担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

ツクツクボウシのなく頃に。

2015-09-29 23:23:15 | Weblog
とある地域でツクツクボウシが盛んに鳴いていたが,他のセミの鳴き声はしなかった。自分の地元でももう聞こえない。

日中はそこそこ暑かったが,夜も更けて風が強くなり,かなり涼しくなった。

耳を澄ませば秋の虫の音が聞こえてくる。
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Hessの法則。

2015-09-28 19:44:16 | chemistry
久々に熱化学で重要な Hess の法則を思い出す機会があった。調べてみると,Hess の法則が発表されたのは 1840 年で,エネルギー保存則(熱力学第一法則)の提唱に先んじていたとのことである。ちょうど最近,エネルギー概念の成立の過程が気になっていたので,自分としてはタイムリーな話題であった。

エネルギー概念の歴史については,めぼしい書物にあたるつもりである。

ちなみに,Hamilton がいわゆる Hamilton 形式による力学の再定式化を発表したのは 1833年から 1834年にかけてのことで,それは Hess の法則よりもさらに前のことである。詳しく見てはいないが,Hamilton はエネルギーという言葉は使っていないように思われる。

こんな基本的なことすらおぼつかないというのは,いつものことながら,己の無知さ加減にあきれるばかりである・・・。
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今宵はスーパームーン。

2015-09-28 19:20:45 | 爺ネタ
日中は室温が28℃以上だったように思う。風は心地よく,真夏ほどの暑さには感じないが,家の廊下などででれーんと猫が夏モード全開で寝そべっている。
風が心地よいとは書いたが,湿度が高いようで,午後7時半現在もじっとり汗をかいている。

そんな気温だったにも関わらず,セミの鳴き声はまるで聞こえなかった。室内でじっと耳を澄ませて,ようやくかすかに遠方からアブラゼミの鳴き声が聞こえたかどうか,といったところであった。


ちょっとした用事で日が暮れた直後あたりに外に出かけたら,東の空にめちゃめちゃでっかい月が浮かんでいた。

そういえば中秋の名月はスーパームーンだという話だったな。(*)

昨晩はどうせ曇りだろうと思っていたところ,午後9時ごろには雲間から真ん丸な月が顔を出していた。すでにかなり上っていたので,よくウサギにたとえられるような黒い模様がくっきり見えたものの,さほど大きいとは思わなかった。

けれども,今日見かけた高度の低いスーパームーンは,思わず「でっけー!」と一人ごちてしまうほど大きく見えた。


ところで,「~するほど」というときの「~する」といった動詞の活用形はなんだろうか。ネットで調べたところ「ほど」の前には連体形がくるとのことである。

そうすると,「ひとりごつ」というのは文語で四段活用らしいので,「ひとりごちてしまうほど」を簡潔にすると「ひとりごつほど」になるのかな。

うーん,なんか違和感あるなあ。


あともう一つ,最近の出来事を書き記しておく。近所で起きた殺人事件の犯人が捕まったそうだ。


(*)正しくは9月27日が中秋の名月で,翌28日がスーパームーンである。
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意識。

2015-09-27 14:12:15 | 雑感
世界を「モノ」と「コト」とに分ける二元論に固執することが世界の認識に有効かどうかはわからないが,当面の立脚点としてそういう立場に立つことにする。

ヒトがあると感じている「意識」は形のあるモノではなく,脳のある機能というコトである。

それは例えば「熱」という物質があるわけではなく,「熱」は原子や分子の「ありよう」,もしくは運動状態であって,コトの部類である。

ここで熱を持ち出したのは意識と具体的に関連があると考えたからではないが,むしろ逆に意識と熱に本当に何らかの共通点がないかと探ってみるのも面白いかもしれない。

ところで,話は変わるが,昨晩,寝床で意識について考えた際,宇宙に点在する銀河のようなイメージを思い描いた。世界全体はある意味,一つの何かであり,その中で小さな小さなデキモノのように個人個人の意識がポツポツとスポットを作っている。とはいえ,それらのスポットは周囲の世界から独立した異質なものではなく,ただ単に何かが集中的に渦巻いているだけである。そしてその渦と周囲との境界ははっきりしておらず,ぼやけて周囲に溶け込んでいる。

世界のどこかで何かが起こると,それは波動として世界のあらゆる部分へと伝わっていく。とすると,ある個人の意識が波源となって,その影響が周囲に伝播していくこともあることになる。ある個人の意識という点がゆらぐと,そのゆらぎは少し離れたところにある他の個人の意識に影響を与えるだけではなく,それらの意識の間にある媒質としての世界にも何らかの影響を与える,という場の考え方に立つと,意識が周囲に物理的な影響を与える,というSF的なものの見方が得られることになる。しかしそれは実は何一つ目新しいことを主張しているわけではない。声を出す,手を動かしてモノを持ち上げる,などといった普通の動作を,あえて「意識が周囲の世界に影響を与える」などと普通ではない言い回しで言い表しただけのことである。

そしてまた話は飛ぶが,幽霊というものの存在についてもいろいろ考えを巡らせてみた。幽霊はモノではなくコト,つまり情報の一種であり,それを知覚できる脳を持っている人は霊感が強く,そうでない人は脳がそうなっていないということなのかもしれない。そして霊とは感じる,あるいは脳で視るものであって,それは物理的な光の情報とは別物であるため,カメラで撮影して科学的に検証することが難しいと考えればよいのかもしれない。それか,もしくは意識云々とは全く無関係であって,確かな物理現象ではあるのだが,再現性が低く,きわめて稀な現象であるために科学理論の枠組みにおさまらないのかもしれない。

幽霊の話だけでなく,一般的に,再現性がなかったり,稀にしか起こらない現象は通常の科学の対象とはなりえないのだろう。それはもちろん「科学とは何か」という定義に大きく依存するが,科学とは再現性がある現象,もしくは頻繁に観察される現象に関する法則性を見出す行為なのだと定義した上で,科学の扱える対象を再現性のない現象や稀な現象へと拡張するにはどうしたらよいか,という問題を提起することができる。そういった試みに関する議論はおそらく相当な蓄積があるのではないかと思われる。


まったくとりとめもなく漠然とした思いつきに過ぎない考えを整理もせずに並べ立ててしまった。他人に読ませるような文章ではないが,おそらく未来の自分もろくに読み返しはしないだろう。要するにジャンクな一文であった。
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セミファイナルは近い。

2015-09-27 14:11:09 | Weblog
今日もまだ遠くの方からアブラゼミの鳴き声がかすかに聞こえる。

9月いっぱいもつか,といったところである。
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立ち入り禁止。

2015-09-27 14:01:02 | Weblog
直線距離にして100メートル程度,歩いて2分くらいのアパートで殺人事件があった。

とある用事で駅まで行こうとしたら,途中の道が "KEEP OUT" と黒い字で書かれた黄色いテープで通行止めになっていた。

向かい側の道を使うしかなかったのだが,「フジテレビ」と書かれたテレビカメラを抱えた男性など,数人がうろついていて邪魔だった。

お約束とはいえ,事件現場を撮影することにいかなる意義があるのだろうか。無駄などころか,警察の捜査員や地元の住民の迷惑にしかならない。


今日この時点で容疑者が見つかったという情報はまだない。


あ,もちろん犯人は僕ではないし,容疑者もしくは犯人をかくまったりもしていないよ。
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休日らしい過ごし方。

2015-09-23 21:07:23 | Weblog
今日は秋分の日。これから春分の日まで,昼よりも夜の方が長くなる。

昨日,徒歩で片道30分かかるホームセンターまで買い物に行った際,普段と少し違うルートを試したところ,今まで気づかなかった小道を発見した。翌日も天気がよいなら散歩に行こうと決意し,その日である今日,実際に行ってきた。

緑地保全地区ということで,舗装された細い道や,土や木くずの積もった柔らかく歩きやすい道,しっかりと舗装された道など,散歩道が整備されているのは歩いて20分程度の距離ではあったが,途中,木々に囲まれて渓流のような箇所もあり,堪能することができた。

ここならひょっとするとホタルがいるかもしれないと思える場所もあったが,ネットで調べた限りではわからなかった。もっと下流でホタルを復活させる試みがなされているらしい。その辺りではカワセミも見られるという。カワセミは写真でしか見たことがないので,いつかその川のほとりで見てみたいものである。

僕が歩いたところは川幅が2メートル程度で,小川といった感じのところであったが,一ヵ月前に訪れた熊本の江津(えづ)湖公園を思い出した。思い出しついでにネットで調べたら,期待通り,5月にはホタルが舞い,カワセミの姿も見られるようであった。

そんな風にして昔の自然をできる範囲でそのままにしてくれているのは大変ありがたいことである。地元の人たちの取り組みに感謝したい。

朝夕は涼しいものの,日中は室温が28℃に達する陽気であった。ミンミンゼミとアブラゼミ,そしてヒグラシはいずれも一匹だけ鳴いているのを道すがら聞いた。ツクツクボウシは数か所で鳴き声を聞いた。僕が住んでいる地域でのセミファイナルはもうすぐである。

休みの日は買い物などの用事で出かけることもあるが,純粋に散歩だけの目的で出かけたのは何年振りだろうか。久方ぶりに休日の過ごし方らしい過ごし方をした。

今後もできればそうした普通の人らしい過ごし方をしていきたいものである。

とはいえ,実のところ,休みの日に足腰がなまらないよう,訓練の目的があったといえばあったのだが,まあ,それは行楽のおまけということにしておこう。

長い秋雨はぼちぼち終焉を迎えたことだろう。10月は晴れた休日には八国山までピクニックに行こうかな。授業のある日は電車の乗り換えやキャンパスで階段の上り下りが結構あるので,坂道で足腰を鍛えるというのが目的ではあるのだが。
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秋を感じさせる花。

2015-09-22 23:09:53 | Weblog
先週からすでにヒガンバナは咲き始めていた。

数日前にキンモクセイの香りを嗅いだ気がする。ギンナンの匂いもした。

今日はセミの声を聞かなかったように思う。この分だと来月末にはこの辺りでも紅葉が始まっているかもしれない。

秋が長い分には歓迎だが,冬がとても寒くなったりしたら困るなぁ。
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素晴らしいネーミングセンス。

2015-09-21 16:34:27 | 爺ネタ
誰が言い出したのか知らないが,9月の連休をシルバーウィークと言うそうだ。

5月の連休をゴールデンウィークと呼ぶのに対比してのことだろうが,9月はちょうど敬老の日を含むので,「シルバー」とは絶妙なネーミングである。

そもそもなぜ5月の連休をゴールデンウィークと呼ぶのか,「ゴールデン」である必然性は特にないだろう。ひょっとすると話は逆で,秋のシルバーウィークが先に命名されて,それに合わせて5月の方をゴールデンウィークにしたのではないかとさえ思えてくるほどである。

昨日に引き続き今日も日中はほぼ晴れ間が広がり,気持ちの良い天気であった。

心地よい風を取り入れるために窓を開けておいたら,招かれざる客が入り込んできた。

夏も終わりだというのに,蚊に食われたのである。

夏の終わりごろによく出くわす,身体は小さめですばしっこいヤツだった。苦労して叩き潰したのだが,直後に両足にわたって同時多発的に猛烈なかゆみが襲ってきた。


蚊「フッ,誰が一匹しかいないと言った?!」


そんなセリフが聞こえてきたような気がした。


昼夜問わず,聞こえてくるのは秋の虫の音ばかり。近所の空き地を通りがかったら,スズムシの鳴き声が聞こえてきた。もともと住んでいた野生種なのか,それとも誰かが飼っていたのが逃げ出して野生化したのかはわからないが,民家の中からではなく,完全に屋外にいるのは間違いなさそうである。野良スズムシに出会った経験がほとんどないのでかなり新鮮な驚きであった。

昨日今日と遠くからアブラゼミの鳴き声が聞こえてきたが,近所ではもうツクツクボウシすら鳴かなくなった。今年のセミファイナルは早そうだ。
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Radoの不等式とPopoviciuの不等式。

2015-09-20 03:07:56 | mathematics
確か発端はこんなことだったと思う。

夏休みだから時間がある。積もり積もっている「勉強したいことリスト」を少しでも消化してはどうだろうか。

そういえば,二重確率行列に関する Birkhoff の定理の証明をきちんと勉強してなかったなぁ。どう証明すればよいのか皆目見当もつかない。標準的なテキストで勉強することにしよう。

ネットにわかりやすい解説落ちてないかな~

→ 教えて!G○○gle先生!

→ Mirsky の短くてシンプルそうな論文を発見。

→ しかし初っ端から撃退される。

とまあ,こんな感じで,自分でもすっかり何に興味を抱いていたか忘れてしまっていたのが,この一連の動作が刺激となって少しずつ思い出されていったのである。

そして,上の話と直接関係があったわけではないと思うが,久々に相加平均と相乗平均の不等式について思いを巡らすに至った。そこで出会ったのが Rado の不等式と Popoviciu の不等式と呼ばれる二つの不等式である。残念ながらどちらも原論文を目にしていないが,他の文献からどうもこれがそうらしいというあたりはついた。ついでに自分で証明を考えてみた。で,以前よくやっていたように得意げにこのブログにまとめを書こうとしたのだが,数式が多く,プレーンなHTMLで書く気にとてもなれない。十日間ほど逡巡したあげく,ようやく TeX で書いて PDF ファイルにしてさらに JPEG 形式に変換するという紆余曲折を経る決意をした。

その成果を画像としてここに貼っておく。面倒だったのと,ちょうど2ページに収まったのとで肝心の参考文献を載せていないが,現在,Google で

Rado an inequality

というキーワードで検索すれば,この手の不等式の専門家である Peter Bullen 氏の論文や著作がいくつかヒットするので,それらを参照していただきたい。僕が作成した証明は一応それをきちんと読まずに作ったものであるが,もしパクリだと糾弾されたら,特に釈明せずに甘んじて受けようと思っている。

それにしても,Rado 氏にしろ,Popoviciu 氏にしろ,よくこうした面白い不等式に気づくものであるとつくづく感嘆する。

僕の個人的な感覚では,相加平均は「加法的内分」,相乗平均は「乗法的内分」とでも呼ぶべき形式である。そしてこれらの間の大小関係をつなぐ(もしくは不等式的に変換する)のが,いわゆる Young の不等式だと認識している。そして加法と乗法をつなぐものは指数関数あるいは対数関数であり,加法的内分と乗法的内分の間に大小関係がはっきり定まるということは,指数関数が凸である(対数関数が凹である)ことに他ならない。

それにしても(あっ,さっきも使った・・・),加法と乗法というのは小学校から慣れ親しんでいる数の基本演算であるが,両者の間には実に不思議な関係がある物だとつくづく感嘆する(あっ,この言い回しもさっき使った・・・)。




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