事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

奥田良三

2024-09-06 09:56:05 | 音楽
こころ祈り歌わが人生
このヒトはテナー歌手でこの本は奇しくもカレーラスの本と同し1989年の発行だがあちらが人生半ばの42歳だったのに対してこちらは86歳、たまたまテナーだという以外の共通点はない(と思う、たぶんだけど)たとえばこのヒトはシューベルトを得意にしておられたとのこと(音源みつからんけど)カレーラスのシューベルトって聴いたことないよにゃ・・・

などとすぐ話が関係ない方向へ行っちゃうのが私の悪いところで奥田氏は93年に亡くなられたのだがその前年までお元気であられたことが私のゲトしたこの本でわかるのである、この通り見開き扉ページに著者サイン入り!!献呈された方が亡くなって蔵書が古本屋送りになったんだろね、タハハのハ、こんな貴重品を私ごときが所有しちゃってよいんだろか
で何で私ごときがこの本をゲトしたかと言えばもちろん映画「音楽教師」について書かれてると聞いたから、つまりは事件記者つながりてことなので・・・

映画についての「ずいそう」は昭和60年奥田氏が82歳の時「音楽教育」という雑誌に書かれたものである、いやもうよくぞ書いてくださいました感謝感激アメアラレとしか言いようないのだが・・・
映画ができたのは昭和36年で私が学校で見たのは(たぶんだけど)38年である、もともと劇場公開が目的ではなく学校で小学生に見せるための映画だった、当時はそういう映画が確かにあったのだ(だからすぐTVでも放送されたんだろか、自分がTVで見たのはいつだったか全くウラが取れんのである)
梁田が亡くなったのは昭和34年、当時50代半ばであられた奥田氏は追悼映画の製作に台本段階から深くかかわっておられたのじゃあるまいか、つか梁田の教師時代をよく知る現役の音楽関係者として全然関わっておられなかったらその方がよっぽどフシギ、それが証拠と言っちゃ何だが元生徒沢村の回想シーンが私の記憶と微妙に違うのである
奥田氏の沢村いわく「外地で戦犯として収容された、若いMPを見て残してきた息子を思い出し彼に父親のことを尋ねたら年老いているが息災という、私は早く帰って安心させてやりなさいと言い思わず口をついて出たのがマイボニー・・・」(かなりいいかげんに省略)私の見るところこの男(沢村)は奥田氏の分身なんじゃないか、知り合いに軍人さんも多かったさうだから海外で捕まったヒトの話とかもいろいろ聞いておられたろうし
私の記憶が確かなら沢村はMPと全く言葉を交わしていない(2回見てるんだからマチガイないと思う)そもこのMPがあんまし若く見えなくて「え、これがアイさん(永井智雄当時47歳、なんてことを小学生視聴者は知るよしもない)の息子?」と思った、だが沢村がマイボニーを歌い始めたらMPも即唱和して来て歌い終わると手を差し出し「あんたは戦犯じゃないよな(英語)」
これで合ってると思うんだが、だうなんでしょう、わりと最近見られたお方?

というわけで映画自体のデータはわからずじまいなのである、ホントにもうわからんのじゃないかにゃ・・・

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