今や結構テレビで売れっ子の中野信子さん。
落ち着いた口調でクールに脳科学的に見るとこう考えると話す姿はテレビ的に好印象なのでしょう。著書も人気で最新刊は何時も予約待ちです。
ところでこの「ペルソナ」はちょっと趣が違って中野さんの黒歴史的な早すぎる自伝的なようなもの。
人間は本来一貫性がないもので、ひとりの人間の中に多様な側面を持っている。テレビで見ている中野さんと本を読んで想像する中野さんは大きく違った面があるし、あり得ないでしょうけど実際にお会いして話す中野さんともイメージは大きく違うはずです。そんな中野さんのどちらかと言うとてれびとはちがったこういうことをおもっていたn闇の部分を書いたものです。
ここでは通常の自伝とは違って現在から書き出し徐々に過去にさかのぼっていきます。
学校の成績がよくてもコミニュケーション能力は低くて、友達もいなく、先生にもっとテレビでも見たらと言われ通知表に利己的と書かれる。
う~ん、どんな子だったんだ…
それでも成績は良く勉強も好きだったので東大に見事入学しアカデミズムの世界に入っていくのだが、そこで見たのは、何時の時代かと思われるセクハラに厳しい男女格差。女性と言うだけで同じ論文を書いても評価が低く、教授にも媚を売ってセクハラまがいも軽く受け流さないといけない。男に生まれ直す性転換もありと考えていたと言うから半端ない。アカデミズムの世界での男性が決めたヒエラルキーの中、アウエイのフィールドで勝ちを目指すのではなく第3の道があるのではと思い始める。そんな中でフランスでポスドクの不安定な生活を送るのだが、縁があって伴侶をえて日本へ。
アカデミズムの世界から転身して、科学の成果を一般人に分かるように本を書きテレビにも出る。それはそれでアカデミズムの狭い社会からは、大衆向けの商業主義に加担してと誹謗中傷妬みを受けるのですが、一般大衆に分かりやすく受け答えすると言うのもアカデミズムの資産を一般に還元する大切な仕事です。
テレビの世界では「ほんまでっかニュース」が地上波での最初だそうですが、そこでの「さんま」「ブラマヨ小杉」「マツコ・デラックス」「指原」の短評はホンマでっかとおもいつつ納得できます。さんまは忍耐強くその人の引き出すべきところを視聴者に美味しく食べてもらうよう工夫しているとか、さすが四六時中お笑いのことを考え続けているお笑い怪獣。
因みに結婚相手は大阪芸術大学に勤務していて、自身では「シュルレアリスト」と称しているとか。お互いの時間を邪魔せず、ただ寄り添うように近くにいてくれる。二人とも孤独の価値と楽しみを知っていて、それを尊重しあっているとか。いい人に巡り合ったものです。
中野さんが自分自身をモザイク模様の多面体と言っているように、私が見たり読んだりして思っていた中野さんとはずいぶん違うイメージでしたが、人間の奥深くにある一面に触れたような気がしました。本の表紙の写真は世間を厳しく睨んでいるようでこの本の内容を表しているかも。
一緒に写っているのは、益田ミリ「今日の人生2」です。
特にこれと言うこともない今日の人生を生きているのですが、生きていく日々で喜怒哀楽を感じることは必ずあるでしょう。みんな何らかの表現でそう言った心の声を発表したいものです。益田ミリの場合はこういう漫画という方法を取っているのですが、エッセイ漫画とでもいうんでしょうか。人によっては歌であったり、ラップだったり、俳句だったり、短歌だったり、エッセイだったり小説と表現方法は違うのですが、内なる感情感動が得意の表現であふれ出したものの中には、それなりに共感を呼ぶものは多々あります。表現方法が漫画と言うだけで下に見ることもなく、大人だからこそわかる漫画もあります。
益田ミリの場合は、漫画ではなくてエッセイという表現を取ることもあって、どちらがどうと言うことはなく、どちらも楽しめます。
こちらはエッセイの方で朝日新聞連載の「オトナになった女子たちへ」に加筆修正を加えたものです。
落ち着いた口調でクールに脳科学的に見るとこう考えると話す姿はテレビ的に好印象なのでしょう。著書も人気で最新刊は何時も予約待ちです。
ところでこの「ペルソナ」はちょっと趣が違って中野さんの黒歴史的な早すぎる自伝的なようなもの。
人間は本来一貫性がないもので、ひとりの人間の中に多様な側面を持っている。テレビで見ている中野さんと本を読んで想像する中野さんは大きく違った面があるし、あり得ないでしょうけど実際にお会いして話す中野さんともイメージは大きく違うはずです。そんな中野さんのどちらかと言うとてれびとはちがったこういうことをおもっていたn闇の部分を書いたものです。
ここでは通常の自伝とは違って現在から書き出し徐々に過去にさかのぼっていきます。
学校の成績がよくてもコミニュケーション能力は低くて、友達もいなく、先生にもっとテレビでも見たらと言われ通知表に利己的と書かれる。
う~ん、どんな子だったんだ…
それでも成績は良く勉強も好きだったので東大に見事入学しアカデミズムの世界に入っていくのだが、そこで見たのは、何時の時代かと思われるセクハラに厳しい男女格差。女性と言うだけで同じ論文を書いても評価が低く、教授にも媚を売ってセクハラまがいも軽く受け流さないといけない。男に生まれ直す性転換もありと考えていたと言うから半端ない。アカデミズムの世界での男性が決めたヒエラルキーの中、アウエイのフィールドで勝ちを目指すのではなく第3の道があるのではと思い始める。そんな中でフランスでポスドクの不安定な生活を送るのだが、縁があって伴侶をえて日本へ。
アカデミズムの世界から転身して、科学の成果を一般人に分かるように本を書きテレビにも出る。それはそれでアカデミズムの狭い社会からは、大衆向けの商業主義に加担してと誹謗中傷妬みを受けるのですが、一般大衆に分かりやすく受け答えすると言うのもアカデミズムの資産を一般に還元する大切な仕事です。
テレビの世界では「ほんまでっかニュース」が地上波での最初だそうですが、そこでの「さんま」「ブラマヨ小杉」「マツコ・デラックス」「指原」の短評はホンマでっかとおもいつつ納得できます。さんまは忍耐強くその人の引き出すべきところを視聴者に美味しく食べてもらうよう工夫しているとか、さすが四六時中お笑いのことを考え続けているお笑い怪獣。
因みに結婚相手は大阪芸術大学に勤務していて、自身では「シュルレアリスト」と称しているとか。お互いの時間を邪魔せず、ただ寄り添うように近くにいてくれる。二人とも孤独の価値と楽しみを知っていて、それを尊重しあっているとか。いい人に巡り合ったものです。
中野さんが自分自身をモザイク模様の多面体と言っているように、私が見たり読んだりして思っていた中野さんとはずいぶん違うイメージでしたが、人間の奥深くにある一面に触れたような気がしました。本の表紙の写真は世間を厳しく睨んでいるようでこの本の内容を表しているかも。
一緒に写っているのは、益田ミリ「今日の人生2」です。
特にこれと言うこともない今日の人生を生きているのですが、生きていく日々で喜怒哀楽を感じることは必ずあるでしょう。みんな何らかの表現でそう言った心の声を発表したいものです。益田ミリの場合はこういう漫画という方法を取っているのですが、エッセイ漫画とでもいうんでしょうか。人によっては歌であったり、ラップだったり、俳句だったり、短歌だったり、エッセイだったり小説と表現方法は違うのですが、内なる感情感動が得意の表現であふれ出したものの中には、それなりに共感を呼ぶものは多々あります。表現方法が漫画と言うだけで下に見ることもなく、大人だからこそわかる漫画もあります。
益田ミリの場合は、漫画ではなくてエッセイという表現を取ることもあって、どちらがどうと言うことはなく、どちらも楽しめます。
こちらはエッセイの方で朝日新聞連載の「オトナになった女子たちへ」に加筆修正を加えたものです。