担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

ではよいお年を。

2010-12-31 01:48:01 | Weblog
今年の書き込みはこれでおしまい。

新年の「投稿初め」はいつになるやら,まったくの未定。
それはすべてネットに接続できる環境にあるかどうかと,ネタがあるかどうかにかかっている。

あ,よく考えたら元旦の計を立てたら,それがネタになるといえばなるのか・・・。
ま,ぼちぼちやります。
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<読書感想文1013>数学的センス

2010-12-31 00:54:55 | 
野崎昭弘,数学的センス,たのしいすうがく1,日本評論社,1987.



笑える数学の本があるなんて,想像できるだろうか。

本書の筆致は実に軽快でユーモアに溢れている。
というか,ユーモアだらけで,溢れかえってしまっている。
ちょっとふざけすぎではないかといういたずらについて読んだときは思わずふきだしてしまった。

本書の噂を聞いたのは,確か高校生のときである。
高校時代の非常に優秀な友人が読んで(たぶん,funny ではなく,interesting の意味で)面白かった,と語っていたような思い出がある。
そのときは,たぶん手にとってすらみなかったような気がする。
いや,手にとってはみたものの,当時の僕には難しすぎて読むのを断念したのだったっけ。

今読んでも,随所に漂う現代数学の薫りの全てをきっちりと理解できている気は全然しないのであるが,そういったことを抜きにして,本書は全体的に刺激的で非常に面白い。著者も大いに楽しみながら書いたに違いなく,電車の中で読みながら,僕の顔はニヤニヤし通しだった。

この本は,数学の苦手な人にこそ手にとってみてほしい。
少し小難しい数学の理論も出てくるが,そういうところを理解しようなどと思いつめず,面白そうなところだけを堪能すればよい。
そんな風に大らかに本書を読むことができれば,読み終わった頃には,それまでとは違う数学との付き合い方,あるいは数学との新しい『距離感』を会得しているかもしれない。

僕はこの本から,教育者として,あるいは研究者として非常にさまざまなことを教わった。学んだことが多すぎて,ここにいちいち書くことはしない(ダレダ,読んだのがだいぶ前で内容をほとんど忘れてしまっただけではないかと言っているのは。ごもっとも!)。

あと,著者があちこちで引用している本は著者のお気に入りで,そちらもぜひ読んでみて欲しいと「本書を3倍楽しむ法」というまえがきがあるので,それらもぜひ読んでみたいと思っている。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

これが今年最後の読書感想文になる。
おそらく,これまで読書感想文を書いてきた本以外に,少なくとも一冊,

石井茂,ハイゼンベルクの顕微鏡,日経BP

という本を今年の初めに読んだはずなのだが,どこにもこれといって記録が残っておらず,記憶は定かでない。

いずれにせよ,目標の22冊には遠く及ばなかった。来年の目標は,実現可能な目標にするなら15冊あたりが妥当であろうか。
少し欲張って20冊にしてもよいのだが,実現の可能性の薄い目標を立てても不毛なだけなので,ほどほどにしておこう。
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<読書感想文1012>後悔しない意思決定

2010-12-30 23:56:00 | 
繁桝算男,後悔しない意思決定,岩波科学ライブラリー129,2007.


意思決定という,日頃我々が常に直面している問題への処方を「主観的期待効用モデル」という理論にのっとって議論した書である。

主観的効用モデルというのは結局あまりよくわからなかったが,ともかく数理的なモデルである。

第1章で織田信長の桶狭間の戦いや,ハンニバルのローマ侵攻に関する決断といった歴史的に重大な事柄を例として取り上げているので,つかみは大変面白く,議論に惹きこまれていく。

わくわくしながら第2章へと読み進めると,期待効用モデルの詳しい解説があり,一読しただけでは僕にはよくわからなかったものの,章末の「がっかりさの指標」や「残念さの指標」というものの導入の仕方は面白かった。この章をなんとか耐え忍んで読み終えた後,次の第3章へと進んだ。

ところが,主観的効用モデルの公理論的根拠などということを説明し始めたあたりから雲行きが怪しくなってきた。

僕はどうも主観的期待効用モデルの現実問題への適用法を解説したハウツーものを期待していたのかもしれないが,著者の目的はそこにはなかったようで,そうしたモデルを構築することが可能であることの理論的根拠など,原理的な話が中心となり,なんのためにそうした議論を展開するのか,必要性などが全くわからず,どんどん興味が薄れてしまった。

「あの先生,何言ってるかわかんねー。」
「計算法の解説をしてくれるのかと思ったら,なんか小難しい理論を説明し始めたぞ。一体全体どうしたっていうんだ?」

という,おそらく僕の講義を大人しく聞いている学生たちが感じているであろう『温度差』のようなものを,本書を読んでいてひしひしと感じた。

読み手と書き手のベクトルがまったく違う方向を向いていたようだ。

「主観的効用モデルの公理的根拠」というのは,「~と考えるのは妥当だと思われる」という形式の推論の積み重ねで構築されているため,数学の公理(推論の前提として使用してよいとしてあらかじめ与えられる決まりごと,ないしはルール)とは全く異質のものに感じられて,強い違和感を覚えた。
これは科学的なモデルを構築する際の議論の進め方とおそらく同一なものであり,そうした議論にあまり馴染みがないために抱いた違和感であろうと思われる。
ただ,物理学や化学などの自然科学におけるモデルの構築の例には多く親しんでいるわけで,モデルの妥当性等に関する議論に全く馴染みがないというわけではない。
そうした自然科学の場合は,実験や観察をした結果,どうもこういうことになっているらしい,という客観的な事実がモデルを構築する際の根拠となっているため,現実がそうなっているならば認めざるを得ないため,モデルの立て方に異論をさしはさむ余地はほとんどない。というよりも,そういうモデルを立てたとして,それがちゃんと科学的な仮説として妥当かどうかは,理論に基づいて得られた予測値と,実測値とがよい一致を見せるかどうかという検証手段が明確に与えられているため,うまく行けばそれでよし,うまく行かなければ修正すれば済むだけの話なので,モデルの妥当性についてそんなに厳密に構える必要性をあまり感じないのである。このような理由により,自然科学に関しては仮説に対して柔軟かつ大らかに構えていればいいのではないかと思う。

ところが,主観的期待効用モデルというものの妥当性を保証するものが一体何なのか,いまいち釈然としない気がしている。
どうやら「合理性」や「整合性」といった判断基準を満たしているかどうか検証しているようだが,これらの概念は,実際に意思決定をしなければならない我々ヒトの脳の特性と大きくかけ離れているように思えるので,どうも理論が空疎な気がしてならない。むしろ我々ヒトの意思の特性とは,非合理性と非整合性にあるのではないだろうか。つまり我々の考えていることや行いは「矛盾だらけ」なのである。
したがって,どうせなら,非合理的な人間の思惟傾向を踏まえた意思決定理論を考えるべきではないのか,という気がする。といっても,これは本書の「合理的な意思決定とはどのようなものか」というテーマとは大幅にずれてしまっているのだが。

とはいうものの,モデルの妥当性の検証などの抽象的な考察は結構好みなので面白くはあった。中でも,「標準確率実験」なるものを使用して,さまざまな事象の発生に関する主観的確率を決定する,というようなアイデアは,熱力学における,平衡状態にある系の「温度」の定義に似ていて興味深かった。要するに,主観的確率という数値を定めるということは,事象に関する「確率」という数値を測定する,ということに他ならないのだから,基準のものさしを用意して,それと比較して測りましょう,というのは,科学では基本的な考え方だと思われる。

このように見てみると,どうやらこの本は科学の手法を用いて合理的な意思決定を追求することを目指しているので,この本は社会科学の本であるといえよう。ここで「社会科学」という言葉を使ってみたが,実際のところ僕はこの言葉の意味をよく知らない。単にこの語がふさわしいのではないかと思ったまでのことで,ちゃんと定義に基づいてそう読んでいるわけではないのだが。

第4章の「確率評価を磨く」の内容はベイズ推定やモンティホールの問題といった確率の有名な問題が取り上げられていて,面白い題材ばかりである。しかし,巻末の「補足」と合わせて,僕にはなんだかよくわからなかった。これは,僕が確率論が苦手だからというのが最大の要因である。特に「補足」に書いてあることはチンプンカンプンだったので,関連する文献を探し出してじっくり調べたいと思う。

僕が期待していたハウツーの部分は第6章にしっかりとまとめられていた。後悔しないための意思決定のための実践的なアドヴァイスを知りたい人は,この第6章をじっくり読めばよいと思う。
哲人皇帝として知られるマルクス・アウレリウスの『自省録』の抄訳がいくつかちりばめられているのだが,引用箇所に『筆者抄訳』とそえられている。手持ちの神谷美恵子訳(岩波文庫版)と比較してみると,確かに訳文が異なるので,著者はギリシャ語を読めるのかと感嘆した。

総じて,何か非常に面白いことが書いてあったはずだろうが,それを十分に楽しむ読み方がわからなかった,という,消化不良な読後感が残ってしまった。これは電車などで気軽に読む本ではなく,テクストをじっくりと一語一語分析し,研究しながら読むべき本であったようである。
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<読書感想文1011>確率論と私

2010-12-29 00:06:40 | 
伊藤清,確率論と私,岩波書店,2010.


日本が生んだ世界的数学者・伊藤清氏の書き残した文章をまとめた本である。
一ヵ月前に読み終えて図書館に返却してしまい,いま手元になく,メモもとらなかったので,内容を詳しく紹介することはできない。特に印象に残ったことだけを書き残しておく。

「忘れられない言葉」という冒頭のエッセイで,『哲学』という言葉の意味を「言海」という辞書で調べたというエピソードが紹介されているが,奇しくも最近,ちくま学芸文庫から出ている「言海」を購入していたので,調べてみたところ,著者がそのエッセイで述べている通り,著者がイメージしていたのとは違う意味が書かれていた。

これも日本が世界に誇る数学者の一人である高木貞治氏の講義を受けたときの思い出が語られているが,高木氏が体を使ってフレネ=セレーの公式を解説したというくだりは,ベクトル解析の授業のよい参考になった。

著者は数学だけでなく物理学にも深い興味を持っており,数学の美に強い憧れを抱く反面,数学の応用面も非常に大事にしていたようで,そのことをことあるごとに強調している。

付録に,著者が,その名を冠した「伊藤の確率微分方程式」あるいは「伊藤積分」と呼ばれるものに到達するまでの思考の道筋が詳しく述べられており,その一文は数学の研究の仕方に関する貴重な資料であるといえよう。

著者が受賞したさまざまな賞の受賞スピーチの原稿や,弔辞なども多く採録されているが,それらは非常に読みやすい見事な文章であり,文章を書くときのお手本になるだろう。

確率論は二十世紀初頭にコルモゴロフが創始した測度論的確率論が登場して初めてまっとうな数学として認知されるに至ったようであるが,現代確率論の創成に多大な寄与をなしたパイオニアとしての,確率論研究に対する動機や熱い想いが随所で語られており,読む人に大きな励みを与えてくれる。


読後感は,あたかも一陣の爽やかな風が胸中を吹き過ぎていったかのようであった。

確固たる信念に基づいて偉大な仕事を成し遂げた人の言葉というのは,読み手を元気にしてくれるものだと改めて実感した。


※ 三重県の「三重」の名の由来を本書で初めて知った。
※※ 著者が上京する際,友人に一読を薦められたという『三四郎』をもう一度読み返したくなった。
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気になる言葉。II

2010-12-28 23:55:55 | chemistry
ホットケーキなどを膨らませる元となるもの。

それはベーキングパウダーという魔法の白い粉である。

ところで,中学でも習う有名な化学反応のひとつに,炭酸水素ナトリウムの熱分解がある。
それは

2NaHCO3→Na2CO3+H2O+CO2

という化学反応である。

炭酸ナトリウム Na2CO3 は食べても無害なのかどうかはよくわからないが,僕はこれまで,この反応で生じる炭酸ガス CO2 が,ホットケーキを膨らませるのだと思ってきた。

そしてこれは重曹とも言うものだと思っていた。

ところが,ふと,その知識は正しいのか,という疑問が生じた。

そこである辞書を調べてみると,
・ベーキングパウダー=ふくらし粉
・重曹=重炭酸ソーダ
という,別々の説明しか見当たらなかった。

それで非常に不安になったが,別の辞書を調べてみて解決した。

重曹は重炭酸ソーダ(曹達)の略だそうだ。
だから「重曹=重炭酸ソーダ」である。

また,重炭酸ソーダは炭酸水素ナトリウムのことなので,
重曹=重炭酸ソーダ=炭酸水素ナトリウム
というところまで繋がった。

最後に,ベーキングパウダーは,重曹を主成分とする粉のことだそうだから,
ベーキングパウダー≒重曹
であって,僕の認識は間違っていなかったことがわかり,ほっと胸を撫で下ろした。
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気になる言葉。I

2010-12-28 23:50:28 | mathematics
ある本を読んでいて,気になる言葉に出会った。

それは

子午線

である。

子午線ねぇ~。
確かに聞いたことあるわ~。

これまで,球座標を解説するとき,同緯度の点を結んでできる地球儀の上の円弧を経線と呼んできたが,それは「子午線」というのではなかったか。

不適切な用語を授業で使い続けてきたのかと冷や汗が出たが,辞書で調べたら子午線の意味の中に「経線」という言葉も含まれていたので,胸を撫で下ろした。


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髪が伸びる速さ。

2010-12-27 12:23:49 | 雑感
最後に髪を切ってから3ヵ月経つので,やっぱり結構伸びてきたのかな,と思った。
けど,だからといって今でも十分短いので,「伸びてきたから切る」っていったら,世間的にはちょっと変だろうか,と空想が始まった。

もっと極端にしたらどうだろうか。

スキンヘッドの人は,いわば「髪量」がゼロの状態をキープしたいだろうから,ちょっとでも生えてきたらすぐ剃りたくなるかもしれない。これは最も極端な例だし,世間的に見てももっともらしいことであって,おかしな話ではないだろう。

ところが,髪の長さが1cmくらいの坊主刈りの人はどうだろうか。


♂便所の洗面台での会話。

「うーん,髪の毛のびてきたからそろそろ切ろうかなぁ。」
「えっ,まだめちゃくちゃ短いのに,もう切るの?そんな必要ないじゃん!」
「いや,わかるかなぁ,前と比べて,だいぶ頭の色(髪の濃さ?)が濃くなってるじゃん?それが『切り時』のサインなんだよね~。」

こんなことを考えていて,ふと疑問に思った。

たとえば,髪が5mm伸びるのにどれくらいの期間がかかるのだろうか。

そう考えて,とてつもない難問にぶちあたったことに気がついた。


『髪の伸びる速さ』とは,一体何だろうか?


つまり,「髪の伸びる速さ」という言葉は具体的にどんな事柄を意味しているのだろうか?
きちんと考えてみると,じつにあやふやな,ろくに中身のない空疎な言葉だということがわかると思う。

『髪の伸びる速さ』を定義するという問題は,じっくり考える必要のあるテーマのようである。
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パラドックス,ってぃぅかぁ・・・。

2010-12-25 00:22:16 | mathematics
耳:ねぇ,ぉ兄ちゃん。聞きたぃことがぁるんだけど。
零:うわっ,ノックくらいしろよ。
耳:なに?エ○ゲーでもしてたの?キモッ。
零:そんなことしてないよ。ちょっと調べものに集中してたからびっくりしたんだろー!?
耳:うゎっ,なに妄想にふけってんのょ。ゃっぱキモッ。
零:なんでデフォルトでそっち方面ばっかなんだよ・・・。で,何?用がないなら出てってくんない?
耳:エッチな動画を検索してる人がなに忙しぶってんのょ。まじキモッ。
零:いや,だからなんでそーなるのか・・・。
耳:だぁーもぅ!ギャーピーぅるさぃ!

ばごっ!



零:ひてて・・・。ったくなんだってんだよ,もう・・・。(泣)
耳:ぃぃからちょっと聞きなさぃょ。ぁのさ,ロピタルの定理って知ってる?
零:ああ,知ってるよ。極限を求めるときに便利なやつな。それがどうかした?
耳:ぅん。このぁぃだ,学校の小テストがぁってさ,それでなんかぉかしなことになっちゃって・・・。
零:?
耳:ぁのさ,例えばこの問題なんだけど。

問題 次の極限を求めよ。

limx→1(x2+x-2)/(x2-1)

零:え?なにコレ,こんなのわざわざロピタル使わなくても『因数分解 (I),約分 (Y),代入 (D)』のIYDサイクルで一発じゃん。
耳:(?何,その『IYD』サイクルって?)それはそぅなんだけど,これにロピタル使ぅとぉかしなことになるの。
零:なんで?まあ,大げさだけど,わざわざロピタル使ったとすれば,

limx→1(x2+x-2)/(x2-1)=limx→1(x2+x-2) ' /(x2-1) ' =limx→1(2x+1)/2x=3/2

でいいんじゃない?
耳:ぅん。それはそぅなんだけどさ。ときどき,ロピタルの定理って何回も使ゎなきゃぃけなぃことがぁるじゃん?
零:ああ,そうだね,典型的な例で言うと,x→0 のときの (x-sinx)/x3 なんかがあるな。
耳:そぅそぅ,それそれ!こなぃだの小テストにも出てた!確か,分母が定数になるまで,ぇーと,2回,かな?微分しなくちゃぃけなぃじゃん?
零:うん。この例だったらそうだね。ロピタルの定理を2回使うと,cosx/6 の極限を求めればいいことになって,ここまでくれば簡単に 1/6 だってわかるからね。
耳:でさ,そんな風に何回も微分しなきゃぃけなぃんだったら,最初からガンガン微分しちゃえばぃぃじゃん?
零:いや,別にそうは思わないけど・・・。
耳:だってぃちぃち問題ごとに何回使ぅか考えてたら面倒臭ぃじゃん。
零:いや,それはどうかと思うぞ・・・。
耳:ぃぃの!その方が楽じゃん!
零:そんなダダこねられても・・・。こっちが相手するの面倒臭いよ・・・。
耳:可愛ぃ妹に向かって「面倒くさぃ」とはなにごとじゃぃ!

びすっ!



零:痛っつー・・・。暴力だけはまじ勘弁してよ~。
耳:ア゛ア゛?!
零:(ガクブル)
耳:フンッ。最初の問題に戻るゎょ。ロピタルをガンガン使ぅと

limx→1(x2+x-2)/(x2-1)
 【ロピタル召喚】「おーい,ロピタルー!」
=limx→1(x2+x-2) ' /(x2-1) '
=limx→1(2x+1)/2x
 【もいっちょロピタル召喚】「いい子だから,もう一度お願い!」
=limx→1(2x+1) ' /(2x) '
=limx→12/2
=1

で,さっきの 3/2 と違くなぃ?
零:(【ロピタル召喚】って,一体・・・。)あれ?ちょっと待って。・・・。うーん,別に途中の計算が間違ってるわけじゃないみたいだなあ。
耳:でしょ?こんな調子でガンガン解ぃてたら,小テストほとんど間違ってた・・・。
零:そりゃ,いくらなんでもチョーシこきすぎでしょー。

ぶげっ!



零:・・・ぐ・・・ふ・・・。(倒)
耳:ほら,起きろ!
零:(起)ふ・・・今のは効いたゼ・・・。
耳:ねぇ,なんで答ぇが違ぅの?最初に言ってた因数分解を使った場合は

limx→1(x2+x-2)/(x2-1)=limx→1(x-1)(x+2)/(x-1)(x+1)=limx→1(x+2)/(x+1)=3/2

で,どぅも 3/2 が正しぃ答ぇで,さっきのロピタルを2回使った答ぇが間違ってるみたぃなんだょね。
零:うーん。ほんとだ。不思議だなあ。
耳:で,どぅなの?
零:ん?何が?
耳:何がぃけなぃのか教ぇてって言ってんの。
零:・・・と言われてもなあ・・・。こんなケースはなにぶん初めてなもので・・・。
耳:もったぃぶってなぃで早く教ぇなさぃょ。それとも何?ぁたしのお兄ちゃんって,こんな初歩的なことも分からなぃ無能なダメ人間ってこと?
零:ったく,面倒臭がりのアホ妹がやらかしたヘンテコな間違いをいきなり聞かされて,こっちに考える時間も与えずにさっさと教えろなんて,まったく横暴なヤツだなあ。
おまけにちょくちょくこづいて来るし。
まったく,とんだ横暴力(横暴+暴力の短縮形:零の造語)妹だよ。
お兄ちゃんはこんな妹に育てた覚えはないぞ。
まったく,とんだ災難だよ・・・。
耳:ぁんたみたぃなヘタレ兄貴に育ててもらった覚えなんざなぃんじゃヴォケ!

べきゃっ!



カエルがつぶれたような嫌な音が部屋中に響いた。
零はつぶれたカエルのように完全にKOされ,白目をむき,口から泡を吹いてベッドに倒れこんだ。

耳:ぁ,ぃっけなぃ。ウチのアニキは打たれ弱ぃんだった。忘れてた・・・。
困ったなぁ。ただでさえ使えなぃのに,これじゃ全く役に立たなぃじゃなぃ・・・。
ほんっと,使ぇねー。

耳は「ぺっ」と唾を吐き捨てると,楽しみにとっておいたとっておきのスイーツを取りに,部屋から出て行った。


さて,読者の皆さん。耳が部屋を空けている間に,白目をむいて気絶している零の夢の中に忍び込んで,この問題の解決策を零に授けてあげて下さい。
忍びがたきを忍び,耐えがたきを耐えに耐え続けている憐れな零に,救いの手を!


※ 2010-12-26 11:47 一部修正。
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空想猫日記。

2010-12-24 19:46:13 | もじりあーの。
今日は穏やかないい天気。
ベッドの上でごちゃカタマリになって寝ている猫たちの中に,仲のいい靴下ネココンビのポポすけともぐちゃんがいました。

※ もぐはポポにとって甥であり孫であるという複雑な家族関係にあります。

ふたりは,ついさっきまで爆睡モード全開でしたが,ちょうど今目を覚ましたところのようです。

もぐちゃんが何か大事そうに前足でおさえているのがポポすけの目にとまりました。

ポ「あれ,もぐちゃん。その素敵な黒い玉はなあに?」
も「えへへ。これ?えっへん。ポじちゃん,これはね,宇宙の神秘の玉なんだよ。」
ポ「ええっ,なあに,それ。カッコいい!一体なんなの?」
も「うふふ。これはね,なんでも吸い込む玉なんだって。光でさえも吸い込んで閉じ込めちゃうんだって。」
ポ「・・・。え・・・,それって・・・。」
も「でもね,不思議なのが,何でも吸い込むはずなのに,『ジェット』っていうのが噴き出してるんだって。吸い込みきれなかったのが出てきちゃうのかな?よくわかんないや。」
ポ「・・・。えと,もぐちゃん,この際,そんなヤバい代物を今こうして僕たちのそばにおいているのに平穏無事なのは一体全体どういうことなんだ,というあからさまなツッコミは野暮だからやめておくけど,でも,これだけは言わせて欲しいんだ。」
も「?ポじちゃん,どうしたの・・・?なにを言っているのか,早口でよくわからなかった。」
ポ「あのね,もぐちゃん。光でさえも吸い込んで閉じ込めちゃうし,そのそばからジェットと呼ばれる噴出が見られるモノは

ブラックホール(black hole)

って言うんだよ。
でもね,いまもぐちゃんが大事そうに抱えているのは

黒い玉=ブラックボール (black ball)

で,そんなすごい宇宙の神秘とは全然関係ないんだよ。」
も「え,そうなの・・・?そっか。残念なの。」

少し寂しそうな表情のもぐちゃんを見て,ポポちゃんはしまったと思いました。

そのとき,飼い主の部屋のドアが開く音が聞こえました。

も「あっ。なでなでおじさんが出てきた!お出迎えにいかなくちゃ。」

かげりのある表情が一転して明るく元気な顔になり,もぐちゃんは勢いよく廊下に飛び出して行きました。

やれやれ,機嫌が直ってよかったなあ,と,元気よく駆けていくもぐちゃんを見送りながら,ポポすけは胸をなでおろしていました。

しかし,このとき,ポポすけはまだ気づいていなかったのです。
それどころか,ポポすけだけでなく,周りに住む人々,いや,世界中の誰もがまだ気づいていなかったのです。

猫の遊び道具にと飼い主がその手に

黒い棒=ブラックポール (black pole)

を握っていたことに。

間違えました。そんなことはどうだってよかったですね。もっともっと大事なことでした。


彼らはまだ気がついていないのでした。

今彼らが暮らしているのは,実はあるブラックホールの中だということに・・・。(了)
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1日遅かった。

2010-12-22 23:37:27 | 爺ネタ
冬至の今日,雲ひとつない夜空に煌々と輝くまん丸なお月様を見て,満月かと思ったけれど,月齢は16.876だそうだ。1日遅かった。もっとも,昨晩はひどい雨だったので月見はできなかったのだが。
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