新聞テレビで定期的にと言ってもいいのだろうが、いじめが原因で自殺するという事件が取り上げられる。
その度に二度と繰り返してはいけないと言われ、有効な対策を取るようにと言われる。
思い起こせば私が小学生とか中学生だったころにも「いじめ」はあり、さすがに自殺するということはほとんど聞いたことがなかったけど、クラスの中で標的にされる子はいて、加担した覚えはないけれどスルーしていたような気はする。当時は1クラス40人以上で教師もとても目が行き届かなかっただろうし、だからと言って巷間騒がれているようなひどいことはなかったと思うのだが、当事者にとってはどうだったのか。まあ、半世紀以上前の話なので学校現場も今思うとめちゃくちゃと言うかおおらかで、教師の暴力なんて当たり前で、生徒は生徒でそれなりのそれなりのガキ大将システムが機能していたのが抑止力になっていたのかも。
なかなか根絶できないのは、どこかにいじめを認めている人間の本性があるのではと思っていたら、脳科学者の中野さんがズバリの本を書いていました。
人間社会において、どんな集団においても、排除行動や制裁行動がなくならないのは、そこに何かしらの必要性や快感があるということとか。それは人間という生物種が生存率を高めるために、進化の過程で身につけた「機能」なのでは。
う~ん、こういわれると妙に説得力があります。
人間は生身の体だけを見れば圧倒的不利な肉体なので、生き残るためには集団での協力行動が必要でした。その協力行動を促進するために、異分子(協力行動をとらない人、邪魔をする人、ズルする人など)を見つけた場合、リスクを恐れず制裁行動を起こして排除しようとする機能が脳に備え付けられたというのです。
「愛情ホルモン」とも言われるオキシトニンという脳内物質があり、仲間意識を高めるには不可欠なものですが、同時に「妬み」や「排外感情」も高めてしまいます。結果、規範意識が高い集団ほどいじめが起こりやすくなります。そして集団になると倫理的、道徳的判断が低下して理性が鈍化してしまいます。(知らない人も多いかもしれませんが「連合赤軍事件」か)
ところで日本人は遺伝子的にセレトニントランスポータが少なくて、「慎重な人・心配性な人」「空気を読む人」が多くなる傾向があるとか。同調圧力という向社会性が強いのです。
生物進化の世界ではある特定の遺伝子が広まっていく速度は一世代で1%とか。一世代20年として戦国時代以後400年間の社会情勢の安定が順応主義が促進された環境条件をもたらし、その適応戦略として諸外国と比べての遺伝子の差が出てきたとか。徳川300年の太平の世の結果と言われるとホンマでっかと思いつつそれなりに納得してしまいます。
ところでデータでみるといじめが深刻化する年代というのは小学校高学年から中学校2年生。身体が子供から大人に生まれ変わる時期でテストスロンが増加して暴力性や攻撃性が高まるのに、情動のブレーキ機能と言える前頭前野がまだ成熟していない。理性のブレーキは効かない状態のため衝動を止めることができないのです。男性と女性では特徴が違うのですが、一言でいえば女性はグループや集団をつくり、男性はヒエラルキーを前提とした派閥を作る。
文部科学省は「いじめ防止対策推進法」に基づき対策を取っているのですが、いじめはない方がよいけれども、もしあったら報告してほしいというのは矛盾したメッセージになっているのでは。いじめゼロを目指すというといじめはあってはならないことになるのですが、事の軽重はあったとしても人間の本性としてある程度は避けられないものとして捉えないと実態を見えなくしてしまうのではないでしょうか。
後半はいじめの回避策が書いてありますが、、学校でいじめの多い部活は吹奏楽部だとか。まじめで規範意識が高い集団ほどいじめが起こりやすいというのは何となく分かります。人間関係を固定しないで流動性を高めていけば、均質性が下がり一人一人の個の裁量が大きな集団になります。いじめの被害を受けた子どもは学校以外の学習の場を与えるのも一つの方法。いじめ加害者から時間的・空間的距離を置くことは回避策としては十分に早急に検討すべき方法です。
暴力を伴ういじめの抑止力としては外部の監視も有効で、監視カメラであればいじめが起こりやすい場所「教室」「廊下階段」「クラブ活動の場」「校庭」に設置すれば大きな抑止力になります。
大人のいじめに対する回避策も書いてあるので興味がある人はあとで読んでみてください。
ところで一緒に写っている池田清彦の「いい加減くらいが丁度いい」はメルマガI構成したものですが、意外だったのはリバタリアンを自任する著者の安倍首相に対する激しい嫌悪感と中島義道と内田樹を敬愛していると書いていること。ちょっとへエ~でした。まあ、軽く読んでいけるのですが、時折なるほどというような話題があったり鋭い指摘があるので暇つぶしにはいいですね。
五木寛之の本はインタビューを編集したもので何ということもないのですが、母と同じ昭和7年生まれで(本が出たときは85歳でしたが)何本も連載を持ち日本全国を旅している姿には脱帽。医者嫌いを公言していますが病気などしないのでしょうか。ある意味うらやましい。
その度に二度と繰り返してはいけないと言われ、有効な対策を取るようにと言われる。
思い起こせば私が小学生とか中学生だったころにも「いじめ」はあり、さすがに自殺するということはほとんど聞いたことがなかったけど、クラスの中で標的にされる子はいて、加担した覚えはないけれどスルーしていたような気はする。当時は1クラス40人以上で教師もとても目が行き届かなかっただろうし、だからと言って巷間騒がれているようなひどいことはなかったと思うのだが、当事者にとってはどうだったのか。まあ、半世紀以上前の話なので学校現場も今思うとめちゃくちゃと言うかおおらかで、教師の暴力なんて当たり前で、生徒は生徒でそれなりのそれなりのガキ大将システムが機能していたのが抑止力になっていたのかも。
なかなか根絶できないのは、どこかにいじめを認めている人間の本性があるのではと思っていたら、脳科学者の中野さんがズバリの本を書いていました。
人間社会において、どんな集団においても、排除行動や制裁行動がなくならないのは、そこに何かしらの必要性や快感があるということとか。それは人間という生物種が生存率を高めるために、進化の過程で身につけた「機能」なのでは。
う~ん、こういわれると妙に説得力があります。
人間は生身の体だけを見れば圧倒的不利な肉体なので、生き残るためには集団での協力行動が必要でした。その協力行動を促進するために、異分子(協力行動をとらない人、邪魔をする人、ズルする人など)を見つけた場合、リスクを恐れず制裁行動を起こして排除しようとする機能が脳に備え付けられたというのです。
「愛情ホルモン」とも言われるオキシトニンという脳内物質があり、仲間意識を高めるには不可欠なものですが、同時に「妬み」や「排外感情」も高めてしまいます。結果、規範意識が高い集団ほどいじめが起こりやすくなります。そして集団になると倫理的、道徳的判断が低下して理性が鈍化してしまいます。(知らない人も多いかもしれませんが「連合赤軍事件」か)
ところで日本人は遺伝子的にセレトニントランスポータが少なくて、「慎重な人・心配性な人」「空気を読む人」が多くなる傾向があるとか。同調圧力という向社会性が強いのです。
生物進化の世界ではある特定の遺伝子が広まっていく速度は一世代で1%とか。一世代20年として戦国時代以後400年間の社会情勢の安定が順応主義が促進された環境条件をもたらし、その適応戦略として諸外国と比べての遺伝子の差が出てきたとか。徳川300年の太平の世の結果と言われるとホンマでっかと思いつつそれなりに納得してしまいます。
ところでデータでみるといじめが深刻化する年代というのは小学校高学年から中学校2年生。身体が子供から大人に生まれ変わる時期でテストスロンが増加して暴力性や攻撃性が高まるのに、情動のブレーキ機能と言える前頭前野がまだ成熟していない。理性のブレーキは効かない状態のため衝動を止めることができないのです。男性と女性では特徴が違うのですが、一言でいえば女性はグループや集団をつくり、男性はヒエラルキーを前提とした派閥を作る。
文部科学省は「いじめ防止対策推進法」に基づき対策を取っているのですが、いじめはない方がよいけれども、もしあったら報告してほしいというのは矛盾したメッセージになっているのでは。いじめゼロを目指すというといじめはあってはならないことになるのですが、事の軽重はあったとしても人間の本性としてある程度は避けられないものとして捉えないと実態を見えなくしてしまうのではないでしょうか。
後半はいじめの回避策が書いてありますが、、学校でいじめの多い部活は吹奏楽部だとか。まじめで規範意識が高い集団ほどいじめが起こりやすいというのは何となく分かります。人間関係を固定しないで流動性を高めていけば、均質性が下がり一人一人の個の裁量が大きな集団になります。いじめの被害を受けた子どもは学校以外の学習の場を与えるのも一つの方法。いじめ加害者から時間的・空間的距離を置くことは回避策としては十分に早急に検討すべき方法です。
暴力を伴ういじめの抑止力としては外部の監視も有効で、監視カメラであればいじめが起こりやすい場所「教室」「廊下階段」「クラブ活動の場」「校庭」に設置すれば大きな抑止力になります。
大人のいじめに対する回避策も書いてあるので興味がある人はあとで読んでみてください。
ところで一緒に写っている池田清彦の「いい加減くらいが丁度いい」はメルマガI構成したものですが、意外だったのはリバタリアンを自任する著者の安倍首相に対する激しい嫌悪感と中島義道と内田樹を敬愛していると書いていること。ちょっとへエ~でした。まあ、軽く読んでいけるのですが、時折なるほどというような話題があったり鋭い指摘があるので暇つぶしにはいいですね。
五木寛之の本はインタビューを編集したもので何ということもないのですが、母と同じ昭和7年生まれで(本が出たときは85歳でしたが)何本も連載を持ち日本全国を旅している姿には脱帽。医者嫌いを公言していますが病気などしないのでしょうか。ある意味うらやましい。