模様です。そこを後押しする寅次郎は活き活きとしているのですが、自分の恋愛は本当にまだろっこしい。人にはいろいろ勝手なことを言えても自分自身は古風なんですね。
ちなみに寅次郎も30目作を超えるころになると自分のことをさておき恋愛評論家みたいになってしまいパワーが衰えてきたかと思いますが、相手が三船敏郎ではいい味が出てきます。
ちなみに駆け落ち同然で東京に出てきた結婚生活は破綻、故郷の知床で心癒される竹下景子ですが、いまだに彼女を好きな漁師の青年がいるにもかかわらず、最後には結局東京へ出てきます。故郷は遠くにありて思うもの、故郷に残って漁業をやっている青年の淋しさと哀しさもさりげなく表現しています。
ところで「男はつらいよ」では記憶に残る名シーンが多々あるのですが、私の個人的に記憶にすごく残っているのは「寅次郎子守歌」で出てくる上条恒彦が十朱幸代に告白するシーン。いかにもしがない労働者風情の上条恒彦が本当に勇気を振り絞って告白します。「笑わないでください、笑わないでください」と叫ぶのですが、自称指南役の寅は「馬鹿だな~それじゃだめだよ。本当にわかっていないよね」という顔をします。でも十朱幸代はちゃんと受け止めようとします。結末は分かっているのですが、ひげもじゃのさえない少し婚期を逃しつつある男が告白する姿には妙に感動しました。

多分自分の経験に近しいことがあったのですが、勇気を奮って告白できなかったからでしょう。自分自身のふがいなさとやるせなさが記憶に刷り込まれてしまったと思います。この作品も寅次郎自身の恋愛は脇役で少しにぎやかす程度のこともあって、調べてみるとあまり評価は高くないのですが私としては(自分の経験を告白するようで)恥ずかしながら記憶に残る作品です。
来週のマドンナは秋吉久美子です。
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7月5日紫禁城は超満員

2014-07-08 07:35:58 | テニス
歩いていつもの紫禁城へ行くとなぜか店にどんどん人が入って行きます。
店は学生らしき大集団で真ん中が占拠されていて、隅のほうで小さくなって座ります。
どうやら公会堂で何か建築学の学生の集まりみたいのものがあっての宴会みたいです。
実はこの状況を見て先行したヤッターマンとはげ親父は店を替えようとしたのですがリュウちゃんに引き留められたとか。
若さで充満しているというか、とにかくうるさい。みんな注文をいろいろ言い合っているので、こちとらはとりあえず森の熊さん、ヤッターマンは生ビールに私たち3人はキープしていた芋焼酎「白波」を水割りで乾杯。
ぐずぐずしているといつ料理が出てくるかわからないので、早いとこまとめて注文します。
野菜不足の森の熊さんのために青菜炒め。

枝豆2人前に餃子も2人前。

海鮮おこげも2人前頼んだのですが、おこげに熱い餡をかけるとじゅーっという美味しそうな音が立ち上がります。宴会の学生も思わず注目。どうだ~おじさんたちは美味しいものを食べているんだぞ。
ここで吉田類ならば、ジョッキ片手に店の中を乾杯しながら回るんでしょうが、どうも相手が学生さんでは白い目で見られそう。
おじさんたちは若者をうらやましげに見ながらひたすら飲んで食べるだけ。

カキのチヂミを頼んだ後、げその鉄板焼きも追加。どうも頼むものがワンパターンです。

このころにはみんな焼酎になっていたのですが、この日は〆を頼むこともなく8時前で終了に。
うるさかったということでリュウちゃんが盛んに気を使ってくれました。
そのせいか勘定は6370円。一人1500円でおつりは基金へ入れておきました。
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7月5日若宮大通り公園テニスコート

2014-07-07 07:24:00 | テニス
この日は雨の予報でしたが、午前中は結構晴れ間がありました。
でも昼過ぎから雲が多くなって、家を出る3時45分には黒い雲が空を覆い今にも振り出しそう。

この日は若宮大通り公園テニスコートは高架下なので多少の雨なら関係なしでテニスができます。
ということで傘を持って歩いて行きます
4時30分にコートに着くと既にタケちゃんマンとはげ親父の二人で乱打をやっていました。早速入れてもらいます。
乱打をやっていると森の熊さん、ヤッターマンも来て入れ替わっていきます。
曇っているので気温はそれほどでもないんでしょうが湿度が高くて蒸し暑い。すぐに汗まみれになってしまいます。
この日はOBさんはいつもながら仕事、1059さんはなぜか都合が悪かったみたいで、5人です。
一息入れてビールを飲んだらじゃんけんして試合に。
最初は森の熊さんと組んでヤッターマン、タケちゃんマン組と対戦。どうも森の熊さんと組むといつも相性が悪いのか負けてばかりなのですが、今回は調子よく3ゲーム連取。あわよくば完封と思ったのですが、ここはそうはうまくいかず最後の1ゲームは落としてそれでも3:1の勝利でした
空はますます暗くなって、ついに雨がぽつぽつ落ちてきました。雨は降りこむことはなかったのですが、暗くてボールが見にくくなってきます。

次はタケちゃんマンと組んでヤッターマンはげ親父組と対戦ですが、ここは先ほどの好調がどこへ行ったのかジュースまで行くのですがゲームをとれずになんと0:4の完封負け
やっぱりこれは休憩中のビールのせい?

この日は500缶を3本350缶を5~6本の消費でした。
続いてヤッターマンと組んではげ親父、森の熊さん組と対戦ですが、ここもミスを重ねて1:3の負け
ここらでそろそろボールが見難くなったのでやめようかという意見もあったのですが、一応一回りということで最後の試合ははげ親父と組んで森の熊さん、タケちゃんマン組と対戦。ここも2ゲーム続けて落として、このまま負け続け…と思ったのですが、ここから意地を見せて2ゲーム連取。何とか2:2の引き分けに持ち込み少し気分を持ち直して帰ることができました。
テニスをやっているときには結構雨が降っていたのですが、終わるころにはちょうど雨も止んでいました。
コート整備をして汗まみれのTシャツを着替えて6時20分には歩いて紫禁城へ向かいました。
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月刊東海財界「河村市政の裏表」

2014-07-04 07:47:53 | 
2009年4月に初当選。河村市政も今年で6年目。
初当選当時はその一挙一動がマスコミに大きく取り上げられ、市長支持の熱狂が盛り上げられてきた。
しかしその市政運営は次第にどこか疑問符が…
今や自分が率いる「減税日本」の悪評は隠しようがなく、マスコミにも見放されつつある…
そんな河村市政の裏表とありますが、書いてある内容はほぼ裏ばかり。
本の表紙にはにこやかに笑う河村市長の写真があるのですが裏表紙は苦しそうな顔写真。

それにしても新聞等ではいろいろ出ていても、本の形でこうしてまとまって河村市政批判が出たのは初めて?
「はじめに」のところに書いてあることでほとんどすべてを要約してあると思うのですが、そんなに誰も書かなかったことではなくて、書いてある内容は以前にも出ていたようなことが多いのですが、裏話も含めて改めてまとめて読むとその実態に慄然としてしまいます。
特に「減税日本」の内実にはあきれてしまいますが、それをきちんと育てようとしなかったリーダーの資質には大きな疑問を感じますし、責任を感じてもらいたいものです。周辺に一癖も二癖もある人を引き付ける求心力とまったく面倒を見ないワンマン社長への遠心力。問題児ばかりがマスコミをにぎわすことになってしまいました。
文章はこなれていないところもあるし、財政などの説明でちょっと首をかしげるところもあるのですが、150ページほどの本で2時間もあれば読めます。
でもこういう本が市政記者クラブに詰めているマスコミ各社から出ないで東海財界出版から出ているのはまだまだ河村市長は使えるコンテンツからか?
宣伝もあまりされていないので出版直後(14年5月初版)でも図書館ですぐに借りることができました。
それにしても今度の市会議員選挙で減税日本が惨敗したら、今後の河村市政はどうなるのでしょうか、苦しい展開になりますね。市長の任期はまだ2年以上あるのですが…
選挙には絶対的に強いので、もう一度信を問う?でもこの本にあるように任期途中の辞職・選挙は大義がないし橋下市長もつまずいているので無理では。
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6月29日若宮の後はいつものように昼間から飲む

2014-07-02 07:49:12 | テニス
鶴舞まで歩いて、いつもの「紫禁城」に。ガード下はまだ工事途中で入り口は西側だけ。

いつもリュウちゃんはいなくて若い二人が接客をやっているので、みんなにんまり。
早速生ビールで乾杯ですが、タケちゃんマンは「八海山」。
餃子に牛肉ネギ炒め、

そして森の熊さんが好きな青菜炒め。男の一人暮らしはどうしても野菜が不足がちなので、こういう機会には必ず野菜炒めを食べるよう心掛けているのでしょうか。

生ビールはすぐになくなってお替り。
そう言えば芋焼酎がまだ残っていたはずと出してもらいはげ親父、タケちゃんマンはロックで。
烏賊げその鉄板炒めも追加。唐辛子がごろごろしていてそれを除けながら食べても結構辛い。

少し大きいのはトウガラシではなくてカニの殻の素揚げ。
このころに最初に頼んでいた餃子がやっと登場。

カキのチヂミも追加。

合間にOBさんと森の熊さんの婚活を肴にして盛り上げます。
こうなると焼酎は全部飲んでしまって、この日は7人いるのでいいだろうともう1本。

さすがにこれは封を切って2~3杯飲んだだけで次回に備えて残しておきます。
この日は暑かったこともあって〆は冷やし中華。

勘定は17820円だったので一人2千5百円で320円は基金から出しておきました。
帰りも歩いて行ったのですが、2時前に家に帰ったら、そのまま倒れるように昼寝
歩いた歩数は1万7千歩でした。
ちなみに二時間ほど昼寝して、起きたらすぐに「夕飯は何食べる?」
ほとんどの食欲がないままに何でもいいと答えたら出てきたのは、エビマヨに冷やし中華。ダブったとは言えずに完食しました。
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