怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

いとうせいこう「想像ラジオ」・五木寛之「天命」

2018-10-03 21:14:31 | 
前にも書きましたが、先日突然倒れて救急搬送された時、意識が戻って考えたのですが、もしあのまま心臓なりが止まって帰らぬ人となったとしたら、本人的には何の痛みも苦しみもなかったのでそれはそれで仕方ないかという感覚でした。死ぬのが怖いとかいう感情も起こる余地なく意識を失ったので怖いとかいやだと言う感情も当然なし。ま、三途の川も幽体離脱も光の世界も感じなかったのですけど。
でもそうなったら本人はともかくあとに残された人は実務的には後始末が面倒くさいし、何より気持ちの整理がつかないだろうと思った次第。そんなことを言っている私自身が今年の大野さんの突然の死に際しては激しく動揺し気持ちの整理がなかなかつかなかっただけに残されたものの気持ちは如何ほどのものかとは感じます。

それやこれやでこの2冊を読んでみました。
五木寛之は朝鮮から引き揚げるときに母親と弟の死とともに数多の死を体験してきているのですが、その時の実感は死は理不尽であり優しい人が先に死んでいると。「善きものは逝く」で遠慮深い、慎ましい人たちがまず落後していくと。でもその死は2人称、3人称の死であって、どこかに他人事という意識があったかも。
そういう五木自身は1932年生まれなのですでに76歳。一人称の自分の死について考えざるを得なくなってきている。そこで最近傾倒している仏教の知識が出てくる。ブッダは死に臨んで「自分が死んでもすべては滅びゆくものだから悲しんではならない。それは無意味である。」と言っています。葬儀は行ってはならないとも言っているみたいです。死後の世界の愉悦について一切語っていません。この世の美しさを認めこの世には生きる価値があることを自覚して死んでいったのです。
一人称の死としてはブッダのこの覚悟は大いに共感できます。こういう境地で死に臨みたいものです。
ところでブッダは当時としては異例なほど長生きをして80歳で世を去っている。日本の浄土教の宗教家でも法然は80歳、親鸞は90歳、蓮如は85歳とこれまたその時代としては驚くべき長寿。彼らの生涯を見てみると長い年月をかけて自らの思想と信仰を熟成させている。思想を広めて行くために天が長寿を与えたとしか考えられない。
親鸞の言うところのアミータ、阿弥陀、本当は実体がないもののですが宇宙のエネルギーの元の意志。
もしそういうものがあって天命なりが決まっているのなら、今日一日を精いっぱい生きて、この世界のすばらしさを少しでも実感するのがいいのですが、なかなか煩悩があるすぎて、思うほど悟りの境地にはなれずに悶々としながら生きています。
この本は五木寛之が死に関して考えていること、結構本音と思えることが書いてあって、私の感覚ではもし倒れたまま戻らなくても個人的には天命だったと思うところです。
もう1冊の「想像ラジオ」はご存知東日本大震災を背景にしたベストセラー。東日本大震災については3月11日がたしか金曜日で私は職場で激しく揺れたのを感じたのですが、テレビを見ている訳ではなく、テレビを見ていた同僚がすごい津波の状況というのを他人事のように聞いていたのですが、家に帰ってテレビを見てびっくり!そこから月曜の朝までテレビにくぎ付けでした。この地震と福島原発事故は日本人の心に大きな衝撃を与えたことは朝の連続テレビドラマの「あまちゃん」や「半分、青い」を見ていても分かります。 
沢山の人の突然の死に際して私たちがどう受け止めていけばいいのか。自分の死を自覚できずに想いを残している人たちは生者には聞こえないけれどありたけの想いを発信しているのです、想像ラジオ!で。
残されたものはこの聞こえない声をそれでも聴こうとするのです。
「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも本当にそれだけが正しい道なんだろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しづつ前に歩くんじゃないのか。死者とともに。」
なんか読んでいて泣けてきます。
「生き残った人の思い出もまた、死者がいなければ成立しない。だって誰もなくなっていなければ、あの人がいま生きていればなあなんて思わない訳で。つまり性者と死者は持ちつ持たれつなんだよ。決して一方的な関係じゃない。どちらかだけあるんじゃなくて、ふたつにひとつなんだと」
心情的にはこの本の方が五木さんの本よりはグッときます。無数の死にはそれぞれ無数の物語があって、それを生きているものは受け止める、耳を傾ける義務があるんではないか。そうでなければあまりにも悲しいですよね。そして生きているものの物語は死者の物語と一緒に形成されてきたものだから切り離すことなんてできない。想像ラジオは聞こえない死者の物語を発信し続けています。
想像ラジオは文庫本で200ページ余りの小説ですので一気に読めます。ぜひ読んでみてください。

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2 コメント

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Unknown (ひげおじさん)
2018-10-04 23:05:30
読みが同じ方の新聞記事などで、いつも間違えられては雲泥的な説明をしています。良い本のようですね。読んでみたいです。

意識不明って?いつ?このブログ?何日に書いてあるんですか?
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思えば9月6日の夜でした (kenchi)
2018-10-05 21:16:34
一応「まさかの救急搬送」という題で投稿してあります。一人称の死を考えると「天命」、二人称の死を思うと「想像ラジオ」が心に染み入ります。
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