怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

かっちゃんの思い出

2011-01-29 17:25:04 | Weblog
1年にも満たない闘病生活でかっちゃんが逝きました。
享年52歳とはあまりにも早く、本当に残念です。遺影をしっかり見ることが出来ませんでした。
かっちゃんは、私が研修担当の時に新規採用で、ちょっととんがってガチャガチャしていたのですが、みんなを明るくする姿が記憶に残っていました。
以来同じ職場になったことはなかったのですが、そこは狭い世界で、何回か飲みにいったり遊んだりしていました。
私がテニスを始めたばかりの頃にも何回かテニスをした記憶があります。
現在の怪しい中年テニスクラブになってからも一度だけですがテニスに来たことがあります。確か4~5年前の木ヶ崎公園テニスコートの午後で、久しぶりにラケットを取り出したので、持ってきたラケットのガットが切れた記憶があります。多分このブログにも書いてあると思うのですが、性格そのままに明るくつっこんでくるテニスだったのではないでしょうか。当時息子が陸上でインターハイに出るとかをうれしそうに話していました。
かっちゃんは、仕事でもガチャガチャしながら、いつも一生懸命がんばっていました。
でも体が奥底で悲鳴をあげていたのに、がんばりすぎてしまったのではないかと思ってしまいます。もっと息を抜かなくてはいけなかったのではないでしょうか。
鎌田實さんの「幸せさがし」からですが
がんばり続けていると、常に交感神経が緊張状態になる。交感神経が緊張すると、リンパ球が減って免疫力が下がり、がん抑制遺伝子にスイッチが入らない。がんばらないと時々思うことによって、身体はほっとして力が抜け、副交感神経が刺激されて、リンパ球が少し増え、免疫力が上がる。
でも仕事の時はがんばるかっちゃんに頼って、いろいろ情報を集めてもらったりしていた私にはこんなこと言える資格はありません。かっちゃんありがとうというだけです。
通夜に行って来たのですが、会葬御礼の文書には家族の強い絆と愛があふれていました。こんな心情あふれている会葬御礼の文は初めてだったので、こんな豊かな人生を送れたのかとある面安心しました。
これも鎌田實さんの「幸せさがし」からですが
最後まで自分らしくちゃんと生きて、感謝して自分の人生を終える。決して難しいことではない。死の中にだって幸せは隠れているのだ。そこへ行くまでのプロセスを自分らしく、心豊かに生きること。その結果、やってくる死は、人生の負けではない、きっと。
しかし、しかし、やっぱり残念です。もうあの笑顔に二度と会えないのは口惜しいし、こんな表現しか出来ないのですが、無性に悲しい。
大江健三郎の「日常生活の冒険」からの孫引きになりますが、
ゴッホの手紙に「死者を死者と思うなかれ。生者あらん限り、死者は生きん、死者は生きん。」とあります。
かっちゃん、みんなの記憶の中には今でも生きているんだ、ちゃんと覚えているよ。
コメント (2)
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