仮面の告白『雲の上の虹』

この世の誉・不正・不道徳・破廉恥・権力者を追及し、無害なことも記録しつつ、雲の上の虹をめざす枕流亭の日記(日乘)

年末年始恐怖症!確かにあるよう気がする!

2010年12月31日 | 不可思議

   このような病も現代病なのだろうか?

  確かにそのような経験がないわけではないが、この事例の方のような環境だとそのような病状態になることもあるだろうなと、同情するしかない。

  都会の孤独とか群衆の中の孤独というような状態だろう。気の休まる仲間がいないとか、モノゴトがないとかの状態であれば、人は孤独というものに苛まれてしまうだろう。

  それを芸術的に昇華できる人は圧倒的に少ないのだから。


芸術的生活って発想も必要だろうな!

 

 

 

「年末年始恐怖症」強烈な孤独感から自殺する人も

  Nさん(30)は年末年始が怖い。毎年、強烈な孤独感にさいなまれる。周囲が帰省だ初詣でだと浮かれる中、彼のように孤独に耐える人は意外に多い。耐えきれずに自殺する人も少なからずいるという。

  独身で恋人もいない。彼が子供の頃に両親は離婚し、それぞれ再婚していることもあって、どちらの実家にも帰りづらい。結果としてNさんは、毎年正月休みになると、自宅のワンルームマンションで過ごすことになる。

 普段は仲のいい友人や同僚も、この時期は彼の相手などしてくれない。正月休みの1週間、彼は完全な孤独状態だ。

 「先週までは忘年会やクリスマスで騒いでいた仲間が、急にいなくなってしまう寂しさは、正直言ってかなりこたえる。衝動的に『死んでしまいたい』と思うことも…」

 横浜相原病院院長で精神科医の吉田勝明医師が解説する。

 「実際問題として、年末年始にNさんのような状況から自殺に走る人は多い。原因として強い孤独感があるのは事実だが、その背景には新しい年への“気持ちのリセット”がうまくできないという問題がある」

 特に日本の正月には他の月初めと異なり、身の回りのあらゆることをリセットするという意味合いがある。Nさんのような人は、これがうまくできないのだ。

 「年末年始は“心の棚卸し”の時期。前年の悩みや苦しみを整理し、新たな気持ちで新年を迎えたいのに、それまでの賑やかな生活から突如として孤独な状態に落とし込まれたショックも手伝い、リセットができないまま心理的にも孤独な状態に陥ってしまうんです」

 “心理的な孤独”は生真面目な人ほど強く、独身者に限らず家庭を持っている人にもいる。その場合、自殺にとどまらず、無理心中という手段に出ることさえあるという。

 「普段は会社のために頑張っているんだから、年末年始くらいは自分のために自由に過ごせばいい。今しなければならない仕事はないんだから、こんな時こそ自由に時間を使ってほしい」と吉田医師。

 1週間後には嫌でも会社が始まる。そこにはストレスも待っている。それまでのほんのひととき、心安らかに、自分のために過ごしましょう。よいお年を-。(長田昭二) 

 


追悼! 高峰秀子さん!

2010年12月31日 | 哀悼

  昭和の名女優のおひとり高峰秀子さんが逝去された、という訃報が12月31日に流れた。“嗚呼~またおひとりが……”という感を強く持った。

 氏の映画といえばやはり『二十四の瞳』がすぐ脳裏に浮かぶ。

 正月気分が一掃したらどこぞのテレビ局は追悼番組を流せ!

 

 

 

映画「二十四の瞳」主演の高峰秀子さん逝く

日本映画を代表する女優で、「二十四の瞳」「浮雲」などに主演した高峰秀子(たかみね・ひでこ、本名松山秀子=まつやま・ひでこ)さんが28日午前5時28分、肺がんのため東京都渋谷区の病院で死去した。86歳だった。北海道函館市出身。葬儀・告別式は29日に近親者で済ませた。喪主は夫の映画監督松山善三(まつやま・ぜんぞう)氏。大みそかに明らかになった大女優の悲報は映画界に衝撃を走らせた。

 「デコちゃん」の愛称で親しまれ、映画史に偉大な足跡を残した大女優が静かに逝った。関係者によれば、10月下旬に体調を崩して都内の病院に入院。一進一退を続けたが、28日に亡くなった。

 結婚55年。最愛の妻に先立たれた夫の松山善三監督(85)は「現在、私自身、心身ともに皆さまに直接お目にかかることのできる状況ではございません。お察しのうえ、失礼の段、どうぞ寛恕(かんじょ)くださいますよう」とショックの大きさをしのばせた。

 1929年、5歳のときに松竹蒲田に入社。同年「母」で女優として歩み始めた。大人顔負けの演技ぶりに34年には歌手の故東海林太郎さんから養女になってほしいという申し込みもあったほど。38年には「綴方教室」の少女役を好演して売れっ子になり、「子役出身は大成せず」のジンクスを覆した。

 戦後も演技派として日本映画黄金期の作品に数多く出演。当時は「所属する会社以外の作品には出演できない」という5社協定があったが、高峰さんは別格。50年からフリーの立場で活躍した。

 代表作に瀬戸内海の小豆島を舞台に分校の女教師と12人の教え子の師弟愛を描いた木下恵介監督の「二十四の瞳」や成瀬巳喜男監督の「浮雲」、さらには日本最初のカラー作品「カルメン故郷に帰る」「喜びも悲しみも幾年月」などがあり、毎日映画コンクールの主演賞も最多の4度受賞している。

 55年2月25日、木下監督の勧めで「二十四の瞳」の助監督を務めた松山監督との婚約を、会見を開いて発表。これが芸能人による結婚会見のさきがけとなった。そして翌3月26日に川口松太郎、三益愛子夫妻が媒酌を務めて挙式した。79年の女優引退宣言の後はエッセイストとして活躍。「わたしの渡世日記」(98年)では日本エッセイストクラブ賞も受賞している。

 ◆高峰 秀子(たかみね・ひでこ)1924年(大13)3月27日、北海道函館市出身。49年の主演映画「銀座カンカン娘」は主題歌も大ヒット。51年、仏パリに半年間留学し、その生活を著書「巴里ひとりある記」にまとめた。68年からテレビでも活躍し、TBSのドラマ「春の別れ」(74年)などに出演。フジテレビのワイドショー「小川宏ショー」では対談コーナーの聞き手を務めた。75年に紺綬褒章を受章。