仮面の告白『雲の上の虹』

この世の誉・不正・不道徳・破廉恥・権力者を追及し、無害なことも記録しつつ、雲の上の虹をめざす枕流亭の日記(日乘)

カダフィ大佐の最期:独裁者に未来はない!はず

2011年10月21日 | 日記

  リビアの最高指導者だったカダフィ大佐が銃殺されたようだ。イラクのフセイン大統領同様に隠れていた所を見つかり、移送中に銃殺されたようだ。

  自由主義陣営にいる我々は様々な独裁者の末路を見てきたが、彼もその例に漏れない最期となったといえる。

  この情報を見て一番憂鬱なのは北朝鮮の最高指導者と支那の最高指導部(シナ共産党)だろうか!?

  正直なところカダフィ大佐の負の部分をよく知らないのだ。そこで日記として扱うことにした。

     

彼の独自路線はイコール独裁路線にならざるを得なかったわけだろうな。

リビアは当面混迷の時代を迎える、そうイラクのように。

 

 

リビア:カダフィ大佐の死亡を確認 拘束後に銃殺

 【エルサレム花岡洋二】リビア情勢を巡り、最高指導者だったカダフィ大佐(69)の最後の抵抗拠点、北中部シルトが20日、反カダフィ派「国民評議会」部隊の攻勢により陥落した。国民評議会のゴーガ副議長は、シルト脱出を図ったカダフィ大佐の死亡を確認したと発表、米国にも伝えたという。約42年にわたった「カダフィ独裁」は完全に崩壊し、今年2月の大規模デモ発生以来続いたリビアでの「アラブの春」は終幕を迎えた。

 リビアのテレビによると、国民評議会のアブドルジャリル議長は20日、国民向けの演説を行い、全土の「解放」を宣言する。1カ月以内に首都トリポリで移行政府を樹立し、新生リビア発足に向け、政府機構や憲法策定などのプロセスを本格化させる予定だ。

 ロイター通信は、カダフィ大佐を拘束した現場の兵士の話として、シルト陥落直後、大佐が排水溝トンネルに逃れたところを拘束、その後に銃殺したと伝えた。遺体は北西部ミスラタに運ばれたという。ただ、大佐を巡る情報は錯綜(さくそう)している。

 シルトはカダフィ大佐の出身地で、3月末に一時、国民評議会は「シルトを制圧した」と宣言したが、直後にカダフィ派が奪還するなど戦闘は一進一退を繰り返した。

 今年1月のチュニジアでの政変に端を発した民衆運動「アラブの春」は、2月半ばにリビアに波及。3月末に北大西洋条約機構(NATO)による空爆が始まったが、大佐は徹底抗戦の構えを崩さず、6月以降、行方が分からなくなった。

 首都トリポリが陥落した8月23日以降も、大佐は衛星放送などを通じ「売国奴や異教徒、ネズミどもを絶滅せよ」などと支持者に訴えてきた。

 カダフィ大佐には、次男セイフ・アルイスラム容疑者とともに国際刑事裁判所から「人道に対する罪」などの容疑で逮捕状が出ていた。

 国民評議会のアブドルジャリル議長は、カダフィ大佐を「生きたまま拘束し、公平な裁判にかける」と述べていた。8月24日には大佐の拘束に200万リビア・ディナール(約1億3000万円)の懸賞金をかけた。

 大佐の家族では、六男ハミース氏らが戦闘で死亡、妻や長男らが隣国アルジェリアに逃れている。ロイター通信などによると、大佐の四男のムタシム氏は今回のシルト陥落で殺害された模様だ。国民評議会のジブリル暫定首相は20日、アルジェリアに対し、大佐の家族の引き渡しを求めた。

 カダフィ大佐は士官学校時代の69年、27歳の青年将校として無血クーデターを敢行し、王制を打倒。以来、反米的な独裁体制を敷いた。03年のイラク戦争後は欧米に歩み寄ったが、国内では強権支配に反発が蓄積していた。