大学1年生対象の微分積分の授業を担当することをきっかけに,これまでいろいろなことを考え,その一部をブログに書いてきた。
最近もいろいろ考えているが,すでに記事にしたためたものも多いので,すでに自分が何を書いてきたかを手早く確認できるよう,ここにまとめておこうと思う。
まず,感動する心が学問を学ぶ際にとても大切だということを訴えた「数学を学ぶ心得。」と題する記事と,「数学を学ぶ意義。」という記事を最初に取り上げておく。
「数学を学ぶ意義。」では,当時,よく数学を学ぶ意義は論理的な思考法を学ぶことにある,といった主張をよく聞き,また,自分もそれまではそう考えていたのだが,それは本当なのだろうかと疑問を抱き,数学を学ぶ意義を別のところに求めようと考え,思いついたことを書いた。
当時は「場合分け」という言葉が高校に入ってから初めて本格的に使用される用語だということに気付いたころでもあり,場合分けをする能力を鍛えるのが高校で数学を学ぶことの重要な意義の一つであると思うようになった。
今読み返してみると,いま一つ物足りない。適切な場合分けができるためには,どのような場合があり得るのか,起こりうる状況をもれなく思いつくという「想像力」が不可欠である。これは「視点の多様性」とも密接な関連を持つことである。多様な視点を持っていなければ,さまざまな場合を想像することはできない。
想像力や多様な視点を育む土壌は,「経験」である。ヒトは自分が経験したことのない未知のことがらでも想像力でカバーすることができるが,まったくの「無」からそれが可能だとは思われない。類似の体験からの類推が想像の源泉だろうから,多様な経験を積むことは,幅広い想像力を獲得するためには必須であろうと思われる。
また,「多様な物事の間にある共通性を見出す能力」は,いわば本質を見抜く能力であるが,判断力や批判精神といった「評価する力」がある程度なければ身につかないものではないだろうか。
さて,数学を何か具体的な問題に応用しようとしたら,やはり計算は避けては通れない。それなのに,小中学校レベルの基礎的な計算がろくにできない理系の大学生は多い。そこで,計算力を鍛える問題をいろいろ考案してみた。それが「計算力をつける。」というメモの内容である。そこに挙げた問題のいくつかは,実際に自分の授業で出題したものがある。例えばヘロンの公式がそうである。
また,正接関数 (tan) の加法定理にまつわる問題もいろいろ考えたが,その一部を出題したことがあったように思う。
その他,グラフの平行移動,折り返し,拡大縮小も,写像の概念に慣れる格好の題材であるし,しかもプロトタイプの関数のグラフを一つ知っているだけで,その関数と1次関数を合成して得られる「ちょっと毛の生えた関数」のグラフもただちに概形がわかってしまうという,きわめて高い実用性も備えているので,絶対に取り上げたい題材の一つである。
ちなみに,グラフの移動に関する考察を推し進めた結果,ある統一的な形式にまとめられることに気付いた。これは今にして思えばある群の作用の元でのグラフの変換という,幾何学ではきっと常識的な話に過ぎないのだが,このようなことを考えたことがあるおかげで,ちょうど最近興味を持っている対称性に関する数学的な理論を学ぶための心構えができているように思う。
なお,大学1年生が対象であることもあり,題材はすべて高校までに習う数学の範囲から選んである。
今年度の「マイテーマ (my theme,そういう表現が英語にあるかどうかは知らないが)」としては,数学の使い方に力点を置こうと思っているのだが,ここでいう「使い方」とは公式の機械的な当てはめ方ではなくて,数学に関するすでに学んだ/知っている知識を新しい問題にどう適用するか,という方法を,試行錯誤に基づく実践的な訓練で学び取っていって欲しいというような,抽象的な「心構え」のレベルのものを指す。その場面で,なぜその公式を使用するのか,といったような根拠や理屈といったものを自分の頭で考える姿勢や習慣を身に付けて欲しいという壮大な願望を抱いているのだが,普通の学生には荷が重すぎるかもしれない。
おそらく,高校までの数学の授業では,公式の証明もろくに解説されず,機械的に数値を当てはめて答えを出すというような訓練ばかりさせられてきただろうから,それとは全く異質な僕の要求は学生を困惑させるだけなのかもしれない。しかし,「わからない」ことを教えてはいけないわけではあるまい。大学ですら「わからない」を与えて「わかる」に変えるような努力や体験をさせないで若者を社会に送り出していいものだろうか。それは大人として,教育者として,あまりにも無責任なのではないだろうか。
「わからない」と言われることを恐れてはならない。「わからない」と学生がすぐに挫折してしまうので,それをつい恐れてなるべく挫折しないように手加減しようという風潮が現在の日本には蔓延しているような気がするが,それではまずいだろう。挫折したことがなければ,そこから這い上がるという体験は決して味わうことがないのである。簡単に挫折するかもしれないが,長い時間をかけて,いずれ自力で克服するかもしれない。そういう長い目で見て,今の若者の底力を信じて挫折を味わわせることも,一つの教育ではないだろうか。
なんか,今,すごくそういう気がしてきた。よし。正当化完了!
さて,授業では集合論の基本的な知識の復習や,やや発展的な(といっても集合論としては初歩の初歩だが)内容の紹介も行っているが,その際,集合を表す図を利用すると理解しやすいよということも紹介する。もちろん,問題を理解するのに役立つような図を描く能力を獲得すること自体が集合論の初歩をマスターすることであるとも言えるので,集合の理論がさっぱりわからず,図の読み解き方もわからない者には図が描けるはずもなく,図のありがたみもさっぱりわからないであろう。
これは自分の経験からそう思うのであるが,いくら概念をわかりやすく整理してまとめてくれたとしても,他人の描いた図というのはあまり見る気がしないものである。図を漫然と眺めるだけでは決して頭に入ってこないから,ある程度頭を働かせて図を読み解かなくてはならない。その作業は意外と楽ではないのである。
その代わり,自分でそのようなまとめの図を描くのはなかなか楽しい。だから,自分が描いた図を学生に理解しろというのは気が引けるが,真似して自分でまとめの図を描いてみることは強く勧めたい。その作業は絶対に無駄ではない。必ず知識が自分の血肉となって取り込まれるはずである。
実数の集合の一例としては区間がある。今年度は,2次方程式や2次不等式の解(「解集合」と呼ぶこともあると,高校の教科書に必ず書いてあるはずである)を,わざわざ半無限区間の共通部分や和集合として表すというパズルを演習問題として出題した。これはこの間思いついた,完全オリジナル問題である。2次方程式や2次不等式という,よく慣れた題材をちょっと違った視点から捉え直し,かつあまり訓練されてこなかった集合の記号を用いて書き表すということで,パズル要素もあることだし,なかなか良い問題だと思っているのだが,まあ,大抵の学生にとってはやはり荷が重いかもしれない。
見たこともないような問題に出会って,わくわくするのか,不安でやる気をなくすのか,どっちなのだろうか。大学に入った以上,もう「大学入試に出るような,型にはまった問題だけを解くような,とても限定された勉強」からさっさと解放されて,もっと自由な発想との出会いを楽しんでもらいたいものなのだが。
なんだか面白そうな問題に出会ったらわくわくするという感性はおそらく小学低・中学年の子供なら持っているのではないかと思うのだが,どうして大学に入る頃にはそのような感性が死に絶えてしまうのだろうか。
「なんだかよくわからんけど,面白そう!」と感じられる感性を早く取り戻してもらいたいものである。きっと,胸のうちのどこかで眠っているだけなのだと思うのだが・・・。
区間については,自分で考案したパズル的な問題が他にもあるが,それはたぶんまだ自分の学生に出題したことはなかったのではないかと思う。
数列の極限に関する問題としては,ある性質を持った数列が収束するかどうかの判断を求めたり,もし必ずしも収束しないのだとすれば,その判断の根拠としての反例を作らせるといった問題が好きなのだが,そのような想像力を駆使する問題は,典型的な数列と接した経験がある程度なければ自力で解答するのはまず無理だろうから,数列の極限についてろくに習ったことのない学生にはレベルが合っていないかもしれない。
っていうか,この問題,今,解けないんだけど・・・。なんで答えを載せなかったんだろう・・・。あ,わかった。おぼろげな記憶を頼りに,どうにか答えを再現することができた。あー,びびった!
高校で習う新しい関数として,三角関数と指数関数・対数関数がある。これらは理学・工学のあらゆる分野で使用されている,応用上きわめて重要な関数である。だからこそ高校で習うのであるが,それらを微分したり,積分したりするのは微分積分という科目の中心的なタスクであるから,それらの基本的な性質について,「使える」レベルまでしっかり習熟しておいてもらわないといけない。
三角関数については,例えば有名角の三角比くらいは,電卓などに頼らずともパッと思い出せるようでいて欲しいものである。
指数関数と対数関数については,覚えておくべきことはそれほど多くない。指数法則や対数の計算規則,あとは対数の底の条件や真数条件くらいなものである。特に対数の計算規則は高校で初めて導入されるため,大学1年生は十分に慣れているとは言いがたい。そこで,もっと慣れてもらうために計算練習をさせたいのだが,パズルっぽい要素を持った問題などで楽しく学習してもらいたいと常々思っている。ただ,今のところ,たいして問題のレパートリーがあるわけではない。
微分法の概念を理解してもらうには,中学で習った変化の割合から話を説き起こすのがよいのではないかと比較的最近思い至ったのだが,そもそも小学校レベルの比例と割合からつまずいているのかもしれないから,学生たちが抱えている問題は深刻である。
あらゆる関数を1次関数で荒っぽく近似するというのが微分法のアイデアの核心なのであるが,学生たちはそもそも近似の概念にほとんど接したことがないため,まず近似についてじっくり解説することから始めなければならないのかもしれない。
これは今まで気付かなかった観点である。そうか,むしろ,近似についてゼロから解説するのが,微分積分という科目の中心課題なのかもしれない。
なぜ微分という方法を学ぶのかについて,「関数の性質の研究」という立場から考えをめぐらせたことがある。1次関数を取り扱う際は,実質的に微分係数と言ってもよい「変化の割合」が大活躍したのに,高校で学ぶ2次関数の理論では変化の割合が完全になりを潜めてしまう。それは,平方完成(基本変形ともいう)という,2次関数のみに通用する特殊な技法がクローズアップされるからである。
平方完成は3次以上の多項式関数にはもはや通用しない。当然,分数関数や無理関数,三角関数や指数関数,対数関数にも一般には適用できない代物である。
それにひきかえ,導関数を求めて増減の様子を把握すれば,たちどころに関数のグラフの概形がつかめてしまう。それはやはり画期的なことだと言わざるを得ない。
授業時間に余裕があれば,分数の形をした関数の極限を求める際に威力を発揮するロピタルの定理についてもじっくり演習したいものだが,なかなか時間が取れない。
日本では,高校で積分を導入する際,微分の逆演算として不定積分を定積分より先に導入することが標準的だが,それでは定積分でなぜ曲線の長さや図形の面積が定積分で求まるのか,肝心な点がよくわからなくなってしまう。
やはり,長さや面積を求める発想をベースに定積分の考え方をまず学び,その後,微分と積分の関係について考察する方がよいと思う。
実際,微分係数は「引いて割る」という操作の後,極限を経て求められるが,その逆である積分の計算は「掛けて足す」という全く逆の手順で行われるということで,微分と積分が互いに逆の操作であることがよりよくわかるのではないかと期待される。
なお,計算の手順によく気をつけて欲しい。
『x から 2 を引いて 3 で割ったら 4 になった』
ということを,計算の順序を正しく考慮して式で表せば
(x-2)÷3=4
となる。これを解きほぐして x について解くには,x から 4 を得るために施した操作と全く逆の操作を次のような手順で行うことになる。
まず (x-2)÷3=4 の左辺の「÷3」を解除するために,両辺に 3 を掛けて x-2=4×3 を得る。
その後,-2 を解除するために両辺に +2 を加えて x=4×3+2 を得るのである。
これは
『4 に 3 をかけて 2 を足したら x になった』
ということである。
『2 を引いた』あとに『3 で割る』という操作の逆は,まず『3 をかけて』から『2 を足す』ことになる。
だから,「引いて割る」の逆は「掛けて足す」になるのである。
このような,実際の計算操作と結びつけた微分と積分の関係の捉え方は大事だと思うので,ここで改めて強調した次第である。
部分積分の計算規則は,記号で公式を述べるとよくわからないような印象を受けるかもしれないが,ある種のバランス感覚を持っていれば,きわめて自然な計算規則だと思えるようになるはずである。もっとも,計算練習を積めば部分積分にはすぐに習熟できると思う。
ときどき,「えっ,こんな関数も積分できるの?」と驚くような問題を見かけることがあるが,そういうものも時間が許す限り紹介したいものである。
ここで挙げたもの以外にも,最近思いついた「計算感覚のたとえ」があるので,それらもおいおいブログで紹介していくつもりである。
授業のある期間は,ほぼ四六時中,「この計算規則はどう説明したら強く印象に残せるだろうか」といったことを考え続けている。
それは自分が授業で話している最中にも常に行われている。そのため,授業中に何かアイデアがひらめくことはしょっちゅうある。
そういうわけで,授業を通じて一番学んでいるのは誰かというと,それは他ならぬ,教師である僕なのである。
だから,学生に本気で何かを学び取らせるには,教育実習のように,個々の学生が教師となって授業を行ってもらうのが一番効果的なのだろう。
最近もいろいろ考えているが,すでに記事にしたためたものも多いので,すでに自分が何を書いてきたかを手早く確認できるよう,ここにまとめておこうと思う。
まず,感動する心が学問を学ぶ際にとても大切だということを訴えた「数学を学ぶ心得。」と題する記事と,「数学を学ぶ意義。」という記事を最初に取り上げておく。
「数学を学ぶ意義。」では,当時,よく数学を学ぶ意義は論理的な思考法を学ぶことにある,といった主張をよく聞き,また,自分もそれまではそう考えていたのだが,それは本当なのだろうかと疑問を抱き,数学を学ぶ意義を別のところに求めようと考え,思いついたことを書いた。
当時は「場合分け」という言葉が高校に入ってから初めて本格的に使用される用語だということに気付いたころでもあり,場合分けをする能力を鍛えるのが高校で数学を学ぶことの重要な意義の一つであると思うようになった。
今読み返してみると,いま一つ物足りない。適切な場合分けができるためには,どのような場合があり得るのか,起こりうる状況をもれなく思いつくという「想像力」が不可欠である。これは「視点の多様性」とも密接な関連を持つことである。多様な視点を持っていなければ,さまざまな場合を想像することはできない。
想像力や多様な視点を育む土壌は,「経験」である。ヒトは自分が経験したことのない未知のことがらでも想像力でカバーすることができるが,まったくの「無」からそれが可能だとは思われない。類似の体験からの類推が想像の源泉だろうから,多様な経験を積むことは,幅広い想像力を獲得するためには必須であろうと思われる。
また,「多様な物事の間にある共通性を見出す能力」は,いわば本質を見抜く能力であるが,判断力や批判精神といった「評価する力」がある程度なければ身につかないものではないだろうか。
さて,数学を何か具体的な問題に応用しようとしたら,やはり計算は避けては通れない。それなのに,小中学校レベルの基礎的な計算がろくにできない理系の大学生は多い。そこで,計算力を鍛える問題をいろいろ考案してみた。それが「計算力をつける。」というメモの内容である。そこに挙げた問題のいくつかは,実際に自分の授業で出題したものがある。例えばヘロンの公式がそうである。
また,正接関数 (tan) の加法定理にまつわる問題もいろいろ考えたが,その一部を出題したことがあったように思う。
その他,グラフの平行移動,折り返し,拡大縮小も,写像の概念に慣れる格好の題材であるし,しかもプロトタイプの関数のグラフを一つ知っているだけで,その関数と1次関数を合成して得られる「ちょっと毛の生えた関数」のグラフもただちに概形がわかってしまうという,きわめて高い実用性も備えているので,絶対に取り上げたい題材の一つである。
ちなみに,グラフの移動に関する考察を推し進めた結果,ある統一的な形式にまとめられることに気付いた。これは今にして思えばある群の作用の元でのグラフの変換という,幾何学ではきっと常識的な話に過ぎないのだが,このようなことを考えたことがあるおかげで,ちょうど最近興味を持っている対称性に関する数学的な理論を学ぶための心構えができているように思う。
なお,大学1年生が対象であることもあり,題材はすべて高校までに習う数学の範囲から選んである。
今年度の「マイテーマ (my theme,そういう表現が英語にあるかどうかは知らないが)」としては,数学の使い方に力点を置こうと思っているのだが,ここでいう「使い方」とは公式の機械的な当てはめ方ではなくて,数学に関するすでに学んだ/知っている知識を新しい問題にどう適用するか,という方法を,試行錯誤に基づく実践的な訓練で学び取っていって欲しいというような,抽象的な「心構え」のレベルのものを指す。その場面で,なぜその公式を使用するのか,といったような根拠や理屈といったものを自分の頭で考える姿勢や習慣を身に付けて欲しいという壮大な願望を抱いているのだが,普通の学生には荷が重すぎるかもしれない。
おそらく,高校までの数学の授業では,公式の証明もろくに解説されず,機械的に数値を当てはめて答えを出すというような訓練ばかりさせられてきただろうから,それとは全く異質な僕の要求は学生を困惑させるだけなのかもしれない。しかし,「わからない」ことを教えてはいけないわけではあるまい。大学ですら「わからない」を与えて「わかる」に変えるような努力や体験をさせないで若者を社会に送り出していいものだろうか。それは大人として,教育者として,あまりにも無責任なのではないだろうか。
「わからない」と言われることを恐れてはならない。「わからない」と学生がすぐに挫折してしまうので,それをつい恐れてなるべく挫折しないように手加減しようという風潮が現在の日本には蔓延しているような気がするが,それではまずいだろう。挫折したことがなければ,そこから這い上がるという体験は決して味わうことがないのである。簡単に挫折するかもしれないが,長い時間をかけて,いずれ自力で克服するかもしれない。そういう長い目で見て,今の若者の底力を信じて挫折を味わわせることも,一つの教育ではないだろうか。
なんか,今,すごくそういう気がしてきた。よし。正当化完了!
さて,授業では集合論の基本的な知識の復習や,やや発展的な(といっても集合論としては初歩の初歩だが)内容の紹介も行っているが,その際,集合を表す図を利用すると理解しやすいよということも紹介する。もちろん,問題を理解するのに役立つような図を描く能力を獲得すること自体が集合論の初歩をマスターすることであるとも言えるので,集合の理論がさっぱりわからず,図の読み解き方もわからない者には図が描けるはずもなく,図のありがたみもさっぱりわからないであろう。
これは自分の経験からそう思うのであるが,いくら概念をわかりやすく整理してまとめてくれたとしても,他人の描いた図というのはあまり見る気がしないものである。図を漫然と眺めるだけでは決して頭に入ってこないから,ある程度頭を働かせて図を読み解かなくてはならない。その作業は意外と楽ではないのである。
その代わり,自分でそのようなまとめの図を描くのはなかなか楽しい。だから,自分が描いた図を学生に理解しろというのは気が引けるが,真似して自分でまとめの図を描いてみることは強く勧めたい。その作業は絶対に無駄ではない。必ず知識が自分の血肉となって取り込まれるはずである。
実数の集合の一例としては区間がある。今年度は,2次方程式や2次不等式の解(「解集合」と呼ぶこともあると,高校の教科書に必ず書いてあるはずである)を,わざわざ半無限区間の共通部分や和集合として表すというパズルを演習問題として出題した。これはこの間思いついた,完全オリジナル問題である。2次方程式や2次不等式という,よく慣れた題材をちょっと違った視点から捉え直し,かつあまり訓練されてこなかった集合の記号を用いて書き表すということで,パズル要素もあることだし,なかなか良い問題だと思っているのだが,まあ,大抵の学生にとってはやはり荷が重いかもしれない。
見たこともないような問題に出会って,わくわくするのか,不安でやる気をなくすのか,どっちなのだろうか。大学に入った以上,もう「大学入試に出るような,型にはまった問題だけを解くような,とても限定された勉強」からさっさと解放されて,もっと自由な発想との出会いを楽しんでもらいたいものなのだが。
なんだか面白そうな問題に出会ったらわくわくするという感性はおそらく小学低・中学年の子供なら持っているのではないかと思うのだが,どうして大学に入る頃にはそのような感性が死に絶えてしまうのだろうか。
「なんだかよくわからんけど,面白そう!」と感じられる感性を早く取り戻してもらいたいものである。きっと,胸のうちのどこかで眠っているだけなのだと思うのだが・・・。
区間については,自分で考案したパズル的な問題が他にもあるが,それはたぶんまだ自分の学生に出題したことはなかったのではないかと思う。
数列の極限に関する問題としては,ある性質を持った数列が収束するかどうかの判断を求めたり,もし必ずしも収束しないのだとすれば,その判断の根拠としての反例を作らせるといった問題が好きなのだが,そのような想像力を駆使する問題は,典型的な数列と接した経験がある程度なければ自力で解答するのはまず無理だろうから,数列の極限についてろくに習ったことのない学生にはレベルが合っていないかもしれない。
っていうか,この問題,今,解けないんだけど・・・。なんで答えを載せなかったんだろう・・・。あ,わかった。おぼろげな記憶を頼りに,どうにか答えを再現することができた。あー,びびった!
高校で習う新しい関数として,三角関数と指数関数・対数関数がある。これらは理学・工学のあらゆる分野で使用されている,応用上きわめて重要な関数である。だからこそ高校で習うのであるが,それらを微分したり,積分したりするのは微分積分という科目の中心的なタスクであるから,それらの基本的な性質について,「使える」レベルまでしっかり習熟しておいてもらわないといけない。
三角関数については,例えば有名角の三角比くらいは,電卓などに頼らずともパッと思い出せるようでいて欲しいものである。
指数関数と対数関数については,覚えておくべきことはそれほど多くない。指数法則や対数の計算規則,あとは対数の底の条件や真数条件くらいなものである。特に対数の計算規則は高校で初めて導入されるため,大学1年生は十分に慣れているとは言いがたい。そこで,もっと慣れてもらうために計算練習をさせたいのだが,パズルっぽい要素を持った問題などで楽しく学習してもらいたいと常々思っている。ただ,今のところ,たいして問題のレパートリーがあるわけではない。
微分法の概念を理解してもらうには,中学で習った変化の割合から話を説き起こすのがよいのではないかと比較的最近思い至ったのだが,そもそも小学校レベルの比例と割合からつまずいているのかもしれないから,学生たちが抱えている問題は深刻である。
あらゆる関数を1次関数で荒っぽく近似するというのが微分法のアイデアの核心なのであるが,学生たちはそもそも近似の概念にほとんど接したことがないため,まず近似についてじっくり解説することから始めなければならないのかもしれない。
これは今まで気付かなかった観点である。そうか,むしろ,近似についてゼロから解説するのが,微分積分という科目の中心課題なのかもしれない。
なぜ微分という方法を学ぶのかについて,「関数の性質の研究」という立場から考えをめぐらせたことがある。1次関数を取り扱う際は,実質的に微分係数と言ってもよい「変化の割合」が大活躍したのに,高校で学ぶ2次関数の理論では変化の割合が完全になりを潜めてしまう。それは,平方完成(基本変形ともいう)という,2次関数のみに通用する特殊な技法がクローズアップされるからである。
平方完成は3次以上の多項式関数にはもはや通用しない。当然,分数関数や無理関数,三角関数や指数関数,対数関数にも一般には適用できない代物である。
それにひきかえ,導関数を求めて増減の様子を把握すれば,たちどころに関数のグラフの概形がつかめてしまう。それはやはり画期的なことだと言わざるを得ない。
授業時間に余裕があれば,分数の形をした関数の極限を求める際に威力を発揮するロピタルの定理についてもじっくり演習したいものだが,なかなか時間が取れない。
日本では,高校で積分を導入する際,微分の逆演算として不定積分を定積分より先に導入することが標準的だが,それでは定積分でなぜ曲線の長さや図形の面積が定積分で求まるのか,肝心な点がよくわからなくなってしまう。
やはり,長さや面積を求める発想をベースに定積分の考え方をまず学び,その後,微分と積分の関係について考察する方がよいと思う。
実際,微分係数は「引いて割る」という操作の後,極限を経て求められるが,その逆である積分の計算は「掛けて足す」という全く逆の手順で行われるということで,微分と積分が互いに逆の操作であることがよりよくわかるのではないかと期待される。
なお,計算の手順によく気をつけて欲しい。
『x から 2 を引いて 3 で割ったら 4 になった』
ということを,計算の順序を正しく考慮して式で表せば
(x-2)÷3=4
となる。これを解きほぐして x について解くには,x から 4 を得るために施した操作と全く逆の操作を次のような手順で行うことになる。
まず (x-2)÷3=4 の左辺の「÷3」を解除するために,両辺に 3 を掛けて x-2=4×3 を得る。
その後,-2 を解除するために両辺に +2 を加えて x=4×3+2 を得るのである。
これは
『4 に 3 をかけて 2 を足したら x になった』
ということである。
『2 を引いた』あとに『3 で割る』という操作の逆は,まず『3 をかけて』から『2 を足す』ことになる。
だから,「引いて割る」の逆は「掛けて足す」になるのである。
このような,実際の計算操作と結びつけた微分と積分の関係の捉え方は大事だと思うので,ここで改めて強調した次第である。
部分積分の計算規則は,記号で公式を述べるとよくわからないような印象を受けるかもしれないが,ある種のバランス感覚を持っていれば,きわめて自然な計算規則だと思えるようになるはずである。もっとも,計算練習を積めば部分積分にはすぐに習熟できると思う。
ときどき,「えっ,こんな関数も積分できるの?」と驚くような問題を見かけることがあるが,そういうものも時間が許す限り紹介したいものである。
ここで挙げたもの以外にも,最近思いついた「計算感覚のたとえ」があるので,それらもおいおいブログで紹介していくつもりである。
授業のある期間は,ほぼ四六時中,「この計算規則はどう説明したら強く印象に残せるだろうか」といったことを考え続けている。
それは自分が授業で話している最中にも常に行われている。そのため,授業中に何かアイデアがひらめくことはしょっちゅうある。
そういうわけで,授業を通じて一番学んでいるのは誰かというと,それは他ならぬ,教師である僕なのである。
だから,学生に本気で何かを学び取らせるには,教育実習のように,個々の学生が教師となって授業を行ってもらうのが一番効果的なのだろう。