怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「日本史の一級史料」山本博文

2019-06-21 20:48:25 | 
私は読んでいないのですが、百田尚樹の「日本国紀」が賛否両論巻き起こしているみたい。井沢元彦の「逆説の日本史」は長く連載を続けていて、私も単行本になると順番に読んでいます。
ところが彼らは歴史学者ではなく、日本史の専門家から見ると単なる読み物の扱いみたいです。
都合のいい史料を取捨選択して都合のいいように話をつなげていく。基本的に現在からみているのでうまくつなぎ合わせれば首尾一貫した美しい歴史物語になります。歴史とは当事者ではないので「史料」とそれを読む「歴史家」というフィルターを通して語られるのですが、史料も多々あってなにが一級史料かをよく吟味しないと都合のいい歴史物語になってしまいます。まあ、百田尚樹は日ごろの言動から見て彼なりの勝手な物語とは思うんですけど。
でも実際の歴史の現場は、混乱の中での試行錯誤の極みで、たまたま運よく勝ちを拾ったということがままあるみたいです。敗者の書いた歴史資料はほとんどなくて、勝者の記録ばかり。日本書紀だろうと古事記だろうとまさに体制側の都合のいいことを集めた歴史。勝った人はさも計算通りと言いふらして、美化していますが、バイアスがかかっていることをちゃんと読まないと。
今の歴史物の依拠しているのはほとんどが事件当時の史料ではなく後日に書かれたもの。この本では最初のイントロダクションとして宮本武蔵と忠臣蔵について紹介していますが、吉川英治が小説で書いた宮本武蔵は、ほとんどが「二天記」によっていますが、これは武蔵が没してから1世紀以上後にまとめられたもの。多分武蔵の流派の発展の一助とするために始祖の事績を脚色して過大に美化したものだろうと。武蔵の著と言われている「五輪書」についても本当に武蔵が書いたとは怪しい。自筆本は残っていないしおそらく武蔵没後、その、高弟が武蔵の剣法を整理し、秘伝書として自らの正当性の証拠としたみたいです。

武蔵に関する同時代の一次資料と言えるものは、熊本藩奉書の七人扶持・合力米18石給すという記録ぐらい。あとは後年の二次資料ばかりなのです。確かなことはよくわからないというのが真相みたいです。
一方忠臣蔵については、大石内蔵助の手紙を始めとして多くの一次資料が残っています。残っていない部分ではどうしても二次資料なりに頼らざるを得ないのですが、そこに推理なりが入り、歴史家としての姿勢が出てきてしまいます。そういうところをうんと膨らまして面白い読み物として仕立てたものを真実の歴史と宣伝する場合が往々にしてありますけど。
この本、正直、宮本武蔵と忠臣蔵について書いてある「第1章」が一番面白かったのですが、事件からしばらくたって書かれたものは書き手の立場を補強する意向が強く働いていて、勝者の歴史になっているので、要よく吟味することが必要です。その面では同時代に書かれた日記とか手紙は、書き手の立場の吟味は必要ですが、信頼に足りるのでしょう。また、書かれていないことについてもなぜ書かれていないかを考えることも重要です。
そこから出てくるのは、予定調和の美しい歴史ではないので面白くはないかもしれませんが。
そうは言っても私は井沢元彦の「逆説の日本史」には新しい観点もあって、それなりに目をひらかされた面もありました。呉座さんにはコテンパンにやられていますが、いろいろ牽強付会の部分があったとしても全否定すべきではないと思っています。
今では歴史学者たちの地道な努力もあって今は一次資料についてもデーターベース化がかなり進んでいる(実際の実務的作業を考えると気が遠くなりますが)ので、まだまだすべての史料まで網羅されているわけではないのですが、膨大な古文書を渉猟しなくてもネットでかなりのことが検索できるようになったみたいです。そういうことを知っていると歴史小説を読んでも少し奥行きが出てきて、面白く読めるかも。
因みに最後に藤沢周平の「海坂藩」シリーズの時代考証もしていますが、藤沢さん結構勉強していたみたいです。歴史学者の著者も藤沢周平の時代小説ファンというのもなんだか微笑ましいというか。
新書本で学者論文ではなく、非常に読みやすいので、歴史に興味がある方はご一読を。



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