仮面の告白『雲の上の虹』

この世の誉・不正・不道徳・破廉恥・権力者を追及し、無害なことも記録しつつ、雲の上の虹をめざす枕流亭の日記(日乘)

お疲れ様!安藤美姫・織田信成選手!

2013年12月24日 | 

 これほどフィギュアスケートの全日本選手権が話題になったこともないのではないか?世代交代が明確になった大会であるということは、引退する選手がいるということだ。

 その代表が安藤美姫選手と織田信成選手の両選手。

 さらにソチ五輪が終われば、これに浅田・鈴木・高橋選手が続く。年齢的には浅田選手にはまだ頑張ってほしい気もするが、これは彼女自身がきめること。

 引際の潔さもまた美しいということになる。どこぞの引退するといってあっさり復帰した方とは違う。

 まず、今回の安藤・織田選手に拍手を送りたい。

  

一礼してリンクを去る安藤美姫

 

安藤、逆転五輪ならず「ジャンプの美姫で終わりたかった」今後は指導者に  デイリースポーツ 12月24日(火)7時0分配信

  「フィギュアスケート全日本選手権・最終日」(23日、さいたまスーパーアリーナ)

 女子フリーが行われ、前日のショートプログラム(SP)で5位だった安藤美姫(26)=新横浜プリンスク=はフリーで106・25点、合計171・12点で7位に終わり、3大会連続の五輪出場はならなかった。鈴木明子(28)=邦和スポーツランド=が合計215・18点で初優勝し、2大会連続の五輪代表入りを決めた。2位に順位を上げた村上佳菜子(19)=中京大=が初の代表入り。浅田真央(23)=中京大=はジャンプにミスが出て3位となり3連覇を逃したが、2大会連続の五輪代表に決定した。


 笑って泣いて、また笑った。滑走後、少し残念そうに、それでも笑顔を浮かべた安藤は、喝采を送る客席に向け、ちょこんと頭を下げた。「感謝の気持ちでいっぱい。スケート人生の17年間、お世話になった方々に恩返しができたかな」。リンクサイドに引き揚げる際、さまざまな思い出が詰まった銀盤に深々と頭を下げた。

 “安藤美姫らしく”終わりたかった。ノーミスでSPを終えた前夜だった。「五輪に出るためには、全日本で優勝するしかないと春先に言われたのを思い出した。最後は自分らしく終わりたいなって…」。スケーターとしての安藤美姫を、自らの胸に問いかけた。

 その答えは、天才ジャンパーと呼ばれた過去の自分だった。「(3年前と)同じプログラムをこなして、キレイに終わるのではなく『ジャンプの安藤美姫』と呼ばれた時の気持ちでやりたかった」。女子では最高難度といえる3回転ルッツ‐3回転ループなど、高難度プログラムにあえて挑戦。ジャンプのミスは目立ったが、流したのは悔し涙ではなく、万感の涙だった。

 大会後、来年1月の四大陸選手権の第二補欠と発表されたが、演技後には「この後は試合もないと思うので、これが最後の演技」と話しており、競技者としては引退する見込みだ。

 次なる夢は、指導者として“第二の安藤美姫”を育成すること。幼少期に師事した門奈コーチの背中から指導者への夢を抱き「自分も五輪の舞台に立ち、特別な場所だと分かった。自分の経験は伝えられるし、一人でも多くの子供たちを五輪に連れて行ってあげたい」。母として、指導者として‐。競技者としての区切りはついたが、夢は続いていく。

 

織田が引退を表明=ソチ五輪代表逃し-フィギュア男子 

現役引退を表明し、村上佳菜子(手前)、浅田真央(右)から花束を受け取る織田信成=24日、さいたまスーパーアリーナ

 フィギュアスケート男子で、2010年バンクーバー五輪7位の織田信成(26)=関大大学院=が24日、現役引退を正式に表明した。さいたまスーパーアリーナで行われたエキシビション終了後、「きょうを持って現役生活を退く決意をした。これからは違う道で頑張っていきたい」と話した。今後は、指導者を目指すという。

 織田は全日本選手権で4位で終わり、2大会連続となるソチ五輪代表の座を逃した。来年1月の四大陸選手権(台北)出場は辞退する。
 織田は大阪府出身。05年世界ジュニア選手権を制し、08年には全日本選手権優勝。世界選手権には5度出場した。今年1月に「ソチ五輪までと決めていた」と話し、今季限りで引退する考えを明らかにしていた。 (2013/12/24-21:17)