担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

不合理な校則。

2012-11-30 17:25:37 | パズル
オレは,社会の矛盾を是正する世直しの最初の一歩として,不条理な校則で全国的に有名な富士応理高校に入学した。もちろん,校内の不条理を一掃するのが目的である。

入学手続き後,生徒手帳を手に入れたので,さっそく噂の不条理な校則にチェックを入れることにした。

校則は,『校則違反をしたものは厳罰に処す。』という一文から始まっている。

それを目にしたとたん,ヤツら,本気だな,と武者震いを覚えた。

それに続く第一条にはこう書かれていた。

『第一条 校則に従ってはならない。』

・・・?

読んですぐには意味がつかめなかった。何を言っているんだ,コレは?

第一条に従って他の校則を破ったとしても,第一条に従ってしまった時点で第一条を破ったことになってしまう。

第一条に従わなかったとすると,第一条に書かれた内容を守ったことになってしまい,結果として第一条を破ったことになる。

いきなり第一条からとてつもないのが出てきた。ぐるぐる考えているうちに,オレの頭はピーとホイッスルを鳴らし,湯気を立て始めた。

こうなると,もう,チェックを入れるどころではない。

むしろ,入れるべきはツッコミであろう。

「不条理っていうより不合理じゃん!」

そう叫んでオレは生徒手帳を床にたたきつけた。

簡単にへこたれはしない。望むところだ。敵が強大であることを確認できて,「オラ,ワクワクしてきた」といったところである。

高校に入学したら,さっそく生徒会長になってやる。そして全校生徒と結託して,まずは校則をすべてまっとうなものに改正してやる!

オレは,らんらんと目を輝かせながら,来るべき高校ライフの計画を練り始めた。

(完)

※ 実は,この第一条があることで困るのは生徒だけではなく,校則に違反したかどうかを判定して処罰する側の教師も困るのである。第一条のせいで,ある生徒が校則を全て守れているのかどうか,逆に言えば,どれか一つでも破っているかどうかが誰にも判定できないからである。
これは Smullyan 氏の著書などで知った「サンチョ・パンサのパラドックス」と呼ばれるものと同種のパラドックスであろう。Wikipedia に「ワニのパラドックス」という名で同種のパラドックスが紹介されている。
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ほんのもじり。

2012-11-28 22:42:06 | パズル
Raymond Smullyan の著書 "To Mock a Mocking Bird" の第5章の最後の問題をもじってみた。
下に述べるのは,本質的にオリジナルの問題と全く同じものであって,ひねりはない。

正しいことしか言わない騎士 (knights) と,嘘しか言わない悪漢 (knaves) たちの住む島に旅行に行った。そこで出会ったある人物が,

『私が今述べていることを話すのは,これが初めてです。』

と言った。この発言から,この人物が騎士なのか悪漢なのか判別することができるだろうか?

この本からはたくさんの刺激を受けているが,問題を解くので精一杯で,自分で問題を作るには至らない。

なんとか最後まで読みきろうとは願っているのだが,第3章の床屋 (barbers) の問題にわからない問題もあるし,第4章はまだ読んでいないし・・・。

第6章に進もうとしたけど,今度は「正しいことを嘘だと思い,嘘を真だと思い込んでいる嘘つき」という新手が登場して,かなり頭が混乱してきた。

実に面白い本だが,楽しむのも一苦労である。

第5章に「Stanislaw Ulam から聞いた話」が紹介されているのだが,こんなところで Ulam の名に出くわすとは思わなかった。

Ulam は20世紀の数学界のスーパースターの一人であるが,彼の初期の頃の仕事の一つである Mazur-Ulam の定理以来,Cauchy の函数方程式関連の Hyres-Ulam の近似問題だとか,代数学では Everett との共著で "On ordered groups" という論文を書いていたりと,僕が最近興味を抱き始めた分野にことごとく顔を出すので,僕にとっては馴染みの(?)数学者の一人になりつつある。
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The Nelson Goodman Principle.

2012-11-21 23:52:17 | パズル
Raymond Smullyan(スマリアン)という有名な数理論理学者が書いた一般向けの論理パズルの本 "To Mock a Mockingbird"(『ものまね鳥をまねる』という題で邦訳が出ている)は,僕が大学生のころに手に取ったことがあるような気がするが,最近ある目的で再び手に取った。

その「ある目的」とは,正直者と嘘つきのパズルの源泉を調べることである。

道が二手に分かれているところに,正直者か嘘つきのいずれかであるが,そのどちらかはわからない人が立っており,その人に「はい」か「いいえ」で答えられるような質問を一つするだけで正しい道を知るには,何と聞けばよいか?

という問題が調査の対象である。

やはり記憶の片隅に何かが残っていたのか,思った通り,その本の第2章にその手の問題があった。しかも,同じタイプの問題すべてに通用する共通の質問形式があると書いてある。それを Smullyan 氏は "The Nelson Goodman Principle" と呼んでいる。哲学者 Nelson Goodman が,その本が書かれたころから遡って 40 年前に発明した質問形式だという。

手がかりは得られた。さっそく Nelson Goodman について調べたところ,哲学者としてはかなりの大物であるらしい。Goodman が書いた初期の論文の一つには,脚注に "my students" の一人として A. N. Chomsky の名が挙げられているが,これは言語理論で有名な Noam Chomsky のことであった。Chomsky の名もちょうど僕は大学生のころに知ったように記憶しているが,こんな形でまた出会うとは思わなかった。

その他,最近興味を抱きつつある科学哲学の Carnap,Hempel の名前も出てきた。

ただ,Goodman 氏の論文はぱっと見た感じ,どれもこれも読んでわかるような気がしない。どんな前提知識を持っていればそれらの論文が解読できるのかすら,今のところ僕には見当もつかない。

当面は起源探しは保留にして,Smullyan 氏の本を楽しもうと思う。以前はちょうどこの the Goodman principle のあたりで挫折したのではなかったかという記憶がよみがえりつつあるので,そのころより少しは成長した証として,なんとか第2章だけでも読み切りたいものである。

自分に根気や根性が欠けていることはよくわかっているので,はてさて,どうなることやら・・・。
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川渡りのパズル。(続)

2011-05-13 18:44:59 | パズル
今週,GK氏は海外出張ということで会う機会がなかった。

ちょうど出張に行くという5/2に宿題をいくつか出された。
そのうちの一つである川渡りのパズルは詳しいルールがうろ覚えだったため,真面目に取り組む気が起きず,放置していた。

というより,白状すると,GW中や週末は遊んでいたので考える暇がなかったのである。

氏から聞いたパズルのタイトルは「狂った家族」というものだったが,そのキーワードで検索しても,背筋が凍るような怪談など,パズルとは程遠いものしか見つからないように思われた。

そこで一工夫を思い立ち,「パズル 狂った家族」でググったところ,まさにそのパズルをFlashで解かせてくれるサイトがヒットした。

英語名は "mad family" だそうで,このサイトには川渡りのパズルの他の変種もたくさん集められている。
詳しく見てはいないが,このサイトにはもっとたくさんのクイズやパズルが集められているようだ。
良いサイトにめぐりあえて嬉しい限りである。

もうそれだけで満足したのだが,一応解いて宿題をひとつでも済ませておかないとまずいと思い,20分くらい奮闘して解いた。
僕の解答は,いつも通り,この記事の末尾に見えない文字で記しておく。
(見えない文字を使うテクニックは,高校時代の友人のweb日記(まだブログがなかった時代であるが)から学んだ。)
見えない文字を見たいときは,この記事の文字を全選択(あるいは空白部分をマウスでドラッグして選択)して文字の色を反転させるか,ソースを表示すればよい。

川渡りのパズルはルールが厳しいので実質的に打つ手の選択肢がなく,そのためかえってパズルとしてはあまり面白くはない。
それにもかかわらず亜種が多いのは,パズルを解くよりも,むしろルールを変更してみて,ちゃんと解けるかどうか,というパズル作成の楽しみが強いからだろう。
つまり,この手のパズルは,作り手の方が楽しめるパズルなのである。

ちなみに,M.Hiroiさんという方のサイトに,農夫と狼と山羊とキャベツの川渡りの問題を解くPrologのプログラムが載っているらしい。
"Prolog" で検索してヒットする数少ない役立ちそうなサイトのひとつなので,その存在は前々から知っていたし,この間の雑談の折にI戸川先生にも薦められたのだが,自分なりの解答を作るまでは見ないつもりでいる。

こういう頑なな姿勢は勉強にはとんと向かないのだが,性分だから仕方がない。

僕は,ショートケーキに載っているイチゴを大事に取っておいて,その結果,食べることなく腐らせてしまうという,我ながら困った性格なのである。

<「狂った家族」の答え>


父親をA,男の子をa;母親をB,女の子をb;執事(メイド)をC,犬をdとおき,例えば
こちらの岸に父親,男の子がひとり,母親がひとり,女の子がひとりいて,
向こう岸に男の子と女の子がひとりずつ,執事と犬がいる
という状況のうち,
ボートがこちらの岸にある場合は AaBb.,abCd という記号列で表し,
ボートが向こう岸にある場合は AaBb,abCd. と表すことにする。
つまり,コンマ "," が川で,ピリオド "." がボートである。
この約束の下で,例えば次のような17回の移動で全員を無事に向こう岸に渡すことができる。
00:AaaBbbCd.,
01:AaaBbb,Cd.
02:AaaBbbC.,d
03:AaBbb,aCd.
04:AaBbbCd.,a
05:BbbCd,Aaa.
06:ABbbCd.,aa
07:bbCd,AaaB.
08:BbbCd.,Aaa
09:Bbb,AaaCd.
10:ABbb.,aaCd
11:bb,AaaBCd.
12:Bbb.,AaaCd
13:b,AaaBbCd.
14:bCd.,AaaBb
15:d,AaaBbbC.
16:Cd.,AaaBbb
17:,AaaBbbCd.
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カード並べ。

2011-05-04 12:54:35 | パズル
新しいPCでついソリティアを一ゲームやってしまったのが影響を与えたのか,カード並べの夢を見た。

それは,ランダムに並んだトランプの数字を,ある規則にならって並べるのに必要なタイムを競うゲームであった。

カードをあらかじめソート(並び替え)してから規則通りに並べればよいのでは,というアイデアを秘めてゲームに再チャレンジする,というようなところで目が覚めた。

起きてから,その戦略が妥当かどうかを漠然と検討してみたが,そもそもこれはゲームとして成立していないのではないかという気がしてきた。

カードを並べるときのルールは次のようなものである。

・最初の札の数字はなんでもよい。
・カードは左から順に並べていくものとする。
・すでに並んでいるカードの次にカードを並べるときには,2枚のカードの数字が連続するように並べなければならない。
ただし,1 と連続しているのは 2 のみであり,13 と連続しているのは 12 のみである。
・与えられたカードはすべて並べなければならない。

なお,カードは必ずしも完全に一直線に並んでいなくてもよいものとする。V や M,C のように並んでいても構わない。
あるカードの「両隣のカード」が何であるか,はっきりと読み取ることが出来さえすれば実際の配置についてはどうでもよい。

トランプは13枚のスートが4組もあって大変なので,例えば 1 と 2 が書かれたカードが2組ある場合にこのルールに従ってカードを並べ尽くせるかどうか試してみるとよい。

僕はそれは不可能であるという確信があるのだが,どうだろうか?

僕はこの確信を証明してはいないのだが,ルールに従ってカードを並べ尽くすことが不可能であるという予想が真であったとすると,それをどうやって証明したらよいだろうか?


夢の中で普段以上に物事をイイカゲンに考えるせいで妙な問題を考え付いてしまった。
今晩あたりの夢でスパッと解決できればきれいにオチがついてよいのだけれど。
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川渡りのパズル。

2011-05-03 19:06:07 | パズル
2人のパズル王,サム・ロイドとデュードニーの本に川渡りのパズルが載っている。

サム・ロイドの方は一種類しか取り上げていないが,デュードニーの方はバリエーションをいくつか紹介している。

日本の著名なパズル研究家の一人,高木茂男氏の著作もweb上で公開されており,ちょっと涙が出てきそうなほど嬉しいことである。
その中に,「渡船問題(川渡りの問題)」という章が設けられており,このジャンルにおける古典的な問題が紹介されている。

この手の問題でもっとも有名なのは農夫と狼とヤギとキャベツの問題(Dudeney によれば Alcuin によるものが知られている中でもっとも古いらしい)であろう。

川の一方の岸にキャベツを抱えた農夫と狼とヤギがいる。
ボートを使って向こう岸にすべて移動したいが,あいにくボートにはこぎ手の農夫の他に,どれかひとつしか乗せることができない。
しかも,農夫がいないと,狼はヤギを襲い,ヤギはキャベツを食べてしまう。
果たしてヤギとキャベツが無事なまま向こう岸にすべてを移動することができるだろうか。

もちろん,そのような操作が可能でなければこの問題は面白くない。
そして,ボートに乗る回数を最小にするような運び方にしか興味はない。

高木氏の本には,このパズルの回答が図入りで解説されている。
そこには解が二通りあると述べられているが,そのうちのひとつしか書かれていない。
もうひとつの解について,下に白字で答えを書いておく。

ヤギを向こう岸に連れて行って戻ったとき,次に狼を渡すかキャベツを渡すかはどちらでもよい。そしてそのどちらを選んだとしても残りの工程は一意的に決まってしまうので,これらが二通りの解だということである。

さて,なぜこのパズルを調べたかというと,友人のGK氏に,この問題のあるバージョンを解いてくるようにとGWの宿題を出されたからである。
その問題の条件をメモっていなかったため,ネットで調べたのである。
そのとき,有名なパズル王の著作を覗いてみようという気になり,2人のパズル王を調べたというわけである。

ただ,GK氏が教えてくれたバージョンの問題はまだ見つけていない。
メールで教えてもらうことにしよう。
それか,この記事を読んだらコメントで教えてください。>GK君

あと,この手の問題をPrologに解かせるというのも,ある意味長年の夢のひとつであるが,これについてもうってつけのサイトが見つかった。
それについては,機会があれば改めて紹介したい。
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ふたりのパズル王。

2011-05-03 18:48:01 | パズル
ゆえあって,19世紀半ばから20世紀初頭にかけて活躍した二大パズル作家,アメリカのサム・ロイドとイギリスのデュードニーについて調べた。

このふたりの名は,現代の数理パズル研究の大家,マーチン・ガードナー氏の著作で知ったのだったと思う。
ふたりとも,幼少時にチェスでパズルの面白さにはまったという類似の体験を持っているようだ。
そうすると,日本にも詰め将棋などでパズルに目覚めたパズル作家やパズル愛好家がたくさんいるのかもしれない。

そういえば,10年以上前に,イギリスの片田舎のある大学の図書館で,確かデュードニーの著作を偶然発見したときには,これを日本に持って帰れたらと心底思ったものである。

しかしいまやそのような思いをすることもない。

サム・ロイドの代表的な著作デュードニーの代表的な著作はどちらもネットで無償で閲覧可能である。

つくづくありがたいことである。
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カレンダーの問題。

2011-02-26 19:52:37 | パズル
【問題】

ある年の7月の金曜日は5日ある。
このとき,同じ年の8月で必ず5日あるといえる曜日は何か。


これは実際にカレンダーを書いて考えれば結構簡単に解決するのではないだろうか。


解答

31日ある月で5日ある曜日の日付は,
1日,8日,15日,22日,29日のグループIと,
2日,9日,16日,23日,30日のグループII,そして
3日,10日,17日,24日,31日のグループIIIの三種類に大別される。

7月1日が金曜日だと,7月29日も金曜日であるから,8月1日は月曜日である。
7月2日が金曜日だと,8月2日も月曜日であり,7月3日が金曜日だと,8月3日も月曜日である。

すなわち,7月の金曜日が属するグループと8月の月曜日が属するグループは同じである。

したがって,答えは月曜日である。
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憧れ。

2008-07-23 23:02:39 | パズル
数学ができる人はパズルを解くのも将棋やオセロなどの理詰めのゲームなどが得意だろうと思っている人がいるかもしれないが,それは少なくとも僕にはあてはまらない。
(そもそも僕が「数学ができない人」のような気もするので,そうだとすると上の文章は無意味なのだが・・・。)

パズルについては,さっと本質を見抜いて手早く解くような頭の回転の速さを持ち合わせていないし,ゲームについていうと,「一手先を読む」ということが苦手である。
特に将棋や囲碁,五目並べ(または連珠)などについては,局面をどう評価したらいいのかさっぱりわからないので,「何が最善手なのか」がまるで判断できない。

その心細い気持ちは,数学が苦手な人がさっぱりわからない問題に対峙しているときのそれと同種のものではないかと思っている。
だから僕には数学が苦手な人の胸のうちを少しだけ理解できるような気がしている。

あ,僕が「数学ができない人」なら数学が苦手な人の気持ちがわかるのは当たり前になるのか。

仮にも数学教師の端くれなのだから,数学がわからない生徒の心理を想像しながら教え方を工夫すべきなのであるが,これがなかなか難しい。
とりあえずできることといえば,自分が理解に苦しんだ経験をもとに難所を想定するということなのだが,つい自分が発見した解決策をすべて嬉々として放出しようとしてしまい,受け手のことを忘れがちになる。
これは常に自戒せねばなるまい。
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ルービックキューブ4

2008-05-08 19:18:35 | パズル
昨年の10月31日以来,触りもしなかったルービックキューブ。

最近,昔夢中になったスライドパズル(15並べなど)を思い出し,再びはまっている。
そのついでにやりかけのルービックキューブを引っ張り出してみた。

自分がぐちゃぐちゃにしてしまったわけだが,完成への道筋はさっぱり見えてこない。
しかし,寝る前の30分ほどガチャガチャいじっていたら,8つの角の色だけきちんとそろえることが出来た。

これは快挙である。

しかし,ろくに方針のないまま動かしただけなので,偶然の産物としか言いようがない。
これでは全く再現性がない。ちゃんと理論的に順序よく動かさなければならない。
とはいってもどんな方針を立てればいいのか,まだ皆目見当がつかない。

この状態を維持したまま残りの色をそろえるべきか,それともいっそのこと角の色をばらばらにして,もう一度角の色をそろえるべく訓練をつむべきか,悩んでいる。

実は,春先にルービックキューブ攻略本を購入しているのだが,もちろん中身はまだ見ていない。自分で解くことにこそパズルの楽しみがあるのだから。

こうしたパズルを追及するのは,数学的思考のトレーニングには非常に良いと思われる。詰め将棋なんかは場合分けの格好の訓練になる。こちらも,おそらく小学生の頃に親に買い与えられたと思われる詰め将棋の本を久々に発見したので,三手詰めの問題に取り組み中である。
同時に詰め碁の入門書も発見した。こちらもぼちぼち挑戦して行きたいものだ。

いま,カール・ポパー (Karl Popper) の『科学的発見の論理』という本を少しずつ読んでいるのだが,先に読んだ訳者あとがきに,ポパーが「人間的なもので自分に無縁なものはひとつもない」という信念を抱いていたということが紹介されていた。
このフレーズには感銘を受けた。
この言葉を受けて,僕は「知的な活動で自分に無縁なものはひとつもない」という態度で生きていこうと考えるようになった。
とりあえずもっと限定して「数学で自分に無縁なものはひとつもない」としておこうか。これでもまだまだ広すぎるなぁ。とりあえず,「微分積分で自分に無縁なものはひとつもない」としておこう。

あ,そんなかに「パズル」も入れよう,ということを書くつもりだったのを忘れそうになった。
コメント (2)
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