怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

[やぶへび」大沢在昌

2014-10-15 07:31:58 | 
人間の記憶というのは、脳の中にハードディスクのようなものが入っていて適宜呼び出すという風に思いがちですが、どうやら違うみたいです。記憶とは何かということを分かりやすく書こうとすれば、それだけで分かりにくい本が1冊書けるというかということみたいです。人体は分子(原子だったか)レベルで言えば、3か月もしないうちにすべての組織が入れ替わっていて、記憶のハードディスクはあり得ないとか。では何かというと絶えず入れ替わる中でも変わらないシナプス間の関係性とか。うろ覚えの理解力不足なので違っているかもしれませんけど、確か福岡伸一博士が書いていたような…
で、今回の話は福岡博士の本の紹介ではなくて、記憶というのはあいまいなものですが、経年劣化なのでしょうけど最近とみに欠落が多く、図書館に行っても一度読んだ本を借りてしまうことがままあるようになったという話です。
新宿鮫シリーズのように順番で読んでいるものは間違えないのですが、単発物は書架の前でパラパラ見ている時には全然覚えていなくて、大沢在昌の読んでいないものならいいかと借りてきてしまったのが今回の「やぶへび」

それでも最後しばらく読むとさすがに人物の設定などに覚えがある。警察をやめた主人公が偽装結婚した女性を引き取る羽目になってごたごたに巻き込まれてしまう。確かにこれは読んだことがある。ところがその後の展開はさっぱり出てこない。読んでいるとそういえばこんな流れだったとかと思いだす始末で、ハラハラドキドキしながら結局最後までもう一度楽しく読んでしまった。大沢作品はテンポがよくて途中でやめることができないので下手に覚えていないほうがどんどん読み進めます。でもこれってよくあるパターンで違いが判らないから覚えてなかったのかな。さすがに最後のほうではあらかた登場人物もそろって展開が読めるのですが、細部はやっぱり記憶にないので面白く楽しめました。
台風が刻々と近づき風の音を聞きながら樹木の揺れる姿を見ながら焼酎のロックを飲みつつ読むのには最適でした。
ところでこういう本は名作なのだろうか。何回も面白く読み返せるという点では名作なのだろうが、読んでも記憶に残らないという点では単なる読み散らかすだけの本?判断に迷うのですが、記憶がもう少ししっかりしていれば迷うこともなかったか。
改めて老いを感じた日でした。

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